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2000.12.17より
ウィリアムハルゼー
1882年(明治15年)に生れ、海軍兵学校卒業後は水雷を専科としたが海軍大学校卒業後、空母サラトガ初代艦長、ペンサコラ航空基地司令、第2空母戦隊司令官、第1空母戦隊司令官と航空畑を歩んだ。
開戦の後は、空母「ホーネット」「エンタープライズ」からなる第16機動部隊を指揮してマーシャル諸島攻撃、東京空襲と戦艦を失い戦力建て直しの時期の米海軍にあって果敢に攻撃を行なった。ミッドウェーの時には悪性の皮膚炎にかかり療養生活を送るはめになったが、復帰後はガダルカナル島を巡る戦いを指揮した。
フィリピンを巡る戦いでは空母機動部隊を率いて戦艦「武蔵」を撃沈し、北方に繰り出してきた小沢機動部隊に全兵力で襲い掛かり6次にわたる攻撃で空母7隻を撃沈した。一方、ハルゼーの手をかいくぐった「大和」以下の戦艦部隊がレイテ湾に迫り、「ハルゼー艦隊いずこにありや。全世界は知らんと欲す」と米軍司令部は大混乱となった。
ブル・「猛牛」と渾名のついたハルゼーは絶大な人気を持ち、自ら先頭に立って緒戦の停滞した米海軍の士気建て直しに貢献した。まさにアメリカ的な提督であった。