〜ブルース・リーの歴史〜

歴史を語る前に一言。

え〜、率直にいうと、この歴史はどっかのホームページからパクりました。
若かりし頃、ブルースに興味を持ちだし、興味津々で探りまくってた、あの頃です...。(どの頃?)
んで、しかもこのページどこにあったのかさえ忘れちゃいました...。テヘっ!!
だから、ハッキリ言って無断掲載です。
でも、かなり的を得てるんで勝手に載せちゃいます。
もし、「これ俺が書いたやつやんけッ!!」っていう人いましたら、教えてください。
キチンと謝りたいと思います。
勝手ばかりで、ホンマすんません。


ブルース・リーの歴史

本名 李振藩(リー・ジュン・ファン) 米国名 BRUCE LEE
  1940年11月27日(父は舞台俳優・李海泉)サンフランシスコのチャイナタウンに生まれる。
  1946年子役で「金門女」に初出演。
  以後、子役として
  1950年「細路祥」(子役初主演)
  1951年「人之初」
  1952年「弧星血涙」 この頃、葉問(イップマン)詠春拳を習う。
       「富貴浮雲」  
  1957年「雷雨」
  1958年「人海弧鴻」以上香港映画に出演する。

  1959年アメリカへ単身で渡る。
  1962年ワシントン大学・哲学部入学。シアトルのチャイナタウンにて振藩功夫(JKDの前身)を
  指導する道場、振藩國術館を開設。

  1963年シアトルのユニバーシティ・ウェイに功夫道場を開設。
  1964年リンダ・エメリーと結婚。

     カリフォルニアのロングビーチで行われた第1回国際空手選手権大会の模範演舞が
      TVプロデューサーウィリアム・ドジャーの目にとまり武術指導からTV出演に。

  1965年〜71年の間に「ヒア・カムズ・ブライト」「バットマン」「ブロンディー」「鬼警部アイアンサイド」
   「ロングストリート」等にゲストTV出演。

  1966年「グリーン・ホーネット」カトーとして出演 全26話
  1967年ダン・イノサント(死亡遊戯のヌンチャックの彼)と共にロサンゼルスで截拳道(ジークンドー)を教えはじめる。
       道場生にスティーブ・マックィーンジェームス・コバーンなども入門。
  1969年ジェームス・ガーナー主演の「かわいい女」でハリウッド映画初出演。(端役)

  1971年香港へ戻る
       初主演映画「ドラゴン危機一発」制作・公開、香港史上空前の大ヒットとなる。
  1972年「ドラゴン怒りの鉄拳」制作・公開、興行成績は前作の記録をまたも塗り替える。
       ブルース・リー、コンコルドプロダクション設立、「ドラゴンへの道」製作開始。
       「ドラゴンへの道」でブルース・リー自ら監督をし制作・公開、中国映画界のすべての
       記録を破ってしまう。
       「死亡遊戯」制作開始、アメリカのワーナーより合作「燃えよドラゴン」の話が持ち上
       がり「死亡遊戯」は中断、「燃えよドラゴン」の制作にかかる。 
  1973年1月〜3月香港で「燃えよドラゴン」撮影、5月10日スタジオで音声録音中に倒れる。
       病院に担ぎ込まれるが、2時間後に回復、しばらく入院する。
  1973年7月20日「死亡遊戯」の打ち合わせの後、ベティ・ティン・ペイ(愛人)のマンションで頭痛を
       訴え頭痛薬を飲みベッドに入る、異常にきずき救急車で病院へ運ばれるが、すでに
       この世の人でなかった。ブルース・リー死亡

  1973年8月19日「燃えよドラゴン」ハリウッドで封切り。 
     同年12月22日「燃えよドラゴン」日本公開、ブルース・リーブームが始まる。
  1974年4月13日「ドラゴン危機一発」日本公開される。
    同年7月20日「ドラゴン怒りの鉄拳」公開、ブルース・リーブームも最高潮に達する。
  1975年1月25日 最後のブルース・リーとして「ドラゴンへの道」公開、ポスト、ブルース・リーを
        狙ってさまざまな偽物クンフースターがこの時期登場したが、ブルース・リーにはなれず
        結果的にブームが下火になっていく。
  1976年以降もクンフー映画は、下火になったものの雑誌「ロードショウ」などの人気投票では常に
        首位をキープしていた、その間も「グリーン・ホーネット」「電光石火」などといった再編集
        物も公開され、映画の再映、リバイバル等も常に何処かの劇場で行われていた。
  1978年4月15日「ブルース・リー 死亡遊戯」公開10数分の撮影シーンを代役で埋め合わせストー
         リーを完全に変更して作られた、出来ばえは今一つだったものの、本物のブルース・
         リーのスチールでしか見られなかったシーンを初めて見てファンは感動した。
         この時期に沈静化していたブルース・リーブームが再燃!74年程では無いがかなりの
         印刷物等が発行された。
         しかし、これ以降はブームも完全消えていく・・・
  1981年6月20日「ブルース・リー「死亡の塔」公開、映画の内容のひどさもあって多少の雑誌で
         特集されるものの、時代はブルース・リーからジャッキー・チェンへと変わっていく。
  1983年10月22日ブルース・リーの10周忌にあたる年に「怒りの鉄拳/危機一発」がどすーんと
         リバイバルされるが、大きなブームにはならず。  
  1987年東京ファタスティック映画祭に「ブルース・リーの神話」が出展される。

  1993年5月7日ブルース・リーの伝記映画(ジェイソン・スコット・リー主演)「ドラゴン・ブルース・リー
        物語」
が全米で公開され初登場1位を記録する。
    同年8月21日「ドラゴン・ブルース・リー物語」日本公開
  1994年3月グリコカレーLEEのCMに「燃えよドラゴン」使用
    以降大ブレークはしないまでも、リーのファンは根強く生き続ける。また、截拳道も注目を集め
    挌闘家ブルース・リーとしても注目される。

  1998年没後25周年を迎え「新グロモント」のCMに登場するなど各地で様々なイベントが行われる。
     また、インターネットを基点にファン同志の意見交換が行われ、ブルース・リーの魅力は今なお
     衰えず、新しいファンを増やしつつある。

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