夏蜜柑
「今日も来ちゃった。今日も暑いね。」
樹齢千年はあろうかという大きな夏蜜柑の木の影に入りながら、その木にとまって囀る小鳥たちに話し掛けている。
年は十七・八といった所だろうか。
その少女は、真っ白なワンピースを着、頭にかぶっている大きな麦わら帽子から出ている流れる様な長い髪が、陽の光を浴び艶やかに光っている。
「ふぅ、ここはいつ来てもいい気持ち。」
季節は初夏。
梅雨が明け、幾分空気が乾いてきているため、強い日光を避け、木陰に入るだけでもずいぶんと涼しい。
少女はハンカチを取り出し軽く額の汗を拭くと、再びスカートのポケットへとそれをしまった。
「きゃっ。」
急に吹いた強い風に麦わら帽子が飛ばされそうになった。
しかし、両手で押さえたおかげで、どうにか飛ばされずにすんだ様だ。
風に揺られ、ざわざわと心地の良い葉の擦れ合う音がして、爽やかな夏蜜柑の香りが辺りに広がった。
「私、どうしてここにいるんだろう。もうあの人は来ないのに…。」
風が止み、麦わら帽子をかぶり直した少女は、少し俯き加減でひとりごとを呟いた。
「あれから、約束したあの日から、もう何年も経ってるのよ。あの人は、浩之さんはもうきっと・・・。」
そんな、消え入る様な声でつぶやく少女を心配してなのか、夏蜜柑の木にとまっていた小鳥たちが降りて来て、少女のまわりに集まり少女の肩や麦わら帽子にとまった。
夏蜜柑の木もざわめいて、まるで少女を心配しているかのようである。
「忘れちゃったのかな、約束・・・。」
そう呟いて、肩にとまった小鳥を見つめながら苦笑した。
その顔は淋しそうであった。
名を「真奈美」というこの少女には、一人の幼なじみがいる。
いや、いたと言うべきか・・・。
その子は、名を「浩之」と言い、真奈美にとって優しくて明るい、まるで兄のような存在だった。
事実彼女は、彼を「お兄ちゃん」と呼び慕っている。
「まって、お兄ちゃん。」
夏蜜柑の木に登った浩之についていこうとする少女。
まだ八歳のうえ、しかも少女は身体が丈夫な方ではない。
「あぶないからだめだよ、真奈美ちゃん。」
少女の身体が丈夫ではない事を良く知っている浩之は、ついてこようとする少女をとめた。
「だって・・・あたし、お兄ちゃんといっしょにいたいもん。」
そう言って泣きそうになる少女を見て、なんとか泣かさない様にしようと思い、彼は目的の夏蜜を柑一つもぎとると、下を向いて言った。
「わかったよ。すぐおりるからちょっとまって、真奈美ちゃん。」
木登りが得意な浩之は、するすると器用に降りていく。
片手に彼の手に余るほどの大きな夏蜜柑を持って。
「これ、あげるからなかないで。」
そう言って差し出した夏蜜柑を、少女は涙がたまって少し潤んでいる目をこすりながら受けとった。
すこし涙が残っているが、その顔は、うってかわって少し笑っていた。
「・・・・・うん。」
そのあと、浩之がもぎ取ってきた夏蜜柑を半分こして二人は食べた。
少しすっぱくて、気持ちのいい味だった。
「ね、お兄ちゃん・・・。」
少女は、うつむきながら浩之に尋ねた。
「ん、なぁに?」
夏蜜柑で口の中をいっぱいにしながら、浩之は聞き返した。
少しもじもじしてから、少女は顔を上げて、両の手で顔をおおいながら、恥ずかしそうにこう言った。
「あたしのこと、すき?」
すると浩之は、にっこりと笑いながら、
「うん、すきだよ。」
と言った。
少女は、それを聞くと、とてもうれしそうにしながら、真っ赤になって、続けてこう言った。
「じゃあ・・・、大きくなったら、けっこんしてくれる?」
そう聞かれて浩之は、少しも躊躇する事なく答えた。
「うん、いいよ。」
そして、自分にも言い聞かせるかの様にもう一度かみ締める様に言った。
「やくそく、だよ。」
少女の顔が一気に明るくなる。
「うん。」
そう言った少女は、「えへへ」と少し照れくさそうに微笑(わら)った。
それを見て、浩之も嬉しそうに笑った。
小さい頃から二人にとって、町外れにあるこの大きな夏蜜柑の木の辺りは、「いつもの」遊び場だった。
「何、お兄ちゃん?ここに呼び出したりして」
ある日、浩之は、少女をこの夏蜜柑の木の下に呼び出した。
突然呼び出された少女は、不思議そうな顔をしている。
言おうか言うまいか少し躊躇してから、浩之は口を開いた。
「うん、実は伝えなきゃいけない事・・・と、伝えたい事があって・・・」
浩之がひどく真面目なのに気付くと、少女は黙って浩之を見つめていた。
「昨日、召集礼状が、届いたんだ。だから…行かないといけなくなったんだ」
浩之は、静かにそう言った。
「え!?」
突然全く予想もしていなかった事を言われ、少女は言葉を失った。
「本当・・・なの?」
なんとかそれだけの言葉を搾り出したが、それ以上言葉が続かない。
僅かに声が震えている。
胸が、苦しい。
浩之の家は普通の農家なのだが、真奈美の家は彼女の父が海軍士官のため、少女の叔父やいとこに至るまで、召集がかかった事は無かった。
いわゆる職業軍人の特権である。
「だから伝えたい事が、あるんだ。」
そこまで言ってから、浩之は開きかけた口を閉じ、少女を見つめる。
真奈美は次の言葉を待っている様だ。
それを確認すると、深く息を吸い込んで、そして、浩之は言った。
「必ず生きて帰ってくる。だから・・・帰ってきたら、結婚してくれないか。」
少女の震えが止まる。
と、同時にあふれた涙がひとすじ、少女の頬を伝った。
「何時に、何年先になるかは分からないけど、この木の下に、いつも遊んだこの夏蜜柑の木の下に、必ず僕は帰ってくるから。」
浩之は続ける。まるでまくし立てる様に。それでいてなんだか少し、落ち着いたような感じで。
「だから待っていてくれないか、この夏蜜柑の木の下で。」
少女は頬を伝う涙を拭おうともせず、その真っ赤な目で浩之を見つめ続けていた。
頬には朱がさしていた。
「うん・・・いいえ。・・・はい、まってます。」
嬉しそうに微笑みながら、それだけ言うと、少女はうつむいて泣いた。
もしかしたら「この人はもう戻ってはこないのではないか」と言う不安に胸を痛めながら。
「必ず、生きて帰ってくるから。」
浩之は少しかがんで、泣いている少女の顔を見上げ、微笑いながらそう言った。
「浩之お兄ちゃん。」
泣きながら、自分の名前を呼ぶ少女に浩之は答えず、ただ優しく、何度も何度も少女の髪を撫でていた。
四年の月日が過ぎた。その間に優勢だった日本は連合国軍の反撃による同盟国の敗退、さらには、占領地を奪還され徐々に体制を崩し、特攻等による玉砕作戦もことごとく失敗し、止めに原子爆弾の投下、ロシアの参戦で日本は敗北し、戦争は終わりを告げていた。
あれから、浩之が死亡したと言う話は入らず、徴兵後、たった一通届いた手紙を最後に、まったく消息不明になった。
必ず帰ると約束した浩之は、通例の「頭髪入りの遺書」は送らなかったのだ。
真奈美は、浩之が召集令状に従い出兵して間もなく、家族と共に海軍の所有地の一角にある家に疎開した。
もと住んでた町は、幸か不幸か少女とその家族が疎開した次の日、大規模な空襲に遭い、多くの人が死に、町は焼け野原になった。
その中には、実は浩之の両親も含まれていた。(彼の父は既に高齢で、身体も丈夫では無かったため徴兵を免れていた。)
そんな中で、あの大きな夏蜜柑の木は、町外れにあったため、奇跡的にもほとんど焼けてはいなかった。
終戦から3年が経ち、町は、復興にはまだ程遠いにしろ、少しずつではあるが、活気を取り戻しつつあった。
真奈美の家族は、半年前、疎開先の海軍邸から逃げる様に、ほとんど空襲の被害を受けていなかったもと住んでいた町の隣町に移り住んでいた。
戦後になり、民間人を巻き込んだとして、軍人への風当たりがとても強くなっていたからだ。
また、隣町とはいえ、もと住んでいた町からは、あまり離れてはいないので、真奈美は、夏蜜柑の木の下には、それほど時間はかからずに行くことが出来た。
「ふぅ」
ひとつ、小さく、そして深くため息をついた。
哀しさか、それとも懐かしさか、ため息にひかれて涙が浮かんでくる。
「お兄ちゃん・・・」
深くかぶられた麦わら帽子のため、表情を見ることは出来ない。
しかし、木にもたれ掛かり、俯いている様子から、泣いているのであろう事は、容易に想像出来た。
「そんな事、ないよね。お兄ちゃんはいつも約束、守ってくれた。どんな無茶なおねだりも、笑って叶えてくれた・・・。」
悲観的になっている自分を、慰めるようにそう言うと、俯いていた顔を再び上げた。
その顔は、やはり涙に濡れていた。
「そう・・・だよね」
無理に笑顔を作り、涙を拭う。
再び溢れそうになる涙を「きゅっ」と噛み締めた。
「お兄ちゃん・・・浩之さんは、必ず帰ってくるって約束してくれた。だから、私が諦めちゃ、だめだよね。」
真奈美は、小さい頃浩之といっしょに唄った歌を口ずさみはじめた。
〜夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑の実を
小篭に摘んだは、まぼろしか
十五で姐やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿の先〜
泣いたすぐ後の震える声で、誰に聴かせるでもなく唄うと、すぐ隣で浩之が笑っている様な気がした。
「・・・お兄ちゃん?」
だが、振り返ってみても誰もいない。
再び孤独に胸が詰まりそうになったが、今度は、もう泣かなかった。
待っていれば必ず迎えに来てくれる、そう思えるようになったからだ。
もう日が西に傾きかけている。そろそろ戻らなければならない。
「また、明日も来るからね」
はたして、彼女に浩之の姿が見えていたのか、それとも、小鳥や夏蜜柑の古木に言ったのか、そう少女は言うと、軽く服をたたいてゴミを落とし、家のある隣町の方へと歩き出した。
そのとき、
「あっ!」
再び風が強く吹いた。
今度は手で押さえ切れず、麦わら帽子が宙に舞った。
その麦わら帽子を追って真奈美は走り出した。
しばらくして、麦わら帽子が少しずつ高度を下げ、そして、誰かの足元に「ふわっ」と舞い下りた。
「あ、えっと・・・すみません」
駆け寄ってきた少女に、しゃがんで、足元に落ちてきた麦わら帽子を拾った青年は、麦わら帽子を少女に差し出した。
なぜか青年は笑っていた。
「はい、これ」
少し照れくさそうにしながら、少女は麦わら帽子を受け取り、それから青年の顔を見上げた。
やはり、青年は嬉しそうに笑っている。
「・・・・!」
真奈美の動きが止まった。
そして、また涙がこぼれ出した。
しかし、今回は少し違っていた。微笑いながら泣いているのだ。
「ただいま。」
笑いながら青年は言った。
真奈美の顔がくしゃくしゃになる。
そう、浩之が帰って来たのだ。
背が高くなり、不精にひげを生やしていてはいるが、間違いなく4年前に別れた浩之であった。
「お兄ちゃん!」
真奈美は無我夢中で抱きついた。
浩之は、たしなめる様に、そして、大事な物を扱うように優しく髪をなでた。
真奈美の手から離れた麦わら帽子が転がっていく。
しかし、彼女はそんな事には気付かなかった。
「・・あっ!」
浩之がバランスを崩しよろめいてこけると真奈美も一緒になって転がってしまった。結果的に浩之の胸の上にのっかる形になる。
「ごめん。・・・ちょっと待たせちゃったな。」
頭を掻きながら謝る浩之を拗ねたような、怒ったような顔で見ると、涙を溢れさせながら、それでいて笑いながら、
「・・ばか」
と言った。
浩之は答えず真奈美を「ぐいっ」と引き寄せた。真奈美の頬が真っ赤に染まる。
額がぶつかるかどうか位まで引き寄せると、
「結婚、するんだろ?」
と、意地悪そうに言って「にやっ」と笑った。
それを聞いて、真奈美は、真っ赤な顔のまま、口元を「きゅっ」と引き締めると、「こくり」と頷いた。
「ありがとう」
そう言いながら、今度は、浩之が少し赤くなった。
「えへへ」と微笑う真奈美の瞳を見つめると、真奈美も見つめ返し、そして小さく「こくり」と頷くと、そっと目を閉じた。
「・・・ん」
そっと二人の唇が重なる。
二人とも相手の感触を感じるかのように眼を閉じていた・・・
「お〜い!」
その時、向こうの方から声がした。
二人とも現実に引き戻され、「はっ」となって顔を見合わせ、声のした方を見た。
そこには一台の車がおり、こちらを3人の男が見ていた。
どうやら一人は浩之たちと同じ日本人の様だが、あとの二人は金髪で、どう見ても日本人ではなかった。
「あ、そうだ、忘れてた。」
冗談なのか本気だったのか、浩之はそう言うと立ち上がった。
「一緒に来て。紹介するよ」
そういって、座り込んだままの真奈美に手を差し出した。
真奈美が、その手を取って立ち上がると、浩之はそのままその手を握って、車の方へと歩いていった。
真奈美は少し不安そうだったが、彼女が見上げた浩之の顔は、笑っていた。
車の側に来ると、ちょうどタイヤの所に真奈美の麦わら帽子が引っかかっていた。
真奈美は、「はっ」と思い出した様で、麦わら帽子を拾った。
きちんと麦わら帽子をかぶり直すと、一度浩之の顔を見てから、車に乗っている3人を見上げた。
「へぇ、この子がお前の言っていた許婚かい?」
外国人の一人が、何か嬉しそうにそう言った。
他の二人も同じ事を聞くつもりだったらしく、身を乗り出す様にして、こちらの返答を待っている。
「ああ、そうだ」
浩之は、少し照れくさそうに短くそう言うと、真奈美を見た。
すると、真奈美は少し赤くなったほおで、微笑いながら「こくり」とうなずいた。
「なるほど、アメリカに残らず日本に帰りたいって言うわけだ」
もう一人のアメリカ人が、うれしそうに笑い出した。
よく分からず「きょとん」としている真奈美に、日本人の男性が笑いながら説明してくれた。
「俺と浩之は捕虜になったんだ・・・・・
零戦が編隊を組んで飛んでいる。その中の一機に浩之は、いた。
「少尉、貴様はあの左の奴だ。」
上官が浩之に、まだ、はるか前方に僅かに見える艦隊の中の艦影ひとつを指差して言った。
「・・・わかりました。」
少しして浩之が返事する。
返事が遅かったのが気になったのか、上官は、浩之にこう言った。
「怖いのは分からないでもないが、貴様も特攻隊員だ。覚悟を決めろ。心配しなくても俺もいっしょだ。」
「はい。」
しかし、浩之は内心で、「そうではないのに・・・」と思っていた。
浩之は別に死ぬ事が怖かったのではなく、真奈美と約束したにも関わらず、生きて帰れそうに無い、約束を守れなかった自分が悔しかったのである。
「佐藤少尉、艦砲射撃来ました!回避行動をっ!」
寮機から浩之に無線が入る。
ついに敵の可視領域に入り、敵艦隊からの砲撃が始まった。空母もあるらしく、敵国の戦闘機も出撃してきた。
「もう後には引けんぞ、少尉!」
上官がそう言うのと同時くらいに、その他の寮機は、徐々に高度を下げ始めた。
博之もそれに習い、目標の艦影へ向けて特攻を開始した。
「真奈美、すまん!生きて戻れそうにないよ。でも、せめてお前が平和に暮らせるように奴らに一矢報いてやる!」
そう叫ぶと、戦艦へ向けて突撃した。
その姿には鬼気迫るものがあった。
「4番機、13番機共に被弾!墜落しました!」
そうしている間にも、次々と寮機が打ち落とされていく。
「くっ、隊列を乱すな。転回したら撃たれるだけだぞ!」
今回の特攻作戦での一番の上官がそう叫んだ。
しかし、もはや誰も冷静に考えられるような状態には既になかった。
「7番機行く!みんな、あの世で会おうぜっ!」
そう叫んだが早いか、その零戦は悠然と特攻をかける。
敵艦の陰で見えなくなったかと思うと、空母の一隻から激しい爆発が起こった。
「くっ、11番機被弾。墜落します。」
誰かが状況を報告する。
「親父すまん!俺、最後まで役立たずでよっ!」
11番機のパイロットはそう叫んだ。
きりもみ状態の零戦から、機銃が乱射される。
墜落した衝撃で、水柱が上がり、砕け散った零戦の破片が宙を舞った。
「祐樹!畜生っ!」
何人もの同僚の死に直面し、誰もが怒りと悲しみに苛められていた。
「くっ、ただでやられてたまるかっ!」
浩之は、何とか敵艦の砲撃を避けながら、確実に指示された目標へと近づいて行っていた。
「1番機、9番機着艦、やりました!」
戦友の華々しく散るその勇姿が伝えられ、皆それに続かんと突撃していく。
無念にも打ち落とされていく寮機を横目で追いながら・・・
「ふっ、ついに来たか。出来れば一度だけでも言ってやりたかったよ。「愛してる」ってな・・・。」
そう言って、敵艦をまるで仇であるかのように憎々しげに睨んだ。
「真奈美、兄ちゃん先に言ってくる!いつでもお前の幸せを願ってるぞ!」
そう叫ぶと、無線機を手にとり、残った寮機にこう伝えた。
「愛する者のために死んでくるっ!」
と・・・・。
深緑の機体が光を浴びて輝いている。滑るように宙を舞うその零戦が一際輝いたと思うと、それは赤い炎と白い煙・・・・そして、粉々の鉄屑になった。
「浩之―!」
戦友(とも)から、悲痛な叫び声が上がる。
しかし、その戦友もまた、ある者は無念にも海へと沈み、またある者は悠然と艦に火柱を上げさせていった。
・・・・俺は爆発の衝撃で海に滑るように落ちたおかげで助かった。こいつは偶然にも、敵戦艦の甲板の上に爆発の衝撃で吹っ飛んでいたおかげで一命を取り留めたんだ。」
真奈美は真剣にその話に聞き入っていた。
浩之は、後でそのことも話すつもりだったが、他人が話してくれるのだったらそれでも言いと思い黙っていた。
そして、一呼吸入れると、男は再び話し始めた。
「そのまま米軍兵に助けられ捕虜になった俺達は、傷が癒えるまで捕虜用の軍病院に収容された。終戦後捕虜が開放されて自由になったんだけど、家族の死亡を報告されてた奴らを中心にほとんど一時帰国だけでアメリカに住むようになった。だがな、こいつは「何があっても戻らなきゃならない、果さなきゃなんない約束があるんだ」って言って聞かなくてさ、それで、米軍の方に帰国申請に言ったわけよ。問い詰めて初めて「許婚がいる」って言われたこっちは本当にびっくりしたぜ。結局向こうで仲良くなったこの二人の助けもあって俺たちは帰国できるようになったんだぜ。」
真奈美が、ふと二人のアメリカ人のほうを見ると「にやっ」と笑っていた。
振り返ると、浩之も頭を掻きながら、「うん」と頷いていた。
「だけど、納得だな。」
一人が妙に真面目な顔でそう言うと、残りの二人も
「ああ」
と頷いた。
「確かにこんなに可愛いかったら、帰りたくもなるな」
一人がそう言って、3人は大笑いした。
その後、浩之を含めた4人はもう廃墟になっていた浩之の家の代わりに真奈美の家に招待される事になった。
真奈美の父は戦後こちらに引っ越す時に一度戻ったきりまだ戻って来ていなかったが、真奈美の家は、軍人家でありながら、母も父も、相手国に対する理解を持っていたので、二人のアメリカ人がかつての敵対国の人だからという事で不快に思うような事は無く、真奈美の母を含めた6人で夜遅くまで出兵後の話や、両国のそれぞれの戦中の出来事の話などで盛り上がった。
それから数日後に行われた浩之と真奈美の結婚式は、浩之が貴重な生存兵である事も関係し、二人の故郷だけでなく真奈美の新しい家のある隣町も総出の、盛大な結婚式が行われた。
衣装は許婚の話を聞いた二人のアメリカ人が、密かにアメリカからこちらに渡ってくる時に持ってきており、貧しい戦後であるにも関わらず、花嫁が美しいドレスを着ての結婚式となった。
会場はもちろん、「いつもの」大きな夏蜜柑の木の下であった。
あの夏蜜柑の木の周りで、にぎやかな声がする。その真ん中にひときわ美しい姿の少女があった。
木は少女を祝福するように葉を鳴らし、蜜柑のすがすがしい香りを振りまいた。
悲しい時も、嬉しい時も、いつもそばにいてくれたその木に少女は、
「ありがとう!」
と言った。
「ガサガサッ」と葉が鳴り、よりいっそう蜜柑の香りが、広がっていった。
その木を見上げると、いつもの優しい顔の青年がいつかのように蜜柑をもいで少女に向かって差し出していた。
少女がそれを両手で受け取ると青年は少女の目の前へ飛び降りた。
胸に夏蜜柑を抱く少女を抱きしめ口づけを交わすと、歓声が上がった。
夏蜜柑の木も二人の幸せを祈るように柔らかな香りを振りまいていた。
初夏の日の下風に吹かれる夏蜜柑の木は、いつになく優しげであった・・・
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