マッチボックス
スーパーファースト時代 ホットウィールを追う時代 再上陸 再び再会 日本車 
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所有しているマッチボックスから年代順にお気に入りの物を集めた写真館です。
その時代のマッチボックスの写真を見るときは各項目をクリックしてください。

マッチボックスの歴史
    日本での不毛時代の資料は全くないので省略してあります。
    また、私が想像で記載した事項もありますので間違ったことなどがありましたらご指摘ください)

発足時代(正規販売:朝日通商 いつ頃から開始したのかはわかりません)
マッチボックスは、1950年にイギリスのレズニー社により発足された小スケールミニカーブランドです。
スケールに揃えるのではなく。ミニカーのサイズを揃えるという当時では珍しい部類に属しており、
他のメーカーでは消極的な小スケールでした。
そう言った時代に小スケールミニカーに本腰をいれ多くのミニカーを発売したのです。
マッチボックスのブランド名の由来は、その名の通り「マッチ箱」からです。
こういった事から小スケールミニカーを「マッチボックスサイズ」と世界中で呼ばれるようになったのです。
日本の「トミカ」やアメリカの「ホットウィール」の元祖とも言えるブランドです。

また、マッチボックスは、75台の販売枠を決め。その枠内で新製品と生産中止品とを入れ替えると言う方法を取り入れました。
この販売枠の方式も当時としては画期的な事で、いまでは「トミカ」や「チョロQ」などもこの方式を取り入れています。

スーパーファースト時代(正規販売:朝日通商)
マッチボックスが世界のトップメーカーになった頃に、各メーカーが小スケールに目を向けました。
マテル社の「ホットウィール」などの新鋭が参入し始めました。
また、標準スケールメーカーのコギーからもコギージュニアなるブランドを発足させました。
そして「ホットウィール」がカラーリングが派手で速く走らせるミニカーと言うことでアメリカの子供達に受け入れられ世界トップの座を渡してしまいました。そのために地味でまじめな「マッチボックス」は、対抗策として「ホットウィール」と同じピアノ線を車軸に採用したのです。
この車軸は今の小スケールでは当たり前の事ですが、「マッチボックス」は太い車軸を使用していたのです。それを一気に変更しました。それが「スーパーファースト」です。

ホットウィールを追う時代T(正規販売:朝日通商)
「ホットウィール」が好調に売れる時代、「マッチボックス」は今までのまじめで地味さを捨て「ホットウィール」を追いかけました。
ドラックレースの車や奇抜なカラーリングの車が多くなって来たのがこの時代です。
しかし、今までの「マッチボックス」コレクターが見切ったのがこの頃からです。

ホットウィールを追う時代U
(正規販売:朝日通商)

それに気づいたレズニー社は、以前のような車種構成に戻し始めましたが、もうすでに時遅し・・・レズニー社は倒産してしまいました。そして「マッチボックス」のブランドはマッチボックスインターナショナル社が発足し引き継がれましたが、さらに日本の正規輸入していた朝日通商はマッチボックスの輸入をうち切りました。この頃には「トミカ」が日本の市場を独占していました。1970年代後半だと思います。
しかし、ジャパンシリーズなる日本向けのマッチボックスが発売されていたのがこの時期なのですが詳細はわかりません。

日本不毛時代
カタログに新製品予定を残したまま日本での正規輸入がされなくなってしまいました。
なにも資料がありません。

マッチボックス再上陸(正規販売:マッチボックスジャパン)
その1 その2 その3

1985年頃にマッチボックス・ジャパンなる販売会社が発足し、嬉しい再上陸。
箱は一回り大きくなり日本専用の黄色のパッケージで販売されました。
マッチボックス100シリーズとして発売され、明らかに日本向け仕様のものもありました。
パッケージには全車種の車名が書かれており、新製品予定にセドリック、エルフなど日本車があったのです。
しかし、実現されずに違う車種にいれかわっていました。
この時期の「マッチボックス」は、イギリス製からマカオ製に切り替わるかどきでした。
「トミカ」にも言える事ですが、塗装がぼったりした製品にはガッカリでした。

マッチボックス日本向けが75台構成に戻る(正規販売:マッチボックスジャパン)
1988年の秋から75台構成になったのです。台数は減りましたが75台だからこそ「マッチボックス」です。
箱も青を基調にした新パッケージになりこれからが期待されました。
しかし、それもつかの間・・・その年の冬に店頭から姿を消してしましました。

再び日本不毛時代
いったい何が起こったのだろうか?全く情報が無いまま時が過ぎ去っていきました。

再びの再会
その1 その2


1993年1月、トミカの特注品を求め巣鴨のミニカーショップ「ガリバー」に行ったのです。
そこで、見かけたのが黄色の赤ラインの入った箱とブリスターパックに入った「マッチボックス」です。
どのような経路で輸入されたのかはわかりませんが、まさしく「マッチボックス」でした。
生産国が「中国」や「タイ」。メーカー名は「マッチボックス・トイズ」・・・「知らない間にいろいろあったんだろうな」と感慨深げに思いました。懐かしさのあまりいろいろ買いあさり「マッチボックス・コレクション」再々開です。

マッチボックス・トイズ マテルの傘下に
時期はよくわかりませんが、いつの間にかパッケージの下に「MATTEL WHEELS」のロゴが入るようになりました。
つまり、「マッチボックス」がマテルの傘下に入ったと言うことです。
皮肉なものですね。「ホットウィール」に市場を奪われ四苦八苦していた「マッチボックス」が同じマテルのブランドになるとは・・・

これからのマッチボックス
小スケールの老舗の「マッチボックス」
マテルのブランドとして「ホットウィール」同様に日本での正規販売の開始を待ち望んでいるコレクターは多いはずです。
ぜひともお願いしたいものです。
なお、「マッチボックス」の標準スケール・ミニカーは京商より正規輸入されています。

余談ですがクラシックカーのミニカーブランドのデェイズゴーンは、レズニー社の創立者が発足したブランドです。
以前「マッチボックス」にはイエスタイヤーシリーズと言う標準スケールのクラシックカーがありました。
その伝統を引きついたブランドです。

マッチボックスの日本車
マッチボックスの日本車を集めてみました。ご覧ください。
謎の日本製マッチボックス増備!

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