オットー・クレンペラー

その生涯と時代
より抜粋

ケングリッジ大学出版 (1996)

ナチの干渉により、ベルリンフィル合唱団音楽監督としての活動が困難になったことを知り、 クレンペラーは、スイスの指揮者エルネスト・アンセルメを後継者とするよう フルトヴェングラーに申し入れた。これはドイツ政府を困惑させるよう十分に計算されたものだった。 つまりドイツの中心であるベルリンに、ストラヴィンスキー等のいわゆる「退廃」作曲家達の 作品の演奏で名高い指揮者を置くということは、政府から歓迎されるはずもないが、 あからさまな拒否は、他の国々との文化交流の促進に気を配っている政府を まごつかせることになるだろう。 フルトヴェングラーは、この申し出を未然に終わらせようとしたらしい。 しかしクレンペラーは固執した。
(略)
(1933年)5月14日、合唱団は48歳の誕生日を迎えたクレンペラーに祝電の詩を送った。やや格調の低い調子で クレンペラーは返事を出した。「みなみなさま、私はアンセルメが好いと思います」
アンセルメを後継者とすることに失敗した彼は、オイゲン・ヨッフムに 申し入れた。しかしベルリン放送(交響楽団?)の音楽監督として いざこざを嫌った彼は、合唱団にユダヤ人が多いことを理由に辞退したのである。 結局、カール・シューリヒトに引き受けてもらうことになった。

訳:小林 徹 


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