解説 森田たまさんのこと

中谷宇吉郎


私は森田たまさんの随筆を、かなり高く買っている一人である。森田さんの随筆は、 広い読者層をもっているが、卑俗ではない。もめん随筆があまり有名になったので、 着物専門の閨秀随筆家のやうに思ふ人もあるやうである。しかし森田さんの教養は 意外に広く、又その趣味には独自なものがある。
森田さんの随筆は、旧い日本の風趣に濃く彩られているが、その裏に妙にハイカラな ところがある。かういふ性格が形作られたのは、おたまさんが札幌に生まれ、娘時代を 北海道で過ごしたことが、一つの要素をなしているのであろう。牧草の匂ひを 「馬の肌のやうな匂ひ」といひ、「さたうきびの根を噛んだやうに、青っぽくあまい」と 感ずる感覚が、手織じまの描写に、新しい息を吹きこんだのであらう。
「竹]を今度又拾いよみしながら、おたまさんが子供の頃、投扇興をして遊んだところを読んで、 一寸面白かった。とくに絵図の源氏香の映像が、三十年後の谷崎源氏にまで、脈々として つらなっているところが印象的であった。子供のおもちゃに幻燈を買ったり、蝋管の蓄音機を きかせたりしたハイカラな父君が、投扇興を持ち出すところも面白い。一度か二度 遊んだくらいかもしれないが、さういふ子供の時の一寸した印象が、案外あとあとまで 根をひくものである。
少女時代を北海道で過ごし、上京して漱石先生の門に入り、嫁して大阪の旧家の生活にはひる。 といふ変化の多い生活が、おたまさんの随筆に、幅と深さを与えたものと思はれる。しかし 何といっても本当は素質にあるので、おたまさんは非常な勉強家である。いろいろな着物や 帯などの描写、日本料理の説明などの中で、一番驚くことは、ヴォカブラリイが非常に 豊富なことである。さういふ世界には、半固有名詞のやうになっている言葉が、無暗と たくさんあるものであるが、それ等を自由自在に駆使している。記憶力ももちろん大切であるが、 やはり勉強である。頭を怠けさせておいては、とてもかうおぼえ切れるものではない。
明治大正の時代は、日本民族の歴史の上で、飛鳥天平以来の盛期であった。恐らく後世になったら、 一つの特異な時代と見做されることであらう。その時代の風俗や習慣の研究に、森田さんの随筆が、 案外役に立つのではないかと思ふ。着物や料理のこと、花街の人たちの心とその雰囲気などの資料は、 文字としては案外残らないものである。小説の中にはたくさんあるが、資料としては、随筆の方に 又別の意味があるやうに思はれる。江戸時代の風俗及び庶民の生活の研究には、あの時代の随筆が 大いに役に立つといふ話である。
おたまさんの随筆を、民俗学の資料にしてしまっては、叱られるかもしれない。随筆としても、 たしかに面白いからである。一番驚くのは、その文章が何時までも若くて何となく艶なところがある 点である。お年は礼儀上書かないが、文章だけでしかおたまさんを知らない人は、恐らく みづみづしくあでやかな若夫人と思はれるであらう。それでよいのである。このつやは、おたまさんの 他人に対する愛情からにじみ出るものである。
もっとも愛情だけでは、随筆は書けない。一番大切なものは、眼であるが、「銀座新涼」の中にある 西宮の水害あとの描写などに、よい例がある。細かいお納戸地の簡単服を着て、膝に行儀良く 手をかさねた形で放心している、肥った女の人の姿が、よくこの水害の本質を物語っている。 今度の新版にははひらなかったが、戦時下の議会を傍聴した時、隣の婦人傍聴者間の会話の中から、 「昨日はさぞよろしうございましたでせうね」といふ一言をとらへている。森田さんは俳句も出来る人である。
森田さんの随筆は、終戦後の混乱時代には、不向きであった。それでこの数年はあまり見かけなかったやうである。 しかし以前のものがかういふ形になって、又だんだん出てくるやうになったのも、人心の落付を示す 一つの現はれのやうに思はれる。

(昭和二十六年九月)


昭和十六年十月十日 北大低温研究所にて
(中谷宇吉郎、谷川徹三、阿部知二氏らと)

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