1991最新英国シャーロッキアナ情報

平山雄一

(ほぼ十年前の英国旅行の報告。現在では違っているもの、埋もれてしまったもの、いろいろ入っているので、かえって興味深いかもしれない。)

今年も7月9日から一週間ほどイギリスに行ってきていろいろネタを仕入れたので、おしみなくご披露しよう。

まずはエジンバラに建立されたホームズの銅像のはなしから。

これの除幕式は6月24日だったから、日本人シャーロッキアンでは一番のりだったかもしれない。

夜行列車でロンドンをたち、エジンバラに早朝についた私はなにはともあれホテルを捜しにツーリストインフォメーションに立ち寄った。そこで紹介されたのがなんと銅像からすぐちかくのヨークプレイスであった。

この偶然に驚く間もなく荷物をホテルにのこし、ホームズの待つピカディプレイスに向かった。ここの11番地でドイルは生まれたという。今はその生家は取り壊されて残っていないが、その方を向いてホームズはたたずんでいた。なにか物思いにふけっているようでもある。あとでロンドンでスタンレイ・マッケンジー氏に聞いたのだが、この像を制作した彫刻家は「ドイルの死を悲しんでいるホームズ」をイメージしていたのだそうだ。もっともドイルが亡くなったのはイングランドのクロウバラであるが…。

皆さんは銅像の正面の写真をみて、なにか変だとは思わないだろうか。

それは、台座にちょうど金属プレートをはめ込めるぶんだけの窪みがあることである。最初それに気がついたときは、盗まれたのかと思った。昔クリテリオンバーの壁にかかっていたプレートが消えた事件を思い出したのだ。しかし除幕されてからまだ一ケ月もたっていない。どうしたのだろうか。

それにこたえてくれたのもマッケンジー氏であった。彼は銅像の除幕式に招待されていたので、エジンバラにむかった。ところがそこでとんでもない事件が起こったのだった。マッケンジー氏は除幕式の前に像を改めた。ところが、台座に取付けられていたプレートに書かれているドイルの生年が1841年となっているのにきがついたのだ。皆さんご存じの通り、ドイルが生まれたのは1859年である。こんな重大なミスがどうして見過ごされていたのか不思議でならない。だが訂正しようにもプレートは鋳物なので全部を作り直すしかない。除幕式には間に合わない。そこで仕方なく式の間はまちがったプレートをつけたままにし、そのあとで取り外し、私が訪れたときには作り直しの真最中だったのである。だから除幕式がテレビで中継されている間中、まちがいがイギリス全土のお茶の間に伝えられていたのだ。

ドイルの生家のあとは私が訪れたときは全く建物はなく、工事現場のようにみえた。これもマッケンジー氏によると、そこに「コナンドイル・ホテル」がたつ予定なのだそうだ。もっとも工事はなぜか中断されたままだそうだが。

ここピカディプレイスにはもうふたつドイルに関係のあるものがある。一つはドイル誕生の地の記念プレートである。残念ながら私は発見することができなかった。マッケンジー氏も最初人に教えてもらうまでわからなかったそうだ。ホームズの銅像の右後ろのちょっと奥まった壁にあるという。皆さんでこれからエジンバラにいくかたは注意してみてください。

もう一つはパブ「コナンドイル」である。これはホームズの右手にある青い壁の建物だ。しかし残念なことに春に火事で焼けてしまい、現在修理中で店を閉めていた。パブサインと金文字の店名は残していたので、おそらくまたこの名前で再開するのだろう。

観光名所を一通りみてから、私は南にむかった。ドイルが通ったエジンバラ大学医学部を訪ねるためだ。角にそびえるすすけた建物がめざす医学部。片側は緑多い遊歩道になっている。ちょうど学期末試験をやっていて、うんざりしたような顔の学生もみられた。

その遊歩道を少しいって左におれるとドイルが1877年から1881年のあいだすんでいたジョージスクエア23番地である。小林司氏らがかいていたとうり、いまでもカトリック系の学生ユニオンとなっている。

さらに南へすすみ、ミドウという公園をよこぎるとみえてくるのが1875年から1877年まですんでいたアーガイルパークテラス2番地だ。いまでも個人の住宅らしい。

ミドウにそってあるいていくと、スキネスという道にでる。ドイルはスキネスヒルプレイス3番地に1875年まですんでいたと篠原久典氏の「エディンバラのドイルの家」(熟考シャーロックホームズ)にかかれている。しかし区画整理でスキネスヒルプレイスはほかの通りと合併され、ただのスキネスになったとバーソロミューの地図にかかれている。そして篠原氏は「袋小路の一番奥まった所にある、狭くて日当たりの悪いアパート」と描写しているが、実際訪ねてみるとスキネスは袋小路ではないのだ。近くにスキネストリートという袋小路はあるが、現在は駐車場である。エディンバラの地図は船便でおくってしまったので今手元になく再確認できないが、この謎の答えをご存じのかたはどうか教えてほしい。

次の日、マンチェスターへむかった。もちろんグラナダスタジオの見学が目的である。以前訪れたときよりもずっと内容が充実したというのは、イギリスからの情報で知っていたが、はたしてどの程度のものなのか。わたしも所属しているノーザンマスグレイヴスという北イングランドのシャーロッキアン団体がそれに協力しているので、あるていどの期待をもっていた。

昼近く、駅でノーザンマスグレイヴスのメンバーのキャロルと待ち合わせ、ホテルに荷物を残してからグラナダスタジオに向かった。彼女は今年大学を卒業し、化学関係の会社に技師として就職が決まっている才媛である。

我々が一番、というよりも唯一みたいのはシャーロックホームズ関係の展示なのだが、前に訪ねたときと一緒で解説者が引率していくので、見たくないものまでみせられてしまう。時間がむだになってしまう。もっとも途中に「バスカヴィル家の犬」でホームズとワトソンが着た衣装が飾られていたりもする。

目玉のベイカー街のセットは、昔とくらべてずっと充実している。かつては路面電車にのって通り過ぎるだけだった。いまではセットのドアからなかにはいると小さなホームズ博物館になっている。そこには聖典にでてくるいろいろな小道具(たとえばモラン大佐の空気銃、ランタン、ホームズがライハンバッハの滝で残したステッキ、ピストル、など)や、アヘン窟の再現、テレビシリーズの写真、ストランドマガジンなどがかざられている。そこをぬけるとホームズの居間のセットだ。しかしこれは以前訪れたときと同じで、テレビにでてきたものとは大分違うのでがっかりする。

そのとなりがホームズのみの土産物やだ。昔はただのロゴマークがはいったものしかなかったが、今は放送されたエピソードそれぞれから一場面ずつを絵葉書にしているのがありがたい。まだ日本で放送されていない分も買うことができた。ほかにも221Bの外側や居間のようすの絵葉書、ホームズの写真いりのキーホルダーもある。

ホームズ関係はここのほかは、グラナダスタジオの入り口を入った正面の売店で「ハドソン夫人印」のジャム、クッキー、飴などをかうことができる。以前はジャムだけだったが、人気がでたらしい。

221Bのドアからそとにでて、ベイカー街を散歩することも可能だ。これはテレビとそっくりそのままである。何人かのエキストラが当時の格好をしてぶらついてまでいる。ただそのさきにも別の見学コースがあって、ゆっくりみていられないのが残念だった。

そのあと、ノーザンマスグレイヴスの会員たちと市内であって夕食をともにした。次のグラナダテレビのホームズは、クリスマスに放送予定の二時間もので、内容はCHARだそうだ。なぜVALLやSTUDといったまだ手掛けていない長編にしないのか尋ねたら、これらはホームズが登場するのが少ないからだろう、といわれた。なるほど長編は二部構成になっていて、後半はまったく違う物語だ。それに予算もかかるだろう。

次回の長編は題をThe Master Blackmailerとし、内容は脚色されているそうだ。まずホームズはミルバートンの存在をしらず、脅迫事件を調べていくうちにその正体を知るという。

つぎはロンドンでの話題を披露しよう。

ついにあの悪名高いベイカー街のホームズ博物館をたずねたのだ。

それはまず地下鉄の駅から始まる。外にでると、そこにはディアストーカーとインヴァネスをきたアルバイトの青年が博物館のちらしを配っていた。その日は30度を越える暑い日だったにもかかわらず、ご苦労なことである。

私は博物館の正面にある、これもまたシャーロックホームズとなずけられたサンドイッチバーにはいり、しばらく観察することにした。

入り口には昔の警察官の制服をきた門番がたっていた。

なかなか客はこない。

しばらくして、駅とは反対側から老夫婦がやってきた。門番になにやら話しかけている。手には地図をもっている。なんのことはない、本当の警官と間違えて、道をきいていたのだった。

そのあと、ぞくぞくと客がはいりはじめた。心配していたのとはちがって日本人はひとりもなく、みな白人だった。それもあとで中にはいってわかったのだが、ほとんどがアメリカ人だった。

意を決して私も道路をわたり、入り口のベルを押した。案の定いままで報告されているとおり、「ハドスン夫人」(というよりもメイド)が現われ、5ポンド払わされる。この値段は変わっていないようだ。

さて、ここのオーナー、エイディニアッツ氏が最大の根拠としているのが階段が17段だということなので、まずそれを計る。なるほど、本当に17段だ。しかしあとから手をくわえてあってもカーペットで覆われているので解かりはしない。まあそれはご愛嬌として、二階にのぼろう。

猫の額ほどの踊り場の正面が、居間でベイカー街に面している。左側がホームズの寝室ということになっている。

寝室は粗末なベッドがおかれ、そのほか少しの家具と、壁一面に当時の犯罪者達の写真がたくさん張り付けてある。ホームズが犯罪者達に見守られながら眠りについたとは聖典のどこにも書いていないが、そうでもしなければ「ホームズの寝室」と言う手がなかったのだろう。

居間は我々が考えていたものよりずっと狭い。ワトスン博士も「広々とした居間」とSTUDでいっているのだが、ここはせいぜい8か10畳くらいしかないだろう。そのなかにゴチャゴチャと家具類がつまっている。

ジャックナイフがささったマントルピース、そのわきにいすが二つ。ホームズとワトスンのための机。書棚、科学実験の机、ダイニングテーブルなどなど。

パブ・シャーロックホームズの二階にあるホームズの居間も狭くるしいが、それはもともと別の場所にあったものをうつしてきたからで、最初からそうだったわけではない。ルサン城のホームズの居間はもっと広かったのを覚えている。

我々が居間をみているあいだ、ハドスン夫人は説明をするでもなくつったっていた。以前からいろいろな報告で、このハドスン夫人はなにを質問してもろくに答えられないといわれているので、しかたあるまい。しかしよほどの知識がないと客は楽しめないだろうし、また知識がありすぎるとアラが目立ってしまう。

さらに三階は同様のつくりながら、広いほうはワトスン博士の部屋、と称して小物類を展示している。それらはたとえば馬の置物に「シルヴァーブレイズ」とか、棺桶のおもちゃに「フランシスカーファックスの失跡」とか、いってみれば文化祭レベルのだしものでしかない。そのほかは居間のミニチュアハウスとか、221Bあての手紙とか(日本の子供からのが多かった)、軽井沢のホームズ像の写真とかが飾ってあった。(誰だ、一体!)

小さい部屋はハドスン夫人の部屋といって、土産物をうっている。ここの名前がはいったバッジやらキーホルダーやらのほかにも、スズの人形やチェスの駒、チャリングクロス図書館やグラナダスタジオで売っている絵葉書までならんでいる。とくにグラナダの絵葉書は、一枚がスタジオで30Pで、221Bでは50Pだった。しかし全種類そろった箱いりのものは、スタジオで6.60ポンドなのにここでは6ポンドだった。またチェスもハムレーズよりも10ポンドばかり安かった。

全体として、以前海外誌に紹介された時よりは改善されたといえよう。もしマンチェスターまでいく暇がないシャーロッキアンにとっては、魅力的なところかもしれない。しかしこの「営利目的の」博物館がイギリスのシャーロッキアン界にまきおこした大ひんしゅくを考えると、あまりあからさまに訪れるのも気が引けるといった感じがする。