(9)峯太郎と芥川竜之介





峯太郎の晩年のエッセイ「「未成」について」(「大衆文学研究」、南北社、1962年2号)によるとこうかかれています。

何とかの会へ出て、雑談グループに入ってると、村松定孝先生が前に来られて、
「あなたは前に、山中未成といってましたか」
突然のご下問に面くらって、
「それは、大正時代のことですよ、どうしてですか」
「芥川竜之介が山中未成の文章を推賞しているのを、ご承知ではないですか」
「いいえ、知らないです、今はじめて聞くことです」
「その芥川の随筆を、今度、教科書に入れたので。ところが、山中未成がどういう人だかわからない。木村毅さんに電話で訊いてみると、未成は山中峯太郎のことでと、いろいろ言われましてね。なお、あなたに直接たしかめたいと思っていたのです」

さて、その芥川竜之介の随筆とは?幸いその名も「芥川竜之介」というホームページがありました。Toshyさんが主宰されているかなり専門的な領域まで踏み込んでいながら訪問しやすいという、優れたページです。そこの掲示板でぶしつけにも質問をしてみたところ、Toshyさんと常連の旅人さんから「文芸的な、余りに文芸的な」の第二十章「ジャアナリズム」というお答えをさっそくいただきました。ありがとうございます。ただし旅人さんは、「ファンの方からすると素直に喜べない書き方かも知れません…??(^_^;)」とおっしゃっていたのでどんなことをいわれているのか、ちょっとびくびくしながら「文芸的な、余りに文芸的な」を入手しました。当該部は以下のとおりです。

  二十 ジヤアナリズム

 もう一度佐藤春夫氏の言葉を引けば、「文章はしやべるやうに書け」と云ふことである。僕は実際この文章をしやべるやうに書いて行つた。が、いくら書いて行つても、しやべりたいことは尽きさうもない。僕は実にかう云ふ点ではジヤアナリストであると思つてゐる。従つて職業的ジヤアナリストを兄弟であると思つてゐる。(尤も向うから御免だと言はれれば、黙つて引き下る外はない。)ジヤアナリズムと云ふものは畢竟歴史に外ならない。(新聞記事に誤伝があるのも歴史に誤伝があるのと同じことである。)歴史も又畢竟伝記である。その又伝記は、小説とどの位異つてゐるであらう。現に自叙伝は「私」小説と云ふものとはつきりした差別を持つてゐない。暫くクロオチエの議論に耳を貸さずに抒情詩等の詩歌を例外とすれば、あらゆる文芸はジヤアナリズムである。のみならず新聞文芸は明治大正の両時代に所謂文壇的作品に遜色のない作品を残した。徳富蘇峰、陸羯南、黒岩涙香、遅塚麗水等の諸氏の作品は暫く問はず、山中未成氏の書いた通信さへ文芸的には現世に多い諸雑誌の雑文などに劣るものではない。(赤字平山)のみならず、――
 のみならず新聞文芸の作家たちはその作品に署名しなかつた為に名前さへ伝はらなかつたのも多いであらう。現に僕はかう云ふ人々の中に二三の詩人たちを数へてゐる。僕は一生のどの瞬間を除いても、今日の僕自身になることは出来ない。かう云ふ人々の作品も(僕はその作家の名前を知らなかつたにしろ)僕に詩的感激を与へた限り、やはりジヤアナリスト兼詩人たる今日の僕には恩人である。僕を作家にした偶然はやはり彼等をジヤアナリストにした。若し袋に入れた月給以外に原稿料のとれることを幸福であるとするならば、僕は彼等よりも幸福である。(虚名などは幸福にはならない。)かう云ふ点を除外すれば、僕等は彼等と職業的に何の相違も持つてゐない。少くとも僕はジヤアナリストだつた。今日もなほジヤアナリストである。将来も勿論ジヤアナリストであらう。
 しかし諸大家たちは暫く問はず、僕はこのジヤアナリストたる天職にも時々うんざりすることは事実である。
(昭和二年二月二十六日)

いやいや、これくらいなら十分褒めているほうにはいるでしょう。つい最近まで峯太郎は児童文学界では軍国主義の走狗として抹殺されていたのですから…。この芥川の一文がかかれたのは末尾にあるように昭和二年ですので、もうこの頃では峯太郎は山中未成名義では作品を発表していません。芥川は「通信」といっているしくりかえし「ジャアナリズム」といっているので、おそらく大正時代に未成名義で朝日新聞に掲載した第二革命関連の署名記事のことをいっていると思われます。

このほかにも峯太郎について他の作家が書いている文章について御存知の方は御教授をお願いいたします。

hirayama@parkcity.ne.jp

(2000/12/23)