ローンズの「下宿人」
文献発掘第六回
当時はあまり目に付かない文献を「文献発掘」シリーズとして連載していた。これはその一つである。
平山 雄一
今回は久しぶりに再版されたベロック・ローンズの「下宿人」(ハヤカワ・ポケット・ミステリNo.199)をとりあげてみよう。この本は前から一度目をとおしてみたかったのだが、ずっと絶版になっていたうえに「ポケミス・コレクター」というけしからんやからのせいで、4000円というとんでもない値段につりあがっていて、手がでなかったのだ。最近ポケミスの復刊がつづいているのをコレクター連中は快くおもっていないらしいが、本の最大の価値は読者が存在することなのだ。やーい、ざまあみろ。
さて、この本は1913年に単行本がでた「切り裂きジャック」もののホラー小説である。謎の下宿人がやってくるが、どうもかれのそぶりがおかしい、犯人なのではないか、という家主の恐怖を描いている。
ここで問題にしたいのは、その下宿人なのだ。一番最初の登場シーンをみてみよう。
「…インヴァネス・ケープを着て古めかしい山高帽を冠つた背の高い、やや痩せぎすの男が一人立つていた。……奇妙な格好ではあるが紳士である……その声の中には、何かかん高い、調子の取れない、ためらいが感じられた。(P18)」
どこかで見たような男ではないだろうか。
「彼の話振りときたら、気持ちがよくて慇懃であり、声は、今は貧困に悩む不幸な女に、幸多き在りし日の事どもを喚び覚ますのであつた。(P19)」
こんな話ぶりの男がいたではないか。
「「ロンドンで、玄関の扉を開けつ放しにしておくのは危険ですな」と彼はやや鋭くいいきつた。(P19)」
なかなか犯罪事情にも関心があるようだ。
「相手は、暗い陰気な痩せて尖つた顔を満足気に輝かせているのだ。「これはいい! これはいい!」と彼は叫んだ。そしてはじめて鞄を足許に下して長い痩せた手を忙しく、神経質に、こすり合せるのだつた。(P22)」
「食事の仕度のできたテーブルに歩み寄りながら、彼は、神経質なしぐさで、両手をしきりにこすりあわせていた…これは彼がうれしい時、いや、満足している時だけにする、しぐさだつた。(P143)」
「「…私は科学者なんです。つまり、いろんな実験をするんで…(P22)」
「彼は、高くはげ上がつた額に手を当て…(P22)」
もうこの人物にこころあたりがないとはいわせない!
「「私はスルウスといいます。」と突然云った…「S−L−E−U−T−H。猟犬と思ってください、奥さん、そしたら、お忘れになりませんよ。(P23)」
有名なシャーロッキアン、マイケル・ハリスンの著書 "IMMORTAL SLEUTH"からわかるように、スルースはホームズの陰喩にほかならない。聖典のなかではワトスンがスルース・ハウンドを探偵につかう犬として言及している。(CREE)
また、ホームズの目が灰色であるのは有名だが、このスルース氏も「明るい灰色の瞳」をしている。(P69)
以上からみてあきらかに、ローンズはホームズ=切り裂きジャックのパスティーシュをかいている。この主題は "THE LAST SHERLOCK HOLMES STORY"というパスティーシュもあつかっているが、70年以上も前にこのようなショッキングな解釈をあたえているとは驚きである。もっとも切り裂きジャックの犯行現場でディアストーカーを被った男が目撃されている事実に、喚起されたのかもしれない。
さらに付け加えれば、ところどころにローンズはシャーロッキアナ的くすぐりをいれている。
「…ベーカー街の、ある家の競売で、大喜びで掘り出して来たベッドに一週二ギニーも払う上客が寝ているとは……(P34)」
また下宿の親父が新聞をさしていうには、
「ほら、この見出しさ、『探偵乗り出す』だ。いいかい、この連中は特別の調査をするのさ、そして警察が見逃している、小さな事実が、たくさんわかつたつてことだ。ここにこんなことを書いているその男は…つまり、特別の探偵だがね…昔は有名な探偵だつたんだがね、今度、新聞のために、カムバックしたつてわけだ。奴のいつてることわ読んでごらん…報酬がほしくつて奴がそんなことをするんだつたら、驚くね! 奴は仕事が好きだからこそ、乗り出したんだつてことは、今にわかるさ(P153)
これは経外典の「消えた臨急」や「時計だらけの男」と同じ趣向である。この投書家の主はホームズまたはその親類ではないか、といわれているのだ。
「その話というのは、マーガレットの女主人が、ある詐欺師にだまされた話だつた…その女主人が、馬車から降りて、玄関の階段に足をかけようとした。ちょうどその時、一人の詐欺師が、気絶の真似をしたのだつた。その奥さんは、気持ちのやさしい人だつたので、その男を玄関へ連れ込んで、いろいろな気つけ薬を与えたのだつた。やつとのことで、その男が立ち去つてしまうと、若主人の最上等の、すばらしいベッ甲の頭のステッキを、その男が持ち去つて行つてしまつたことに、気がついた。そこで、マーガレット伯母さんが、奥さんに、その男は仮病をつかつたんだと、説明してやると奥さんは気絶するほど、腹を立てたのであつた。(P221)」
いうまでもなく、ホームズが「ボヘミアの醜聞」でつかったトリックである。
物語の最後に、スルウス氏は大家の家族をマダム・タッソウ蝋人形陳列館にさそう。(P235) マダム・タッソウはベイカー街駅のすぐちかくにあるのはご存じだろう。
以上のように、ローンズはホームズの長編パスティシュのなかでも、そうとうの歴史的意義があるうえに、そのシャーロッキアナ的サービス、くすぐりでもなかなかのものだといえるだろう。
その割にいままでまったくといっていいほど言及されていなかったのは、冒頭でものべたように、ひとえに絶版とそれに寄生するコレクターと古本市場のせいである。意味のない死蔵は本をシミの食料にするだけであって、活用こそが本の「成仏」をなすことができるのではないだろうか。