アヴァロン、マイクル

「ナポレオン・ソロ/アンクルから来た男」 伊東守男訳 HPM 

P45 「わたしにはわたし一流の方法があるのよ、ワトスン先生」

「そんなシャーロック・ホームズの引用なんかやって得意になっているときじゃないよ

赤川次郎

「三毛猫ホームズの騎士道」 光文社 S58

P206  何か起こりそうだ。たぶん、今夜。

 そう思うと、眠ってなんかいられないのである。シャーロック・ホームズの時代に生まれなかったのが不幸というべきか。きっとホームズの助手になって、ワトスン博士を追い出していたに違いない。

秋津知子

「英国ひとり旅」 HMM1987,4月号

P15 ダートムア  コナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』

       (中略)

岩の多い不毛の荒地ではあるものの九月の晴天のもとで見るダートムアの眺めは、穏やかで美しく、闇夜に巨大な、恐ろしい祟りの犬の陰にこもった咆哮がとどろくという、あの『バスカヴィル家の犬』の不気味で荒凉としたイメージとは程遠かった。だが、たとえ魔犬が現れなくても、いったん霧が発生すれば(そして、事実、霧が出やすいのだ)ここは恐ろしい場所に一変する。たちまち方角を見失い、遭難してしまうのだという。そして、ダートムアの只中にプリンスタウンの監獄が実在するように、たぶん、グリンペンの大底なし沼もあるのかもしれない。

浅井泰範

「七色のロンドン」 朝日文庫 S59

P34 まず第一類は、観光用パブ。ロンドンの観光ツアーで連れていかれるのは、たいていこの類だ。シャーロック・ホームズ、シェークスピアにちなんだものから…

P112  灰色といえば、ロンドンでは、推理小説を抜かすわけにはいかない。シャーロック・ホームズが住み、エルキュル・ポアロが歩き回り、「ジャッカル」がドゴール暗殺の策を練った町なのである。

P113 そこで、読者の要求にこたえて、作家たちは挑戦する。コナン・ドイル、アガサ・クリスチー、そして最近のフレデリック・フォーサイスに至るまで、イギリスの推理小説の代表作は、その時代の人々の感心がどこにあるかを見抜いたうえて生まれた画期的作品となる。

 チェックの鹿打帽にパイプ。コナン・ドイル(一八五九−一九三〇年)が生んだ名探偵シャーロック・ホームズは、ロンドンのベーカー・ストリート221番地Bに住んだ。架空の番地だが、世界の推理作家やファンの愛する住まい。いま、その近くに「シャーロック・ホームズ・ホテル」があり、ずっと南へ下ってトラファルガー広場からテームズ河畔へ抜ける通りの途中に「シャーロック・ホームズ・パブ」がある。世の中変わった。そのパブでは、鹿打帽だけでなく、Tシャツまで売っている。もちろん観光みやげだ。

 そのコナン・ドイル作品に刺激されたのが、「世界推理小説界にそびえる大木」(木々高太郎氏の表現)であるデーム・アガサ・クリスチーである。

P116 ドイル、クリスチーが探偵の脳細胞の緻密さをみせたあと、イギリス推理小説の主題はスパイに移った。

P134 ロンドンの新聞社街に「切り裂きジャック」(ジャック・ザ・リッパー)と名乗る犯人からの投書が届いた。一通だけではない。なんと四百通を越えた。時のビクトリア女王は「まだつかまらないのか」とスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)に毎朝たずね、劇作家バーナード・ショー(一八五六−一九五〇年)や「シャーロック・ホームズ」のコナン・ドイルらが犯人当てに夢中になった。

アシモフ、アイザック

「行け、小さき書物よ」 池央耿訳 「黒後家蜘蛛の会1」所収 SSB S51

P113 「コナン・ドイルがシャーロック・ホームズをスコットランド・ヤードに対決させて以来、どうも世間では、専門家は無能だと考える風潮があるようですね。

「禁煙」 同上、「…2」所収 S53

P116 「…煙草のせいでそれまでまさに、シャーロック・ホームズのように失敗を知らなかったわたしの経歴に、消すことのできない汚点が残った、とでも言っておきましょうか。しかし」彼はここで溜息をついた。

「正直なところ、あまりこの話はしたくないのです」

「シャーロック・ホームズ?」ゴンザロが嬉しそうな声を発した。

P169 「わたしは、わたしなりに人を見別けるやり方があります。それは、ちょっと言葉では説明しにくいのですが。半分は勘、半分は経験ですから…。わたしは、人の動作を細かく観察します。ほんのちょっとしたことですよ。今、目の前にいる人物の特有のもの。どうやら、わたしはそれを見付ける勘があるらしいのです。

 たとえば、煙草の吸い方。そこに目を付けると、わたしは相手が煙草をどう吸うか、つぶさに観察します。煙草の持ち方。くわえ方。吸う間隔。どのくらい短くなるまで吸うか。どうやって消すか、といったようなことをです。

 煙草一本とそれを吸う人間との関係には底知れぬ複雑さがありましてね。……それは煙草に限らず、何についても言えることです。ネクタイの結び方、爪の切り方、それから、その人物が坐っているテーブル、どんなものでもそれは言えます。わたしはある年齢になってから、人間のちょっとした動作に示される多様な、かつ深い意味を研究してきました。はじめは面白いなと思って、まあ、好奇心でしたが、しばらく観察しているうちに、これはもう、大変な問題だと思うようになりまして」

 ドレイクが曖昧な笑顔を浮かべて言った。「つまり、そういうちょっとした動作が、面接する相手の人物を知る手がかりになるということですか?」

「そうです。そのとおりです」エヴァンズは力んで言った。

「なるほど。そこで、シャーロック・ホームズが出てくるわけですね。じゃあ、ここにいる連中については、どうです?」

「獣でなく人でなく」 同上、「…4」所収 1985

P263 「いやね、ミステリの守護聖人ということになれば、ぼくはコナン・ドイルのために一席ぶつ用意があるんだ。アメリカ推理作家協会はエドガー賞をばらまいているかもしれないがね、何といったって探偵小説の元祖は皆も知っているとおり……」とそれきりポオはお預けになった。

「見当違い」 同上、「…3」所収 1981

P221 「これは驚いた」ドレイクが煙草の煙に目をしばたたきながら言った。「シャーロック・ホームズよろしくといったところだね」

「実を言えば」 同上、「…1」所収 

P70 「いやね、このあいだの会ではヘンリーはまさにシャーロック・ホームズだったよ。

「その翌日」 同上、「…3」所収

P173 「マニーはサウスビー出版をシュロックと極めつけていますが、あなた自身、そう思いますか?」

  (中略)

「くだらない、紙屑みたいな本ばかり出しているってことですよ。セックスだのこけ威しの際物だのを、金にあかした宣伝で売りまくる」 (「シュロック」の説明)

「フェニキアの杯」 同上、「…4」所収 

P231 これは「黒後家」連作のうち、フレッド・ダネイが<EQMM>に採用したものとしては二十八番目の、そして悲しいことに最後の作品である。コナン・ドイル以降、おそらくはミステリ世界にほかの誰よりも大きく貢献したフレッドも、やはり人の子、寿命には勝てなかったのだ。

「明白な要素」 同上、「…2」所収

P166 「こうなっては、シャーロック・ホームズの偉大な格言を引き合いに出すより仕方がありませんね。″不可能をすべて消去した後に残るものこそ、よしやいかにそれがあり得べからざることであろうとも、真実である″ この場合、いかなる方法によるでっち上げも不可能であるとすれば、残る真実は予知能力でしかないことになります。そうは思いませんか」

「よきサマリア人」 同上、「…4」所収

P112 ヘンリーは控え目に言った。「皆さま、わたくしは決して決して、並みはずれた知恵を持つ者ではございません。ゴンザロさまは時にわたくしをお買いかぶりになりまして、シャーロック・ホームズなどとおっしゃりますが、わたくし自身、断じてそのようには存じておりません。皆さまがここで問題をいろいろにお話し合いになり、枝葉を落とされました後に残りましたものを、たまたまわたくしが拾い上げるだけのことでございます。

アーチャー、ジェフリー

「めざせダウニング街10番地」 永井淳訳 SB S60

P58 ロンドンの電話帳でドクター・E・ドラモンドの自宅の番号を捜すのに、シャーロック・ホームズの才能は必要としなかった。

阿刀田高

「江戸禁断らいぶらりい」 KoB S57

P164 おわかりだろうか? まことにシャーロック・ホームズにも比すべき慧眼。

阿部主計

「ジゴマ劇について訂正付言」 GJ1975,5月号

P161 なお村田実監督の和製バスカヴィルの犬の題名は″猛犬の秘密″というのだった。(以下を参照のこと

「探偵劇のことなど」 GJ1975,3月号

P230 実際の事件では、シャーロック・ホウムズの目にとまるうな奇抜で決定的な証拠がやたらに転がってもいないが、全く証跡のない完全犯罪も少ないのが本当である。

P231 第一、シャーロック・ホウムズのごとき非凡な超人的英雄はただの嘘として、それが詩人的民衆の憧れでいることに気づかなかった。

P233 ヂレットのホウムズ(写真

P237 シャーロック・ホウムズの舞台化で大当たりをとったのは、本家の英国の俳優以上に、米国のウィリアム・ヂレットという役者の自作自演で、今世紀初頭のことだ。例の「ボヘミアの醜聞」事件の女優アドラーを、アリス・フォークナーという娘が、死んだ姉の遺品である恋文を隠していて復讐を志している、それをまた悪人共が金儲けの種にねらっているという事件に直し、それに大悪漢モリアティとホウムズとの抗争を混ぜた戯曲である。ヂレット自身、一九一六年に映画にしている。ホウムズもルパンも、初期から欧米各地で何度も映画化され、日本にもいくつか来ているが、何といってもこうした物で目立ったのはジョン・バリモアだ。

  (中略)

ホウムズ劇は一九二〇年頃の無声映画だが、筋はそっくりヂレット劇のとおりで、日本では遅れて大正十三年(一九二四)の封切。モリアティが単身ホウムズのアパートへ忍び入って睨み合ったり、悪漢ばらの待ち受ける地下室へ娘を救いに行ったり、例のにせ火事のトリックで隠した手紙を取り出させたり、推理のかけらもないセンセイショナルドラマだった。

P238 また同じ日活だが、少しあとで、これは溝口より偉い、日本一の大監督村田実のバスカヴィルの犬の日本版。題は忘れた。今記録を見ているいとまがない。芸術屋の村田氏には向かなかったし、何とかという人名救助の名犬が評判になったのを借りて来て悪役犬に使ったキワ物作品で、大監督生涯の駄作の一つだった。

 ルブランの″怪人対巨人″(ルパン対ショルムス)を、813で好評だった南光明があとで演じたのがあり、松竹で時代物に直して大久忠素が演出した作品もあったが、問題にならなかった。

アームストロング、アントニー

「ホワイトストーンズ荘の怪事件」第五章(連作) 宇野利泰訳 SSB 1985

P192 「よく言ってやります」 クレイヴン巡査部長は答えて、彼自身がシャーロック・ホームズのグループに加わった気持ちになったものか、感激で顔を輝かした。

アメリカ探偵小説作家クラブ著、ローレンス・トリート編

「ミステリーの書き方」 大出健訳 講談社 S59

P10 ルール4  探偵は犯人をつかまえようと手をつくし、犯人は探偵の目をごまかして逃がれようと知恵をしぼること。偶然は禁物である。モリアリティ教授が隠れ家でのうのうとし、シャーロック・ボーンズ氏が安楽いすでくつろいでいることにしておいたくせに、この先に怪しい奴がいると通りがかりの人がたまたま教えてくれたおかげでボーンズ氏が教授をつかまえて、「こうなることは初めからわかっていた」と説明してみせるなどという結末にするのでは話しにならない。

P28 もっと大事なのは、個々人から集団に力点が移ったことである。シャーロック・ホームズは自分一人の力で謎ときをした。サム・スペードもフィリップ・マーローもリュー・アーチャーもそうだった。

P84 シャーロック・ホームズのように次々と事件を解決する探偵を登場させるか、一作ごとに作者の分身をいろいろな形で登場させるかは重大な問題だ。

P85 エルキュール・ポアロやミス・マープルを知らなくてもアガサ・クリスティは知っていると言われるほどのクリスティ女史の令名も、シャーロック・ホームズという名の前ではいささか影が薄くなる。これが自分の発明品だったらとミステリー作家が皆あこがれるシャーロック・ホームズは、産みの親のコナン・ドイルばかりか古今東西のたいていの実在人物より有名だし、フィクションの世界ではこれ以上有名な人物はいないと認められているのである。例外があるとしたらターザンくらいなものだ。

P87 欠点の一つは、信じてもらえるかどうかは分からないが、作者が探偵にあきあきしても振り捨てられないということである。(コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを片づけようと躍起になったが、読者が承知しなかったではないか)

P140 探偵役をリアルに描こうとするのはいいが、複雑な心のあやをとらえる代わりに小道具にばかり凝りすぎているミステリーが多い。シャーロック・ホームズにとっての注射器やバイオリンやパイプの役割を誤解したのが、そもそもの原因ではなかろうか。わたしたちの心に浮かぶホームズは、邪悪を鋭敏にかぎあてる男、悩める心の持ち主、そして尊大になることで自分のもろさをかばっている人間である。

P151 傍観者、兼ナレーターの視点をとれば、わき役にストーリーを語らせることになる。サマセット・モームの短編やワトスンが語り手をつとめるシャーロック・ホームズ物がその例だ。

P153 第十六章 ワトスン役は必要か  レックス・スタウト

P168 質問をすることを恐れてはいけない。答えを待つこと、その答えを理解するための忍耐強さを持つことだ。パイプを手にしたシャーロック・ホームズを思い浮かべるとよい。

P213 ミニヨン・G・エバハートは言う。

「正直言って、旧式なシャーロック・ホームズばりの公式  頭の切れる探偵とその引き立て役  ほど退屈なものはない」

P242 シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、ドクター・ギデオン・フェルなどには、誰でも知っている身ぶりの特徴や口ぐせがある。

P245 シャーロック・ホームズの人気が絶えない理由は、短いなかで筋に動きがあるからである。

鮎川哲也

「トラベル・ミステリー4 殺人列車は走る」 …編 TB 1983

P281 そのむかしアメリカにH・H・ホウムズという男がいた。シャーロックのほうはど偉い名探偵だというのに、ナント、こちらは希代の殺人鬼である。(解説)

「幻の探偵作家を求めて」 晶文社 1985

P3 (深層心理の猟人・水上呂理)

 珍品をお見せしましょうといって差し出されたのが金剛社版「萬国怪奇探偵叢書」の第十四巻「ホルムスの再生」というタイトルの本だった。表紙はホウムズの顔、収録された短編は《舞踏人形》ほか四篇である。

 ホウムズ探偵の表情が当時の画家としては巧みに画かれているので感心したら、この叢書の表紙はすべて原書の絵をなぞって日本の画家が作画したものである、という島崎編集長の説明であった。金剛社は、ガストン・ルルウのルレタビーユ物を全巻訳出したことで、わたしも戦前から名を知っていた。しかし実物を見るのはこれがはじめてのことであった。翻訳者の名は表紙には石河陸一としてあるが、奥付では石川陸郎となっている。いずれも本名を一字ちぢめたものであることは、断わるまでもない。

 この叢書の第十五巻も氏のホウムズ物で、こちらは「食堂の殺人」と題し、《六つのナポレオン》のほかに六篇を収めている。

P278 (ミステリーの培養者・米田三星)

 そうしたある冬の一日、立風書房の稲見氏が鎌倉を訪れた。いまさら紹介するまでもないことだが、瀬下耽、南沢十七両氏を発見するきっかけとなったのがこの稲見氏であり、「幻影城」にとってもわたしにとっても、彼はまさにホウムズの如き名探偵なのであった。

P299 森下さんは、ホームズ物の翻訳を日本語に定着させた延原謙氏が、一つの冠詞、一つの代名詞に解釈に、時としては苦吟数日、その汗と脂があの名訳に昇華していると話して、「その延原君も今中風で臥っているそうです」と、詠嘆的な感傷のかげを、その鋭い目に漂わせた。

新井素子

「宇宙魚顛末記」 「グリーン・レクイエム」所収 KoB S58

P144 「おじょうさんは?」

水沢佳拓があたしの正面の椅子に坐る。

「まだ」

「ふふん」

「声の調子がからかうような色を帯びる。

「伝票にはアイスコーヒー三つって書いてあるぜ」

「残念でした、ホームズ君。あたしが三つ頼んだの」

I  I あ I  I  I  I   I  I  I 補追 I

どこにでもいるシャーロック・ホームズ