五日目

 先週約束したスタンレー・マッケンジー氏にあう日だ。

 まずチャリング・クロス駅にでた。ここの待合室ででホームズはマシューズに左犬歯をへし折られたと「空家の冒険」でいっているが、その待合室がいまどこにあたるのか、工事中であったこともてつだってわからなかった。「マシューズ」を新潟支部でシャーロッキアン・ネームにつかっているだけに残念だ。

 その上にあるのが現在も営業をつづけているチャリング・クロス・ホテルで、ここの喫煙室で「ブルース・パーティントン型設計図」の犯人フーゴ・オーバーシュタインがおびきよせられ逮捕された。

 駅から外にでてストランド街を東にむかった。このとおりはホームズの物語が連載されていた「ストランド・マガジン」の名前の由来でもあり、また毎号ストランドの風景のスケッチがその表紙をかざっていた。

 しばらくあるくと南側にみえるのがロースト・ビーフで有名な「シンプスンズ」だ。ホームズも「瀕死の探偵」で絶食をしたあとに「何か栄養のあるものを食べるのもいいんじゃないかな」といっているし、「有名な依頼人」でも二度、ここで夕食をとっているからにはおきにいりのレストランだったにちがいない。

 さらにすすんでウエリントン街との角にあるのがライシアム劇場である。「ライシアム劇場そとの左から三本目の柱のところまでお越しください」という手紙をもらったのはメアリー・モースタンだった。その昔は「正面入口には、二輪馬車や四輪馬車がひっきりなしに横づけになり、白シャツに礼装の男や、ショールやダイヤモンドで飾った女を降ろしていた」といわれ、ウイリアム・ジレットの劇「シャーロック・ホームズ」も上演されたが、今ではダンス・ホールとなりはてて正面玄関も板で封鎖されてしまっていた。

 ウエリントン街を北上するととおりの名前はボウ街に名前がかわる。この右手にあったのがロンドン中央警察裁判所で、現在でもおなじ建物が警察署としてつかわれている。「唇の曲がった男」ことヒュー・ブーンがここの留置所でホームズに顔をあらわれて、その正体ネヴィル・セントクレアを暴かれたのだった。

 警察署の正面にあるのがコヴェント・ガーデン劇場、現在の王立歌劇場だ。「赤い輪」でホームズとワトスンがワグナーのオペラを見に急いだのがここだ。またホームズのパロディと考えられる「マイ・フェア・レディ」(原作はショーの「ピグマリオン」)の冒頭で主人公の花売り娘イライザが仕事場にしていたのも、この劇場の前だった。ざんねんながらたずねたときはオフ・シーズンで改装工事中だった。

 コヴェント・ガーデン市場をのぞいてみた。ここで「青いガーネット」でガチョウを卸しているブレッキンリッジが店を開いていた。しかしいまではブティックやレストランなどのショッピング街にかわっている。はいって右手に露店市でにぎわっていたのでのぞいてみることにした。

 ふるぼけたモーニング・コートやフロック・コートがぶらさがっていたり、さまざまなアクセサリー、グリーティング・カード専門の店などがつらなっているが、けっして安いとはいえない。ヴィクトリア時代のものと説明のついた虫眼鏡がたくさんあったが、十数〜八十ポンドといういい値段だったのであきらめた。

 そろそろマッケンジー氏とあう十一時にちかいので、もとの道をもどった。シャーロッキアンのメッカ、パブ「シャーロック・ホームズ」で会う予定である。ノーザンバランド街をとおりクレイヴン・パッセージをまがったところでむこうにマッケンジー氏の姿がみえたので、声をかけたらすぐに応じてくれた。

 つれだってパブにはいり、飲み物を注文して席をしめた。話はマッケンジー氏が池袋でひらかれたミステリー展にコレクションを出品し、それとともに来日したことからはじまった。私ももちろんこの展覧会を訪れ、マッケンジー氏にサインをもらっていたのだが、そのこともおぼえていてくれた。

 マッケンジー氏が東京に来てはじめて、共同出品する日本シャーロック・ホームズ・クラブの田中喜芳氏と池袋駅でまちあわせたときのエピソードも話してもらった。一度もあったことのない田中氏をどう見つけようかとうろうろしていたら、むこうから夏にもかかわらずディア・ストーカーにインヴァネス・コートの人物がやってくるではないか。これで一言も言葉をかわさずに、田中氏をみつけることができたというわけだ。

 ウイグモア街郵便局の土を取ってくることができたといったら、すかさず

「何色でした?」

 と聞いてきた。さすがシャーロッキアンの古強者である。残念ながら黒土だったとこたえると、笑っていた。

 パブの一角にある「ミセス・ハドスンズ・パントリー」という軽食コーナーでシェパーズ・パイをもとめ、白ワインとともにたのしんでいると、向こう側の日本人の団体のツアー・コンダクターが私達がホームズ談義にふけっているのをみてちかづいてきた。イギリス人にもかかわらず日本語が達者で、ロンドンのホームズ協会の会員だという。

 そのほかにも「マッケンジーさんですか」と声をかけられたりして、やはりロンドンのシャーロッキアン界では有名人といっていいだろう。

 英国航空の機内放送に出演していたことをはなすと、彼自身はまだその番組をみたことがないという。「数人、アメリカの友人がみたとはなしてくれたんですがね」といった。同じくアメリカでビデオ化されているレナード・ニモイがホストをつとめる「シャーロック・ホームズを捜して」という番組も出演していながらまだ見たことがない、といっていた。 話は「緋色の研究」でワトスンとスタンフォードが出会ったクライテリオン・バーにうつった。サンディンの本やハマーの「ザ・ゲーム・イズ・アフット」では「コックニー・プライド」というパブ・レストランがそこであるとかいてあるが、マッケンジー氏によればこの問題は解決されたそうだ。クライテリオン劇場の左隣のクオリティ・インが本当のクライテリオン・バーで、そのはいって右手の壁には記念のプレートもかかげられているという。そして二年前にはクオリティ・インからクライテリオン・バーの名前にもどったそうだ。これはあとで訪ねなくてはなるまい。

 二階のホームズの居間をのぞいたあと、これからどこへいこうか、という話になった。とりあえずすぐ近くのネヴィルズのトルコ風呂にいくことになった。ここは「有名な依頼人」の冒頭場面のトルコ風呂であるといわれている。

 マッケンジー氏と私はパブ・シャーロック・ホームズをでるとそのわきのクレイヴン・パッセージをおれこんだ。とすぐにマッケンジー氏は右手の建物をゆびさして、ここがネヴィルズのトルコ風呂だといったので、あれっと思った。小林司、東山あかね両氏の「シャーロック・ホームズへの旅」によれば「パブの正面に向かって右端にあるクレイヴン・パッサージから、パブの裏にある建物の二階を見上げると、スチームを作る釜の残骸が見える。これが、……ホームズごひいきのトルコ風呂のモデルであり、ネヴィルズ・チャリング・クロス・ターキッシュ・バスという名で、……ずっと前に廃業している。」というのだが、マッケンジー氏が指し示したのは、クレイヴン・パッセージをはさんで向かいがわのバークレイズ銀行なのだ。              

 銀行の正面は何のへんてつもないが、た       クレイヴン街

しかにマッケンジー氏のいうとおり、横の ・・・・・・・・   ・・・・・・・・

壁にはトルコ風のタイル装飾が施されてい 小林・東山説の・パ ク・       

た。(〓印のところ) いっぽう小林・東 ネヴィルズ  ・ッ レ・       

山両氏のいう釜の残骸は、残念ながら確認 ・・・・・・・・セ イ・・・・・・・・

できなかった。             パブ・シャーロ・| ヴ・バークレイズ 

 ところが帰国してしばらくたってから、 ック・ホームズ・ジ ン・〓   銀行 

ワシントンのピーター・E・ブラウ氏から ・・・・・・・・   ・・・・・・・・

の情報がとどいてこの問題も解決した。    ノーザンバランド・アヴェニュー

 彼によれば、「ロンドンの旅行者はもうじきネヴィルズ・バス(ホームズとワトスンがトルコ風呂に入り浸っていた「ノーザンバランド・アヴェニューの店」である。)を訪問できる。チャリング・クロスのこの建物は、現在バークレイズ銀行の支店であるが、風呂のすばらしい丸屋根はいままで何年も仮屋根におおわれていたが、現在それは取り外されて姿をあらわし、修復工事もすすんでいる。」とのことだ。また東京図書の「シャーロック・ホームズ全集」のベアリング・グールドの註でも「クレイヴン・バッセイジとの角の「ネヴィルズ」という店であることがわかった」とあるので、バークレイズ銀行が本当の「ネヴィルズ」に間違いないだろう。

 このあとわれわれはテムズ川ぞいのヴィクトリア・エンバークメント公園を南下した。ここでゴードン将軍(「ボール箱」でワトスンが彼の肖像画をもっていたことが記されている)の銅像をながめたあと、赤レンガでおなじみのニュー・スコットランド・ヤードをみた。ホワイト・ホールの大通りにでて向こうがわにわたって外務省にちかづく。この建物はキング・チャールズ街にめんしているが、この通りこそ「海軍条約」のパーシー・フェルプスからジョセフ・ハリスンが重要書類を盗んで逃げ出した裏口があるはずなのだ。しかしその候補になりそうなドアはいくつもあり、どれと特定することは出来なかった。 ふたたび北に道をとり、スコットランド・ヤード発祥の地、グレード・スコットランド・ヤードをたずねた。一八七七年から一三年間スコットランド・ヤードがしめていた建物はいまではなくなってしまっている。ホワイトホール・ブレイス四番地に青色のプレートがかかげられているのが唯一のなごりである。

 またパブ・シャーロック・ホームズにもどってきた。こんどはバスにのってピカデリー・サーカスにいってクライテリオン・バーをみようとということになった。チャリング・クロスにでて駅前のバス停にならぶ。「バスカヴィル家の犬」のモーティマー医師が勤務し、「有名な依頼人」で怪我をしたホームズがかつぎこまれたチャリング・クロス病院も、「アベイ農園」でホームズが、「ウイステリア荘」でスコット・エクルズが電報をうったチャリング・クロス郵便局もいまではとりこわされて当時をしのぶよすがもない。

 ロンドンについてからしばらくたつというのにバスは初めてということであわてふためいているうちに、あっというまにピカデリー・サーカスについた。広場の南東がわの一面にあるクライテリオン劇場の左どなりにつきだした丸屋根が、ワトスンとスタンフォード青年が旧交をあたためたクライテリオン・バーである。中にはいるともうひとつドアがあり、そこをとおして右手に二人の再会を記念したプレートがみえるが、文字はよみとることはできない。マッケンジー氏もまたユテヒン氏もここは高いのでみるだけにしておいたほうがいい、といっていたのでのぞくだけにしておこう。マッケンジー氏によるとここの天井はヴィクトリア時代そのままのこっているという。

 リージェント街を北上していくと右手にカフェ・ロイヤルがある。ここの前でマッケンジー氏に、新潟支部の喫茶店「シャーロッキアン」のオーナー、浅野好明氏の新説をはなすと大笑いしてよろこんだ。浅野氏の説とは「有名な依頼人」でカフェ・ロイヤルの前でホームズを襲撃した二人の暴漢は日本人だというものだ。その理由はホームズが主に頭をねらわれたことによる。剣道では「面」の技があるが、フェンシングではないのだ。しかし武士ならば二人で一人をおそうというようなひきょうなまねはしないだろうから、町道場でまなんだ町人だろうということだ。

 最後にライスター・スクエアのチャールズ・チャップリン像をたずねた。チャップリンは一九〇三年にウイリアム・ジレットの劇「シャーロック・ホームズ」に給仕の役で出演していた。その後スイス・センターの喫茶室で午後のお茶をたのしんだ。スイス政府観光局が同じ建物にはいっており、ここでロンドン・ホームズ協会のホームズ・スイス・ツアーを企画したという。

「ここいらへんは中国人がおおいですが、チャイナ・タウンなのですか」

 と聞くと、そのとおりと答えてさらに、先日中国の記者にホームズについて取材をうけたとつけくわえた。台湾か香港の記者ですか、と問いかえすとそうではなく、中華人民共和国だといったのでびっくりした。さらに驚いたことにいずれシャーロッキアン団体もできるかもしれない、とその記者はいっていたという。

 話は聖典の翻訳史におよんだ。「赤毛組合」が明治時代に日本語に翻訳されるときに、日本には赤毛の人がいないため「禿組合」にしたというとマッケンジー氏は大いによろこんだ。さいわいマッケンジー氏は立派な白髪の紳士なのでこういう話もできたというわけである。

 マッケンジー氏のベイカー・ストリート・イレギュラースでのシャーロッキアン・ネームが「唇の曲がった男」と聞いて驚喜した。「根性の曲がった男たち」の会長としてはだまっていられない。さっそく名誉会員をお願いすると、快諾してくれた。

 時刻も夕方となり、マッケンジー氏も次の約束があるというのでピカデリー・サーカスでわかれ、そのまま徒歩で南下してウエストミンスター寺院を見物にでかけることにした。途中ホワイト・ホールのバンケッティング・ハウスでイギリス議会の歴史の展示をのぞいたあとくたくたになりながらようやくついたが、なんということだ、また礼拝中で中にはいることができない。日本の寺院は金をとるかわりにこんなことはない。葬式仏教もこんなところでやくにたっている。

 国会議事堂は以前からテロ対策のため公開が中止されているので仕方がなくしおしおと引下がるしかない。重たい足をひきずってウエストミンスター駅から地下鉄に乗り、オックスフォード街にむかった。閉店時間の5時がせまっているのであわててH.M.V.レコードにはいった。ヨーロッパ一大きいレコード店だといわれている。目的はテレビのシャーロック・ホームズ・シリーズのサントラ・レコードだ。7月にロンドンを訪れた本間君は発見することができなかったという。まずLPレコードのコーナーではみつけられなかった。そしてCD売り場。あった、とうとうあった。一枚だけみつかった。ウエストミンスター寺院の貸しをとりもどせていい気分だ。ついでにクラシックのCDを数枚えらんだところで閉店の案内放送がながれたので、あわててレジにむかったのだった。