リュサンにオープンしたばかりのホームズ博物館に行ってきました。連れはシャーロキアン1名。博物館は開館直後で、来館者ノートは1ページしか埋まっていませんでした。2ページ目に私達が書き込みをしてきましたが、初の日本人来館者になってしまいました。レイアウトは、フランス・ホームズ協会のサン=ジョアニさんのHPで見たものとはだいぶ様子が違っていました。後で聞いた所では、HPの方は開館前の写真だとかで、写真を撮った後に開館準備が続けられたそうです。
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リュサンのホームズ博物館
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展示物は、ドイル家縁の品々(肖像画、手紙など)、聖典に関連した品々(まだらの紐のホルマリン漬け、V.ハンターの髪など)、ホームズ関連文献などでした。ほとんどが英仏の初版本でしたが、1冊だけ日本語の『世界感覚』という昭和25年発行の雑誌が展示されていました。表紙しか見られませんでしたが、中にはホームズに関する論文が4本載っているそうです。しかし、不思議な事に解説は「ONDORI TSUSHIN」となっていました。スイスのシャーロキアンに会った時、その旨伝えたので、皆さんが訪問される頃には直っているはずです。
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世界感覚 解説はなぜか「ONDORI TSUSHIN」になっていた。パンフレットによれば、「世界感覚」には牧野伯爵による「バリツ」に関するエッセイが載っている。 |
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ドイル愛用の椅子も置いてありましたが、あとで地元のシャーロキアン宅に行った時、ドイルがその椅子に座っている写真を見せて貰いました。
スイスとフランスのシャーロキアンが準備に協力しているため、展示は細部までこっています。いずれは博物館に頼んで「スマトラの大ネズミ」の剥製を入手するとのことです。見たいような見たくないような。
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展示室の奥にホームズの部屋が再現されています。英独仏の音声ガイド付きです。私は仏語ガイドを聞きましたが、スイスで録音しただけあって、スイス訛がありました。英語と仏語のガイドは地元の警察官による録音だそうです。机上の新聞から何から当時の物を揃えてあるそうです。音声ガイドが終了してからも、私達はずっとガラスの前に張り付いていました。
開館直後でグッズはあるまいと思っていたら、Tシャツや葉書を販売していました。Tシャツは25SF、ポロシャツは35SF、葉書は1SFでした。シャツはホームズのシルエットとリュサンのマークである太陽をあしらったもの。ロンドンで1951
年にホームズ部屋を公開した時のパンフレット(英語)は25SFでした。受付嬢から博物館のパンフレット(英独仏語で併記されている)を山のように貰いました。日本で宣伝してねという意味でしょう。入館料は4SFでした。
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4月〜6月15日:14〜17時 6月16日〜9月30日:10〜12時、14〜17時 月曜休館 上記以外の期間は要予約(団体のみ) 祝日:休館 大人:4スイスフラン 12歳以上の子供、学生、60歳以上:3スイスフラン 団体料金は15名から |
ついでにリュサン城も見て行こうと思いましたが、日差しが強いのと、上り坂がきつそうなのですぐ諦めました。現在は閉鎖中なので、どうせ中には入れなかったし。
リュサンはローザンヌからローカル線で40分。電車は1時間に1本しかありません。事前にスイス国鉄のHPで時刻を調べると良いでしょう。ローザンヌからリュサンに向かう列車からの眺めは最高でした。ブドウ畑の斜面の下にレマン湖が広がり、壮大でした。駅で博物館への道を聞いたら「知らない」と言われ、昼食を取りに入ったカフェで店員に聞いたら「あの赤い家(Maison Rouge)だよ」と教えて貰いました。バカンスの季節で避暑客があちこちのカフェに座っていました。
同日にローザンヌにて、スイス・ロマンド・ホームズ協会の面々と夕食をしました。1999年創設の新しい会で、会員は30数名。代表のヴァンサン・ドゥレ氏ほか2名は、恐らく私達と同世代だと思います。そのせいか初対面にも関わらず、笑い声の絶えない非常にくつろいだ雰囲気でした。紅一点のシャンタルさんにスヌーピー・ホームズのグッズをプレゼントしたら大喜びされました(彼女はスヌーピーも好きだとか)。リュックさんは日本語を勉強した事があって、会話に時々日本語が混じりました。
スイスには既に「ライヘンバッハ・イレギュラーズ」というホームズ団体がありますが、「あれはドイツ語圏の団体だからね」と言っていました。これが仏語圏で新たに結成した主な理由でしょう。この団体を私に紹介してくれたのはフランスのシャーロキアンですが、ローザンヌはパリからTGVで4時間という近さ。これならフランスとスイスで協力し合える訳ですね。
夕食後、「フランシス・カーファクス姫の失踪」のオテル・ナシオナルに案内して貰いました。現在は普通のアパートになっています。その後はヴァンサン・ドゥレ氏の家に招待され、コレクションを見せて貰いました。彼の地にはスイス・ロマンド交響楽団がありますが、以前コンサートを聴きに行ったら、第一ヴァイオリン奏者がホームズの格好をしていたそうです!!日本公演も行ったそうなので、今度来日したら聴きに行かなくては。
| オテル・ナシオナルだったアパート 「フランシス・カーファクス姫の失踪」のフランシス・カーファクス姫は、ローザンヌにあるオテル・ナシオナル(Hotel Nationale)に滞在していた。地元のシャーロキアンは記念プラークを付けたいと当局に申請中。 |
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以上、スイス編でした。
まず、パリではペール・ラシエーズ墓地に行きました。隣の花屋で地図(10FF)を買って、お墓参りツアーの始まりです。ベルティヨンの墓は地図に載っていなかったので惜しくも見逃しましたが、キュヴィエ、ホームズの同時代人オスカー・ワイルド、サラ・ベルナール等々のお墓はしっかり見てきました。サラ・ベルナールのお墓の手前にルパン家(Famille Lupin)のお墓がありました。笑ったのはオスカー・ワイルドのお墓でした。デザインもさる事ながら、側面にはキスマークがいっぱい(本当なんですってば。真っ赤なルージュがべたっと付いてました)。確かワイルドは同性愛者だったはず・・・。
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キュヴィエの墓 「5つのオレンジの種」でホームズはフランスの博物学者キュヴィエについて 言及した。 |
サンジェルマンにある私の行きつけの(?)マンガ屋では、『Professeur Bell』というホラー系マンガと『Mycroft』というSFマンガを発見しました。前者はベル博士とおぼしき人物がホームズの格好をしています。後者では近未来世界の探偵という設定らしいのですが、主人公マイクロフトがディストーカーもどきの帽子をかぶっていました。
この日はロンドン在住のSさんも合流してエッフェル塔にあるレストラン「ジュール・ヴェルヌ」で夕食。パリの夜景が見事でしたが、お値段も立派なのでした。後でフランスのシャーロキアンに聞いた所では、「『ジュール・ヴェルヌ』も高いけど、その上の階のレストランはもっと高いよ」。女性を口説くには、絶対に窓際の席を予約しましょう。
卓上はロウソクの代わりに、黒くて四角い、図書館にあるみたいな電灯でした。うーん、ロマンチックには程遠いが、ここは「ジュール・ヴェルヌ」だからなあ。
次の日はブルゴーニュ・ワインの里ボーヌに行きました。そうです、『四つの署名』でワトソンがボーヌ・ワインを飲みましたね。ここも聖典ゆかりの街と呼んで良いでしょう。・・・という口実のもと、我々は市内のワイン・カーブでワインを試飲しまくりました。やっぱりボーヌは赤でしょう。ホームズの愛した「モンラシェ」を生産しているピュリニー・モンラシェ村に行くバスツアーは満席で参加できませんでした。代わりにボーヌ市内にある「ワイン博物館」を見学したところ、1860年代のモンラシェのボトルが展示されていました。フランスのブドウがフィロキセラにやられる以前のものですから、ホームズが飲んだものと生産年が近いかもしれません。
スイスを経て単身パリに戻り、フランス・ホームズ協会の面々と会いました。場所はサン=ジョアニさんのお宅です。2年前の日仏交流会「Paritsu」のメンバーと再会しました。ここでもスヌーピー・ホームズのグッズは受けました。すごいぞ、スヌーピー。「小さな博物館」こと、サン=ジョアニさんのホームズ・コレクションを拝ませて頂きました。居間はもちろんの事、廊下のガラスケースにはホームズ・グッズの数々が飾られていました。1993年の創設以来のイベントのアルバムも見せて貰いました。
サン=ジョアニさんのHPでは、ミニチュア・ホームズ像を販売しています。あまり売れ行きが良くないので、今度業者を変えて値段を下げると言っていました。このHPの大半は、今も仏語です。ミニチュアの紹介ページなど徐々に英語に翻訳していますが、肝心の注文票(Bon de Commande)が仏語のままで、そのために海外から申し込みがしづらいのでしょう。近い内に注文票を英語に翻訳するそうです。その場で注文をしようとしたら、「新しい値段になったらお知らせする」と言っていました。
http://www.mycrofts.net/English-index.htm
このHPの左側の「Figurines」をクリックすると、ミニチュア像が見られます。興味のある方はご覧あれ。
同じHPで公開されているミニ・ホームズ部屋を作ったフェロックさんにも会いました。でも大柄なおじさんで、この大きな手でどうやってミニ部屋を作るんだろう。背中を丸めてピンセット持ってる姿を想像すると笑えます。その集まりの名を「ミニ・トンガ」というそうな・・・。
ボゴモレッツさんからは「日本のシャーロキアンはロンドンやスイスには行くのに、なぜパリには来ない?パリにもホームズやドイル関連の場所がたくさんある。もし日本のシャーロキアンが団体で来れば、英語でガイドしよう」と提案されました。「スイスの仏語圏も併せて訪れても良い。リュサンのホームズ博物館や、ローザンヌのオテル・ナシオナルもあるし」との魅力的な提案ですが、いかがなものでしょう?
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ルーヴル・ホテルのプラーク 「ブルース・パーティントン設計書」で逮捕された国際的スパイのオーバーシュタインは、パリのルーヴル・ホテル(Hotel du Louvre)に泊まっていた。プラークは、1997年にフランス・ホームズ協会が付けたもの。 |
SSHFは過去に英米のシャーロキアンを英語でガイドした実績があります。また、この企画の実現の暁には、微力ながら私もお手伝いするつもりです。個人ではなかなか行きづらい場所も、通訳付きツアーの形にすれば、アクセスしやすくなるのではないでしょうか。
2年半ぶりのパリでしたが、1998年のワールドカップ以降、フランスは外国人観光客の受け入れ体制が整っているとの印象を受けました。特にパリでは以前より英語が通じるようになりました。時にはギャルソンから片言の日本語が返って来るし。ローザンヌに寿司屋が増えていたのも驚きでした。どんな味なのかは食べていないので分かりませんが、普通のにぎり寿司がディスプレイされていました。
追記:
サン・トノレ通りを歩いていたら、「221」という高級そうなカフェを発見しました。パレ・ロワイヤルの煙草屋では、火皿がホームズの顔になっているパイプ(650FF=約12000円)を発見しました。同じくパレ・ロワイヤルにある勲章屋「ア・メアリー・スチュワート」ではレジオン・ドヌール勲章を販売していました。これまた高いので手が出ませんでした。