三日目
今日はオックスフォードに向かうことにした。日帰り往復切符「デイリターン」は通常の片道切符より安いが、九時半以後でないとつかえないので、朝食後ホテルの近くのホームズ・ポイントをまわってみることにした。
自分が所属している新潟支部の名が「The Red Circle of Niigata」というからには、その舞台のルカ夫人が潜んでいた下宿をたずねなくてはなるまい。ホテルの一本むこうのとおりのサザンプトン・ロウからコスモ・プレイスにおれこんで、グレイト・オーモンド街につづく。これがワトスンのいうグレイト・オーム街だと考えられている。右手にはイタリア病院がたち、イタリアの秘密結社ゆかりの事件の舞台にほどちかいことに因縁をかんじさせる。そのさきの左手にはまっくろにすすけた国立病院と小児病院がグロテスクにそびえたっている。おそらく前世紀に建てられたのだろう。茶色い石づくりの意匠をこらした壁かざりが、ゴシック小説のなかにつれこまれたかのような印象をあたえる。こんな病院ではたして心身ともに健康になれるのだろうか、と疑問におもっていたら、案の定いろいろな観光地の絵はがきは、グレート・オーモンド街小児病院の改善のための寄付金つきでうられていた。
グレート・オーモンド街がラムズ・コンデュイト街(ワトスンのいうホウ街)とまじわる南西のかどにたつのが、ルカ夫人の隠れ家である。いまでも当時のままに黄色い煉瓦でおおわれているが、ちょうど角には女神の巨大な絵が描かれていた。一階はパブになっていて、現在では下宿やはやっていないようである。
ラムズ・コンデュイト街側のむかいには「白い石の化粧張りの高い赤い家」があるはずだが、そんな家があまりに多すぎるので、ホームズの言うように「仕事は楽だね」というわけにはいかない。
ふたたび大英博物館のちかくにもどろう。ホームズが駆け出し時代に下宿していたのが博物館の東端にあたるモンタギュー街である。はたしてどの番地に住んでいたのか、聖典には記述がないが、マイケル・ハリスンによると26番地に当時ホームズ夫人が住んでいたという。(彼の著書「The World of Sherlock Holmes」と「The London of Sherlock Holmes」には「24番地」とあるが、デイビッド・ハマーの「The Game is Afoot」によれば「ハリスンとガスライト出版のジャック・トレーシーの私信で26番地が正しいと確認された」ということだ。)
大英博物館の裏にまわるとそこはモンタギュー・プレイスだ。23番地がコナン・ドイルがロンドンに初めて居をかまえたところである。しかしすべて昔の建物はとりこわされて、ロンドン大学の近代的な巨大なビルになっている。
ぐるりと博物館を一周してまた正面にもどる。ちょうど門の真向かいにあるパブ「ミュージアム・タヴァン」が、「青いガーネット」のヘンリー・ベイカーがガチョウを手にいれた「アルファ」だとクリストファー・モーリ氏はいっている。そして魅力的な写真集「シャーロック・ホームズの倫敦」(小林司・他)でもこのパブの写真が掲載されている。しかしギャヴィン・ブレンド氏は「青いガーネットのたどった道筋」(「シャーロック・ホームズ17の愉しみ」ホルロイド編)では、ミュージアム・タヴァンの角をすこしいったところの、ミュージアム街とリトル・ラッセル街の角にある「プラウ」こそが「アルファ」だと主張しているし、今回お世話になっているガイドブックの著者のグナー・サンディン氏も「プラウ」を支持している。
いずれにせよ、ホテルから近いこともあって後になってから両方とも尋ねてみたが、「プラウ」はまあまあ合格点を与えるにしても、「ミュージアム・タヴァン」はこちらが有色人種とたかをくくって客あしらいが非常に悪かったことをご報告しておく。どうも社会階級が下にいくにつれて人種差別があからさまになるのは避けられないようだ。ここのオーナーが、ヘンリー・ベイカーに極上のガチョウを分けてやるような善人のおやじがいた店を引きついだとは考えにくいから、私は「プラウ」説に与するとしよう。
近くの古書店をぶらぶらウィンドウ・ショッピングをして暇をつぶしたあと、地下鉄でパディントン駅に向かった。不親切窮まりないといわれていた英国国鉄だが、電光掲示の行き先案内板や場内アナウンスがあるので驚いた。オックスフォードまではインターシティと呼ばれる特急列車で約一時間。日本のように特急料金がとられないのがいい。また座席も片側二席づつて、新幹線の座席などとは比べものにならないくらいゆったりして高級感あふれている。
イギリスの駅の定石どおりオックスフォード駅も町外れにある。土曜日ということもあって観光客がどっと降りたった。乗り物に乗るには近すぎるので、町の雰囲気をたのしみながら歩いていくことにする。
町の中心の交差点カーファックスまで約十分くらい。週末でもあって、狭いとおりはひとでごったがえしている。ちなみにこのカーファックスという地名から「レイディ・フランセス・カーファックスの失踪」に登場するカーファックス嬢の仮名をとったとして、ホームズはオックスフォート大学出身であるとする研究家もいる。
セント・アルデイツ・ロードをまがり、ずっと下っていくと左手にみえるのがクライスト・チャーチである。ルイス・キャロルもホームズの時代にはここで教職にあり、入口ちかくには彼の創造したアリスにちなんだ「アリス・ショップ」がある。
正門からではなく、もっと先の庭の門から観光客ははいる。色とりどりの花が咲きみだれ、そのかなたに石づくりの宮殿といっていいほどのカレッジの建物がそびえたつ。どこかの国の貧しい大学を思い出すと恥ずかしくなってしまうほどだ。正直にいえば、私のかよっている大学は「ごみため」としかいいようがない。
花壇のあいだをゆっくりとおりぬけると、左手のかなたにうすい焦げ茶の石に年輪を感じさせる「館」が姿をあらわす。ここで50ペンスの入場料を払う。複雑に入りくんだ建物のなかをとおっていくと、目の前がぱっとひらけた。中庭である。真ん中に噴水がしつらえられ、そのまわりはあざやかな芝生でかこまれている。新潟大歯学部など、この中庭のなかにおさまってしまいそうだ。彼方にはさっき通りすぎた正門が望め、それに相対したこちらがわには鏡のようにみがきこまれたクラッシック・カーとウエディング・ドレスに身をつつんだ花嫁。今日これから、クライスト・チャーチの教会で結婚式がおこなわれようというのだ。
おかげで教会の中は見学することができなかったので、ホールに足をむけた。学生が教授連とともに食事をする場所で、映画「ヤング・シャーロック」での食堂シーンをおもいだしてくれるとイメージがわくだろう。三方からステンドグラスを通した光がさしこみ、そのなかで壁をおおいつくす著明な卒業生の肖像画が睨みおろしている。おそらくこんなところで食事をしても学生にとってはちっともおいしくないにちがいない。
クライスト・チャーチの出口はちょうど裏手にあたり、真っすぐ行くと皇太子殿下が留学していたマートン・カレッジがある。その後側にまわるとマートン・フィールドとよばれる見渡すかぎり緑の芝が輝く運動場がある。町のまんなかにこんなところがあっていいのだろうか。ぽつりと立つラグビーのゴール以外にはなにも人工物はない。のどかな田園風景がいきなり飛び込んできて、とまどわせた。
町の目抜き通りハイ街にもどる。ユテヒン氏推薦のパブ「チェカーズ」で昼食をとることにしよう。二百年くらいはかるく経っていそうな三階建てだ。彼はここがホームズとワトスンが泊まったところだ、といっていたが、おそらく「這う男」のことだろう。ここでは「ケンフォード」となっているが、メトカーフ氏のオックスフォード説同様、ユテヒン氏もオックスフォードと考えているのだろう。ただしメトカーフ氏は「「チェッカーズ」という宿屋は私の知る限りでは過去・現在を通じてオックスフォードにもケンブリッジにもない」といっている。しかしパブで客を泊めるのはそうめずらしいことでもあるまい。
ボイルド・サーモンが3,75ポンド、ハーフパイントのビターが45ペンスだった。ああ、なんと日本の物価の高いことか。しかもサーモンには日本なら四人分にあたろうかというサラダとポテトがついてくるのである。なかでもコースターほどの大きさのキュウリの輪ぎりにはまいった。隣のひとの皿を盗み見てみると、日本の五倍は優にあるベイクド・ポテトをわって、それにサワー・クリームとコーンを「ぶちまけた」ものを食べている。さすがにもてあましているようだ。
満腹してゆるゆると町にでた。ボドレイアン図書館、セント・メアリー教会などを一通りながめてから、ユテヒン氏におしえてもらって古書店にいく。めぼしいシャーロッキアナの本はみつからなかったが、ヴィクトリア朝の版画を二枚ほどかった。
ユテヒン氏の主張するホームズの出身大学はセント・ジョンズ・カレッジである。トリニティ・カレッジの北となりにあり、庭のみが公開されている。門をくぐるとすぐに芝生でおおわれた中庭があらわれ、空色の時計が時をきざんでいる。もうひとつ門をくぐるとまた中庭があり、意匠をこらした彫刻が目を引く。さらにそのむこうは大きな庭園になっており、黄色、ピンクのはなとりどりである。もとにもどって左手のもう一つの中庭には百年は優にたっていようという大木がそびえている。ホームズもこの木が若木のころ、その下で読書でもしたのだろうか。
大学用品専門店でセント・ジョンズ・カレッジのカレッジ・タイを買ってからまたクライスト・チャーチにもどって美術館と教会を見学。ちょうどその晩にクライスト・チャーチ付属合唱団の演奏会があり、リハーサルをしていたのでちゃっかりただで聞くことができた。
そして五時もせまりみな店仕舞をするなか、駅まで歩いてもどり、ロンドン・パディントン駅にむかう列車にのりこんだのだった。