「俺は帰る」
(警醒社書店、4月)(「我れ爾を救ふ」外篇1)
「我爾を救ふ」シリーズの一冊であり、宗教色が強い犯罪小説といえよう。前後には親鸞の言葉がいんようされており、この時期峯太郎は親鸞に強い関心を寄せていたことが伺われる。
あらすじとしては、跛の鋳掛け職人三治が酒の上の不注意から、仲間の強盗の共犯として逮捕されるという事件を軸にさまざまな視点から物語が語られる。三治の視点、こっそり三治と関係をもってしまったお八重の視点、銘酒屋の娼婦お時の視点などである。獄中の克明な描写は、実際自分が獄中にあった峯太郎ならではであろう。しかしそれにしては警官達が妙に親切すぎるのは、しょうしょう気の回し過ぎのようにも思える。
三治に面会にきて戸惑っていたお八重を助けた外国人女性で宣教師のホールドは三治にキリスト教関係の本を差し入れる。それを読んだ三治は天国と地獄という概念に驚愕し、その無情さに絶望する。「人間を造っておいて、その人間にヤソ教を知らさずにおいて、それを信じないからって亡ぼして火に焼くなんかは、めちゃめちゃだ。そんな聞こえない、むごたらしい神さまがヤソ教の神さまなら、俺は御免だ」と三治はいう。そして煩悶しているうちにとうとう彼は縊死してしまうのである。
これは日本人とキリスト教の間にあった永遠の問題で、戦国時代に宣教師が来日して布教した折りにも、日本人がかれらに「キリスト教を知らずに死んでしまった我々の先祖はどうなっている」と質問し、宣教師が「地獄にいる」と答えたところ、日本人は「先祖が地獄にいっているのに、自分だけが天国にいくわけはいかない」といって入信をことわったそうである。
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