七日目
朝の八時をすぎるとパブの若い店員が朝食をしらせてくれた。コーンフレーク、トースト、紅茶のほかに大きな皿にスクランブル・エッグ、ソーセージ、ハム、ビーンズなどがやまもりになっている。ロンドンのホテルより十ポンドもやすいのに、この豪華さだ。やはり旅行は田舎にかぎるようだ。
マンチェスター・ヴィクトリア駅までぶらぶらあるいていく。九時もすぎて途中の書店も店開きをはじめたので、ちょっとのぞいてみることにした。あいにくミステリー関係にはめぼしいものはなかったが、児童書コーナーでホームズものの絵本と「ベイカー街のベイジル」をみつけたので購入した。
そんなよりみちをしているうちに、ヨークへのインター・シティをのがしてしまい、仕方なく鈍行にのりこんだ。たった三両編成で私以外はみな地元のひとたちのようだ。
ヨークについたのは昼ごろだった。イギリスの古い町の例にたがわず、十九世紀の石造りの立派な駅舎は町はずれにある。町にはいるには城壁をこえ、ウーズ川をわたらなくてはいけない。城壁のぼると町が一望できるが、高層ビルはひとつも目にはいらない。昔ながらの町並みをのこしているとともに、眠ったままの町なのだという実感を強くした。
駅舎からはきだされるたくさんの観光客とともにヨークの中心、ヨーク・ミンスターの前をすぎ、チューダー朝そのままのしっくいの壁に茶の横木がうきだす家並のハイ・ピーターゲイトからブーザム・バーとよばれる城門をでてインフォメーションでただの地図をもらった。イギリスの観光案内所はこんなサービスが完備しているのがいい。そのほかにもいろいろなパンフレットがおいてある。夜には古都らしく幽霊ツアーがひらかれるそうだ。日帰りにしたことがくやまれる。
もときた道をもどり、ヨーク・ミンスターにはいる。一部改装工事中だったので外からの姿を拝めなかったのが残念だが、中にはいればそれをおぎなって十分だといえよう。四方のステンドグラスから通して輝く日の光は写真や言葉ではいいつくせない。どのような懐疑主義者とて、一瞬こころが揺れ動くにちがいない。回廊の四方にはウエストミンスター寺院と同じくヨークの名士の墓がところせましとたちならんでいる。あるものは壁にぬりこめられ、あるものは床にうめられている。またあるものは棺がそのまま回廊に安置されている。
そのうちの一つに、興味深い名前を発見した。トーマス・マスグレイヴという人物の墓である。一八四七年から一八六〇年まで大司教をつとめたらしい。この人物こそ、「マスグレイヴ家の儀式」のレジナルド・マスグレイヴ一族の本家、「北部のマスグレイヴ本家」の一員なのだろうか。ちなみにこのマスグレイヴ本家の名前をとったのが、昨日あったホワイト嬢デイビイズ夫妻の属する「ノーザン・マスグレイヴス」である。
地下の礼拝堂をみたり、パイブオルガンの練習に耳をかたむけたりしたあと、地下のローマ時代やノルマン時代の遺跡も見学した。ゆっくり時間をすごしていままでの「ホームズ疲れ」をいやしたあと、中世の町がそのままのこっているというシャンフルズを散策した。平日だというのにどこもかしこも観光客でみちあふれており、まっすぐあるけないほどである。一階より二階がせりだしている独特の構造は、かつてそのひさしから商品をぶらさげていたためだともきく。
ちょっとした広場にでると大道芸の曲芸をしていた。そのほかにもストリート・ミュージシャンなどもおおい。ロンドンではついぞお目にかからなかったイギリス名物フイッシュ・アンド・チップスの店もあったので、今日の昼はこれにきめた。缶コーラとフイッシュ・アンド・チップスで一ポンド六十五ペンス(約三九〇円)だからハンバーガーと同じくらいだろうか。しかしそのボリュームは想像を絶する。白身の魚はタラを用いているがその半身まるのままがフライになっている。サツマイモよりふたまわり以上おおきいといえばわかってもらえるだろうか。それにくわえてフライド・ポテトが皿に山盛りである。はたして全部たべきれるだろうかと私でさえおもったくらいだ。しかし旅先の好奇心をあなどってはいけない。四苦八苦しながらもついに全部征服した。もっともその間大道芸を見る余裕などさらさらなかった。
満腹したあとにおとずれたのがキャッスル博物館である。じつはここが今日のお目当てなのだ。ヨーク城跡にたてられた刑務所の建物を利用して開館したのが五十年前のことだった。ジョン・カーク博士のイギリスの日常生活に関するコレクションを展示したのがそのはじまりである。スチュアート時代から現代までの日常生活が手に取るようにわかるので有名だが、もちろん私はそのなかでも大きな位置をしめるヴィクトリア朝の日常生活をみるためにきたのだ。
その収集物はとてもここでいいつくせるものではない。とくにホームズに関連があるものに限ってはなそう。まず目についたのは「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」でミルヴァートンを射殺した女性が使用したとおもわれる拳銃である。聖典では彼女は拳銃の「銃身を一つ、また一つとミルヴァートンの体に向けて空にしていった。」とかいてある。普通のリヴォルヴァーなら「薬室を一つ」というはずだと研究家から指摘されている。それにたいしてラムラン・テン・エイク・シェンク教授は銃身が何本もたばねられている「ペパーボックス」とよばれる銃がつかわれたのではないか、と提案している。しかしそれではおおき過ぎてとても「小型拳銃」という記述とあわないという反論もある。それの折衷案として考えられるのが、二連装銃をきりつめたような形をした拳銃である。これなら「ペパーボックス」よりも小さくて持ち運びに便利ではないだろうか。
驚かされるのがハーフ・ムーン・コートである。ワトスン博士が「有名な依頼人」でヒル・バートン博士になりすましたときの架空の住所ではない。博物館内に再現された二十世紀初頭のエドワード朝時代の通りなのだ。これらは資料をもとに新しくつくられたのではない。本当にヨークに存在した店の正面をそのまま切り取って移築したものなのだ。クラシック・カーやストリート・オルガン、酒瓶までそのままのパブなど昔の町に迷いこんだかのようだ。そのなかでも電気用品店があるのが、当時の最先端の流行を示していておもしろい。
おいしいと評判の博物館のティー・ショップはいっぱいではいれなかったが、フィシュ・アンド・チップスでそんなおなかの余裕もあるはずもなく、残りの半分をみることにした。まずわれわれをむかえるのが、色々な時代の居間である。そのなかでもやはりくぎづけになったのが、ヴィクリトリア朝時代の居間である。悪趣味としかいいようのないほどごてごてとかざりたてられた部屋の正面には女王一家の銅版画がかかげられている。右手にはマホガニーの細かな彫刻にうめつくされたピアノがあり、その上には苦虫をかみつぶしたようなおばあさんの肖像画がかざられている。はたしてホームズの居間もこんなようなものだったのだろうか。
さらにすすむと当時の服をきたマネキンが、うばぐるまをおしたり自転車をいじったりしている。しかし一番奥の部屋をわすれてはいけない。ここにはヴィクトリア時代の掃除道具や便器、エドワード時代の風呂などがならべられているのだ。当時の小説にはこんな下品なことはかかれていないので、貴重な資料といえる。
最後にひかえているのがカークゲイトである。博物館の祖のカーク博士を記念してこの名がつけられている。シャーロッキアンはここをけっして見逃してはいけない。なぜならヴィクトリア時代の通りの復元だからだ。キャッスル博物館の代名詞にもなっているカークゲイトの真ん中はホームズもおなじみの二輪馬車がはしっている。その両側にたちならぶのは馬車屋、薬局、煙草屋、消防署、よろず屋、銀行、菓子屋、本屋、時計屋、靴屋、洋服屋、警察署、銅製品店、これでもまだすべてではない。そのうちの何軒かは実際に中にはいることができて、ヴィクトリア時代の気分にひたることができる。どこかの扉からひょっこりブレットがホームズのかっこうをしてあらわれてもけっして不思議ではないといってもいい。グラナダ・スタジオでベイカー街を散策できなかった分、ここでこころゆくまで愉しむことが出来た。
時間はすでに夕方ちかくになり、そろそろ帰り支度をしなくてはいけない。昼に通りすぎたハイ・ピータースゲイトに古銭商があったのをおもいだし、あわててもどった。もう五時にちかく店じまいをはじめているのを無理にたのみこんで、ヴィクトリア女王の肖像のついた一シリングと一クラウン銀貨をかった。並品だったので二ポンド二十五ペンスと五ポンドだった。日本の古銭店でかったらこの十倍はするだろう。
五時半のインターシティにのることができたが、これがくせものだった。本来なら二時間あまりでマンチェスターにつくはずだった。ところが途中のリーズ駅でなんと二時間半もとまってしまったのだ。なんの説明もなく一時間、ようやく信号の故障があったと説明があってから一時間半。そしてなんの言葉もなく発車した。イギリスの国鉄は必ずとまるという神話は、ここに証明されたのだった。
ようやくマンチェスターについたのが九時である。くたびれきった体をひきずって泊まっているパブ・ザ・クラウンまでとぼとぼあるいていき、やっと夕食にありつくことができた。このときほどあの山のようなフイッシュ・アンド・チップスを食べておいてよかったとおもったことはなかった。夕食は電子レンジであたためたミート・パイとキドニー・パイ。それにビターが一杯。なにやらやたらと盛り上がっている地元の人々を横目にみながら、ぼそぼそと口にはこぶのだった。