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(1)「二人の挺進将軍建川美次と永沼秀文」
われらがヒーロー、建川美次の伝記をもう一冊みつけましたので、もう御存じかとはおもいますが、報告いたします。(もちろんもう一冊は、峯太郎倶楽部で紹介した中島欣也「残影・敵中横断三百里・建川斥候長の生涯」新潟日報事業社、1998年、2000円です。)
新しいといっても、こちらのほうが出版は昔。単に私が無知だっただけの話で、
豊田穣「二人の挺進将軍建川美次と永沼秀文」光人社、1988年、1600円
という本で、十年以上も前に出版されていました(笑)。もしかしたら今は文庫になっているかもしれませんが、たしかめてはおりません。
内容は御存じの建川挺進隊と、もう一つもっと大規模にロシア軍の後方撹乱に従事した永沼隊の活躍を描いています。ただ活動が派手だったこともあり、後者の永沼隊のほうが本書ではだいたい三分の二を占め、最後の三分の一が建川隊に与えられているにすぎません。
著者も参考書として峯太郎の「敵中横断三百里」をあげているのですが、どうも以前峯太郎倶楽部で杉澤さんが御指摘になった、小山書店版を使用しているらしいのです。
さて、建川挺進斥候隊の活躍を、山中峯太郎氏の『敵中横断三百里』を参照しながら、紹介してゆきたい。
山中氏の『敵中横断三百里』は、少年読者のために、明治三十七年二月の開戦決定のため、明治天皇が伊藤博文(枢密院議長)を呼んで、重大な会議を開くところからはじまっているが、開戦から旅順、遼陽、沙河の戦いまでは省略して、煙台の総指令部から、秋山騎兵団の騎兵第九連隊(渾河南岸、沈旦堡に駐屯)に、挺進斥候隊の命令が下り、……
とあるのである。あきらかにこれは杉澤さんがいっていた、
文庫版の冒頭は「神武天皇が国を建てたもうて、紀元まさに二千五百六十四年のとき云々」という峯太郎一流の熱っぽい文章で始まりますが、小山書店版は「明治天皇はこの日の夜おそく、伊藤博文を宮中にまねき、奥の方の日本間にただふたり、顔を見合わせてしんけんにはなしあった」となっているではありませんか!
以下日本がロシアと開戦するに至った経過の説明が延々と続きます。
「改訂」等というなまやさしい変更ではなく、昭和32年の時点でいちから書き直した、これはもう全く別の作品ですね!
のことではないか。
さらにいえば、「二人の挺進将軍建川美次と永沼秀文」では鶏冠山の手前で、人も馬も一緒になって温泉につかっているのである。また沼田一等卒は飯屋で水筒に酒をつめさせて、みなで回しのみをしたりしているのだ。こういったエピソードは元版の「敵中横断三百里」にはもちろんのこと、中島欣也「残影・敵中横断三百里・建川斥候長の生涯」にも触れられていない。これらの新しいエピソードは小山書店版にはあるのだろうか?ますます謎は深まるばかりである。
(2000/5/20)
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