四日目
今日は日曜日。商店もなにも閉まってしまう。しかしホームズ散歩をする学徒にとっては関係ない。まずセント・バーソロミュー病院にいってみよう。
地下鉄セント・ポール駅で下車する。ついでにセント・ポール寺院にいってみようと中にはいってみるが、生憎礼拝中だった。しかしアメリカ人の観光客はどんどん礼拝に参加するという名目で奥にいれるくせに、クリスチャン系高校で学んだことだし、せっかく礼拝に参加してみようと思い立った私を「観光はだめだ」とそっけなく追い払う。やはりここにも見えない人種差別があった。
キリスト教の偽善をふりすてて、本来の目的、セント・バーソロミュー病院に向かう。スミスフィールド広場のヘンリー八世門からなかにはいり北棟をくぐると、よくシャーロッキアナ関係書で写真でみられる中庭がひろがる。正面のジョージ五世医療ブロック地下には売店があり、同じ新潟支部の本間君はここで絵はがきなどをかったようだが、やはり日曜日のため閉店していた。
北棟をくぐってすぐに右にすすむと、西棟とのあいだに細い道がある。そこをとおると左手にちいさく張りだした入口がある。おそらくこれが「狭い路地を抜け、大病院の一棟へと通ずる小さな裏口」なのだろう。日曜日のことで人ひとりがみえないので誘惑についにまけて、案内も請わずに中にはいってしまった。諸君はけっしてこのようなことはしないように!
そこをはいってすぐ左に階段がみえるので「さむざむとした石段をのぼ」ると、最初は堂々とした大階段だったのがしだいにせまくなっていき、ついに人ひとりやっととおれる位の狭さにまでなった。
そしてついにたどりついたのが、半畳ほどの踊り場にめんした「焦げ茶色のドア」である。幸いドアの上三分の一がガラス張りになっているので中を覗きこむことができた。カーテンがひかれて薄暗い室内はやはり人の姿はない。右手奥にぼんやり浮かびあがるマントルピースの上には、「アフガニスタンにおられたんですね?」とホームズの不滅のことばをきざんだ記念プレードらしき四角い影が認められた。プレートの文章を読むことも、指でふれることもできなかったが、それでも満足だった。セント・バーソロミュー病院は今のままでずっとありつづけるだろうし、私もたぶんホームズの信仰を堅持するだろうから。
ふと左手をみると、セント・バーソロミュー病院自慢の病理標本室がふきぬけでその偉様をほこっている。優に体育館ひとつはありそうな巨大な部屋の地上から天井までの壁にびっしり、人間の各部分が眠っている標本瓶がならんでいる。ホームズも窓ごしに病理標本をながめながら化学実験にいそしんだのだろうか?
中央市場をかなたに望みながら、かつて肉市場として栄えたスミスフィールドをすぎでリトル・ブリテン街にはいる。ちょうどここはセント・バーソロミュー病院の裏道である。道はやがてキング・エドワード街と名前をかえ、左には国立郵便博物館がみえてくる。「赤髪組合」でダンカン・ロスがウイリアム・モリスの名前をつかってこのとおりの17番地にすんでいたと、嘘をついていた。
右にまがってチープサイドをくたびれるほどいくと、正面にみえてくるのが王立取引所だ。そしてその左がイングランド銀行。二つのイギリスを代表する建物にはさまれているのがスレッドニードル街だ。「緑柱石の宝冠」のホールダー氏の銀行もこのとおりのどこかにあったはずだ。イングランド銀行のとなりの株式取引所は残念ながら近代的なビルにたてかわっていた。「株式仲買人」のホール・パイクロフト氏をしのぶすべもない。
王立取引所のスレッドニードル街側にはいくつもの商店がはいっていたが、そのうちのひとつに古書店があった。もちろん日曜日で閉まっていたが、そのショーウインドーには「バスカヴィル家の犬」の初版本がまんなかにれいれいしく飾られていた。むろん私は指をくわえて眺めるだけだった。
取引所の裏、ロイヤル・エクスチェンジ・アヴェニューはちょっとした小公園になっていて、木々も夏の朝風にゆれている。そのしたにあるのがジョージ・ピーボディの銅像である。この人物がいったい誰で何をしたのかは関係ない。ただ、ちょうどこのしたで「唇の曲がった男」ことヒュー・ブーンがこじきを開店していたという説があるのだ。「スレッドニードル街を少し行くと、左手に壁がやや引っこんだところがある。この男は毎日あそこに陣どっているのだ」というホームズの説明には矛盾するが、ひとまず脇においておこう。「The Men with the Twisted Konjo」を主催している身としてはぜひともたずねておきたい場所だ。
ちょうどブーンがすわっていたとおぼしきあたりに今はベンチがならべてある。歩きくたびれた足をやすめようとこしかけると、目の前にブーンが毎日ながめていた情景があらわれた。すぐ前に水のみ場がそびえていた。王立取引所のかどの向こうに工事中のイングランド銀行がのぞめられる。株と札束にまみれたシティの鬼たちがひとときのいきぬきにおとずれる小公園を仕事場に選んだブーンは、まさにプロのこじきといっていいだろう。 あいにく今日は日曜日にあたっていて「株式仲買人」は一人もいなかったので、私は小銭をちょうだいすることはできなかった。しかし私の脳裏には、軽妙なうけこたえをしているヒュー・ブーンと、小銭の雨をふらせているシティの勤め人たちのすがたが浮かんでいたのだった。
午後はふつうの観光客のすがたにもどってロンドン塔を見物するつもりだった。しかしどこをどう道をまちがったのか、まったく反対方向のリバプール街駅にでてしまった。ところがなんということだろうか。「踊る人形」のノーフォークや「退職した絵具屋」のリトル・パーリントンへの列車がでたこの駅はあとかたもなく打ち壊されていたのだ。グレード・イースタン鉄道の終着駅も時代のなみに洗われて、ついに無味乾燥な現代建築にその地位をあけわたすことになってしまったのだ。
しかし一つ安堵したのは、つきものの駅前ホテル、グレート・ノーザン・ホテルがまだ昔のままで営業していることだ。ねがわくばずっとこのままの風情ある外観を保ってほしいものだ。
ここから地下鉄にのってタワー・ヒル駅までいった。まだロンドン塔は開館時間ではないので、先に腹ごしらえをしておこう。ロンドン塔の東側のセント・キャスリンズ・ヨット・ヘヴンのディケンズ・インで、念願のロースト・ビーフを注文する。セルフ・サービすのオードブルとサラダ、ロースト・ビーフにデザートとコーヒー、ほかにビターを半パイントとって15,98ポンド(約3700円)である。このヨット・ハーヴァーはきれいに整備されており、商店もたちならんでロンドン塔訪問のときの穴場といえよう。ただし倉庫を改造したディケンズ・インのロースト・ビーフに過大な期待をしないように。
食事に二時間もかけてしまったので、ロンドン塔にもどったときはすでに長蛇の列ができていた。外塀をぐるりと半周ばかり、観光客がとりかこんでいる。
しょぼしょぼ雨のふるなかを30分ばかりならんでようやくはいることができた。入場料は4,50ポンド。女王陛下のもちものはみな、べらぼうな入場料をとるようだ。なかでは名物衛兵ビーフィーターが独特のふしまわしで解説をしてくれる。最後に教会につれこんでおわり、出口でまちかまえてチップをねだるとは、実に頭がいいと感心した。
自由行動となって武器博物館、宝物館なども見学したが、ホームズとは関係ないのでここでは先にいくとしよう。
地下鉄でテンプルまでいこうとしたが、日曜閉鎖でひとつ先のエンバークメント駅までつれていかれた。重い足をひきずりながらテムズ川ぞいにあるき、ウォータールー橋までたどりつく。このちかくでジョン・オープンショウ(「五つのオレンジの種」)は殺害されたのである。橋のたもとにあるのがサマーセット・ハウス。ホームズが「まだらの紐」で「ドクターズ・コモン」といった記録保管所は、じつはここのことである。
さらに東にあゆみをすすめると、豊かな緑にをかこむようにしてミドル・テンプルとイナー・テンプルの建物がある。これらふたつをわかつミドル・テンプル・レーンを北上すると、まるでホームズの時代にまよいこんだような古めかしい煉瓦づくりのたてものが、おおいかぶさってくるようにたちならんでいる。その入り口にはどれもこれも法律家の事務所の名前が列記してある。ここは弁護士の町なのだ。「ボヘミアの醜聞」でアイリーン・アドラーと結婚したゴドフリー・ノートンもここに事務所をかまえていたことを思い出されただろう。
角を右にまがってまっすぐいくと、キングス・ベンチ・ウォークにでる。ここの5A番地にホームズの最大のライヴァル、ジョン・イヴリン・ソーンダイク博士の家があった。残念ながら現在5Aは存在しない。しかし5番地は発見できたので、一応カメラにおさめておいた。気をつけておなかければいけないのは、この広場には二つ、5番地をなのる家があることである。ひとつは南西のすみのうつくしいステンド・グラスがはめこまれ、出窓が左手にある家と、もうひとつは東側の北よりにある赤い石でかざられ、アール・デコ調のガス燈がある家だ。さいわい広場に案内図があり、それをしらべたところ北よりのほうが本物のキングス・ベンチ・ウォーク五番地とわかった。