六日目
今日は早起きして荷物を整理した。いったんホテルの部屋をひきはらい、マンチェスターへ向かうのだ。朝食後大きな荷物は預かってもらい、数日分の着替えとともにユーストン駅にむかった。
マンチェスターからヨークをまわってロンドンに帰る予定だったので、マンチェスターまで片道をたのんだのだが、往復のほうが片道より安いときいておどろいた。せっかくだからマンチェスターに二泊して、ヨークは日帰りにすることにしよう。マンチェスターまで二時間半。一、二箇所しかとまらないインターシティはこれで二度目だが、実に便利だ。ゆったりすわって昼にはむこうにつく。
キャスリン・ホワイト嬢は改札でまっているはずだ。はたして私がわかるだろうか。目印として東京からもってきた、「ノーザン・マスグレイヴス」会員のデイヴィッド・スチュアート・デイビイズ氏の著書「Holmes of the Movies」を片手にかかえてプラットフォームをあるいていく。ちょうどその端にある改札をぬけるとその正面に男女二人がにこにこしながら手をちぎれんばかりにふっていた。ホワイト嬢とデイビイズ氏に間違いない。ホワイト嬢は私よりもずっと背がたかい一方でアラレちゃん眼鏡をかけたかわいいところもある若いレディである。デイビイズ氏はその著書が一九六八年に出版されていたのにもかかわらず、予想に反して若々しかった。
目印にデイビイズ氏の著書をかかえていたのにびっくりしたらしく、にこにこ笑いながら手をふってむかえてくれた。まず今夜の宿さがしに市役所のツーリスト・インフォメーションにいき、ザ・クラウンというパブの三階にきめた。これがまた町外れのはなれたところにあり、コンパスの長いふたりの歩みについていくのがやっとで、ようやく到着したときには汗でびっしょりだった。
荷物をおくついでに失礼して部屋でワイシャツをとりかえさせてもらい、ようやくパブで落ち着くことができた。私はいままで特にビールが好きなわけではなかったが、イギリスでは毎日ビターを飲んでいた。日本のビールとはくらべものにならないほどのどっしりとした飲み口と豊かな味わいにみせられたからだ。当然ここでも私はビターを注文したがその一方でデイビイズ氏は普通のラガー・ビールを注文した。ちなみにイギリスのパブでよくみかけるラガーはカールスバーグだ。日本シャーロック・ホームズ・クラブの新潟大会のパンフレットや喫茶店シャーロッキンのマッチをプレゼントをすると、とてもよろこんでくれた。やはり普通のひとには無価値でも、金銭では手にいれられないシャーロッキアン・グッズが一番うれしいのは東西かわりがない。
一休みしたあといよいよお目当てのグラナダ・スタジオにむかった。歩いていけるほどの近さにあるのが予想外だった。有名な科学産業博物館の脇をぬけてしばらくいくとその入口があった。入場料は五ポンド半。日本の遊園地とくらべればそう高くはない。
なかにはいるとそこは六十年代のアメリカの町である。建物のなかにはレストランや土産物やがはいっていた。もちろんシャーロック・ホームズのものもあったが、荷物になるのであとにしておこう。ガイドつきのツアーなのでわれわれがはいっているグループの出発はまだ間がある。町並みのはずれにはイギリスの人気番組、「コロネーション・ストリート」専門の土産物やがあった。ふたりのイギリス人シャーロッキアンは興味ぶかげにまわっていたが、一度もみたことのない私はただうろうろするだけだった。いったいどういう内容のドラマなのかときいたところ、もう二十年もつづいている向こう三軒両隣のホーム・ドラマらしい。放映開始時の登場人物はいったい何人生き残っているのだろうか。
ようやくわれわれのグループの順番がきた。列をつくって入口にならんでいると、正面のマルチ・スクリーンにはグラナダ・スタジオが制作した番組のハイライト・シーンがつぎつぎに放映される。もちろんそのなかには「シャーロック・ホームズの冒険」もふくまれていた。いままでみたもっとも大きいブレットのホームズである。客層はそのほとんどがイギリス人で、外国人はもちろん、日本人など私ただひとりである。やはりここまで足をのばす粋狂者はいないらしい。
建物のなかにはいり、調整室、衣装部屋などを見学したがそのうちのひとつがメイク・アップ・ルームだった。今はやりの特殊メイク・アップの説明がされたが、その実例につかわれたのが「四つの署名」に登場したトンガのメイク・アップだった。普通の白人がみるみるうちにアンダマン諸島の原住民に変化していくさまはみものだった。なかでも途中でトンガが煙草をすっていたのがおかしかった。また「唇の曲がった男」のヒュー・ブーンのメイク・アップも大きなパネルにして壁にかざってあった。このメイク・アップも番組のなかで披露されていたが、本当は完成まで二時間以上かかるそうで、とてもセント・クレア夫人が警官をつれてくるまでにセント・クレア氏がブーンに化けられたとは思えない。
そのあとはダウニング街十番地などがつづいたが、ついにやっとシャーロック・ホームズの部屋、ベイカー街二二一Bの居間のセットをみることができた。そのほとんどがテレビにでてきた小道具、大道具だが、その部屋自体はテレビにはなかった柱などがあって、多少の違いもみられた。片方に客のための座席がしつらえられている。さて、なにがでてくるのだろうか。とまちうけていると居間の入口から一人の若いエプロン姿の女性が走り込んできた。ハドスン夫人だという。大いそがしでなにごとかまくしたてはじめた。ホームズとワトスンのことについてなにかぐちをこぼしているようだが、いかんせん英語力のなさ、ほとんどわからなかった。
そのあといろいろなセットも見学したがホームズとは関係ないので割愛しよう。次は外にでて二階建バスに乗っての見学である。通るのはもちろんベイカー街である。残念なことに二二一Bの前でとまらなかったので、そのドアをうしろに写真をとることができなかった。しかしまさにホームズが通った道をゆき、いままさにワトスン博士が顔をだしそうな二二一Bのドアの前をとおりすぎるのは、シャーロッキアンにとって無情のよろこびだった。願わくば一人でもいいからヴィクトリア朝の紳士か淑女があらわれてくれないものだろうか。そして欲をいえば、すがりつくような顔つきで二二一Bのドアを乱打してくれればなおいいのだが……。
ベイカー街をすぎるとそのつきあたりはなぜかベルリンの壁である。戦車や装甲車が無造作にとめられている中央にあるのが検問所で、我々のバスも銃をもった東ドイツ兵士にとめられた。二人ほどがのりこんできて、無遠慮にじろじろ乗客をながめまわす。と、そのうちのひとりがデイビイズ氏のもっている紙袋に目をつけた。私がプレゼントした新潟大会のパンフレットがはいっている袋だ。兵士は有無をいわさずそれをとりあげ、あとからのってきた不精髭の目つきの悪い士官に手渡した。にこりともせずにうけとると中身をひっぱりだし、検閲をはじめた。なめるようにしらべあげたあとバスをおりて検問所にもどり、電話をかけてなにごとか新潟大会のパンフレットについて問い合わせているようだ。ようやく士官はもどってきて、デイビイズ氏にパンフレットをもどし、無言で裏表紙のジェレミー・ブレットのイラストとともにかかれている文句を指差した。
「KEEP A SECRET」
なんとも心憎い機知に富んだ演出ではないか。
バスをおりるとそこはさきほどふれた「コロネーション・ストリート」の通りである。撮影用なのか、案外小さい作りだ。やはりイギリス人にはベイカー街でおりるよりもコロネーション・ストリートで降りるほうがうれしいのだろうか。一番端のむこうでは、この番組ではないが実際の撮影がおこなわれており、生意気そうな子役がディレクターズ・チェアにすわってジュースを飲みながら出番をまっていた。
そのほかコロネーション・ストリート博物館、国会議事堂の下院のセット(ビデオ「めざせダウニング街十番地」でみることができる)などを見学したあとは、自然と最初の土産物やにもどってきてしまうのは、よくかんがえてある。やはりここでは日本人根性がでてしまい、やたらとホームズ土産をかいこんでしまった。バッジ、Tシャツ、定規、マグカップ、ティータオル、しおりなどなど……。しかしブレットの顔がついているのは写真集だけなのはちょっとさびしい。「ハドスン夫人のジャム・セット」というのがあって、実際テレビにでてきたハドスン夫人の似顔絵がラベルについていたが、残念なことに重さにまけてかってこなかった。いまになって後悔している。しかしホワイト嬢もデイビイズ氏もこの近くに住んでいるというのにけっこうかいこんでいたのもいいそえておく。
両手に土産をぶらさげて、ほくほく顔でわれわれはグラナダ・スタジオをあとにした。向かいの駐車場にデイビイズ氏の自動車がとめてある。これから彼に夕食をまねかれることになっているのだ。自動車で約一時間弱。ハダースフィールドというちいさな郊外の町にあるデイビイズ氏の家は緑にかこまれた典型的なイギリス人の住宅といったところだろうか。
デイビイズ夫人が出迎えてくれた。いっしょに出迎えてくれたのがちいさなテリアの小犬で、人見しりをしらないらしく、ホワイト嬢にも私にもひとなつこくじゃれてくる。名前はトビーか、それともポンピーが、まさかバスカヴィルじゃないでしょうね、と冗談半分にたずねたが、予想はみごとにはずれてデイジーという女の子だそうだ。
デイビイズ氏はまず食堂の書棚をみせてくれた。天井までとどきそうなりっぱな木製の書棚ふたつのなかは、すべてみなホームズ関係の本である。そのときの私の顔はたぶんぽかんと口をあけて唖然としていただろう。なかには私の貧しいコレクションにもふくまれているものもあったが、そのほとんどはやはり本場ならではのものばかりだった。
さらにデイビイズ氏は二階の書斎に案内してくれた。なにやらにこにこしているので、さてはなにかあるな、と疑っていたのだが、彼がドアをあけてくれたとたん、私は思わずさけんでしまった。
「Amazing Holmes, amazing. How did you do that?」(凄い、ホームズ、凄いよ。いったいどうしてやったんだ?)
いうまでもなくワトスン博士の決まり文句だが、あえてこの言葉をいわせてもらう。なぜならこの部屋の壁という壁は、ホームズの映画ポスター、写真、チラシ、絵画などがところせましとかざりたてられているのだ。ベイジル・ラズボーンの「スパイダー・ウーマン」、ハードウイック原作の「シャーロック・ホームズの冒険」(例のネス湖の恐竜がでてくる映画である)、クリストファー・プラマーの「黒馬車の影」、そしてもちろんジェレミー・ブレットの「シャーロック・ホームズの冒険」まだまだいっぱいあるのだが、どこから手をつけていいのかわからないくらいだ。。
さすがホームズ映画を専門にするだけのことはある。いままでみたうちで最高のホームズ映画コレクション、いや日本中のシャーロッキアンの映画コレクションをあつめてもかなわないかもしれない。
再びしたにおりて、食前のシェリーを手に居間のテレビでホームズのビデオを鑑賞することにした。まずジェレミー・ブレットをゲストにむかえた対談番組をみた。現代の服装をして動くブレットをみるのはこれがはじめてだ。なにしろいままで「マイ・フェア・レディ」と「シャーロック・ホームズの冒険」でしかみたことがなかったのだ。紺色のスーツをきこなしたブレットのしゃべりかたは、ふだんもまるでホームズそのままで、あのあまったるいフレディがどうしてこんな神経質なおじさんになってしまったのだろう。一つびっくりしたのは、対談の間中ブレットがまるで滝のような汗をながしつづけていたことだ。余計な肉がついていないのにこんなに汗かきとは、対人恐怖症なのかそれとも糖尿病なのか。事情通のデイビイズ氏もこればかりはわからなかった。
二本目は新作のシャーロック・ホームズ・シリーズから「悪魔の足」だ。なによりもびっくりしたのはブレットがいままでのオールバックの髪型をやめ、クルーカットにしていることだ。デイビイズ氏がブレットにインタビューしたところによると、この髪型のほうがシドニー・パジェットのイラストに近いとかんがえているという。しかしこの話をアメリカのジョージア州にすむホームズ映画コレクター、ジェニー・ペイトン夫人に手紙でしらせたところ、おもしろい新説をかいてよこした。彼女の意見ではブレットは髪をきった本当の理由をいっていないそうだ。ホームズはからだをこわして「悪魔の足」で転地療養しているが、このときに発熱して「ぶな屋敷」のアリス・ルーカッスル嬢のように髪の毛をきられたとかんがえている。欧米では発熱したときに髪をきるのはごく一般的だとかいてあった。髪は熱を含みやすいからだというのがその理由だとペイトン夫人の祖母が教えてくれたという。
食卓についてびっくりした。デイビイズ夫妻もホワイト嬢も菜食主義者だったのだ。豆と米を主体にしたベジタリアンの食事は初体験だった。デイビイズ氏は米のミルク煮をさして、「故郷をおもいだすだろう」といっていたずらっぽくわらった。せっかくイギリスでは米はたべないでおこうとおもったのに!
食事をとりながらブレットのホームズ新作について話をきいた。なんと二時間の長編「バスカヴィル家の犬」が八月三十一日に放映されるという。このころにはもう日本にもどっている。なんとついていないことか!
かれらが所属している「ノーザン・マスグレイヴス」はこの番組のリバプールでのロケーションを見学しにいったそうだ。そのときの写真をみせてもらうと、例のフロック・コート姿のさっそうとしたホームズとホワイト嬢が一緒にうつっている。またホームズが二輪馬車(ハンサム)にのっている。
さらにノーザン・マスグレイヴスはいままで「シャーロック・ホームズの冒険」のロケーションがおこなわれたさまざまな館を見学したそうで、その写真もみせてくれた。
ブレットとハードウィックというテレビそのままのコンビがホームズとワトスンを演じる「シャーロック・ホームズの秘密」という舞台も来週からはじまるときいて、早くイギリスにきすぎた、とほんとうに悔やんだ。なんと間がわるいことか!
帰国後ホワイト嬢から手紙で、「シャーロック・ホームズの秘密」を観劇にいき、舞台がはねたあとブレットの楽屋をたずねたという。
日本シャーロック・ホームズ・クラブ広島支部の田附嬢が、イアン・リチャードスン主演の「バスカヴィル家の犬」でバスカヴィル卿を演じたマーチン・ショウはイギリス製の刑事ドラマ「特捜班CI5」でなんと「ドイル」という名前の刑事役だったといっていたのを思い出し、デイビイズ氏にたしかめるとそのとおり、といって六切りのショウ演じるバスカヴィル卿のスチール写真をみせてくれた。そのアルバムにはそのたいろいろなホームズ映画のスチール写真がはいっていた。ベイジル・ラズホーンはもちろん、しわだらけのピーター・カッシングのホームズまではいっていた。ちょっとこれはホームズにしては年寄りすぎるのではないかときくと、この「死の仮面」という映画はホームズの老後の事件だとおしえてくれた。
デイビイズ氏は「バスカヴィル家の犬」のコレクターでもあり、六十種にちかい「バスカヴィル家の犬」を収集している。とくにその白眉はベイジル・ラズボーンが一九三九年に演じた映画「バスカヴィル家の犬」の台本である。実際に撮影に使用されたそうで、デイビイズ氏の手で奇麗に製本されている。デイビイズ氏のコレクションのことは以前からきいていたので、日本から「バスガヴィル家の犬」のマンガ版を持参してプレゼントした。これなら日本語なしでもわかるだろうとおもったからだ。
食後のデザートにアイスクリームをたのしんだあと、もういちど二階の書斎にもどって記念写真をとったらもう帰りの電車の時間になってしまった。ノーザン・マスグレイヴスの入会手続きをあわててしたあと、デイビイズ氏とホワイト嬢におくられてハダースフィールドの駅までいき、マンチェスターへの電車にのった。がらがらにすいた電車の片隅にグラナダ・スタジオの土産を両手にかかえながらすわっていると、これでこの旅の一番の目的をはたすことができた、という充実感と疲労感につつまれたのだった。