1970年代以前の山中峯太郎関連



『騎兵斥候露軍横断記』 参謀本部付某参謀官実歴口演、小西勝次郎編、同文社、明治45年3月10日 横田順弥氏が『敵中横断三百里』の参考になったのではないかと指摘した本。
「偽電嫌疑者四名起訴さる」 「東京朝日新聞」大正六年四月二日号 いわゆる「淡路丸事件」に連座した峯太郎が起訴されたという記事である。
「偽電を打った犯人逮捕」 「東京朝日新聞」大正六年四月三日号

「淡路丸事件」の続報で、さらに多くの関係者が逮捕され、峯太郎が東京監獄に収監されたとある。

「落葉する日――山中氏と語る――」 秋江、「自由評論」大正9年1月号 この号から新連載をはじめた峯太郎を訪問した編集者の紹介記事。文中に「日本一」という雑誌の記者もきていたとあるが、ここにも執筆をしたのだろうか。
『弾雨を潜りて』 多門二郎、昭和2年4月29日 峯太郎の親しい先輩の著作であり、峯太郎の日露戦争ものの参考書になったとおもわれる。同じ作者の「日露戦争日記」も参照のこと。
『修養全集第11巻 処世常識宝典』 大日本雄弁会講談社、昭和4年9月10日 p337「霊前または神前で」と題して山中峯太郎氏夫人山中ミユキが結婚式の心得について述べている。
「陸軍大学を出て小説家 山中峯太郎氏」 『キング』昭和9年6月号p-310−11 「畑違ひで成功した人々」という特集記事のひとつ。
「序 山中峯太郎著『幽霊探訪』」 杉村広太郎、『楚人冠全集第十二巻』日本評論社、昭和13年5/25、p14-17 峯太郎の初短編小説集『幽霊探訪』に寄せた杉村楚人冠の序の再録。
「敵中横断三百里」 映画台本 1957年公開 大映映画。 スタッフが実際に使ったものであろう、書き込みが多数見られる。

「聞書 山中峯太郎」

上笙一郎、尾崎秀樹、鳥越信によるインタビュー、「日本読書新聞」昭和36年5/8

峯太郎の青春時代のはなしなど。「私は自分の作品を、児童文学だと思って書いたことは、一度もない。どんな小説でも、みな、世のなかのすべての人に訴えたいことがあって、それを書いたにすぎません。だから、私は自分の作品に自信と誇りをもっています」
また戦後公職追放になったとき、連合軍司令部にいって抗議したことものべている。

「本郷義昭との出会いと別れ」 村上一郎、「大衆文学研究」1962年3月号 本郷義昭は「亜細亜の曙」のときは自由であったが、しだいに組織の人間になってつまらなくなってきたという。
「もの書きとして本懐」 「週刊読書人」昭和37年7/23 「実録アジアの曙」が文芸春秋読者賞を受賞したことへのインタビュー記事。「こんなに嬉しかったのは初めてです」と峯太郎はいっている。
「未成と本郷義昭」 「児童文学への招待」南北社招待シリーズ6,昭和40年7月5日、南北社 日中交渉秘史と『中央公論』での中間読物ライターとしての仕事に目を向け、「硬軟両様の側面を立体的に把握しないかぎり、彼のもつ可能性の全部を理解できない」とのべている。
「『少年倶楽部』の意義」 佐藤忠男、「少年倶楽部名作選第二巻、長編・中編小説集」講談社 「思想の科学」昭和三十四年四月号掲載「少年の理想主義について」の改稿。
「義憤! 孫文の許へ <山中峯太郎>」 尾崎秀樹「人物往来」昭和41年2月号p28-34 峯太郎の青年時代から革命に参加するまでの小史。のちの評伝の原形の一つ。
「風雲児 山中峯太郎の世界 その見事なアジテーション」 山中恒「日本読書新聞」昭和41年6/13 峯太郎の追悼記事。峯太郎の評価を「大本営情報局のアジの技術を再評価しようとするにも等しい空しさにつきまとわれるだけだ」と切って捨てる。峯太郎の客観評価は戦中派にはむりなのか。
「日東の剣侠児」 樺島勝一画、「少年倶楽部名作選第四巻 絵画編」講談社所収。昭和41年三月 樺島描く挿絵を一枚再録。
「作品による日本児童文学史・第二巻・昭和前期」 滑川道夫他編、牧書店、昭和43年6/20 「敵中横断三百里」の冒頭部分と粗筋をおさめている。また「解説大衆児童文学の流れ」(滑川道夫)の一章「龍渓・春浪の発展」では、「昭和五年「敵中横断三百里」(『少年倶楽部』4〜7)によって登場した山中峯太郎(一八八五ー)が、春浪系譜を飛躍的に発展させる役割を果たした」とし、「日東の剣侠児」「亜細亜の曙」に言及し、「その主人公は愛国者で熱血漢であり、勇気ある行動力と責任感と使命感をつよくもっている。春浪の作中人物は観念的に行動する欠点が目立ったが、山中の人物造形は、これよりはるかにイメージがゆたかになっている」と述べている。
『少年倶楽部時代』 加藤謙一、講談社、昭和43年9月28日 『少年倶楽部』編集長の回想録。口絵に椛島勝一の「敵中横断三百里」と「亜細亜の曙」の挿絵を収録。
p203〜206に「山中峯太郎」と題して、「敵中横断三百里」執筆の際に豊吉軍曹から話を聞いたエピソードを紹介している。
「大衆児童文学 人と作品 山中峯太郎」 尾崎秀樹「週刊読書人」昭和43年10/28 尾崎秀樹は峯太郎の完全な年譜をつくると約束していたのに、まだはたせないでいると書いている。そのほか大人ものをふくむ作品の紹介。
「あとがき」 加藤謙一、「少年倶楽部名作選第六巻 熱血痛快小説集」講談社、昭和44年 『少年倶楽部』元編集長による。その中に峯太郎関連のエピソードとして、
「山中峯太郎先生の夫人ミユキさんは、先生の没後述懐されて、「あなたがたが来られて主人とはげしくやりあっておったとき、お茶を運んでいった私が、その部屋にはいることができなくて、障子の外に立ちすくんだものです」といわれた。そういわれて思い出したが、新しい連載小説のはじまる毎に、われわれがそろって先生を訪ねた折り、双方の意見が一致することもあり、時には容易に双方の納得が得られない場合もあった。そんなとき、気性のはげしい先生の声はしだいに大きくなり、血の気の多かった若造のわれわれも興奮の度がたかまり、激論が果てもなくつづいて夫人をハラハラさせたものだった。」