1970年代の山中峯太郎関連文献







「椛島勝一ペン画集」 講談社、昭和四十六年 「大陸非常線」「敵中横断三百里」「亜細亜の曙」の挿絵を収録した豪華本。
『月刊 噂』昭和47年6月号 「特集=知られざる山中峯太郎」と題する特集で、
「“亜細亜”に夢を求めた熱血文士」加藤謙一、須藤憲三、西村俊成
「夢の中の戦場」山中侠
が掲載され、さらに
「敵中横断三百里」(抄録)も掲載されている。
『男たちのための寓話』 石上三登志、昭和50年、6月10日 副題を「私設ヒーロー論」といい、p12〜20にかけて「4 本郷義昭は実在しない」「5 『太陽の凱歌』について」「6 そして、ヒロインは……」で、『太陽の凱歌』を「わが国における少年冒険小説の最上の作品」と評価している。
「われらが少年倶楽部傑作ベスト20」 対談;小中陽太郎、田中小実昌、木島則夫、砂原道子、「週刊読売」昭和50年12/27号 見出しに樺島勝一の「敵中」の挿絵があり、第一位に「敵中」がえらばれている。また囲み記事インタビューで芥川也寸志が「連載ものでとくに印象が深いのは「敵中横断三百里」」、豊田譲が「山中峯太郎の「敵中横断三百里」に。将来、なるなら敵中であのように活躍する軍人になろう、と思ったものですよ」とかいている。
「ヒーロー論」細谷建治 、「日本児童文学」1976年6月号, p16-27 要するにヒーローとはなにか、という「少年倶楽部」をふくめた議論だが、最後の方にわずかに本郷義昭が語られる。「『少年倶楽部』の作品の荒唐無稽さは、実に、この日本主義が基本的にもっている”いいかげんさ”の想像的産物だといえます。」としている。
「敵中横断三百里」 高島平蔵「流動」1976年11月号 「大衆文学傑作選」として小説を紹介している一つだが、この評者は「ほんとうに面白かったのかどうか疑問が湧いてくる」とか「三百里は……支那流に十分の一程換算するとわずか三十里……小せえ、小せえ」などと無理にけなしている。時代的にまだ左翼文化人華やかなりしころだから仕方がないが…。
「日本児童文学の思想」 上笙一郎、国土社、1976年11/20 児童文学研究家として知られる上のエッセイ集。彼あたりから少年クラブなどの大衆児童文学も論じられるようになってきた。

「日本児童文学におけるナショナリズムの系譜―『浮城物語』より山中峯太郎へ」(初出「日本文学1961年11月号)では「敵中横断三百里」「大陸非常線」「亜細亜の曙」「万国の王城」「大東の鉄人」「世界無敵弾」「見えない飛行機」「太陽の凱歌」「黒星博士」「落陽」などが言及され、「…山中峯太郎の作品が、春浪を代表とするそれ以前のナショナリズム児童文学とはっきりちがっている点はどこであるか。――どれは作中人物が、単純で一面的であることはまぬがれないにしても、とにかく人間象として一応のイメージを結んでいるということである」としている。また「峯太郎の小説では、すででに述べたように、主人公のイメージはその行動のダイナミズムをとおしてじつに明確であり、文体も、過去のナショナリズム児童文学の悲憤慷慨調をかすかにとどめてはいるけれども、分りやすくてしかも生彩がある。峯太郎は、未分化だったナショナリズム児童文学を分化させたのである。そしてそれこそが、峯太郎をして春浪の後継者たらしめ、ナショナリズム児童文学の完成者たらしめたものであり、且つ、彼が日本の大衆児童文学の歴史の上ではたした役割だったのである」と述べている。

「山中峯太郎『万国の王城』について」(『万国の王城』桃源社版、1970年1月)は桃源社版の解説で、「万国の王城」と「第九の宝冠」は「少女倶楽部」に連載されたものの、奇妙なことに前者は講談社から、後者は実業之日本社から出版されたと述べる。また峯太郎のナショナリズムは「日本国家の対アジア政策に批判的であり、植民地化されつつあるアジアの民衆の苦しみを共に苦しもうとする態度を持ったナショナリズムだった」といっている。

「日本児童文学大系二十巻」 ほるぷ出版、昭和52年 「亜細亜の曙」を収録するほか、
佐藤勝「山中峯太郎<近代文学史における位置>」(499-517ページ)、
山下恒夫編「山中峯太郎年譜」534-544ページ
同「山中峯太郎参考文献」が553ページに掲載。
『大衆文芸図志』 八木昇編、新人物往来社、昭和52年2月15日 副題が「装丁・挿絵にみる昭和ロマンの世界」とあり、峯太郎作品は「亜細亜の曙」「黒星博士」「聖なる乳房」「祖国の鐘」「空と陸の秘密戦」「大東の鉄人」「地底の王城」「敵中横断三百里」「謎の機械化兵団」の書影が掲載されている。
「随筆人間革命」 池田大作、聖教新聞社、昭和五二年五月

「いつしか、少年時代に愛読した少年倶楽部などで、なじみ深かった山中峯太郎や佐藤紅緑の名前が、うっすら頭に残っていたのにちがいない。そこから“山”と“郎”の一字ずつをとり、山本伸一郎のペンネームを使用するようになったのである。」(173-4ページ)

(塩原将行さん御提供の資料による)

『少年小説の系譜』 二上洋一、2月25日  p103に「武人の浪漫的理想像=山中峯太郎論」をおさめる。
「名誉棄損で告発にふみきったシャーロック・ホームズ氏」 小林司、東山あかね、「本の雑誌」昭和五三年十月号 峯太郎の翻案をはじめ、児童向きホームズの不正確さを糾弾し絶版への道をひらいた。「名作の品位が損われ、読書のよろこびを味わえなくされているものさえある」というが、現在はたしてこの焚書運動がプラスになっていたのかどうか、吟味してみる必要があるのではないだろうか。
「アンチ・ヒーロ-論」細谷建治 、「日本児童文学」1978年12月号,p64-68 ヒーローと母の関係について論じている。「万国の王城」に言及し、さらに「敵中横断三百里」について「ぼくは、ここに登場する人物たちの《家庭》にまで及んだドラマあるいは事実性をみることはできない。ぼくが今、そこにみるのは、一個の〈日本〉兵というシチュエーションのみである。ぼくにとって、このヒーロー像はすでに死んでいる。」と述べる。このような矮小化された視点で筆者はヒーローについて論じられるのだろうか。家庭について記述がなければ事実性がない、などと単純な「現実感」が日本の小説や映画をダメにしてきたのではないだろうか。付け加えればこの著者は建川中尉が冒頭で母親からの小包みを受け取るシーンを忘れている。
「少年の理想主義について」佐藤忠男 、「叢書児童文学第五巻 児童文学の周辺」鶴見俊輔編、1979年4月20日 p149-176 「思想の科学」1959年10月号発表の同名論文の採録。
「山中峯太郎と中里介山」 尾崎秀樹、「西湖のほとり」、有斐閣、昭和54年10月30日、p147-168
 峯太郎研究の第一人者尾崎氏の論考。同じ明治十八年生まれの二人の作家について、
「山中峯太郎は軍隊に三行り半をつきつけて中国革命に参加したが、結局は軍人意識を抜けきれなかった。革命の夢に破れ、その夢を少年の理想主義へと転化したが、介山の場合は政治に挫折し、文学者としてたちながらも、かねてから抱いていた古典中国像を改めることができず、それと現実とのズレをナショナリズムの意識でうずめた。明治一八年生れのこの二人の作家は、別々の軌跡をたどりながら中国にふれ、民族運動の方向を理解しないまま、日本へ回帰してしまった点では、共通した根をもっていたといえるかもしれない」とむすんでいる。