| 「もう一つの昭和史5 夢の放浪者 江戸川乱歩」 | 牛島秀彦、毎日新聞社、1980年 | 187-196ページの小見出し「”我が日東の剣侠児・本郷義昭”を創った山中峯太郎」で、この著者牛島も後述の中野と同じように、子供時代にお菓子がなかっただのと恨み節をのべ、自分も当時峯太郎作品に熱狂したにもかかわらず、後知恵でののしっている。醜いかぎりである。 | ||
| 「シリーズ大東亜戦争の記録II 戦時下の言論(下)」 | 福島鑄郎・大久保久雄編、紀伊国屋書店、1982年 | 山中峯太郎の戦時中の雑誌執筆の一部が835ページにまとめられている。 | ||
| 『マイナス・ゼロ』 |
広瀬正、集英社文庫、1982年2月 (初出は1965年『宇宙塵』90号〜99号に連載後、5年もの時を経て1970年9月河出書房新社から単行本として出版され、作者の死後、1977年2月に「広瀬正・小説全集」(全6巻)の1巻として同じく河出書房新社から出版) |
舞台が昭和七年。主人公が、樺島勝一や鈴木御水の絵が好きだという子供が持っていた「少年倶楽部」を読むシーンがあり、作者自身による前説明が引用されています。少々長くなりますが、書き出しますと、 <わが日東の劍侠兒。本?義昭は、祖國の最も重要なる機密書類を、今や怪敵の手から奪ひかへした。本?に從ふ印度の少年王子ルイカール、その從者の黒人ベンガル、味方は三人だ。三人とも覆面し、?の外套を着てゐる。怪敵と同じ姿に變裝したのだ。しかも、今、『恐怖鐵塔』と名づける塔の頂きに登り、そこに高くつながれてゐる硬式飛行船の窓に、三人とも躍入つた。吊籠(ゴンドラ)の窓だ。十三人の怪敵は、遙か下の床に立ちすくんでる。本?の勝利か? 見えざる怪敵總首領は、ラヂオによつて堂々と宣言したのだ。
(掲示板に法水さんからの情報) |
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| 「昭和初期の大衆児童文芸」 | 村松定孝、「日本児童文芸史」所収、福田清人、山主敏子編、三省堂、一九八三年、一七四〜一八四ページ | 小見出しとして「1 吉川英治と山中峯太郎」とあり、『少年倶楽部』を論じている。『敵中』『日東』『亜細亜』『大東』『太陽の凱歌』に言及し、「これらの小説の主人公は本郷義昭というアジア開放を夢みる熱血漢で、明晰な頭脳の持ち主でありん、不屈な精神を駆使して日本征服を企てる仮想敵国の陰謀と戦い抜く」(一七六ページ)。と書く。また「戦後に山中氏とお会いし、あの日の感激を語ったところ、「実はあれを書いていた当時、しばしば参謀本部から呼び出しを受けました。もちろん、あの頃は軍籍を退いておりましたが、私が想像で書く新兵器と陸軍が秘密で計画している兵器の設計図が一致しているので、秘密がもれたに相違ないと疑われたのです。とんだ迷惑でありました。大東亜戦争が始まると執筆禁止の立場に置かれました」と、かつての軍治冒険小説家は、われわれの気づかなかった裏話を伝えてくれた」(一七七ページ)。 | ||
| 『夢いまだ成らず 評伝山中峯太郎』 | 尾崎秀樹、中央公論社、昭和58年12月15日 | 山中峯太郎の伝記であり、研究の際の基本文献。 | ![]() |
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| 「陸軍幼年学校よもやま物語」 | 村上兵衛、光人社、昭和59年11月6日 |
峯太郎も卒業した陸軍幼年学校の思いでばなし。その導入部9-11ページに『星の生徒』が引用されており、また146-147ページに再び『星の生徒』最終部分の大演習の際に天皇陛下のそばで観戦してお菓子をいただいた場面が引用されている。 |
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| 「勝ち抜く僕ら少国民―少年軍事愛国小説の世界―」 | 山中恒、山本明編、世界思想社、1985年3/15 |
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| 「近衛歩兵第三連隊史」 | 近歩三史刊行委員会、昭和六十年 | p135に同連隊出身の有名人として、半ページにわたって略歴が記されている。 | ||
| 「山中峯太郎」 |
中野孝次、「言論は日本を動かす3−【アジアを夢みる】」所収、山崎正和編、講談社、昭和61年、119-144ページ |
文芸評論家の中野孝次が峯太郎作品を数編読み直して評論しているのだが、徹底的にけなしている。 「…山中峯太郎は小説家としてはまったくダメであって、彼の少年小説をいま読み返してみても、読書にも批評にも耐えた代物ではないということがある。現に、当時それらに熱狂したはずのわたし自身が、こんどこの稿を書くために読み返してみて、いかに少年とはいえかんでこんな詰らんものに夢中になれたんだろう、といぶかったくらいだからこれはまちがいない」といい、にもかかわらず大流行した理由として「この二つの矛盾を解く鍵はおそらくあの時代の雰囲気の中にある。…しかし経験した者にもそれを正しく認識できるとは限らない」と分析にさじをなげ、あとは単なる軍国主義だの紙芝居の口調だのと罵倒に終始している。 おそらく中野は戦後のいわゆる「文化人」として、戦前戦中の少年時代の素直に日本を信じていた自分が許せないのだろう。それを写す鏡として峯太郎を罵倒して自己を正当化しているのではないだろうか。自分の少年時代を否定しなくてはいけないとは不幸な人である。 |
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| 『少年小説の世界』 | 高橋康雄、角川書店、昭和61年2月20日 | p133〜139に「情念の実行家の筋書=建川斥候長/山中峯太郎『敵中横断三百里』」、そしてp146〜151に「陸軍学校優等生の破天荒人生=本郷義昭/山中峯太郎『わが日東の剣侠児』という二つの章で峯太郎をあつかっている。 | ![]() |
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| 「別冊太陽 子どもの昭和史 昭和十年−二十年」 | 解説秋山正美、平凡社、1986年8/25 | p54-55に「山中峯太郎」、p80-81に「小学生向きの山中作品」として見開き二ページカラーで著作を紹介している。またp148-151「小学生の科学」では「大陸動員令」が紹介されている。 | ||
| 山中峯太郎の青春、姜舜の詩、ゾルゲ関連 日録抄(74) 一久八六年九月」 | 「寺島珠雄 「月刊近文」昭和62年1月号 126-129ページ | 古本屋で「実録アジアの曙」を買い、「百円でおもしろい本を読めた」というもの。「宋教仁の暗殺にちょっとふれたところでは、北一輝の『支那革命外史』だったか、巻頭に殺されたばかりの宋教仁の死体写真があったはずと思い出した」とある。峯太郎はその暗殺現場に居合わせていた。 | ![]() |
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| 「ながた暗号塾連載第18回 山中峯太郎と暗号日記」 | 長田順行、「科学朝日」1988年1月号 | 尾崎秀樹の「夢いまだ成らず」にも言及のある、峯太郎の暗号日記の解読方法について述べている。第三革命後も革命に関与する気持ちが十分あったことがうかがわれる。 | ||
| 「山中峯太郎と暗号日記」 |
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| 『二人の挺進将軍 建川美次と永沼秀文』 | 豊田穣、光人社、1988年12月21日 | 『敵中横断三百里』のモデルの伝記。 | ![]() |
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