ぼくたちの甲子園 高校野球名勝負列伝・選手権大会編
No.4 2003.4.30


松坂大輔の偉大なる一日 
(平成10年 第80回選手権大会 横浜高校対PL学園高校)

 あらゆる物体、事象には限界というものは必然性を否めない。ことにスポーツについても人間が行うもの、絶対的に達成できない不可能なケースはあるものだ。しかしながらこれまで絶対不可能とされた偉業を達成した壮絶かつ驚異的なチームが突如出現した。横浜高校というチームである。
 この横浜高校、名将渡辺元智監督の下、永川、愛甲といった好投手を擁してこれまで春、夏の甲子園で優勝を達成した名門であり、甲子園で勝つことより難しいといわれる神奈川にて絶えず上位に進出する全国的にも有数の強豪である。その横浜高校の偉業である公式戦44連勝は平成9年の秋季横浜地区大会の対市ヶ尾戦にはじまり、翌10年の神奈川国体決勝対京都成章戦まで続いていくのである。そして、その幾多の横浜高校の試合の中でまさに高校野球の限界に挑んだ壮絶な試合がひとつある。平成10年8月20日の夏の選手権準々決勝、対PL学園戦。この試合はあらゆる意味で高校野球の極限というものを感じざるを得ない驚異的な試合だったように思える。そして、その驚異的な横浜高校を支えるべく一人の怪物投手が出現した。松坂大輔という投手であった。

 この夏の横浜高校は、史上4校目の春・夏連覇を目指すべく甲子園では初戦より猛威を誇って勝ち進んだ。初戦の柳ヶ浦高校戦は6−1、2回戦の豪腕杉内を擁する鹿児島実業には6−0、そして3回戦の星稜高校に5−0といずれも圧勝の上でのベスト8進出であった。そして、松坂と横浜高校ナインにとって最大の偉業ともいえる対PL学園との壮絶な戦いの幕がきって落とされたのである。
 1998年8月20日午前8時30分、戦いの幕はきって落とされた。横浜高校の先発はもちろんエース松坂大輔。そしてPL学園先発はエース上重聡ではなく背番号10番をつけた稲田学であった。この稲田投手はこの年の春の選抜の準決勝の対横浜戦においても先発でマウンドを踏んでいる。この時は王者横浜に最初にPLが立ちはだかった。6回裏にPLの4番古畑の2塁打にて2点を先制した。しかし横浜も8回表に2点を返し、9回には稲田から代わったPLのエース上重をノーアウト1・3塁と攻めたて横浜の1番加藤のスクイズで逆にPLにリードした。結局この1点が決勝点となり9回裏も松坂がPL打線を抑えきり試合を決めたのである。決勝では関大一高にも3−0と快勝して横浜が選抜を征した。選抜の因縁とも言うべきこの試合に、PLは全精魂を傾け、横浜を、そして松坂大輔を倒すべくこの試合に臨んだのであった。
 1回の表、裏は横浜、PL両チーム無得点だったが最初に試合が動いたのは2回裏、そして、またも先制の狼煙を上げたのがPL学園であった。この回のPLの先頭打者、5番大西が二遊間をぬけるヒットを放ち、6番三垣の送りバントはフィルダースチョイスとなり、その後の7番石橋が送りバントを決め一死2・3塁。そして8番ピッチャー稲田がセンターに犠牲フライを放ちまずはPLが1点先取。続く9番松丸にはセンターオーバーのタイムリー2塁打と一気に松坂を攻めたてにきている。松坂は動揺したか、続くPL1番田中に対する投球の間にボークをとられ、その後田中にセンター前に運ばれこの回に一気に3点をPLがリード。試合の主導権はまたしてもPLの手の元で試合が続くことになっていくのである。
 3回表・裏は両チームともに無得点。そして4回から今度は横浜の反撃が始まる。横浜は2番加藤が2塁打を放ち、3番後藤、4番松坂と倒れたものの5番小山が稲田からホームランを放ってこの回2点を返す。PLもその裏3連打と動揺の続く松坂から放って1点を追加するが、5回表には斉藤清憲、佐藤、松本と続く横浜の下位打線の連打で2点を返してまたも4−4の同点とする。
 7回表からPLは稲田を下ろし、いよいよエース上重をマウンドに送る。横浜にこれ以上の得点を許さない策からなのだろうか。そしてその裏PLの攻撃。ファーボールとヒットでツーアウト1・2塁としたPLは6番三垣のタイムリーヒットでまたも1点をリード。試合終盤でのエース投入で、ここで入れた1点を何とか抑えきりたいPLだが、8回表にPL側の手痛いミスが出た。横浜ツーアウト1塁という場面で、横浜の打順が5番小山に回るということでPLのベンチにいたキャプテン平石がライトの井関にもっと深く守るよう指示したことを1塁の三垣が自分への指示と勘違いし、それまで1塁ベースについていた三垣が定位置に戻ってしまったのである。リードをとりやすくなった横浜1塁ランナーの加藤は2塁への盗塁を決め、その後小山がセンター前のタイムリーを放つ。ここでの失点はPLにとっては本当に痛いところであった。この後の横浜の攻撃は下位打線。上重の調子からは十分抑えきれたであろうがここでの同点打がPLにとって絶好の勝機を阻むものとなってしまったのである。9回裏が終了して両者5−5の同点。そしてこの後、松坂、上重の果てしなき投げあいの中、試合は壮絶に展開していくのである。

 試合は延長戦へ突入した。松坂はここまで148球の投球。夏の連戦で疲労感はピークに達していただろう。しかし松坂のマウンドでの戦いは延々と続いていく。11回表、横浜は松坂の放った三塁へのあたりがイレギュラーヒットとなり、そのあとも幸運なあたりが続き1点を追加し、6−5となった。この試合で横浜高校が初めてPLからリードを奪った。しかしその裏PLも5番大西のタイムリーで1点を返してまたも6−6の同点。両者一歩も譲らない展開となっていった。
 その後、上重と松坂の気迫のこもった投げあいが続いていく。松坂は12回から15回までPL打線を無得点、迎えるバッターを全て3者凡退に抑える力投を演じた。上重もたびたび横浜打線につかまるが要所を締めて無得点に抑えるピッチング。松坂、上重両者ともに限界を感じていただろうが、この試合はこのどちらかの投手がリタイヤした時点で勝敗が決定してしまう。両者とも最後までマウンドを他の者に譲らなせないという気迫のこもったピッチングが尚も続いていった。まさに高校野球の極限に達している壮絶な世界が広がっていくようであった。
 延長16回表、横浜も幸運なヒットが続き、加藤のショートゴロが高くイレギュラー。再々度の1点リードの展開となった。しかしながらPLもその裏ワンアウト3塁から本橋のショートゴロの間に3塁ランナー田中一徳がホームに生還。尚も尚も食い下がるPL打線。松坂を最後の最後まで苦しめるがごとく驚異的な粘りを見せる。延長18回が見えてきた。いよいよ引き分け再試合が現実味を帯びてきた。しかし松坂は限界に達している。横浜高校のこれまでの連勝記録もここで途絶えるかという懸念もされる。しかし、この壮絶な試合についに幕が下ろされることとなる。
 延長17回表、この回先頭の松坂、続く小山も倒れた。そしてその後に続く横浜高校6番は柴。ショーゴロとなりこの回も3者凡退が濃厚となりつつあるもなんとショート本橋が痛恨の悪送球。ここでも横浜高校の神がかり的な力が作用した。そして続く7番は斉藤清憲に代わって入っていた常盤。上重が常盤に投じた初球だった常盤の放った打球は右中間スタンドに吸い込まれるように入っていった。9−7、PLにとって非常に重い2のスコアが電光掲示板にともされた。
 そしていよいよ17回裏、PLは最後のバッターには田中雅彦が入った。そしてこの壮絶な対決にピリオドを打つべく松坂の250球目が小山のミットに収まった。延長17回、9−7というスコアで横浜高校がこの壮絶かつ驚異に満ちた一大叙事詩的試合に決着をつけたのであった。

 この試合は、客観的な立場においても高校野球の極限というものをいくつか垣間見ることができたように思える。横浜高校という驚異的な強さを持ったチームが出現したことはいろいろな意味で物議を与えることとなっているだろうが、その中で絶えずこの驚異的なチームをリードした松坂大輔という偉大な投手の存在はこれからも高校野球を語っていく上で決して忘却することはできない。高校野球にとっては本当に至宝ともいえる松坂大輔の活躍はこれからも永遠に語り継がれていくことと思う。この日、松坂が投じた250球はまさに偉大な業績である。まさに空前絶後、1998年8月20日は松坂大輔という一人の少年にとって、また横浜高校というすばらしいチームにとってまさに偉大なる夏の一日であった。
(2003.4.30 written by T.M)


                        (平成10年 第80回選手権大会準々決勝)

チーム名\回数 10 11 12 13 14 15 16 17 合計
横 浜
PL学園 

横浜:松坂−小山  PL学園:稲田、上重−石橋、田中雅
本塁打:小山(稲田)、常盤(上重)


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