ぼくたちの甲子園 高校野球名勝負列伝・選手権大会編
No.5 2003.4.28
バンカラ軍団の甲子園
(昭和43年 第50回大会準々決勝 盛岡第一高校対興南高校)
盛岡第一高校という学校がある。東北、岩手盛岡に在中する岩手県下屈指の伝統校である。明治13年創立の旧制盛岡中学を前身とし、卒業生には「セロ引きのゴーシュ」、「風の又三郎」などの作品を手がけた文豪宮沢賢治、海軍大将米内光政、「銭形平次」の著作で有名な野村胡堂、他に政財界などで活躍している卒業生を多数輩出している名門である。
また、盛岡一高は野球部も非常に高い伝統・実績を持つチームである。創部は明治32年である。全国高校野球選手権大会は大正4年より行われたが第3回大会の大正6年に初出場の際はエース小川得二郎を擁し香川商、慶応普通部、関西学院を破りベスト4に進出。翌々年の大正8年の夏にもベスト4と健闘し東北球界のリーダー的存在でもあるチームだった。
まさに文武両道の手本とするような盛岡第一高校だが、とりわけ全国の高校野球ファンにも関心の高いところは、かの有名な「弊衣破帽」のバンカラ応援である。明治からの旧制中学の流れをくむ伝統校だけに男女共学となった現在でもかつての応援形態は存続している。明治の学生ならぬよれよれの羽織袴を身にまとい、ぼろぼろに破れた帽子をかぶって、赤地に白の”M”とマークした旗を振りかざす髭モジャの応援団とともに球場に轟かんばかりの肉声が発せられる。チアガールもブラスバンドも一切応援には使用されない。この壮絶なまでの生々しいバンカラ応援には、全国の高校野球ファンを見事な人文字で魅了させるPL学園や、「浦学サンバ」にあわせて華麗な踊りを披露する浦和学院のチアリーダーもまずかなわないだろう。高校野球応援史上最大の「バンカラ応援」といって過言ではないであろう。

かつての盛岡第一高校バンカラ応援団
(写真をクリックして下さい。校歌が流れます。^^)

上の2枚は現在のもの。弊衣破帽の応援形態は今でも健在です。
このように、戦前旧制盛岡中学時代には高い実績を持つ盛岡第一高校だが、戦後の活躍も見逃せない。とりわけ記念大会であった昭和43年の夏の大会では強豪を次々と破ってベスト8まで進出した。エースの小笠原敬二を中心に、盛岡一高は初戦(2回戦)は徳島・鴨島商業に8回表までは1点のリードを許しながらも8回裏に3点を奪い4−2と逆転勝ち、続く3回戦ではこの年の春に優勝した埼玉・大宮工業に打ち勝って勢いに乗る優勝候補の大分・津久見高校。後に西鉄、西武の主力打者として活躍する太田卓司を3番に据え、また大会屈指の好投手、石井を擁して盛岡一高戦に挑んだ。しかしながら強豪津久見に対して盛岡一高は着々と加点。3回には一挙7点を奪い津久見を大きくリードした。この時、盛岡一高を率いたのは榊貞助監督。この夏の県大会直前に急逝した関行雄監督の後を受けたわけだが、津久見との試合の前に、榊は選手たちにこのように語った。
「相手は優勝候補、ただ思い切ってぶつかっていけ。好投手の津久見の石井の球を同じ高校生が打てないわけがない。」
この言葉に発奮してかの盛岡第一高校の溌剌としたプレーが津久見を圧倒したのだった。エース小笠原は2安打4打点と大活躍。強打津久見打線を2失点に抑えるナイスピッチングで堂々たるベスト8進出であった。盛岡一高、高橋主将からも「優勝を狙う」という言葉が出たほど、この大会における盛岡一高ナインの意気込みは非常に高かったようである。もちろん盛岡一高バンカラ応援団もこの野球部の健闘には狂喜乱舞であった。ちなみに甲子園での試合終了時の勝利校の校歌斉唱と校旗掲揚が始まったのは第39回大会からだそうで盛岡第一高校の校歌もこの時初めて甲子園に轟いた。その時は甲子園の観衆も全国の高校野球ファンも驚いたことであろう。
世に謳われし浩然の(よにうたわれしこうぜんの) 大気を此処に鍾めたる(たいきをここにあつめたる)
秀麗高き岩手山(しゅうれいたかきいわてやま) 清流長き北上や(せいりゅうながききたかみや)
山河自然の化を享けて(さんがしぜんのかをうけて) 穢れは知らぬ白堊城(けがれはしらぬはくあじょう)
どこかで聞いたことのある歌かと思いきや、なんと軍艦マーチのメロディーである。旧制中学からの伝統を誇る、男気溢れるバンカラ気質は校歌からも窺い知ることができる。まさに伝統校である。
さて、準々決勝。対するは沖縄・興南高校。ご存知と思うがこの当時の沖縄はアメリカの統治下であった。この大会までは沖縄勢は4回甲子園に出場していたが45回大会で首里高校が日大山形高校を降しての一勝のみであっただけにここまでの興南高校の健闘ぶりは地元沖縄のみならず全国の高校野球ファンにとっても心ときめかすものがあったようだ。試合当日、甲子園の観衆全てが興南を応援するかのごとき掛け声が球場全体に轟いた。「チバリョー ニセタアー」の掛け声に甲子園の観衆全てが興南を応援するかのような雰囲気であった。また盛岡一高の榊監督は報道陣からこの試合に勝ってはまずいとの言われ方をされたようである。このような状況の中で盛岡一高のナインは相当にやりづらかったようだ。興南の打者を追い込むと「ワー」と怒りのごとき唸り声をあげる大観衆。そして興南の打者がヒットを打てば球場全体の拍手喝采。当然盛岡一高ナインのプレーは浮き足立つ。このような中で興南は4回裏に4点、5回裏に2点、6回裏にも4点と盛岡一高を次第に突き放していく。盛岡一高・小笠原はマウンドを三浦に譲りながらも2安打、1打点と健闘。8回には2点、9回に1点を入れ、興南に食い下がるも興南に10失点と盛岡一高の夢はここで潰えてしまったのであった。最終的に盛岡一高ナインの相手は興南ではなく甲子園の大観衆だったのかもしれない。エース小笠原は「俺たち何も悪いことしてないのにどうして、と腹が立った。あの試合だけは悔しくて涙が出た。」との言葉を残し盛岡一高の夏は終わったのであった。
しかしどのような状況下でも、盛岡一高のバンカラ応援団は誠心誠意、盛岡一高ナインを称えてきたことであろう。奥の細道からやってきたバンカラな男たちの足跡は甲子園に貴重な財産を与えたように思える。この後、盛岡一高は昭和53年の夏の大会に出場し、その時は報徳学園に敗れてしまっている。それ以来甲子園での活躍は見ることはできていない。いつの日か、壮大な甲子園でバンカラ応援団とともに盛岡一高ナインのすばらしい試合をふたたび見せて欲しいものだ。軍艦マーチの轟きわたる甲子園、すばらしき男たちのドラマをふたたび・・・。

昭和43年、夏の甲子園での小笠原投手のマウンド がんばれ!盛岡第一高校野球部!
(上の写真をクリックすると、盛岡第一高敗戦歌が流れます!)
(昭和43年 第50回選手権大会 準々決勝)
| チーム名\回数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 合計 |
| 盛岡一 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 |
| 興 南 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 4 | 0 | 0 | x | 10 |
(盛岡一、興南オーダー)
| 盛岡一 | 興 南 | |
| 1 | 駒 木(中) | 長 田(三) |
| 2 | 赤 沢(一) | 上原義(一) |
| 3 | 山 本(二) | 上原直(右) |
| 4 | 小笠原(投・左) | 我喜屋(中) |
| 5 | 高 橋(捕) | 仲 本(二) |
| 6 | 川 村(遊) | 宮 里(遊) |
| 7 | 三 浦(投・左) | 安次嶺(投) |
| 8 | 佐々木典(三) | 宮 城(捕) |
| 9 | 森(右) | 仲 間(左) |
※上の画像等は、盛岡第一高校OB・佐藤泰久さんからの許可の下、使用させていただきました。
盛岡第一高校・在京疾風会HP
(2003.4.28 written by T.M)