ぼくたちの甲子園 高校野球名勝負列伝・選抜大会編
No.2 2003.4.16
甲子園に届いた、「悠久の夢」
(平成15年 第75回選抜大会2回戦 隠岐高校対浦和学院高校)
平成15年1月31日、第75回選抜高校野球出場校が発表された。数ある出場校の中、僕が心ときめかすひとつの名前があった。「島根県立隠岐高等学校」、10数年前より僕が甲子園出場を切望していた離島の雄である。
僕が隠岐高校というチームをはじめて意識したのは今から12年前になる平成3年の夏、東京世田谷在住の友人宅へ向かう途中東急世田谷線の三軒茶屋界隈の売店で購入した某スポーツ紙、毎年のごとく性懲りもなく日本全国の各地方大会の戦績を三軒茶屋の駅前にて缶ジュースを飲み飲みまじまじとみていたのであるが、僕がそこで目にしたすばらしい記事、「島根県大会決勝 隠岐高校×益田農林高校」。なんてすばらしいことだっ!これまで島嶼での甲子園出場といえば、淡路島の洲本高校(果たして離島といえるかどうか)ぐらいのものと思っていたのだが隠岐の島という本土から数十キロも離れた小さな島の高校球児が甲子園にあとわずかに迫っている。僕自身この時言葉では言い尽くせない大きな感動を覚えた。離島の球児たちの溌剌としたプレーを甲子園で見ることが夢ではないところまで来ている。高校野球ファンとして心ときめかし、隠岐高校の甲子園出場を信じて遠い空から隠岐高ナインにエールを送っていたのである。しかしながら小さな島の野球少年たちに勝利の女神は微笑まなかったのである。島根県代表は益田農林高校と決定。自分の母校が敗れた時と同様の悲壮感に満ちたことを今でも覚えている。そして、隠岐の野球少年たちの「悠久の夢」が実現するまでには、その後12年という歳月を費やさねばならなかったのである。
日本海の離島、隠岐の島。古くから遠流の地として多くの罪人が配流された。「わたの原 八十島かけて漕ぎ出でんと 人には告げよ 天の吊船」の和歌で知られる小野篁(小野小町の祖父ともいわれる)、承久の乱の咎で配流された後鳥羽上皇、南北朝の騒乱のカリスマ後醍醐天皇、貴族や皇宗関係の人たちも数多く隠岐の地に足を踏み入れたのである。それはさておきこの隠岐高校の甲子園出場は隠岐の島民にとってはこの上なく喜ばしいことであったに相違ない。隠岐高校試合当日、甲子園でのアルプススタンドはまさに隠岐そのものと化していたのである。白く形作られた”OKI”という人文字に隠岐高校を応援する島民たちの熱い思いがこの上なく感じられた。「悠久の夢」と書かれた紫色のジャンパーを身にまとった男子応援団。そして声高らかに歌われる隠岐高校の校歌。
みどりの海にはばたいて カモメ群れ飛ぶ朝ぼらけ
希望あふれる白雲に ああ悠久の夢かよう
心の窓よ 隠岐高校
この日、隠岐の人たちにとって、カモメが群れ飛ぶみどりの海は、まさに甲子園だったのである。
試合は第一試合、午前8時半に開始した。対する相手は埼玉代表浦和学院高校。大会屈指の好投手・須永英輝を擁する優勝候補にも挙げられている強豪である。姫路市立高岡小学校4年生岩本峻君の始球式より、この熱戦が開始されたのである。隠岐高校の先発はエース白野。しかし立ち上がり白野が投じる球は高く浮ついてしまう。1回白野は浦和学院トップバッター松谷にファーボールを出したところから浦和学院の猛攻が始まる。浦学2番漆畑はライトフライに打ち取ったが3番中大谷にはデッドボール、4番松本にもデッドボールと満塁のピンチ。そして5番須永の打球はセンターへの犠牲フライとなり浦学1点先制。6番榎本のライト前ヒット、7番熊谷の1・2塁間を破るヒット、そして8番佐久間のライトオーバーとこの回一挙に5点を入れた浦和学院は白野をこの回でマウンドから引き摺り下ろしてしまったのである。
しかし隠岐高校も負けじとその裏、1番平田稔が豪腕須永の136キロのストレートをセンターオーバーの3塁打とし、3番藤野が1・2塁間の深いところへしぶとく打ち返しこの間に平田がホームへ。隠岐高が浦学須永から奪った貴重な1点であった。
2回より隠岐高は白野に代わって平田豊が登板。隠岐高キャッチャーの平田稔の双子の弟である。平田豊は多少荒れながらも2・3・4回は強打浦和学院を無得点にきってとった。しかし5回の表、浦和学院の攻撃では松本のヒットを足がかりに須永の犠打、榎本のライト前ヒット、隠岐高キャッチャー平田稔の牽制悪送球の間に1点を追加。そして浦和学院は攻撃の手を弛めない。6回表、浦学はトップバッター松谷のヒットより始まり漆畑の送りバント、中大谷のライトオーバーの3塁打、松本のレフト前ヒット、続く須永もレフト前とついにここまで好投していた平田豊をマウンドから引き摺り下ろし、外野に入っていた白野が再び登板することとなる。しかし、その後も浦学の攻撃は続き、熊谷の3塁打、佐久間の犠牲フライと続いてこの回一挙6点を挙げたのである。
大差がついた。しかし溌剌としたプレーを甲子園で見せたいという隠岐高校・嶽野監督の言葉どおり隠岐高ナインは試合を楽しんでいた。7回裏隠岐高校の攻撃。3番藤野がファーボールで出塁する。しかしながら藤野の代走に出た西脇が須永の鋭い牽制球でアウトとされる。だがその後、白野のデッドボール、滝下のライト前、山根のレフト前と満塁のチャンス。しかしながらその後の坂本、須上がともに倒れて隠岐高はこの回も無得点に終わった。
9回表、隠岐は2年生投手有木を白野に代えてマウンドへ。有木はツーアウトをとるも、浦学はファーボール、ヒットを絡めてここでも3点を追加。15−1と大きく得点がひらいたが隠岐高校のナインには悲壮感、焦燥感は微塵にも感じられない、むしろもっと試合を楽しみたい、そんな感じさえ受けた。嶽野監督は初回より直立不動、腕組みをしながら最終回も隠岐高ナインの最後の攻撃を目を凝らして見守り続けた。
そして9回裏、隠岐高は代打田口、白野と倒れ、あとアウトひとつで試合終了、しかし隠岐高ナインの思いは潰えない。続く滝下はこの回須永より代わった浦学・鈴木からセンター前にはじきかえし、続く山根、坂本はデッドボールで出塁。土壇場で満塁となった。しかし浦学鈴木は続く須上を三振にきってとり試合終了。「若草燃える 武蔵野に・・・」の校歌が流れる中、隠岐高ナインには涙はなかったようであった。
大差のついた試合ではあった。しかし嶽野監督の言っていた溌剌としたプレーというものをこの甲子園で隠岐高ナイン皆全てが全力を尽くして演じていたことは疑いない。最後まですばらしい試合を演じた隠岐高ナインがこれからの隠岐高野球部にとって新たなページを作ったように思える。甲子園に届いた悠久の夢。この隠岐高校の健闘は、隠岐高校ナインにとっても、また隠岐の島民の方々にとっても本当にすばらしい財産になったと思う。再び、隠岐高ナインに壮大な甲子園の地に戻ってきてもらいたい。新たなる夢を抱いて・・・。
(2003.4.16 written by T.M)
(平成15年 春 2回戦)
| チーム名\回数 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 合計 |
| 浦和学院 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 3 | 15 |
| 隠岐 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
| 浦和学院 | 隠 岐 | |
| 1 | 松谷勇樹E | 平田 稔A |
| 2 | 漆畑雅彦C | 平木雄二D |
| 3 | 中大谷精昭H | 藤野真一郎B |
| 4 | 松本 淳F | 白野 勝@ |
| 5 | 須永英輝@ | 滝下 誠C |
| 6 | 榎本敬太D | 山根真也F |
| 7 | 熊谷文秀B | 坂本 仁H |
| 8 | 佐久間大輔A | 須上富男E |
| 9 | 福田清将G | 平田 豊G |
山陰中央新報・隠岐高校野球部甲子園出場号外
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