ぼくたちの甲子園 高校野球名勝負列伝・選抜大会編
No.3 2003.5.11


春〜Spring2003〜 (平成15年 第75回選抜大会総括)

 「闘志あふれるプレーをすることを誓います」と金森主将(福井)の宣誓で幕が開けた第75回選抜高校野球は広陵(広島)が’91年以来12年ぶり3度目の優勝を飾った。決勝戦は春夏連覇を達成した’98年以来3度目の優勝を狙う横浜(神奈川)とで争われた。広陵は序盤から打線が爆発、横浜先発の酒井から4回までに6点を奪う。さらに代わった横浜のエース成瀬からも9点をとり、終わってみれば決勝戦最多の20安打、最多得点15点。広陵のエース西村も横浜打線を3点に抑え4試合連続の完投、結局15−3の大勝で頂点に上り詰めた。
 
 では総括として今大会を振り返ってみようと思う。まずは優勝した広陵である。昨夏8強のメンバーと比べると小粒になった感じはする。だが3季連続出場の西村ら6人が残っている。厳しい練習を続けるにつれて新チームは徐々に固い絆で結ばれていったという。「このような選手達から教えられることも多い」と中井監督も選手達には絶賛の信頼を寄せる。もちろん、選手達も中井監督に対して多大な恩恵を抱く。だから試合終了直後、選手達はマウンドではなく3塁ベンチにダッシュした。西村は「勝ったのは中井先生のおかげなんです。だから、すぐにベンチに戻ろうと話していました」と明かす。広陵応援団が陣取るアルプス前で中井監督は数回中に舞った。中井監督は’90年にコーチから昇格し、翌年’91年春の選抜でいきなり優勝を果たす。中井監督、28歳の春だった。その後、’92年の春の選抜に出場した後、8年間は甲子園から遠ざかっていた。それまでにニ岡(巨人)、福原(阪神)ら卒業生がプロの道を進んでいる。勝てない間はたくさんの批判、または励ましも受けただろう。そして、迎えた2003年の春、若さに身を任せ突き進んで咲かせた12年前の桜とはまた違った色の桜を再び開花させた。それは勝てなくても色あせなかった甲子園への情熱が実を結んだ瞬間であった。

 決勝戦で初の敗戦を喫した横浜の健闘も称えねばならない。松坂を擁して春夏連覇を達成した’98年とは違って今季の新チームには絶対的なエースもいなければ大砲も居ない。渡辺監督も「こんな弱いチームが・・・」と言っている。しかし、「選手達はようやってくれた」と最後にナインをねぎらった。決勝戦ではすでに満身創痍の状態だった。1番打者・荒波は3回戦で自打球を当て右足甲を骨折しながらもベンチ入りを直訴し受け入れられた。エース・成瀬も爪を割りながらの投球を続け、決勝戦では先発を回避した。このことでチームワークの大切さを再認識したと渡辺監督は語った。決勝戦初の敗戦、しかも大敗、だが横浜の選手達は勝つことよりも大切なことをつかみ大きく成長できた、そんな春だったかもしれない。

 また甲子園という夢の舞台は今大会も様々な劇的なドラマを演出した。遊学館(石川)と近大付(大阪)の試合は激しく降り続ける雨の中、中盤までに遊学館が5点をリードしていた。迎えた6回、雨のマウンドに苦しむ遊学館エース・小嶋を近大付打線が一気につかまえ5−5の同点とした直後に中断、ノーゲーム再試合とした。準々決勝、東洋大姫路(兵庫)と花咲徳栄(埼玉)の試合では41年ぶりとなる規定回数を戦っての引き分け再試合、続く再試合でも延長にまでもつれこんだが東洋大姫路が暴投でサヨナラ勝ちした。

 最後に大会の課題を挙げるとすればやはり守備面になるだろう。今大会は大事な場面でのエラーやタイムリーエラー、特に野手の送球がそれるシーンが数多くあったように思われる。その結果、流れを失い甲子園を去ったチームがどれだけあっただろうか。確かに春の大会は地域にもよるが、冬を経由するためグランドでの練習が少なくなる。ただし、送球というのは室内でもできるし、野球の基本となる動作だと思う。もし、今後も高野連が守備面を重視して春の大会でチームを選抜するのであれば必然的に守備練習に重点を置くことになるだろうし、僕はそれが間違ったことだとは思わない。


(2003.5.11 written by せいち)

                


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