川崎北高野球部の偉大なる一日
〜1990.July.27
Maybe ,I will keep the great day of summer
in mind,forever.....
〜或りし日の、ふたりの偉大な投手の、偉大な対決の思い出に捧ぐ・・・。
このページでは、僕の母校である神奈川県立川崎北高野球部についてお話していきたいと思います。僕は高校野球ファンになって久しいですが、僕が高校野球をこれだけ愛し、情熱を燃やすようになったのは、母校の川崎北高野球部があってからこそと思っています。確か川崎北高野球部は昭和50年に結成されたと思います。今でこそ川崎北高野球部は神奈川県立高の雄と呼ぶ人も少なくないですが、僕の在学中は県立の一弱小チームでした。北高の野球部の活躍を見て、今まで自分にとってどれだけの励みになってきたことか。今でも、夏になると母校の応援には時間を見てかかさず訪れています。
僕は川崎北高在学中は吹奏楽部に所属していました。当時の川崎北高吹奏楽部は優秀で、吹奏楽の各ブロック大会、県大会において上位入賞を果たし、関東大会まで出場したほどで当時の川崎北高を代表する部のひとつでした。しかし当時の野球部は箸にも棒にも引っ掛らないへっぽこチーム。夏の県大会では、ノーシードの県立高校に初戦惨敗は当然という超弱小チームでした。しかし野球部の部員達は毎日本当に懸命に練習に励んでいました。朝は始発電車でグランドに訪れ、毎日8時過ぎまで練習に励んでいたと記憶しています。野球部の人達はみんなとてもいい人達でした。当時の野球部のキャプテンは青木功一君という人でしたが、彼は普段はひょうきん者で、くだらないギャグをよく連発してましたが、こと野球になると全くの別人でした。また吹奏楽部が関東大会に出場した時もとても喜んでくれて、「吹奏楽部がこんなに頑張ったんだから、俺たちもやるぜっ!」という感じで本当に毎日一生懸命でした。今考えると、川崎北高が県立の雄と言われるようになった最初の要因は、この青木キャプテンにあったのかもしれません。そんな野球部に転機が訪れたのは昭和60年の秋のこと、当時新任の情熱あふれる熱血体育教師、加賀谷実先生が野球部の監督に就任しました。加賀谷先生が野球部の監督になれば、野球部も少しはいいチームになるかなと卒業後も毎年夏には北高の試合にかかさず訪れました。加賀谷先生の指導の元、北高の野球部は年を重ねるごとに力をつけていきました。平成元年の夏には横浜高校に敗れはしたものの4回戦に進出。僕の在学中とはくらべものにならない、たくましいチームに成長しつつありました。しかし私学が圧倒的に優位の神奈川にとって、県立のチームにとってはこのくらいが限界かなあと思っていましたが、僕のそんな思いを打ち砕くすばらしい出来事がその翌年の平成2年の夏に起こったのでした。そしてこの年に、加賀谷先生が鍛え育て上げた川崎北高のエースが、現在の読売ジャイアンツ、河原純一でした。それでは、平成ニ年に訪れた、僕にとって、また川崎北高野球部にとってすばらしい夏の思い出について、お話していきたいと思います。
<平成2年7月15日>
1回戦
対岸根高校戦
初戦は神奈川県立岸根高校との対戦。試合は横浜スタジアムにて行われました。その前の試合が遅くなった関係から、試合開始時間が1時間ほど遅れました。この時は僕も浜スタで観戦していました。初戦はまず突破できるだろうと思いきや、これが以外にも川崎北の大苦戦。岸根の先発、柴田のコーナーを丁寧につくピッチングと、岸根守備陣の無失策の守りで、川崎北を翻弄。7回には川崎北先発、河原をマウンドからひきずりおろし、2−2の同点のまま試合は延長戦へと突入。岸根高打戦は延長12回表には河原に代わった川崎北、小林から1点を挙げ、逆転に成功。このときは川崎北の夏はこれで終わりかと感じ入りましたが、川崎北が1点を追った延長12回裏、川崎北は、代打渡辺、1番北沢が連打の後、2番朝西がスリーバントを決め1死2・3塁として3番橋本が岸根・柴田のセンターオーバーの2塁打を放ち川崎北がサヨナラ勝ちをおさめたのでした。この時、時計の針は8時を過ぎていましたか。吹奏楽部の面々の頬にも涙が流れていました。これだけでもすばらしい感動でしたが、川崎北の感動はこの後もまだまだ続いていくのでした。
岸 根 000 001 010 001|3
川崎北 101 000 000 002|4
<平成2年7月19日>
2回戦
対寒川高校戦
寒 川 002 000 001|3
川崎北 030 220 00×| 7
<平成2年7月22日>
3回戦
対津久井浜高校戦
津久井浜 100 100 000 | 2
川 崎 北 200 100 00×|3
河原が津久井浜打線を散発5安打、10脱三振に抑える好投。ピッチングも安定してきました。
<平成2年7月24日>
4回戦
対横浜商大高戦
迎える4回戦、対するは神奈川県下屈指の私学の強豪、横浜商大高校。正直なところ、ここまでかなって思ってました。4回戦までよく頑張ったし、どんなに北高が力をつけてきているとはいえ、商大にはまだまだ勝てないなと思ってましたから。この日は私用があって、球場に応援に行くことが出来なかったのですが、自宅に帰ってNHKの6時のニュースで高校野球の地方大会の速報がやってたので、多分負けてるだろうってみてみたところ、なんと川崎北が、横浜商大に5−0の完封勝ち。河原は横浜商大打線に散発3安打、8奪三振のすばらしいピッチングをしたということでした。
「まさか・・。北高が商大に勝つなんて・・・。」
この時はあまりの驚きに我を忘れていました。
横浜商大 000 000 000 |0
川 崎 北 201 010 10×|5
<平成2年7月26日>
5回戦
対山北高校戦
そして迎える5回戦、対するは県立最強のチームといわれる山北高校。平成元年のベスト4で、この年も本格派のエース平内と、3回戦の豊田高校戦ではノーヒットノーランを記録した矢上を擁して破竹の勢いで勝ち進んできた強力なチームでした。
「商大には勝ったけれど、どう考えても山北には勝てっこないよ・・・。」
と自信なさげに試合の行われる相模原球場に北高の応援。しかし予想とうらはらに山北先発・矢上を捉えた北高打線に加えて河原のすばらしいピッチング。なんと、豪打山北打線に2安打10奪三振の快投。3−0とまたも、川崎北の勝利。強豪を次々と打ち破る川崎北の姿に僕は驚き以外の何もありませんでした。
川崎北 210 000 000|3
山 北 000 000 000|0
そして迎える平成2年7月27日、神奈川県大会準々決勝、対するはこの大会第一シードとして破竹の勢いで勝ち進んできた、厚木高校。そしてこの時の厚木高校のエースが、現在の横浜ベイスターズ、川村丈夫でした。そして燃え滾る暑さのなかで、河原純一、川村丈夫という二人の投手の壮絶な対決が繰り広げられるのでした。
<平成2年7月27日>
準々決勝
対厚木高校戦
平成2年7月27日、平塚球場。神奈川県大会準々決勝、川崎北高校対厚木高校。大会屈指の好投手、河原純一、川村丈夫の先発で始まったこの試合は期待を裏切らない大投手戦となりました。
ここで厚木と川崎北のオーダーを紹介
| 川崎北高校 | 厚木高校 | |
| 8.北沢 俊夫 6.朝西 史徳 5.橋本 昌彦 9.下村 寿樹 3.渡辺 隆氏 2.下平 浩二 7.磯部 渉 4.茨木 真樹 1.河原 純一 |
2.上甲 慶 5.飛鳥井 功 6.長谷川 真 1.川村 丈夫 8.都築 孝夫 9.磯木 哲也 4.黒崎 渡 7.阿部 順一郎 (7.牧島 由亘) 3.広木 和雄 |
|
| 監督:加賀谷 実 | 監督:板垣 肇 | |
一塁側に陣取るは、厚木高校の大応援団。平塚球場の一塁側をくまなく埋め尽くし、球場全体にとどろきわたる大声援。
「厚木っ・・・、厚木っ・・・・。」
チアガールのポンポンが厚木高校のブラスのオリジナル曲にのって華麗に揺れ動きます。
「かっせ、かっせ、川村っ、北高っ、倒せ―っ!!!」
三塁側に陣取る川崎北高の応援団も、厚木高校の大声援に負けじと力の限りの応援がなされます。試合は白熱の大投手戦。川崎北は再三得点を挙げるチャンスに恵まれながら、厚木高校のセンター都築選手の超ファインプレーなどの厚高の堅い守りに阻まれなかなか得点できず。5回の裏に厚木高校が1点を先制、対する川崎北も8回表に好投手川村から1点を挙げ、1−1のまま試合は延長戦に突入。延長戦以降は絶えず厚高ペース。豪腕川村が川崎北高打線をパーフェクトに抑えこむ凄まじいピッチング。打線も河原からヒット連発。対する川崎北は大苦戦。川村を全く打ち崩せず、河原も、再三のピンチにあいながらも、ここぞというところで厚高打戦を抑えこみ、何とか凌ぐという感じ。
「ああ駄目か・・・。ここまでか・・・。」
12回、13回、14回、燃え滾る暑さの中、延長戦は果てしなく続いて行きます。僕はスタンドから苦しむ北高ナインの姿を見守りました。
「ここまで頑張ったんだ。もういいよ・・・。」
北高の選手一人一人にそう話しかけたい気持ちで一杯でした。しかし河原も、他の選手達も最後まであきらめないという気迫に満ちていました。迎えた延長15回裏、厚木高校ワンナウト2塁と、一打サヨナラのチャンス。河原が2塁に牽制球を投げたと見せかけて、これを川崎北2塁のキャプテン朝西が外野へ後逸したと見せかける絶妙なプレイ。ボールは河原のグローブの中にありました。見せかけの牽制だったのです。これをエラーと勘違いした厚木高校2塁ランナーのキャプテン長谷川は3塁へ暴走。2・3塁間でタッチアウトとなりました。これはすばらしいプレーでした。このプレーをTVKの中継で解説していた向上高校野球部監督の勝井直幸先生はこのプレーについて絶賛していたそうです。延長戦に入って絶えず厚木高校のペースで試合が運んでいましたが、意外や意外、勝利の女神は川崎北の方へ微笑みかけてきました。迎えた延長16回の表、ここまで北高をパーフェクトに抑えこんでいた川村が、北高1番北沢にストレートのファーボール。塁に出た北沢はすかさず盗塁を決め、続く2番朝西はきっちりバントを決めてワンナウト3塁と川崎北高の絶好のチャンス。そして続くは初戦の岸根高校戦でサヨナラタイムリ−を放った3番橋本。この橋本が、川村から三遊間を抜けるタイムリー放ち、これを厚高レフトの阿部が後逸。ボールが外野へ転転としている間に橋本は一路ホームベースへ。川崎北が3−1と逆転に成功。そして16回裏も、河原が磯木、黒崎、牧島と続く厚高の打線を気迫のピッチングで切って取り延長16回に及ぶ大熱戦は川崎北の勝利に終わったのでした。この時の球数ですが、厚木・川村は199球、川崎北・河原は240球とのことでした。平成11年夏の甲子園準々決勝、PL学園と横浜の延長17回の大熱戦。横浜・松坂とPL・上重の壮絶な対決は、まさにこの河原、川村の対決そのものでした。
「是非、甲子園へ・・・。」
試合後、川村が河原に、そう話しかけたそうです。
「あのへっぽこチームがこんなにすばらしい試合をするなんて・・・。」
僕は目頭が熱くなってきました。試合後、球場の外で加賀谷先生と会いました。吹奏楽部のみんなは祝福の言葉をかけてましたが、僕は加賀谷先生に、「甲子園にいってください」というと、加賀谷先生は、笑顔で、「ハイ!」と答えてくれました。この時僕の頭の中は甲子園一色でした。
川崎北 000 000 010 000 000 2 |
3
厚 木 000 010 000 000 000 0
|1
<平成2年7月29日>
準決勝
対神奈川工業高校戦
いよいよ迎えた準決勝。対するは県立の雄、神奈川工業高校。この大会の第3シードで、5回戦では現横浜ベイスターズのスラッガー鈴木尚典を擁し猛威を振るった横浜高校を破り破竹の勢いで勝ち進んできたチームでした。横浜スタジアムは3万人の大観衆。両校ともちからの限りの応援がなされます。一塁側に陣取るは神奈川工業高校。神工名物、チアボーイ(^^;)での応援。チアボーイのポンポンが1塁側に大きく揺れ動いてます。対する、3塁側に陣取る川崎北も、神工に負けじと大声援がなされます。
「かっ飛ばせー橋本、神工倒せー オーッ!!!」
すばらしい応援が両校とも展開されます。ここまで奇跡のごとく勝ちすすんできた川崎北でしたが、北高野球部にここまで微笑んできた勝利の女神もここで姿を消しました。体力的に限界だった河原に神奈川工業打線が襲い掛かりました。河原はカーブを投げるのが精一杯。
「河原っ 河原っ・・・。」
北高の応援席からは河原への大声援、しかし3回に神工打線が河原から3点を奪うと、河原はここで降板。川崎北も4回に1点、6回に3点を神工先発、吉田から奪い4−3と逆転に成功しましたが、河原をつなぎ好投していた小林から神工打線は9回表2点を奪い5−4と神奈川工業に敗れ、川崎北の夏は終わったのでした。しかし川崎北のスタンドの応援席からは北高ナインをたたえる、おしみない拍手が絶えなく続いていたと記憶しています。
神奈川工業 003 000 002|5
川 崎 北 000 103 000|4
今でも、あの夏のすばらしい出来事は、僕の心の中で生き続けています。残念ながら甲子園に行くことが出来なかった川崎北高校野球部。しかしあの夏は多くのすばらしい夢と希望を与えてくれた、すばらしい時間が過ぎて行きました。それに僕が、「川崎北高野球部の偉大なる一日」と言いたい、平成2年7月27日、河原純一、川村丈夫という二人の投手のすばらしい対決は、これからも永遠に、僕の心の中で生き続けて行くでしょう。永遠に・・・
1999年5月2日 written by T.M