ゴーストロケット







1946年の6月から8月にかけて、スウェーデンをはじめとする北欧一帯では、上空を飛行する不審な飛行物体の目撃が相次いだ。  目撃者の証言によれば、物体は銀色に輝く円筒形で、飛行機などに見られるような翼等を一切持たなかった。  そして、後部から煙や炎を噴出しつつ、雷鳴にも似た轟音を轟かせて飛行するという。

それらは、上空を一直線に飛行する事もあれば、不意にUターンし、元来た方向へと向き直して飛び去ることもあった。  スウェーデン・フィンランド・ノルウェー等、スカンジナビア半島全域から寄せられた、 数百件にも及ぶ目撃報告を総合すると、謎の飛行物体はロケットである可能性が高かった。

だが、近隣諸国でロケットが発射されたという情報はなく、時折、物体が湖に墜落したという知らせを受けては、 その都度、軍が出動し大掛かりな捜索を行ったものの、何故か残骸は何一つ発見されなかった。  謎は解明されぬまま、不審な「ロケット」の目撃者は日を追う毎に増加してゆき、 いつしか市民の間では、「ゴーストロケット」と呼ばれ、恐れられるようになっていった...

現在までに幾度かオカルト誌等に、この様な奇怪極まる「ゴーストロケット」の伝説が掲載されたことがある。  謎めいたこの物体が、翼を持たない円筒形であることから、 オカルト好きな人々の間であれば、俗に言う「葉巻型UFO」の目撃等とも囁かれようが、 今日、北欧諸国を騒がせたこの「ゴーストロケット」を、UFOとして捉えている者はごく少ない。

ゴーストロケットの目撃者達は概ね、蜂の羽音を思わせる奇妙なエンジン音を耳にしたと証言している。  これも、UFOの特徴と奇妙にも一致するが、戦争が終わってまだ間もない時代、この怪音は 人々にある物を想起させずにはおかなった。 







  それは第二次大戦中、連合国軍を震撼させたナチスの新兵器、V1飛行爆弾である。  世界初のミサイルとも評されるV1飛行爆弾は、1944年6月から翌年5月に至るまでに、 計1万発以上がイギリス本土に向けて発射された。

不意に飛来して多数の死傷者をもたらし、効果的な迎撃手段の見当たらない  (※戦闘機や対空砲火、阻塞気球等により撃墜し得たのは、全体の4割にも満たなかった。) V1飛行爆弾は、 その動力であるパルスジェット特有のエンジン音から、「ブンブン爆弾」と仇名され、 イギリス国民を恐怖に陥れていた。

北欧の、とりわけスウェーデンでは戦争中既に、ペーネミュンデにあるドイツ軍の兵器実験場から試射されるロケットが、 日常的に目撃されていた事もあり、真っ先にナチスのロケットが、「ゴーストロケット」の正体として疑われたのである。







  ペーネミュンデの実験場は戦後しばらくの間、崩壊したナチスに代わり、ソ連軍が管理していた。  大戦中、そこで開発されていたロケットの多くは、ナチス親衛隊の手による破壊も間に合わず、 そのまま放置されていた。

当時、まだ他のどの国にも造り得なかった、それらの最新兵器群に彼らが興味を示さない筈も無く、 すべてが戦利品として押収され、ソ連領内へと運ばれた。  また、ソ連軍進行時、未完成状態にあった物は、そのまま開発を継続するよう命じられた。  無論、ソ連軍による厳重な監視の下で、である。

そして完成すると同時に、開発に携わった技術者共々何処かへ持ち去られるか、 ペーネミュンデの実験設備を利用して、即テスト飛行が行われた。  これは、アメリカのように自国に持ち帰り、新たに実験設備を構築するよりも、 既存の設備に修復を施し、使用する方が遥かに合理的と考えられたからだった。

こういった行為は他にもレヒリン等、様々な地で行われたことであり、ソ連に限らず、イギリスも ダルムシュタットやゲッティンゲンにおいて同様に振舞ったと伝えられている。

つまり、ソ連がドイツから押収した数々のロケットの中には、終戦までに完成しなかった、もしくは、 一度も試射されることなく敗戦を迎えたタイプが少なからず存在しており、 それらが戦後、ソ連軍指揮下のペーネミュンデ、或いはソ連領内から、周辺諸国への事前通達無く試射され、 北欧地域にゴーストロケット騒動を巻き起こしていたと考えられるのだ。  







但し、そのロケットがどのような物だったのか、現在でもはっきりとした結論には至っていない。  目撃報告によれば、大きさは戦時中に実用化されたV-2よりもやや小型な物から、数分の一程度の大きさの物まであり、 その形状も様々だったようだ。 また、航続距離は少なくとも3千〜4千マイルと見積もられていた。

北欧諸国の政府は無論、これら「ゴーストロケット」の正体について熟知していた。  物体はレーダーにもしっかりと捉えられていたし、物体がソ連領内から発射されたものである事は、 その軌道からも明白だった。

「ゴーストロケット」がスウェーデンの湖に墜落した時も、直ちに数百名の兵士を動員して一帯を封鎖し、湖底の浚渫作業にあたっていた。 そして、回収された残骸はすべて、人目につかぬよう夜の間に何処かへと運び去られた。

それ故に後日、一般人が湖をくまなく探索したところで、当然ながら、微細な金属片以外には何も見つからなかったのだ。 発見された金属片は、隕石には含まれていないはずのマグネシウムだったが、微量過ぎた為、あまり有力な証拠とはならなかった。   

また、ユトランド半島・デンマークの人々にとっても、「ゴーストロケット」は恐怖の存在であった。  物体は、しばしば民家の近くに落下しては炸裂、家屋を破壊し、多くの人々を殺傷していたからだ。  デンマーク政府は北欧諸国の対応に倣って、隕石説を主張したが、それを鵜呑みにする者など無かった。 







「ゴーストロケット」被害に見舞われた国々が一様に、ソ連に対して何等抗議する事無く、表向き平静を装っていたのは、 大戦直後から始まった米ソ超大国間の対立という、不穏な空気に満ちた世界情勢に配慮した為と考えられている。

スウェーデンやノルウェーでは、政府からマスコミに対し「ゴーストロケット」に関する報道を差し控えるよう 通達が為され、戦後も内政干渉などソ連の脅威に晒され続けていたフィンランドでは、検閲が徹底され、 公の場で「ゴーストロケット」について論じる事も禁止されていた。

  だが、ソ連は発射したロケットを、スカンジナビア半島に雨あられと降り注がせる意図は持っておらず、その多くは、再びソ連領内へと引き返していった。  会談が行われた8月以降「ゴーストロケット」の目撃は次第に減少していく。  

冒頭で触れたような「ゴーストロケット」の伝説は、あくまで後年の作家達による創作に過ぎず、 実際には、戦慄すべき事柄など何一つ存在しなかったのである。  むしろ戦慄すべきは、戦火が止んでなお、ナチスの亡霊に苛まされ続けた人々がいたという事実だろうか。       




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