噴進飛行体







1952年、南米ペルーにて奇妙な飛行物体が撮影された。

事件を報じた、同年8月15日付のリマ紙「エル・コメルシオ」によると、 物体は、同年7月19日の午後4時半頃、プエルト・マルドナドの上空に現れた。  物体を撮影したのは当時、隣国ボリビア国境付近の事務所内にいた税関職員のドミンゴ・トロンコソ氏である。

目撃した人々の証言によれば、物体は強烈な光を発する円盤で、先端もしくは中央部がオレンジ色に輝き、直径約100フィート以上もあった。  そして、機体後尾から何か白い気体を噴出しつつ、約2500〜3000フィート上空を、 北から南へと一直線に駆け抜けていった。

それはわずか1、2分の出来事だったが、物体が飛び去った後には煙か蒸気のような航跡が残され、 15分以上にも渡って、空を漂い続けていたという。

また、不思議な事に、物体が上空を通過する際、プエルト・マルドナド市内の ありとあらゆる無線やラジオが不通になってしまったという。

これは、UFO出現時にはありがちなEM効果によるものだろうか?  この様な現象は、プエルト・マルドナドから遠く離れたマドレ・デ・ディオス地区でも報告された。 







  同地区の農場に従事する、農業技術者のペドロ・バルディ氏は当時、無線を使ってリマ市内の知人と連絡を取っていた。  だが、午後4時半を目前にした頃、何故か突然無線が通じなくなった。

と同時に、ふと上空から、「ブ〜ン」という虫の羽音の様な奇妙な音が聞こえ始めた。  農場主のペドロ・アレラノ等、数名の仲間達と共に、小屋の窓から空を見上げてみると、 遠方の空から、白煙をなびかせつつ近づいてくる、何か大きな物体が目に入った。

物体はかなりの速度で飛行しており、彼らの頭上を瞬く間に過ぎ去っていった。  それから僅か4分後に、物体はポルト・マルドナドにも姿を現していることから、 その速度は、時速にして約1117マイル以上と推定された。







  物体は極めて低い高度 (※バルディ氏の証言によれば、高度約100m) を飛んでいた為、 その形状は肉眼でもはっきりと捉えられたという。  大きさは米・ダグラス社の旅客機DC−3よりやや小さいくらいだが、 形については、普段見慣れている飛行機などとは似ても似つかぬ円盤型で、全体的に丸みを帯びていたという。

事件には、アメリカ軍も深い関心を示し、ペルーに駐在していた空軍大佐マクヘンリー・ハミルトン氏や諜報員らによって、 報告書が作成された。

その報告書は、「エル・コメルシオ」の記事をそっくりそのまま写した物だったが、 事件の信憑性については、「疑わしい」と記述されていた。  物体の飛行速度が飛行機と同程度であることや、証拠写真が1枚しか存在しないことをその根拠としているが、実際には、全部で3枚が存在していたらしい。  







写真はそれぞれ3名の異なる人物の手により撮影されたもので、そのうち1枚は、先述した税関職員のドミンゴ・トロンコソ氏 による物である。

そして、残る2枚の内1枚は、プエルト・マルドナド市内の学校教師が撮影した者である事が判っているが、 何故か、いずれも非公開扱いとされてしまった。  事件後に行われたペルー政府と米外交官との協議で、捏造品と判断された為とも噂されるが、真相は不明。

だが、報告書に示された政府の見解は別として、同事件を懐疑的に見る物はごく少数であるようだ。  まず、事件当時は白昼であった為に多くの目撃者が存在し、一部の人々によるヒステリーとの指摘はあたらない。

また、「物体とその噴出煙は、マドレ・デ・ディオス地区を流れる川の水面にも鮮明に映し出されていたから、 何らかの物理的な存在であった事は確か。」 と証言する者も多かった。

  また、物体が通過した後に残された白い航跡が、時間と共に次第に降下し、地上付近にまで達した時、 それらが煙や蒸気などではなく、細長い繊維状の物質である事が判ったという。  この物質とは、一体何だったのだろう? 


<訂正>
本項において、物体を噴進飛行体などと称しましたが、物体は必ずしも、ロケットのようにガスを噴射した反動で、推進力を得ているものとは限りません。 




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