V字型発光群
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「私は空飛ぶ円盤と危うく空中衝突しかけた事がある...」 アメリカに住む、ある年老いた男性はこう述懐した。 それは1947年の事だったという。 当時、彼は米空軍に籍を置き、第二次大戦後、日本の東京 府中市にある、極東航空資材司令部(FEAMCOM)に配属されていた。 同年7月、彼は上官からの命令により、新器材受領の為、アメリカ本国 ペンシルバニア州のミドルタウンに所在する航空兵站センターへと回航される、1機の軍用機に同乗する事になった。 その軍用機はB17G型という大型爆撃機で、米本国において、機の爆弾倉部に救命用ボートを搭載する為の改修(※B17H又は、SB17と称されるタイプらしい)が施される事になっていた。 |
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彼が奇妙な物体に遭遇したのは、その帰還途上においてである。 それは同年7月16日、午後3時半、同機がユタ州の上空に差し掛かった時だった。 帰還飛行時、視界の良いグラスノーズに搭乗していた彼は、眼下に広がるソルト・フラット(塩の平原)
から、ふと何か大きな物が舞い上がった事に気が付いた。 目撃当初、彼はそれを平原から飛び立った白く大きな鳥、もしくはその群れに違いないと思った。 尤も、その物体は鳥にしては余りに巨大に過ぎていたのだが。 |
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そして物体が、その姿かたちを完全に把握できる距離まで近づいてきた時、彼は驚きの余り声を失ってしまった。 なんとあろう事か、それは光り輝く巨大な円盤の群れだったのだ。 群れは、それぞれ3機ずつに区分され、全部で9機、B17とほぼ同サイズの、見事なV字型フォーメーションを形成していた。 ところが、謎の編隊は既に目前まで迫ってきているというのに、乗機は何故か回避行動をとろうともしない。 「もはや衝突は避けられまい...」 証言者が死を覚悟した、その時だった。 それまで猛然と突っ込んできた編隊は、不意に進路を変え、俄かに上昇しつつあった機の左翼をかすめ、そのまま何処かへと飛び去ってしまった。 |
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すんでのところで衝突を免れ、一命を取り留めた彼は、驚きと恐怖の余りしばらくは声も出すことが出来なかったが、ようやく平静を取り戻すと、すぐさま背部のコクピットへと駆け上がった。 そして、コクピット内の機長らに、不明機による異常接近を受けた事や、その物体の形や大きさ等を事細かに報告したうえで、何故、回避機動を行わなかったか? と問い詰めた。
ところが、呆れた事に彼らは全くそのような物体を見ておらず、物体による異常接近にも全く気が付かなかったという。 挙げ句には、陽光や機内灯の反射を見間違ったのでは? と笑われる始末。 念のためレーダー観測員にも確認したが、別段反応は見られなかったとの事だった。 勿論、納得の行かなかった彼は、着陸後に改めてクルー全員に問いただす事にした。 すると、唯一飛行機関士のみが、それを目撃していた事を告げたという。 「大きな円い光の連なりが、物凄い速度で地平線の彼方へと消えていった」と... |
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折しも、その頃米本国では、空飛ぶ円盤騒動が巻き起こっていた。 証言者の体験から遡る事約1ヶ月、米ワシントン州 カスケード山脈 レーニア山の上空で、かの有名な
ケネス・アーノルド事件が発生していたのだ。 けれども、大戦終結後フィリピン、そして日本におよそ1年半にも渡り滞在していた彼(証言者)は、そのような母国の内情については知る由もなかったという。
任務終了後、彼(証言者)はその日の体験を決して忘れぬよう、2枚の紙に書き記した。 1枚は財布に入れ、肌身離さず持ち歩き、もう1枚は丈夫な箱の中にいれて、今日まで大事に保管してきたという。 そして、空軍を退役してからも、事ある毎にその不思議な体験を、自分の家族や知人、友人たちに語ってきたという彼は、今でも、たった一つだけどうにも悔やまれてならない事があると話す。 「実はあの時、私は望遠レンズの付いた、軍用ムービーカメラを所持していたのです。 それは任務中、母国に滞在する僅かな間に入手した物でした。 勿論、飛行中も、それは常に私の傍らにありました。 けれども、私はその余りに不可解な光景に、しばし呆気にとられ、何もする事ができなかったのです。」 |