第二次大戦末期の1945年2月、ドレスデン空襲からの帰還途上にあったアメリカ軍のB17爆撃機12機が、 送り狼に現れた、たった1機のドイツ機の攻撃により、壊滅状態に陥ったという。

生還した搭乗員達の証言によると、その時出現したドイツ機は、それまでに見た事の無い円盤型のロケット機だった。  また、奇妙な事にそのロケット機には、通常どのような飛行機にも見られるような翼や、方向舵などが一切備わっていなかった。

ロケットは物凄い速度で爆撃機に近づいてきたが、何故か全く発砲してこなかった。  そして、そのまま編隊内を通過し、彼方へと飛び去ってしまった。

突然の襲撃に、慌てふためいた彼らがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、何等ダメージを被っていない筈の僚機が、 どういう訳か次々と機体各所から出火、炎上し始めたのである。

出火した機体は乗員もろとも、残らず大破してゆき、 後には僅か数機だけが残されていた.....




60年代末に出版された、ある書籍によれば、この報告は戦後、機密指定となっていたイタリア、イギリス軍の 諜報記録の中から発見されたという。

報告書はそもそも1945年、スイスに駐在していたフランス人外交官の手により作成されたもので、 当時、アルジェリアに亡命していたドゴール政権の、自由フランス軍諜報総司令部へと送られた物だった。

だが、その途中、報告書はイタリア軍に奪われてしまった。  通信を入手したイタリア軍は、それをカスティリョーネ・デラ・スティヴィアーレの SID(イタリア防諜機関)司令部に持ち込み、全てを解読することに成功した。  そして、それらが後に進攻してきたイギリス第8軍に随行していた英諜報部隊の手に渡ったのだという。

真偽はともかくとして、「フライング・フォートレス」という名の示す通り、防弾防火装置の完備による卓越した防御力を誇るB17が、 たった1機の戦闘機に、それも銃火器を全く使用せずに、複数機が撃破されたなどと、俄かには信じ難い話である。  「円盤型のロケット」とは一体何だったのだろうか?




ドイツのロケット機と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり「史上初にして唯一のロケット戦闘機」と評される 局地戦闘機メッサーシュミットMe163Bだろう。

最大時速950kmの超高速で飛行する同機は、円盤型という点を除けば、 イメージにぴったりだ。 この際、多少の差異は、パイロットの誤認等として片付けてしまいたいところだが、 どうやら、そうもいかないようだ。

何故なら、Me163Bは付近を通過しただけで、標的を大破せしめる様な、超常的な能力を有していない。 例え、装備を用いたとしても、謎のロケット機が挙げた様な「戦果」を成し遂げることは不可能だろう。

Me163Bは武装として、MK108・30mm機関砲を両主翼に各1門ずつ装備していた。 この機関砲はB17などの大型爆撃機に対しても、十分な威力を持っていたとされるが、弾数は2門合わせても、たかだか120発に過ぎない。  堅牢なB17を複数機撃破するには、どう考えても不足だろう。

  また、Me163Bは当時としては並外れた高速機であるが故の、新たな問題を抱えていた。  最大時速950kmのMe163と、時速400km程度の連合軍爆撃機では、その速度差は500km以上にもなる。

つまり、MK108機関砲の有効射程距離600mにてターゲットを捕捉、衝突を避ける為、回避操作を行うまでの 僅か2〜3秒間の間に照準・射撃を、それも、従来のレシプロ戦闘機向けの器具を用いて行わなければならなかったのだ。

これでは、よほど優れた技術を持つパイロットでなければ、撃墜はおろか、命中弾を与えることすら難しい。  例え反復攻撃を行うにしても、最大で僅か8分の航続時間は短すぎたろう。






とはいえ、それらの問題について、何等の対策も講じられなかったわけではなく、 1944年には「SG500」ヤークトファウストと呼ばれる50mm口径のロケット弾が開発された。

これは、陸戦用対戦車兵器「パンツァーファウスト」の考案者である、ラングワイラー博士により考案されたもので、 Me163Bの両翼付け根付近に各5本ずつ、計10本のロケットランチャーを垂直に取り付け、 敵爆撃機の下方を高速で通過すると、その機影を内蔵された光電池が捉え、自動的に射出されるという仕組みになっていた。

このヤークトファウストは、88mm高射砲に匹敵する威力を持つとされ、テストの結果も良好であった為、 44年末までに、計12機のMe163Bに装備されるまでに至った。  

それ以外にも、1945年2月には、Me163B配備部隊JG400のアドルフ・ニューマイヤー少佐の発案により、 爆撃機編隊への攻撃に極めて有効な、R4M55mm空対空ロケット弾が両翼下面に各6発ずつ、計12発が取り付けられ、 テストされている。

実際のところ、これらの武装は様々な事情(※後述)により、 結局、一度も使用されること無く敗戦を迎えたといわれている のだが、もしも、実戦で使用されていれば、円盤ロケットのように 「驚異的」とはいかないまでも、そこそこの戦果は挙げ得たのではないか。

「銃火器を用いず」は脚色と捉え、記録に表れない戦史があっても良いはず.... 等と結論してしまいたいが、やはりそうはいかないのだ。








1944年5月以降、ヨーロッパ戦線上空に突如として姿を現したMe163は、連合軍を震え上がらせた。 ロケット飛行中の同機を、従来のレシプロ戦闘機で捕捉撃墜することは不可能であり、大きな脅威として捉えられたのだ。 だが、それも長くは続かなかった。

連合軍は、Me163Bの航続距離が極めて短いことを知るや、 同機が配備されているバート・ツヴィナシェーン、ブランディス両空軍基地周囲を迂回飛行する作戦に出た。  これにより、足の短いMe163Bは連合軍に対して、手も足も出せなくなってしまった。

特殊な燃料や、コンクリート舗装された滑走路を必要とするMe163Bを運用できる基地はごく限られており、 部隊の移転など容易なことではなかったのである。

航続性能を向上させた、Me163C・Dの開発も進められていたが、その間、空襲の激化により、 燃料工場や、それを輸送する鉄道網が被爆、Me163Bの運用計画は完全に頓挫してしまった。

つまり、謎のロケットによる襲撃が報告された当時、既にドイツ上空にMe163の姿は無く、 その正体とはなり得ないという事になるのだ。








となると、他に正体の候補となり得るのは、Me163Bをさらに上回るキワモノ、バッフェムBa349や、 非武装の研究/実験機くらいしか残されていない。  Ba349とは、垂直もしくはそれに近い角度で立てられたランチャーから発進する、ごく簡易的な構造のミサイル式迎撃機である。

武装として、機首に73o口径の「フェーン」ロケット弾24発、或いはR4M55発を装備し、それなりに強力だったが、 およそ実用的な機体ではなかった。  そのうえ、初の有人発射テストは、45年3月とあるから、これはもう全く話にならない。

では、45年2月に、12機のB17を襲撃し、壊滅させた円盤型のロケット機は、やはり搭乗員の見間違い等ではなく、 未知の新型ロケット(乃至、新動力搭載の)局戦であったという事になるのだろうか?   或いは、後年の作家らによる作り話に過ぎないのか?







冒頭に触れた本の中では、その答えとなるかもしれない、ある興味深いエピソードが紹介されている。

ヨーロッパ戦線終結後の1945年夏、オーストリアで米軍に捉えられたドイツ人航空技術者数名が、 尋問中、アルプスに近いバヴァリア・オーベルアルメルガウの秘密基地内で開発されていた、あるロケット機について供述し始めたという。

彼らの証言によると、その機体はMe163などとは全くの別物で、胴体に溶け合う滑らかな円盤型の翼を有しており、格段に速かった。  それは、敗戦までの僅か数ヶ月の間に、幾度か連合軍の爆撃機に攻撃を加えた。  だが、まもなくして連合軍が目前へと迫ると、押収を避ける為に、それらは直ちに破壊された。  製作途中の機体や資料をも含む全てが、慌しく処分されていった.....

この話を全て裏付ける程の有力な証拠とはならないが、文中に登場する、 バヴァリア・オーベルアルメルガウの秘密基地については少なくとも事実であるといえる。

確かに、当時そこにはメッサーシュミット社の、それもロケット機がらみの秘密工場が存在していた。 そこでは、世界初のジェット戦闘機Me262を手がけたヴォルデマー・フォルクト博士らが、円盤機ではないが、 Me163Bの発展型である、Me163Cを開発していたとされている。 (※44年末までに3機が完成した後、開発中止) 

こういった事実を踏まえると、上記の証言も、やや真実味を帯びて聞こえてきはしないだろうか?
 「それはお前だけだろう。」 との声も聞こえてきそうではあるが.....