■非属の才能(光文社新書・山田玲司著)
(2008年2月13日執筆)
山田玲司先生が光文社新書より発表された著書「非属の才能」についての書評です。
ネタバレ有りなので、未読の方はご注意を。
はじめに
絶望に効くクスリで対談した各界のビッグネームがずらり。
改めて、山田先生の対談した相手の多さと質に驚かされる。
僕も昔、漫画家を目指していたことがあった。
授業中に漫画のアイデアを考えたりしていたという先生。
その気持ちは凄く解る。漫画のネタを考えたり、
図書館から借りた小説をひたすら読んでいた。
もちろん、叱られたし、本を取り上げられた。
クラスメイトからも「いけないと思います!」と帰りの会で吊るし上げられた。
それでも、僕はそれを高校卒業までやり続けた。続けてしまった。
そんな僕も、恐らくは非属の才能の持ち主なんだろう。
とは言っても、その生活は、正直言ってかなり苦労した。
先生からはケシカランと言われ、同級生からはヘンな奴、
ネクラ、オタクと呼ばれたものだ。
まあ実際、オタクだし、まして10代の僕は酷く斜に構えて、
非社交的なところがあったからからかわれたりするのも、
無理はなかったと思う。
これから、この本を読み進めていくけれど、
まず大前提として、僕は、
「非属は苦しい、非属を貫くにはまずタフさが必要だ」
と、そう思っていることを、ここに記しておきたい。
第1章 誰のなかにも「プチ佳祐」がいる
・俳句の感想のエピソード。
話に感情移入しやすい僕はここで既に教師に半ギレである(笑)
まあ、僕自身も小学生の頃、虹の絵を描いて、そこにネズミ色を混ぜたため、
こっぴどく叱られた。教師曰く「ネズミ色の虹など無い」
確か、その時は、空が少し薄暗かったように記憶している。
そんな空と虹の交じり合いを、子供ながらに表現したかったのだろう。
こういう場合、教師ってやつは頭ごなしの否定しかしない。
「絶対にない」「そんな表現は許さない」「反論するな」「ふざけるな」
……まあ、そういう先生ばかりじゃない、と思いますけれど。
もっとも僕は、頭ごなしの否定をしない教師というのに、
長い学生生活の間、ついに出会えませんでしたが。
・同調さえしておけば無難
たぶんこの考えは、農耕を基本とした村社会になった頃からの、
日本の伝統だろうと思う。更にその後、徴兵制度が明治になってから導入され、
ますますその空気はできあがったのだと、僕は思っている。
……この同調圧力は、あるいは、教師よりも若者のほうが大きいかもしれない。
KY(空気読めない)に代表される空気という言葉に、強く求められるノリ。
みんなでスポーツをやり、友達を作り、恋愛を楽しむ。ここまではいい。
しかし、スポーツは当然できて、友達の誘いは断らず、10代半ばにもなれば、
彼氏や彼女を作り、遊びまわり、クルマの免許をとってクルマやバイクを楽しむ。
アルバイトをして、携帯を持つのは当たり前。
そんな空気がある気がしてならない。
高校時代、
「高校生にもなってオンナおらんとかやばくね?」
「高校入ったのになんでケータイもたんの?おかしくね?」
こんなセリフを、言われたこともあるし、又聞きもした。
思いついたので更に話を書きたい。
例えば親世代から求められる能力や人格としては、
・常識を持つ。
・目上、年上の者を敬う。
・勉強をする。
・スポーツもやる(集団競技であればなお良い)
・礼儀正しくある。
・周囲との和を大切にする。
・不正をしない。
・いい学校に進学する。
・いい会社に就職する。
・20代のうちに結婚する。
人や家庭によって差はあると思うが、まあこんなものだろう。
これに対し、若者が、同世代から求められる能力や人格としては、
・明るい
・話題が豊富
・ノリがいい
・お笑いが好き
・スポーツが好き
・高校生以上なら彼氏、彼女がいて当然。
・携帯電話を持つ
・クルマやバイクが好き
・カラオケのレパートリーがまずまずある。
・ボウリング、ビリヤード等が出来る。
僕が高校時代から大学時代にかけて、周囲から求められているという印象は、
まあこんな感じである。
もちろん、この限りではないし、「いや自分はそうではない」という方も、
たくさんいらっしゃるだろう。
僕が言いたいのは、最近の人は「これができて当たり前」というものを、
あまりに多く求められてはいないだろうか、ということだ。
「これができて当たり前」「これが世間の常識」
これを、山田先生は同調圧力という。
そういったものを、今の時代に生きる人は、求められすぎている。
上の世代からは上の世代の常識を求められる。
これは昔からあることだ。
しかし今は同世代からも、いや、あるいは社会全てから、
強烈な同調圧力をかけられるのだ。
「これが正解」「これがふつう」「これがあたりまえ」「これが常識」
という同調を、教師は毎日これでもかというほど生徒に押しつけてくる。
以上は非属の才能第1章の一文だが、「これが常識」を、
今の我々は上の世代から、同じ世代から、そしてマスコミから、
押し付けられている。そして、同調圧力に弱い日本人は、
それに応えようとして、どんどん苦しくなってはいないか。
「勉強し、スポーツもでき、学歴は高く、就職もばっちり。
礼儀正しく、見た目もよく、常識もあり、目上にも印象が良い」
「それだけではない。明るく、話題が豊富で面白い人だ。
ノリがいい。付き合っていて楽しい」
こんな人間になど、そうそうなれない。
恐らくはまじめな人ほど、周囲の期待(圧力)に従って、
そしてプレッシャーに耐えられなくなり、発狂してしまう。
若い世代が昔に比べて精神的タフさがなくなっているという意見もあるけれど、
僕はこういう風に思っている。
・同調の限界はたかが100点満点
さあ、そんなときこそ非属の才能を発揮し、
周囲の同調圧力など吹き飛ばすなり無視するなりしてしまえ、
俺は俺の道を行く!!
……それができれば苦労はしませんぜ、山田先生。
前述の通り、非属を貫くには相当のタフさが必要だと僕は思う。
僕は非属の才能の論を決して否定してはいない。
それが実行できれば、どれほど良いことか。
俺の歩む道、それ即ち王道とばかりに行ける人間、
そうは、なかなかいないんです。
同調の限界は100点満点といいますが、
僕を含めて大概の人間は50点とか60点なんです。
いわゆる偏差値でいえば45〜55あたり。そのへんが一番多いんです。
真のはぐれ者ってのはこれが意外と少ないもので、
大概は類は友を呼び、つるんでいく。
親世代の期待は背負えても同世代の圧力には応えられない。
こういう形がオタクとかになったりして、
同世代には応えても親世代には応えられない。
これが例えば暴走族とかヤンキーとかになったりする。
まあ、極端な例ですがね。
第2章 ブルース・リーになる試験はない
・バーキンはただの鞄
ブランド物といえば女性、という方程式もいまや崩れ、
男もブランド物を求めたりする時代。
カネが無い人間は韓国なんかで偽ブランド品(違法)を買ったりする。
また女性がみんなブランド好きという方程式も崩れ、
買いあさる人は買いあさる、そうでない人は全く買わない、
みたいになってきている。
・そんな漫画なんてどうでもいい
この一文がなくても話は成立する。書かなくてもいい一文だと思う。
・子供に凡人のタグをつける親
これはなんていうか、仕方が無いんですよ。
僕も含めてたいていの人間は凡人ですから。
確かに子供には優れた感性があるし、
それを押しつぶすのはどうかとも思いますけど、
じゃあ全く放任すれば立派に個性が伸びるかというと、
そうでもないですし。とんでもない人間になっちゃう場合もある。
答えなんかないんです。
そもそもほとんどの両親が子育てなんか一生に数回しかしませんし。
初めての子育てとかなら、それはもう四苦八苦、
どうしたらいいかわからない。自分の両親や子育て本、
先に子供を作った友人や知人に聞きながらおっかなびっくり育てる、
てのが現実なのではないでしょーか。
福沢諭吉の母親なんかは「手本は見せるが強制はしない」っていう方針で、
諭吉を育てたそうですが、僕はこの方針が個人的には良いのではないかと思っています。
・自分の価値観は自分の世代で終わり、
自分の人生は支えてくれたかもしれないが、
子供の人生は子供が考えるものだから邪魔はしない。
山田先生のお父さんの言葉。
名言だと思う。
これを実行するのは、親としてなかなか勇気が要ることだろう。
第3章 定置網にかかった人生でいいのか?
・過去の成功体験にとらわれない
スラムダンクの井上氏の話。
ピアスって読みきりを書いたが受けなくて、
それで今の少年達と自分の感性は違うと気付いて青年誌に行った、
とかいう話を聞いたことがありますが、どうなんでしょう。
(ピアスは僕もリアルタイムで読みましたがあんまり面白くなかった記憶があります)
過去の成功体験にとらわれないということでは、
例えば歴史作家の故司馬遼太郎が織田信長のことで、
「桶狭間で奇襲に成功した信長だが、その後、奇襲のような戦いは、
ほとんどやっていない。相手より大勢で戦っている。
信長という男の凄みが、こういうところにある」
と、述べていたことが確かあります。
国盗り物語だったか、新史太閤記のどちらかだったと思いますが失念しました。
桶狭間以降の戦いで信長が相手より少ない人数で戦ったのは、
天王寺砦の戦いぐらいだったと記憶していますが、
確かに過去の前例にとらわれず戦った信長はすごいと思います。
ところでこの項にある「昔のアイドルのさよならコンサートDVD」
を大人買いするのは単に懐かしいという人がほとんどだと思います。
第4章 変わり者が群れを動かす
・人間は蛙よりバカかもしれない
賢者の意見は斬新で革新的であればあるほど理解されず無視されてしまうかもしれないが、
集団の中で突如革新的意見を述べれば確かにそうなることも多い。
こういう場合、例えば次の会議までに意見を、とまとめ、
そして次の会議までの時間の間に、実力者や物分りの良い人間ひとりひとりに会い、
革新的意見を述べて説得し、次の会議までに意見が通る下地を作っておく。
こうすれば、比較的、意見は通りやすくなる。
少なくとも、僕ならばそうする。
・三人寄れば場の空気で
言い得て妙。その通りかもしれない。
どこかで聞いた言葉だが、
「力が弱いやつでも100人いればそこそこの力になるが、
アホウは100人集まってもやはりアホウである。
ケンカが弱いやつ100人と強いやつ100人ならば前者が勝つだろうが、
アホウ100人が集まっても頭の良い人間1人には叶わない」
なんとなく、この言葉を思い出した。
・大学新卒一辺倒
日本企業の得意技。
新卒は無邪気なので騙しやすいとかどうとか。
きたみりゅうじ氏の著書「新卒はツライよ」にあったが、
中途採用者はほかの企業の待遇を知っているから騙しにくい、
ということらしい。
第5章 非属の扉をこじ開ける方法
・興味ないを禁句にして、とりあえず手当たり次第に興味を持ってみる。
これは凄い大切なことだと思うんですね。
「興味ない」「つまらなそう」そんなもん、やってみらんとわからんでしょうって。
昔、マリンジェットの免許をとって、やってみたら面白かったし、
(それまでは少し怖かったです)
最近になって乗馬もやってみたりした。
やってみると面白いことって世の中山ほどある。
斜に構えて「興味ない」といって自分だけの世界に篭っているほど、
もったいないことはないと、僕は思います。
この本の中にもあるけれど、行ったこと無いお店に行くってのも、
結構楽しいもんです。
隣街を散歩して、見慣れない喫茶店に入って、
コーヒーとお菓子を食べる。
これなら、まあ手間もカネもさほどかからないので、
僕はよく気分転換にやっています。
楽しいです。
(そういえば以前、新聞の社説に載っていたんだけど何かものを買うとき、
あるいは映画や漫画を観たり読んだりする前に、
興味をもったらまずネットで検索、みたいな習慣がある人がいる。
amazonだったり2ちゃんねるだったりレビューサイトだったり、
そういうところのレビューを見ることで、
とんでもない失敗や欠陥品、ダメ映画など、
いわゆる地雷を避けることができる。
確かにそれも一理あるけれど、
本当にそれが面白いかどうかは本人にしか解らない。
僕は視聴率20%越えのドラマを見てツマランと思ったことがある。
逆に数字もろくにとれてないドラマが面白いと思ったことがある。
クソゲーで有名なファミコンジャンプも楽しめるし、
クソ映画として名高いデビルマンだって素で楽しめた)
・「意味わかんねえ」がハマる罠
数学の問題を見て「意味わからん」と思うことは多々あるけれど、
人の話とか体験とか感想を聞いて意味不明って言うやつはなんなの!?
って思うんですよねー
・芸能人の珍回答を笑うテレビ番組
素人をいじくり回してゲラゲラ笑う番組と同様、
こういうのは好きになれない。
第6章 独創性は孤立が作る
・特にTVは一切、見る必要が無い
最近のTVは番組の内容もさることながら、CMがあまりに鬱陶しい。
・消費社会から距離を置く
資本主義である以上、当然のことだが、
世の中は「カネ使えやこら」で出来上がっていると思っていい。
・著者が素人の評価を気にしすぎる
気持ちはよくわかる。
……一応、このページも「評価」なんだけど。
山田先生は以前、うちの年表を見てくれたことがあるそうなんですが、
今でも、たまには見てくれたりするのかなあ。
第7章 和をもって属さず
・眩しいほどに明るい人
多少、鬱陶しいと思われるかもしれないが、
明るくやるというのはすごく大切で、好かれる方法だと思う。
豊臣秀吉なんかは、間違いなく天才で、敵ももちろん多かったと思うが、
しかし味方も多かった。秀吉の行いは、晩年はもちろん、
壮年のころから結構えげつない行動や策略が多く、
善人とはとても思えないのだが、それでも、当時から現在まで人気があるのは、
秀吉が明るく派手好きな人物だからだろう。
・自分はいつも正しい病
曹操とか織田信長みたいな人。
時代が下れば石田三成とか高野長英とか大村益次郎みたいな人。
曹操は天寿を全うしたが、他の連中の最期は悲惨。
非属すぎる天才はたいがいえらいハメになる。
さいごに
・行列に並ぶより、行列に並ばせてやろうじゃないか
最後の最後で強烈な山田節。
かっこいい。
こういう名言が出るから、山田玲司ファンはやめられない。
★僕のおおむねの感想
・山田節は健在です。
文章は結構読みやすく、上手い方だと思います。
Bバージンや絶望に効くクスリのコラムなんかを見ても解るとおり、
山田先生は文章を書くのがうまい。スッと入っていけます。
・この本は、若い人には受けるかもしれないが、
ある程度の大人以上にはきつい、もしかしたらイラっとくるかもしれない。
そんなこと言われても、俺に今さらどうしろというんだ!
俺を負け組みたいに言うんじゃねえ!
みたいな感想をもつかもしれない。
・基本的にマイノリティに対する書籍。
・非属ゆえに成功した人間がうようよ出てくるが、
非属ゆえに失敗した人間が出てこない。
・正直、ちょっと極論が目立つ。
長々と書評を書いてしまいました。
最後まで読んでいただけた方、ありがとうございます。
思うところをつらつらと述べましたので、
文体とかまったく統一していません。あしからず。
この本は、まあ山田先生の漫画自体がそうなんですが、
本当に読む人を選ぶと思うんですね。
山田玲司ファンだったり、あるいは若い世代には受けるかもしれないんですが、
例えばいま現在サラリーマンとしてメシを食っている、食わざるをえない人々に、
さあ非属で生きていこうぜ!といっても苦しいし、
それこそ世の中の大半を占める非属でない人間にとっては、
この本は果たして「絶望に効くクスリ」になるんだろうか……
って思ってしまうんです。
確かにいい大学、いい会社に入るのが絶対的な幸福であるという時代は終わったと、
僕も思うんですが、じゃあ非属になれ!っていうのも極端すぎる理屈で、
絶望に効くクスリの誰かの回でもあったと思うんですが、
みんながみんな非属型の人間だと社会が成立しないんですよね。
非属をポジティブにとらえるのはいいことだと思うんですが、
「みんな非属こそが幸せになる道だ!」っていうのもどうかと。
僕のこの本に対するスタンスは、
集団に属することだけが幸福だっていう、
一般的な価値観に対するひとつのアンチテーゼとしては、有りかな、
という感じですかね。
なんだかまとまったようなそうでもないような終わり方ですが(^^;
とりあえず、これをもって書評を終わります。
また時間が経って読み直したら、別の感想ができるかもしれませんね……。
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