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ジェロムのオフィシャルホームページから


ジェロム・レ・バンナのHPからの翻訳。ブルース・リーに感銘を受け、様々なスタイルをものにしたバンナ。才能あふれるファイターであり、動物を愛しカレッジでは獣医学を学んだバンナ。そんな彼の肉声のメッセージを伝えます。

多分フランス人のバンナが書いたと思われる英語での文章。感激!!ただ、よくわからなかった部分や意味の分からなかった部分は省略しました。


◆やあ!みんな!ジェロム・レ・バンナだ。本物だよ。ジェロニモっていったら超有名だろ。俺は1972年のクリスマスの日にルアーヴルという街に生まれた。ルアーヴルは、ノルマンディー州に位置し、パリの西、車で約2時間のところにある大きな商用港で、日本の大阪とも姉妹都市だ。

◆大阪府はルアーヴルにとても美しい日本庭園をプレゼントした。そして、そこは俺が黙想のために数時間過ごすことになった場所だ。俺の父親はオーソドックススタイルのヘビー級ボクサーで、その当時有名だったラングロアという男に国内タイトルを奪われたばかりだった。俺は壁にかかっていた父親のトランクスやグローブにあこがれていた。しかし、もちろん俺が父親と同じ道をたどることになることを母さんは嬉しく思うわけがなかったので、俺は6歳から14歳の間、ボクシングの代わりに柔道をやらされた。はっきり言って俺は柔道でも有能だったが、父親はミーティングで審判たちとひどく言い争ったこともあって、柔道をやめた方がいいと思っていた。そして、そんなわけで俺はジー・クン・ドゥー(截拳道)をやることになり熱心はブルース・リーファンになった。

◆俺はスポーツに打ち込み、ほどなくそれが俺の生き方になっていった。俺は子供時代を特別なトレーニング用品に費やした。おかげで今の体ができた。このサウスポースタイルを手に入れ、右利きの俺が今でもそれを維持できているたのもこういった物のおかげだ。基本的に、俺は両方のスタイルを使えるから敵は驚くだろう。伝統的なムエタイ式を思い出してみてくれ、彼らは自分がどちらか一方しか得意じゃなくてもガードを左右にスイッチすることができる。ブルース・リーのジー・クン・ドゥーを知っていれば、俺がそういうスタイルを身につけてその結果フルコンタクトのボクシングの世界に足を踏み入れたのも少しも不思議じゃないだろう。

◆ブルース・リーの哲学とは、武道とは固定したものではなく練習者の質や戦いの状況によって変わるべきものだというものだ。

◆俺のフルコンタクトデビューは、十八の時で二十歳の時にはすでにISKAフランスタイトルのベルトを手にしていた。そして、その後すぐにステファン・REVELLONからヨーロッパチャンピオンのベルトを奪い、次いで南アフリカでマイク・ベルナルドからベルトを奪った。こいつ(ベルナルド)は、この少し後に日本のK-1の試合に出ることになる。

◆ジャン・ピエールMALLETはボクシングのこととなるとよく喋る男で、フランスやヨーロッパのテレビでしゃべった。こいつのおかげで、俺はK-1に紹介され、その年の締めくくりに行われる K-1 GRAND PRIX95に出場することになった。Nokveet・DEVYはタイ人でテクニックもあり、俺より20kgくらい体重が少なかったが、勇敢に闘った。しかし、俺は彼に勝った。だから俺がまだムエタイ式のトレーニングを受けていないなんて知ったら驚くだろう?俺は結局特別なテクニックを学ぶためいろんな所へ行っていろんな人から習い覚えたのだった。

◆海軍の指揮官であるボブは俺の父親と同じくらいの年齢で、プロボクシングの分野で名声があったわけじゃないにも関わらず、武道に深くかかわっていた。このボブが俺の面倒をみ、適切なムエタイ式のレッスンを受けることができる場所をさがしていろいろな場所へ運んでくれた。俺たちはピーター・アーツやブランコ・シカティックの所属するチャクリキや、ロブ・カーマンのところや、ボスジムに行きたかった。

◆結局俺たちはロバート・RITEというコーチと同意し、そこは俺の街からわずか一時間の場所だった。そしていくらかのことを教わった・・・1996年という年、俺はボクシングの仕事をきっちりやることから離れていた。軍隊の兵役につかなければならない年だったからだ。この組織は俺の訓練にガードとして一日12時間立つことが最良だと考えたのだろう、そしてその一年中焼きマメばかり食わされた。なので兵役が明けるとパリの俺のコーチ、アンドレはいくつかのいいワザを教えてくれた。おかげで、俺はシアトルで強敵だと思われていたカーティスに勝つことが出来たし、ムエタイ式のプロの試合でわずか8戦の俺には重荷だろうと思われたあの有名な黒いオランダ人、アーネスト・ホーストに東京で勝利し、次いで97年の10月大阪でリック・ルーファスを3ラウンドでストップさせた。違うかい?アイドルだって負けるだろ?1998年、俺はマイク・タイソンのマネージャー、ドン・キングとムエタイ式と国際式の両方で戦う契約を交わした。

◆K-1のプロモーターのミスター石井が、素敵なイベントを間違いなく開催してくれるようになってから俺はよりムエタイ式に集中するようになった。俺は、ミスター石井はファイターに対して礼を失しない男だと思う。だから俺は彼をとても尊敬している。思うに彼は以前、空手家だったから武道の心得を知っているのだろう。プライベートに関しては、俺は生まれ故郷の近く、そして両親やご近所さんの近くのこの街にとどまることにした。俺にはヴィクトリアとう名前のまだ一歳のすばらしい娘がいる。そして、彼女の母親のFAISSAは俺の素敵なガールフレンドだ。俺たちは庭付きのでかい家に住んでいる。家族の次に大切な俺の犬たちのために広いんだ。犬は嘘をつかないからね・・・歳をとってボクシングができなくなったら俺、ブリーダーになるかもな。今までに、ガチョウを二匹保護したことだってあるんだよ。俺がそうやって動物をかわいがるのを驚かないでくれ。カレッジで獣医学を学んでいたんだから・・・

◆早朝6時の軽いランニングから始まって、ボクシングには多くの時間を取られる。シャドー、バッグワーク、スパーリングを含む正式なボクシングのセッションは朝10時ころからだ。午後には出かけて、ウェイトトレーニングをする。それから柔軟性のためのセッションをいくつかやり、それプラスビデオを見る。さし当たっての自分の敵をもっと知るためにね。わかったろ。ぶらぶらしてる暇はあまりないんだ。

◆だからね、俺には天賦の才があるっていう人がいるけどその裏には多くの努力があるんだよ。どんなことをする時も、自分がすることに集中し、そして実現する・・・それが俺のやり方だ。それがあなたの助けにもなるといいな!そんなわけで、バイバイ。お体に気をつけて!


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