By Asami Kashima




 ほんの悪戯心だった。貫かれる快楽に溺れるとき、いつも切なげに蒼穹の瞳を閉じてしまう恋人に、その様を見せようと思ったのは。
 今も自分の身体の下で、自分の与える律動に合わせて啜り泣きのような声を唇から漏らしている恋人の瞼は、きゅっと閉じられている。
 縁を彩る金の帳の震えが、恋人が享受している官能の深さを伺わせ、クラヴィスの口の端に笑みを浮かべさせた。
「ジュリアス……」
 名前を耳元で囁き火照った頬をサラリと優しく指先で撫でた後、身体は繋げたままで、覆い被さっていたジュリアスの上から身を起こす。そして仰臥し足を開いていたジュリアスの腰を両側から掴み、自分の腿に抱え上げた。
 不安定な姿勢に閉じかけた足も、これ以上ないまでに再び開かせる。
「……あ、あっ、クラ……ヴィス?」
 突然とらされた不自然な姿勢に、戸惑った声と共にジュリアスの瞳がうっすらと開かれた。だが快感に酔っていた瞳はすぐには焦点が合わないらしく、ゆらゆらと揺れている。
「ジュリアス……前を見よ」
「………?」
 言われるまま素直にジュリアスは視線を前に向けた。
 幾度か瞬きを繰り返すと、ぼやけていた視界が次第にはっきりと形作ってゆく。
「そうだ。お前もたまには見てみるがいい。私達が、どのように結ばれているのか……」
「!!」
 クラヴィスの言葉の意味を理解すると同時に、自分の目に飛び込んできた光景にジュリアスは瞠目した。
 自分の目線の先に、抱え上げられた腰と限界まで開かされた足の中心があった。
 雫に濡れそぼる自身の昂りの象徴の向こうで、クラヴィスの昂りを深々と銜え込んでいる部分までもが、全て露わになっている。
 今まで何度も身体を重ねていながら、初めてまともに見たクラヴィスと繋がっている様は、ジュリアスの羞恥心を極限まで極めさせた。
「……こ、こんなっ、あ、い、いや……だっ!!」
 頭を振って視線を逸らしたジュリアスの頤を、クラヴィスの手が押さえる。紫の瞳が蒼い瞳を正面から見据えた。
「フッ、嫌ではないだろう。……良いの間違いではないのか?」
 揶揄を含んだ視線と声にジュリアス瞳が潤んだのは、羞恥故か悔しさ故か。
 その様子を満足げに眺めていたクラヴィスが、ゆるゆると腰を動かし始める。濡れた淫猥な音が、繋がった部分から再び漏れ出した。
「はっ! あ、ああっ……」
「お前のここは、私を受け入れることをこんなにも悦んで……、酷く淫らだ」
「そ、なこと……いう……な、あっ!」
「妖しく蠢き、私を捕らえて離そうとしない。そして中は燃えるように熱いのだ……わかるか、ジュリアス」
「いや、だ! あ、うっ……」
 霞み始めた視界の先に、引き抜いては深く貫き、自分を歓喜の奈落に突き堕とす逞しい楔が見える。クラヴィスの言う通り、引き抜かれそうになる度に強請りがましくヒクつき纏わり付いている、いやらしい自分の様までもが見えた。
 耐えられず、固く瞼を閉じた。
 だが瞼を閉じても、目に焼き付いた映像は与えられる律動に合わせて、その様を在り在りと脳裏に浮かび上がらせる。
「……クラ、ヴィスッ!」
 目を閉じたまま震える両手を差し伸べ、クラヴィスの胸と自分の胸が重なることを、ジュリアスは願った。せめてお互いの身体で、結ばれている部分が隠れてしまうように。
 縋るように自分の腕に触れたジュリアスの指の意味を解して、クラヴィスはジュリアスの上に覆い被さった。途端に背に回された腕に、クッと喉の奥で笑う。
「笑う……なっ!」
 喘ぎながらの声に、気付かれたかと苦笑する。
「……愛おしいと、思ったのだ」
「ん、ふっ……」
 些か乱暴に唇を重ね、歯列を割って舌を潜り込ませる。触れたジュリアスのそれを絡め取るように吸い上げ上顎に舌を這わせると、背中の指が爪を立てた。
 息継ぎが上手くできず息苦しさに震える身体は、身の内に含んだ楔を無意識にきつく締め付ける。
「ふ……んっ、は、あぁ……」
 クラヴィスがそっと唇を離すと、赤く色づき濡れたジュリアスの唇は、足りなくなった酸素を求めて忙しなく呼吸を繰り返した。隙間から覗く蠢く舌が酷く扇情的で、クラヴィスの情欲を煽り立てる。
「………そそられるな」
「な、あっ、あああっ!!」
 急に最奥まで突き入れられて、ジュリアスの背が弓なりに反り返った。だがクラヴィスは動きを止めない。狂おしいほどに腰を打ち付けてくる。
「ひっ! あ、あっ、ああっ、ク……ラッ!」
「ジュリ、アス……!」
 激しくなった腰の動きに、絶え間ないジュリアスの嬌声と二人が繋がる濡れた音が部屋に響く。そのいやらしい音に、荒々しく貫かれる様を瞼の裏で思い描いてしまい、ジュリアスは恥ずかしさの余り身を捩った。
 だが、肩を掴まれ再びベッドに縫い付けられると、首筋に顔を埋めたクラヴィスに動きを封じられる。
「くっ……あ、あっ!」
「ジュリアス……お前の中、は、熱い……」
「あ、んっ……ん、あああっ!」
「絡みついて、離れぬ……」
「い……や、あ、あぅっ、は、あっ……」
「その熱で……私を溶かしてくれ……」
「あ、ああっ!!」
 官能に酔う掠れたクラヴィスの声。お互いの荒い息づかい。浮かぶ淫らな映像と濡れた音。穿たれる悦び。
 快楽の奔流に流されたジュリアスが意識を飛ばしてしまうまで、そう時間はかからなかった。




 情事の後、お互いの温もりを穏やかに感じ合い肌を寄せることは、乱れたことへの少しの気恥ずかしさを伴いながらも、ジュリアスにとって至福の一時だった。
 額や瞼に落とされる触れるだけの唇も、長い指で優しく髪を梳かれることも、抱かれているときに感じる熱情とは違った、慈しむようなクラヴィスの愛情が感じられて、ジュリアスの心を喜びで満たしていく。
 だが、今日は違った。情事の合間に目にした衝撃的過ぎる光景に、人並みはずれて高いプライドと同じぐらいに羞恥心の強いジュリアスは、クラヴィスの顔をまともに見ることができず、恋人に背を向けてベッドに横たわっていた。
 そのジュリアスのシーツに流れる豪奢な金髪と、髪の隙間から見え隠れしている白磁の背中を見つめながら、クラヴィスは苦笑する。
 数え切れないほどの夜を重ねた間柄でも、恥ずかしがり屋の恋人にとって、あの様を目にしたのは刺激が強すぎたかと。
「ジュリアス……」
 名前を呼びながら、背後から抱きしめた。ジュリアスの肩がピクリと震える。
 気に留めず耳元の金糸を指で梳き、耳朶を露わにして唇を寄せた。
「何を拗ねている……ん?」
「拗ねて、など……」
「では、何故こちらを向かぬ?」
 話しながら指先をジュリアスの腕の上に滑らせ、手の平まで辿る。指先が指先に触れると、ジュリアスから指を絡めてきた。背を向けてはいるが、決して拒んでいる訳ではないと誇示するかのように。
 わざと問われていることに気付きもしないその仕草は、クラヴィスの頬を簡単に緩ませた。
「……何か、気を損ねたか?」
「ち、ちがう! そのようなことは……」
「では、いつものように顔を向けてくれ。……お前の深い、蒼い瞳を見つめたいのだ」
「あ……」
 腕の中の身体が、微かに身じろぎする。自分の求めに応じようとする気持ちと羞恥心の迫間で、逡巡しているジュリアスの心中が見て取れて、クラヴィスの頬は益々緩む。
「フッ、お前は本当に……」
 ――――可愛らしい。
 正直に口に出せば怒らせてしまうだろう言葉を飲み込み、クラヴィスは白いうなじに口づけた。絡められた指に力が込められる。
 振り向くことは諦めたらしいジュリアスが、喘ぎにも似た吐息を漏らした。
「……クラヴィス」
「なんだ?」
「そなた……いつも……」
「……ん?」
「いつも……」
「いつも?」
「その……」
 何かを言い倦ねているジュリアスの頬に、朱が走る。言わんとしていることを分かっていながら、先を促せる意味でクラヴィスは赤く染まった頬に後ろから口付けた。
「……そなたは、いつも見ている……のか?」
「……見ている、とは?」
 素知らぬ振りで聞き返すと、ジュリアスは耳朶まで真っ赤に染め上げた。意地悪が過ぎたかと、クラヴィスは再び苦笑する。
「……ああ、あれのことか? フ……良いではないか。お前の身体で、知らぬ場所など無いのだから」
「そ、そのようなことを、聞いているのではない!」
 思わず大きな声を立ててしまいながら、ジュリアスは羞恥心から絡めていた指を冷たく突き放してしまった。すぐさま自分の行動を後悔したが、クラヴィスは特に気を悪くした様子もなく、ジュリアスの腹部に手の平を移すと、更に身体を密着させるように背後から抱きしめる力を強くさせる。
 今は大人しくなっているクラヴィスの楔が腰の下にあたるのを感じて、ジュリアスは目眩にも似た感覚に襲われた。
 この楔がいつも戦くような歓喜と快楽を自分に与えるのだ。愛おしい人と身体を繋げ一つになるという行為は、抑えきれない昂ぶりと悦びを生むのだということを、自分の身体に刻みつけるもの……。
 そう、クラヴィスはいつも見ているのだ。
 堪えきれず目を閉じてしまう自分とは違って、クラヴィスの楔を呑み込みながらもより深く求める貪欲な自分の様を、いつも見ているのだ。後ろから貫かれる姿勢のときなど、更に隠しようもなく全てが露わになって、あの紫の瞳に映っているのだろう。
 ついその様を想像してしまい、ジュリアスはギュッと目を閉じた。だが、目を閉じたことは逆効果だった。先ほどの情事の途中に目にした光景が、フラッシュバックのように脳裏に浮かんでは消える。
 突き入れられる昂ぶりを、淫らに蠢きながら受け入れている自分。繰り返される律動に合わせて、濡れた昂ぶりと自分の間から漏れた淫らな音……。
 突然、下腹部の奥に甘い疼きを感じて、ジュリアスは戦慄いた。
 何という浅ましさだろう。情事の直後に淫らな考えに耽り、身体を熱くさせてしまうとは。
 普段は心地よく感じるクラヴィスの肌の温もりが、一方的に火がついてしまった身体には切なさを伴う苦しさを感じさせた。腹部に置かれた手の平を、払い除けたい衝動に駆られる。
 そんなジュリアスの変化に、気付かないクラヴィスではない。そっと手の平を腰へと滑らせ、先程まで自分を受け入れていた場所に指を這わせた。
「ク……クラヴィス!」
 軽く身を起こし、悲鳴のような声で自分の名を呼んだ唇に口づけるため、覗き込むような形で上からジュリアスの顔を見る。見上げる蒼い瞳は、非難とも欲情とも取れる色を僅かに浮かべていた。
「……何を、考えていた?」
 囁きながらクラヴィスは、唇にではなく口元に口づけた。自分が放ったもので濡れ、未だ熱を帯びたままの場所を指先で優しく愛撫しながら。
「な、何、も……。うっ、クラヴィスっ、やめ……」
「何も……か? フフ、お前は嘘が下手だ、ジュリアス」
「嘘、では……な、いっ」
「そうか? お前のここは、そうは言ってないみたいだが……」
「ひぁ!! くうっ……!」
 いきなり指を突き入れられて、ジュリアスは胸を躍らせて喘いだ。潜り込んだ二本の指はジュリアスの内部を掻き回し、灯り始めただけの火を、燃える炎へと変えてゆく。
 絡みつく内壁の熱が上がり、クラヴィスの指の動きに合わせて妖しく蠢きだした。
「や、め……やめよ!」
「やめぬ。お前が欲しい……」
 耳元で言われ、ジュリアスの蒼い瞳は潤んだ。悔しい。自分がとても簡単には言えないことを、いつも何でもないことのようにこの男は言うことができるのだ。
「思い描いていたのだろう? 私に貫かれる様を……」
「!!」
 隠したはずの衝撃は、皮肉にも銜え込んだ指を通じて、クラヴィスに伝わる。
「ち、ちが……そのよう、な!」
「違ってはいないだろう……証拠にもうこんなに私を欲して…………淫らになっている。指では物足りぬか?」
「くっ……あっ、ああ!」
 関節を曲げられ、内部の一番敏感な部分を刺激された。既に昂ぶりはじめていた自身が、更に硬度を増していく。
 堪えきれず顔を反らせたジュリアスは、意図せずクラヴィスと真正面から視線を合わせてしまった。
 羞恥に襲われる前に、クラヴィスの表情に唖然とした。自分はこんなにも余裕無く身体を悶えさせているのというのに、クラヴィスは秀麗な美貌を緩ませ、紫の瞳には笑みさえも浮かべていて……。
 その紫の瞳を見たとき、流石のジュリアスもクラヴィスの悪戯心に気が付いた。
 快感に潤んでいた蒼い瞳が、瞬時に怒りで閃く。
「そ、そなた! わざと……!!」
 そう声を荒立てたジュリアスの憤懣やる方ないという表情は、宮殿で自分に怒鳴りつける首座の守護聖の顔にも似ているとクラヴィスは思った。
 快楽に溺れる顔にも惹かれて止まないが、怒りに柳眉を吊り上げ燃えるような蒼い瞳を向ける顔も、自分を惹き付けて止まないということに、ジュリアスは気付きもしないのだろう。
 何度執務室で組み伏せようと思ったことか、とても数え切れない。
「クラヴィスッ!!」
 情欲を含んだ怒りの視線は、クラヴィスの心の淵で常に燻り続けている熾火を、簡単に燃えさかる焔へと変えた。
 こんなときにその身を抱くのは自分であっても、翻弄されているのは己の方なのだと、クラヴィスは思い知らされる。
 怒ったままの顔に自分の顔を近づけ、唇を重ねた。逃れようとするのを許さず、深く舌を差し入れジュリアスの口腔を嬲る。同時にクラヴィスは内部を愛撫する指の動きを速めた。
「う、んんっ!!」
 身体の下から回した手の平で胸の突起を探り、指先で摘み上げるとジュリアスの身体がビクリと震えた。ツプリと立ち上がったそれを押し潰すように指で擦り刺激を与えると、ジュリアスは重ねた唇の隙間から堪え切れない喘ぎを漏らす。
 お互いの唾液で濡れそぼった唇をそっと離し、舌先を頬に這わたまま耳朶まで滑らせる。甘噛みしながら舐めねぶると、ジュリアスは喉を仰け反らして応えた。
 唇からは荒い息が紡がれている。蒼い瞳は既に、固く閉ざされた瞼の下に隠れてしまっていた。
「……お前も少しは、思い知るがいい」
 耳に吹き込まれる冷たい囁きに、ジュリアスの瞼が震える。
「私に貫かれる様を思い描く度、熱くなる身体に……思い悩むがいい。私がいつもお前に飢えてどれだけ懊悩しているか……少しは解るだろう」
 クラヴィスの言葉に、ジュリアスはうっすらと瞼を開けた。
 目に映った奥底に焔を灯した紫の瞳に、先刻までの悪戯心の色は消えていた。
「クラヴィ……ス」
 絡み合わせた視線が、お互いの昂ぶる想いと燃える身体を更に煽り立てる。
 自分に覆い被さってきたクラヴィスの肩に縋り、もたらされる激しい快楽の波にあられもない声を上げながら、ジュリアスは思った。
 言われずとも、暫くは思い悩まされそうだと……。




 首座である光の守護聖は、公式の場では決してその厳しい仮面を外そうとはしない。
 前夜にどれだけ激しく求め合い甘い言葉で囁きあっても、そんなことは露ほども感じさせず、冷淡とも思えるほど単なる守護聖同士としての態度を崩さない。
 度が過ぎるほど公私の区別を付けたがる律儀なジュリアスは、人前で、特に女王陛下のおわす宮殿内で少しでも二人の関係を匂わす態度をとると、暫くは職務以外では一切口もきかなくなるほど、烈火の如く怒ってしまうのだ。
 聖なる場所でそのことに触れるのは、守護聖としてのジュリアスには許せないことなのだろう。
 執務中、自分に対しては必要以上に厳しい態度を取るのも、職務に私情を交えることへの激しい嫌悪感からであることも解っている。ジュリアスの性格からしてみれば、無理もないことだ。
 別に怒鳴られ詰られることを辛く感じたりはしないが、余りに割り切り過ぎたその態度に、一抹の淋しさを感じてしまうのは何故なのだろう。
 決して手にすることは叶わないと思っていた心と身体を、夜毎この腕に抱いていながらそのように思うのは、きっと過ぎた欲心なのだろうが……。
 頬にあたる風の冷たさに、クラヴィスは閉じていた瞼をそっと開いた。執務室を抜け出し宮殿の中庭にある東屋で休んでいたのだが、いつの間にか日が西に大きく傾く時刻になっていたようだ。来たときには疎らにあった人影も、今は見あたらない。
「……そろそろ、戻るとするか」
 そう呟きクラヴィスは東屋を後にすると、宮殿の廊下へと続く階段を昇っていた。すると丁度通りかかったらしいリュミエールが、少し慌てた様子で声をかけてきた。
「クラヴィス様、こちらにいらしたのですか。先刻からジュリアス様がお探しで、何度も執務室の方へ使いの者を出されているご様子です。早くお戻りになりませんと……!」
「ジュリアス……が?」
「はい。私の執務室までいらしてないかと使いを出されたので、かなりお急ぎの用件だと思いまして……」
「それで、わざわざ探してくれていたのか……。それは、すまぬことをしたな」
「いいえ、とんでもありません」
 優しく微笑む水色の瞳に促されて、クラヴィスは執務室へと歩を進めた。




 クラヴィスとリュミエールが執務室の列ぶ廊下に通じる角を曲がると、反対側からオスカーを従えたジュリアスが、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。その手には書類の束を抱えている。
 自分の姿を見つけたらしいジュリアスが、ギッと眉間に皺を寄せるのをクラヴィスは見た。怒りの形相も露わに走る勢いで突進してくる。
 クラヴィスとリュミエールの前に立つと、形相そのままの声音で口を開いた。
「クラヴィス! 一体何処へ行っていたのだ!! リュミエール、そなたも一緒だったのかっ!?」
「い、いえ、私は……」
「リュミエールを責めるな。お前が私に用があると知って、中庭にいた私を探しに来てくれただけだ」
「そなた、執務中に一体何時間中庭にいたのだ! 何度私が執務室に使いを出したと思っている!!」
「さて……分からぬが……。で、一体急ぎの用とは何なのだ。こうしている時間が無駄であろう」
「もう遅い!!」
 バサッと胸に叩き付けられた書類に、クラヴィスはざっと目を通した。サクリア供給に関するその書類は、確か午前中に目を通して、ジュリアスに届けるように文官に渡したはずのもの……。
「何故サインをしないのだ! この書類は私とそなたのサイン無しでは有効にならぬと、分かっているだろうが! 4時からの王立研究所の職員との会議に、必要な物だったのだぞ! そなたのせいで、会議自体が延期になったではないかっ!!」
 ああ、そう言えば忘れたな……とクラヴィスが呟くと、益々怒ったらしいジュリアスは、燃える蒼い瞳で紫の瞳を睨み付けた。
 普通の人間なら怯え竦んでしまうだろうその鋭くきつい眼差しを、深い蒼が綺羅綺羅と光って美しいと不謹慎にもクラヴィスがそう思ったとき、自分に怒りをぶつけていたジュリアスが、何故かつい……と視線を逸らした。
 だが一瞬で思い返したようで、再び眉を吊り上げクラヴィスを睨み付ける。しかし自分と視線を合わせた途端にその顔色が、見る見る赤く染まっていくのをクラヴィスは内心驚きながら見ていた。
「ジュ……ジュリアス様?」
 同じく驚いたらしいリュミエールの声が、後ろから聞こえた。ジュリアスの顔が見えない位置に立っているオスカーだけが、訝しげに眉を顰めている。
「あ……」
 今や熟した果実よりも頬を赤くしたジュリアスの身体がフラリと蹌踉めき、床に膝をついた。
「ジュリアス!」
「ジュリアス様!!」
 咄嗟に身を屈めたクラヴィスの差し伸べた手がジュリアスの肩に触れると、思わぬ勢いでその腕ごと叩き落とされた。
「私に触れるなっ!!」
 ジュリアスはそう叫ぶと、何事もなかったようにスッと立ち上がり踵を返す。
「……大事ないが、少し気分が悪い。すまぬが、執務室に戻る。オスカーも自分の執務室に戻るがいい」
 オスカーに見られないように顔を背けたままそれだけ言うと、ジュリアスは逃げるようにその場を後にした。
 その後ろ姿を見ながらオスカーは少し躊躇したようだが、やはり常でない上司の様子が心配だったのか、クラヴィスに軽く会釈すると後を追って行く。
「いかに怒っていらっしゃるとはいえ、あのような……。それにしてもジュリアス様、どうなされたのでしょう……?」
 ジュリアスが差し向けられたクラヴィスの腕を無下に振り落としたことを、少し責めた口調で言いいつつも心配気にリュミエールが呟いた。
「あれは、大事ない…………クッ」
「……クラヴィス様?」
 思わず漏れてしまった笑いを聞き逃さなかったリュミエールが問う声が聞こえたが、クラヴィスの意識はもうそこにはなかった。
 クラヴィスは見た。腕を払い除けられる瞬間、自分を見上げた蒼い瞳に官能の色が浮かんでいるのを。
 ジュリアスは思い描いてしまったのだ。自分と視線を合わせているうちに、昨夜の光景を。今居る場所は宮殿内で、周りにオスカーやリュミエールがいると分かっていても、抑えようもないほどに。
 視線を合わせただけで思い出しあの様に赤面してしまうなど、やることをやっていながら何て初なやつだとクラヴィスの笑みは止まらない。
 ああもあからさまに顔に出てしまうようでは、宮殿内では冷たい首座の守護聖の仮面を被っていてもらわなければ困るな……などと、東屋で思っていたこととは真逆のことを思ってしまい、自分の天の邪鬼さにも笑った。
 自分が思っていたよりもジュリアスにとっては大変なことなのかもしれない。ややもすれば如実に態度に出てしまう想いを諫めることは。

 胸に巣くっていた一抹の淋しさは、いつの間にかどこかへ消え去っていた。


-END-