| 主に読んだ本のことが中心の、近況報告です。 最初から毎日更新なんてしないだろうと思っているので 「日記」とは名乗らないのでした。 ここで紹介した本が、そのうち 「レビューのページ」に登場するかも・・・。 というわけで、「プレビュー・ラビッツ」です。 (壁紙提供:おたかポンさま) |
過去分
2003.9〜2004.3
2003.1〜8
2001.9.30〜12.31
2002.1.1〜4.30
2002.5.1〜9.29
2002.9.30〜12.31
| 2月3日〜こどものとも絵本原画展〜 おとといのことですが 新潟県立万代島美術館に「こどものとも絵本原画展」を 見にいきました。 『ぐりとぐらのくるりくら』や 『はじめてのおつかい』の原画が見られました。 「こどものとも」「かがくのとも」「年中版」「年少版」 の各誌を、以前は県立図書館から借りたり、 近くの本屋さんで気にいったのを買ったりして 毎月分見ていたのに このところすっかり遠ざかってしまっていました。 やっと退職して自由になった記念すべき1日目に 知ってたはずの絵本たち、 知らないで過ごしていた絵本たちに会えました。 これからまたゆっくりと、いろいろな絵本と出会い 絵本とすごしていこうと 「こどものとも」の長い歴史に触れながら思いました。 ところで「こどものとも」で出ていた 「3びきのこぶた」って 兄弟のうち上の2匹はあっさりおおかみに食べられてしまって レンガで家を作った3番目のこぶたは、 おおかみとのいくつかの駆け引きののち さいごに鍋に落ちたおおかみを 「ことこと煮てばんごはんに食べてしまった」のですね。 この話覚えてました。 たぶん子どものころに読んでいたのです。 言われてみれば、 みんなが助かるバージョンより 物語としては必然的だしおもしろいかもしれません。 小道具のかぶやりんごやバターをつくるおけ、 そういうものの登場でよりあざやかに記憶がよみがえってきました。 1月22日〜ラパンラパラパ♪〜 新しい車を買いました。ラパンです〜。 じつは長年乗ってた愛車カローラは 先月雪道のカーブを曲がりきれずに 滑って向きがくるんと逆になったところへ 後続車がぶつかってきてボコボコになり ついに廃車となりました。 いままでどんなにぶつけてもぶつけられても 相手がへこんでもピンピンしてた 丈夫なカローラくんではありましたが 今回ばかりは再起不能ということで・・・ あ、ケガ人はないです。 (ちなみに、常識的に考えたら 滑って道をふさいだわたしのほうが悪いはずなんですが 保険では止まってた車をよけきれなかったほうが 責任が重いんだそうで、相手が8わたしが2となったそうです。 ほんとに申し訳ないなぁ) せっかくだから気に入った車を買うことにしようと思い、 フランス語でうさぎの意味のラパンに決めました。 スズキのSのマークの中にうさぎが入ってる愛らしさです。 事故から1カ月以上たち、昨日ようやく納車されました。 CMソングも大好きな曲ですから気になってましてねぇ スコットジョプリンの「パイナップル・ラグ」ですよ。 色はもちろん青です。 カギが自動で操作できて窓も自動で開いて車の中でCDが聴けるなんて・・・ あたりまえ? だってカローラくんはすべて手動でカセットテープだったもので・・・ さて、これからラパンにのってエアロビやりにいこうかなぁ♪ 1月18日 またよなか そのことなら断りました。 「できません」と言いました。 まあ当然。 1月17日 まよなか なんだか寝付けません。 いきなりですがわたしは1月31日で退職する予定です。 結婚の準備のためです。 それから、日々の苦痛のため こわばって文章を書くゆとりもなくなったこころを ゆっくりといやすためです。 そのために9月のなかばから上司に報告をして、 苦しみながら引き継ぎを行ってきました。 退職願も提出しました。 あと15日に迫ったのに 上司に呼び出され、もうしばらく残ってほしいと言われました。 できれば決算の終わる5月までとか。 そんなに待たせたら破談です。 相手や、相手の家族も関わってくることなのです。 仕事のほうが大事なのか?って、そうなりますよね。 理由は、昨年4月から入った新人の臨時職員が 3月の契約満了後更新をしないで退職する意向を示したからだとか・・・ 本人および関係者、 ここを見てるかもしれませんね(笑) それでは真心を込めてインチキ名古屋弁でお送りします。 よう見ときゃあ!!!(標準語訳 よく見ておきなさい) 「たーけ」がっ(標準語訳 バカ(たわけ)の意) やっとかめ!(標準語訳 ひさしぶり) ケッタ!(標準語訳 自転車) えびふりゃー!(標準語訳 エビフライ) (一部、文脈に直接関係のない表現が含まれています) わたしの人生はそんなふうに扱われたのでしょうか。 これからにつながる計画よりも、 4カ月前からとってきた正当なはずの手続きよりも この1年に満たない新人の 突然の退職の意向の前には何の抗力ももたないのでしょうか? わたしにこの子の送別会に出席しろとでも?? ・・・なーんて、それはつまり、 それだけこのわたしが必要とされていることの そういうことの まあ証拠。 と、きわめてまっとうでポジティブな解釈に 落ちつきました。 関係者数名による長い説得の末。 もちろん、予定通りやめます。 11月18日〜 意地悪な苦笑〜 光文社文庫から出ている 『恋愛小説アンソロジー 感じて。息づかいを。』(川上弘美 選) を書店で見かけてそして買ってみたのは、 坂口安吾の「桜の森の満開の下」が収録されていたからです。 以前から読んでみたいと思っていたのですが なかなか手にとる機会がなかった小説です。 春の、わずかの間しか見ることのできない、 美しい桜の花。 しかし、たくさんの桜の木が満開に咲き乱れる誰もいない森では、 人は幻を見て気がふれてしまう・・・ という内容であることを 大学の文学の講義で聞いていました。 美しくも妖しい恋の物語であると想像していましたが 実際は、山賊の男がさらってきて妻にした女のために 略奪したり人を殺したりと、 かなり血なまぐさい場面が続きます。 数々の殺りくや略奪を繰り返してきた山賊の男でも 満開の桜の森の無気味さにはわけのわからない恐怖を感じていました。 妻の希望で都へ引っ越すことになったとき 男は都に行く前に今年こそ桜の森の恐怖を克服したいと思い、 満開の花の下へ行ってみなければならないのだと妻に告げます。 妻は桜の森にこだわる男の真意を理解できず ならば自分も連れて行ってほしいと男に言います・・・ 以下引用です。 ---------------------------- 「それはだめだ」 男はキッパリ言いました。 「一人でなくちゃ、だめなんだ」 女は苦笑しました。 男は苦笑というものを始めて見ました。そんな意地の悪い笑いを彼は今まで知ら なかったのでした。そしてそれを彼は「意地の悪い」という風には判断せずに、 刀で斬っても斬れないように、と判断しました。その証拠には、苦笑は彼の頭に ハンを捺したように刻みつけられてしまったからです。それは刀の刃のように思 い出すたびにチクチク頭をきりました。そして彼がそれを斬ることはできないの でした。 ----------------------------- この一節でしばらく先にすすめなくなりました。 一般的には明るい表情、楽しい気持ちにともなう表情である笑いには たしかに意地の悪いものもあるのです。 なごみの要素はいっさい抜き、 相手とまともな話をする価値も認められないから、 ただただ見下しているだけの ときに悪意を含んだ「苦笑」。 実際に人から苦笑をむけられたこともあるし 自分も誰かに苦笑してみせたこともあるけれど こんなに人に打撃を与える威力を持っているなんて あらためて冷たい態度の怖さを思い知りました。 やたらコワイヒトだと恐れられたくなければ 苦笑なんてしないにこしたことはないですな。 ここぞというときにだけ・・・?! 10月26日〜みんなが好きです〜 10月21日、サザンオールスターズのライブに行きました。 サザンが新潟に来たのです。 新潟県民会館に、しかも二日間! ベースの関口さんの地元でもある新潟(旧水原町)、 ちょうど1年前、地震が起きたりして いろいろと大変だった新潟を きっと励ますために今回のツアーで訪れてくれたのでしょう。 「ちょっと待ってくださいネェちゃん〜」で始まり (「Big Star Blues」ですね) 「希望の轍」でやっぱりこう、うわぁっと歓喜 「愛と欲望の日々」では、マツケン風のキラキラ時代劇ダンサーをお手本に 例の振り付けをみんなでそろえ、 「リボンの騎士」ではハラ坊のカワイイボーカルと華麗なキーボードに 酔いしれたいのにもかかわらず ダンサーの踊りと歌詞のエロさに釘付けとなり手拍子もままならず。 アルバム「キラーストリート」の曲目に交えて 「ミス・ブランニュー・デイ」「YOU」「栞のテーマ」 「BYE BYE MY LOVE」・・・といった往年の名曲も演奏されました。 長い年月をかけて繰り返し繰り返し聴いては歌ってきたこれらの曲たちを この新潟の地で、やはりわたしと同じように強い思い入れを持って ずっと聴き続けてきたファンの人たちと共有できたことが とても有意義なことと思いました。 だってサザンの歴史は27年、 高校生のときに聴き始めたわたしが リアルタイムで見てきた時間は サザン史のまだ半分にも達していません。 デビュー当時幼く、または生まれていなかった人たちが 成長して高校生くらいでサザンに惹かれ、 サザンを知りたいと思ったら、 すでにでき上がっている歴史を 年数分さかのぼって追体験しなければならないのです。 高校生のわたしも約15年分 CDを集めて聴いたり 桑田さんの本を読んだりテレビのサザン特集の番組を見たり わりと「学習」しました。 そのころ、ランニングでの衝撃のテレビ初出演や 奇抜な紅白出場、桑田さんとハラ坊の結婚、 そういった場面に立ち会えなかったことを とても残念に思ったものでした。 まあ、いちおうこの世にはいたわけなのですが・・・ そしてその間に発表された数々の名曲を、 新しい曲として世の中に迎え入れる興奮を味わえなかったことを もどかしく思ったものです。 でも、今10代でサザンに目覚めた人たちは もっと長い年月をさかのぼらなければいけないのだと思うと 気の毒であるとともにちょっとした優越感をおぼえ でもやっぱりその初々しさがうらやましく、ほほえましく、 何世代超えていく気なんだろうサザンは? と、ちょっとおそろしくもなります。 10月7日 トモコ姉さまが無事に四国の病院から帰ってきました。 まだまだ療養が必要ではあるけれど とりあえず、よかった。 ●二十四の瞳映画村・そうめん 醤油記念館をあとにして、 小説「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場と 二十四の瞳映画村に行きました。 岬の分教場は、実際に使われていた校舎を廃校になった当時のまま 見学できるようになっています。 古い校舎はほこりっぽく、教室にはずいぶん小さく感じる椅子や机、 廊下の窓から差し込む日ざしはやわらかいけれど まだ夏の暑さを残していました。 そこではゆっくりと静かな時間が流れていました。 ところで分校ってちょっとだけいいなと思ってました。 小さい校舎、数名の全校生徒がみんな仲よくて 自然に囲まれてて どこの学校にもあるはずの 通学、授業、学校行事なんかが分校ゆえにそれぞれ珍しく また、こころあたたまる風景としてテレビなんかで紹介されたりして・・・ 分教場はここで学んだひとたちに愛され、 はじめて訪れたひとたちにもなつかしさを与え、 しっかりと守られていました。 二十四の瞳映画村では、1987年に映画化されたときに 撮影に使われた学校の建物やその他の道具類を展示しているほか、 敷地内には壷井栄の文学館もあり、 また、大正時代風の建物のお店がいくつか出ています。 この分校は本当に海のすぐそばにあります。 校庭にいるとたえず波の音が聞こえ、 遠くに近くに瀬戸内海の島々が見えました。 常時「二十四の瞳」の映画を上映している映画館もあり ちょうど最後の再開のシーンをやっていたので そこだけ見て本を再読してこなかったことと 今年の黒木瞳のドラマを見なかったことをちょっと埋め合わせてみました。 大人になった分校の1年生のなかに 野沢直子が出演していたのは思いがけないことでした。 お昼ごはんは映画村の中のお店で やはり小豆島名物のそうめんを食べました。 これがいままで食べたことのあるそうめんとは違って 麺がしこしこしてじつにおいしかったのです。 これから上陸する四国本島の讃岐うどんの予兆を感じ、 やはりそうめんを食べることにしてよかったと思いました。 名物にうまいものありですよ。 10月4日「実録トラベリング・ラビッツ四国編2」 ●マルキン醤油記念館 小豆島での2日目は本格的?に観光開始です。 小豆島では醤油造りが古くから盛んで、名産品となっています。 島にはいくつもの醤油工場があるのです。 わたしたちは醤油造りの行程や歴史を紹介している 「マルキン醤油記念館」を見学しました。 ここでは昔ながらの木造の醤油蔵を利用して展示を行なっています。 中に入ると、長年かけてしみついた醤油の深い香りが漂います。 ひっそりとしてほの暗い蔵の中でこの香りを吸いこむと、 しみじみうれしくなってしまい、 やっぱりお醤油だなぁ、日本人は・・・と思うんですね。 記念館では、醤油造りが機械化される前に使われていた、 大きな桶や樽などを見ることができました。 ここは入館料が210円なのですが おみやげに卓上サイズの醤油の小瓶をくれます。 うれしいサービスです。 ・・・まあ、このおみやげ醤油は 交通事故のどさくさでどこかにいってしまいましたが・・・ そして、記念館の外の売店では 醤油ソフトクリームを売っています。 これがまたなんとも 不思議な味で、しかし驚きのおいしさなのです。 ガイドブックには、 例えていうなら香ばしいキャラメルみたいな味と書かれていましたが たしかにそんな感じです。 でも、ちゃんとしょっぱくて醤油の味、 なんだけど、甘くてクリームでスウィーツな味です。 しっかりおいしい醤油で作るからこそ こんなに感激の味になるんだろうと思います。 あらためて醤油のよさを認識し、 醤油をスキでよかったと思うことができました。 10月3日 その2 気を取り直して・・・ 半分だけ楽しかった四国旅行のこと ピンポイントで掲載します。 「実録トラベリング・ラビッツ四国編」です〜 ●小豆島の1億円トイレ 1日目の午後、飛行機と車とフェリーを乗り継いで わたしたちは小豆島に上陸しました。 そして、ホテルにチェックインする前に 寒霞渓という峡谷に行きました。 そこには小豆島の街の景色や変わったカタチの岩や絶壁を 見下ろせる展望台があります。 くねくねとした山道を登りきって寒霞渓に到着し、 駐車場に見つけた公衆トイレに行こうとしたのですが なぜか入り口が自動ドアになっているのです。 珍しいと思って中に入るとさらにびっくり、 そこは総工費1億円の超豪華公衆トイレだったのでした。 れんが造りの円形の建物の中には 公衆電話と数々の観葉植物、 中央には休憩用の木のベンチ、そして冷房設備 全部の個室はウォーマーとシャワーつきの洋式便器で 洗面台は大理石で、壁には小豆島の風景を撮影した写真が飾られていました。 観光地の公衆トイレがあまり衛生的でないというイメージを 払拭するべく、この1億円トイレが建設されたとの案内板がありました。 こういうおもしろ豪華施設に、 旅先で思いがけず出会ったのがうれしくて これだけでさっそく小豆島にきてよかったと、思ったのでした。 10月3日 四国の旅から帰ってきました。 本来ならここで旅行記のひとつも 掲載すべきところなのですが・・・ 実は、旅行中に交通事故に遭ったのです。 香川県と徳島県の県境に近い町、 さぬき市の田面峠というところの山道で わたしたちの乗ったレンタカーと センターラインを越えて向かってきた対向車の、 乗用車同士の、正面衝突でした。 同行した3人のうちわたしと運転していたこばやしさまは 胸や首に痛みがあるものの 切り傷や出血はなく、なんとか無事でした。 後部座席に乗っていたトモコ姉さまが 顔面を強打して頬の骨を骨折、 東かがわ市の病院に救急車で搬送され そのまま入院となりました。 トモコ姉さまは今、ひとりで四国に残されているわけです。 相手の人もとくに大きいけがはなかったようですが 首が回らないらしいです。 (滞在中一度も顔を見せなかったからどんなヤツなのかとか 詳しいことはわかんないけど28歳の男の子?っていうか・・らしい) 事故が起こる前までは楽しい旅行だったのに、 そのあとはもう、つらく悔しい思いで過ごしました。 身内もいない知らない土地で、そして限られた時間の中での いろいろな手続き、入院の準備、帰る方法の算段、自分の体調に対する不安、 疲れました。 わたしはちょうどぶつかる瞬間を見ていませんでした。 こばやしさまが「ああーっ」と声をあげ、 前方を見ようとしたときには衝撃を受けエアバッグが開いていたのです。 衝突した2台の車が止まった位置からしても、 こばやしさまとトモコ姉さま、後ろの車に乗っていた人の証言からも 相手がカーブを曲がりきらず、 反対車線に突っ込んできたことは明らかであるとのことです。 今日は1日かけて検査を受けました。 わたしのほうは、胸と腰の打撲だけで 頭や首にとくに異常はなかったです。 大切です、エアバッグとシートベルト。 ほんとうに。 9月28日 明日からいよいよ四国へ旅にでます。 そのための忙しい日々であった・・・ そして帰ってきてからが怖いのであった・・・ でも、こんなときほど「プレビュー・ラビッツ」を 更新してしまうのはなぜか? 不在の間に「レビュー・ラビッツ」は4周年をむかえてしまうのでした。 いやはや。 9月27日 『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ 著)を読み終わりました。 これを読んでいたため小豆島行きをあさってにひかえた今日になっても 『二十四の瞳』に手をつけられないでいたわけなのですが・・・ ちょっとプレビューです。 主人公のバスチアン少年は古本屋さんから本を盗み 学校の物置きに隠れて読み続けます。 すると、本の物語の中に なんと読んでいる自分のことが書かれているのです。 しかも、本の中の世界「ファンタージエン」は崩壊の危機をむかえており、 危機を救えるのはほかでもない人間のバスチアンであると綴られています。 最初はこのことを信じられなかったバスチアンが 呼びかけに応えて本の中に入り込む決意をします・・・ ファンタジーは異世界の物語です。 見たこともない生き物が棲んでいたり、 はなやかな魔法や不思議な現象が繰り広げられたりもします。 ここでは、人は心を解放し、さまざまな冒険を楽しむことができます。 しかし、物語によって人を異世界へ連れ出すためには その世界は空想でありながらも 相当な現実感を持っていなければならないのです。 そうでなければ物語は、 たいくつで空虚な単なる言葉の羅列にしか感じられないのです。 現実世界の少年が導かれるまま 本に書かれている世界へと入ってゆく過程を こんなにも鮮やかに確かな手ざわりをともなって 描くことのできたエンデはすごい作家だなぁと思います。 人間のみずみずしい心と結びついている ファンタージエンに深く思いをはせることができるのです。 バスチアンが本の中の世界で経験する数々の冒険は 楽しいこともあるけれど 欲に惑わされたり苦痛を味わうできごともあります。 でも、それはみんな自分の道、 自分や、他の誰かを愛する気持ちにつながる道なのです。 先が見えない不安で迷い落ち込みいらだっているときでも そのままの自分でいいのだという 勇気と安らぎを与えてくれる物語です。 9月20日 ドラマの「電車男」、わたしも見ています。 第1回から欠かさず見ちゃっています。 新番組として始まった日はたまたま、帰りが遅かったため エアロビ行くのやめよ〜と、テレビをつけて そういえば今日から「電車男」のドラマが始まるって めざましテレビで言ってたっけな〜 とか、思いながらなんとなく見始めたらこれがすっかり気に入ってしまいました。 本も読みました。掲示板のカタチそのままなのに 告白するところなんてほんとにドキドキしました。 まっすぐな二人の気持ち、感動しました。 ドラマ第1回の頃の電車男はなんともなさけなく、間が悪く、 いろんなところで理不尽な災難に見舞われたり いろんな人に不当につらくあたられたりしていたわけですが あんなオタクたしかにヤだもんなぁ・・・ と視聴者に思わせる悲壮感があったものでした。 その後電車男はエルメスに恋をして、 彼女と親しくなるため、彼女にふさわしい相手となるために 勇気を持って数々の行動を起こし、 向上するための努力を重ねてゆきます。 その一生懸命な姿に、インターネットの掲示板で 電車男の報告をうける不特定多数の人たち、 それだけでなく、電車男の現実の身近な人たちでさえも 心をうたれ、前進する力をもらうのでした。 そしてドラマを見ている視聴者も。 単にアニメとかが好きなだけで オタクはヤだ、という理由になるわけじゃないと思うのですね。 ・・・だからつまりはアニメ「しか」スキじゃなかったり じつはそんな「アニメしかスキじゃない自分」しかスキじゃなかったり たまに誰かが好意を持って理解しようと近づいてきたのに その相手の好意と歩み寄りに誠実に応えようともしない。 いわゆるモテモテのイケメンたちに引け目を感じつつも じつは自分の世界を変に崇高なものと思い込んでいるから 現実の女の子と向き合ったらうまく話題も見つけられないくせに 自分が相手のために変わったり歩み寄ったり理解してあげようなんて思いもよらない そういうのが! まあいいや、電車男が好きな劇中のアニメのフィギュア けっこうほしい。 エルメスたんが誕生日にもらってた〜♪ 9月17日 先週のことになりますが「チャーリーとチョコレート工場」 観てきました。 本を読んだときは楽しく甘くおいしい気分にひたっておりました。 映画版は楽しくもありましたが苦めの笑いがあとひきました。 悪い子たちがヒドイ目に遭うところのおかしさが際立っていたというか。 ワンカさんのイメージもだいぶ思ってたのとちがったな〜。 あれはあれでよいキャラクターだと思うのですが・・・ まあ、家族の挿話が組み込まれていたからな〜。 なんか評価が思わしくないのはなぜかというと きわめて個人的な理由で、 劇場のわたしの指定された席に別の人が座ってたからなんですけどね。 余裕を持って映画館についたつもりが チケット売り場が混んでいて、 結局会場の中に入ったのは照明が消されて予告編が始まってからだったのです。 あてがわれた席は奥のほうだったため人がいっぱい座っている前を 通っていかなければならず、暗くなってしまったし、 たしかにあそこのはずなんだけど、と思いながらも 確認もままならないので、けっきょく反対側の奥のあいてた席に座って そこの席にまた座るべき人がこないかと・・・ ハラハラしながら映画の前半をやり過ごしました。 ・・・チャーリーが金のチケットを当てるとこまで誰もこなかったら大丈夫 と自分で決めてみたりしまして(ストーリー知っててよかった)。 まあ、幸いなことに誰もこなかったんですが、 ずっと腹立たしい気持ちをかかえながら 楽しみにしていた映画を観なければならなかったことが とても残念でした。 終わったあとでわたしの座るべき席に座ってた人(2人連れだった)を 呼び止めてチケットを提示しながら 「場所、どこでしたか?まあ、誰もこなかったからよかったですけど?」 なんてこのイラダチをほんのわずか(?)ぶつけてみたりしたのですが(笑) そういうことは上映前に係りの人に言えばよかったのだということに 気がついたのは、家に帰って家族にそのことを話してからでした。 「チャーリーとチョコレート工場」で訴えたかった家族の大切さって こういうこと?(違うか) 8月30日〜終わらない夏休み〜 「夏休みは終わらない」という歌があります。 じつはおニャン子クラブの曲なんですが・・・ 夏が終わりに近づいたこの頃、 ふとこの曲の存在を思い出して、聴いてみたりしています。 え〜、いまさらおニャン子〜?とどうぞ怪しまずに(笑) 親しみやすくてなおかつオシャレなメロディラインに 夏の淡い恋の想い出をつぎつぎと切りとったような歌詞をのせています。 さらに、早めのテンポに胸をうつリズム、 そしてサウンドがせつなさをかきたてます。 まあ、おニャン子たちの歌唱力はさておくとしても・・・ 歌詞が「僕」という男の子の言葉で語られています。 「僕」が住んでいる海辺の街に、 夏の間だけきていた女の子。 仲よくなって、禁止されている花火をこっそりためしたり、 二人で撮った写真をしおりにして日記を書いたり・・・ でもやがて女の子が街に帰ってしまう日がきます。 彼女を乗せたバスがいってしまっても いっしょに過ごした夏休みをいつまでも終わりにできない「僕」。 わたしにもまだ夏休みがあったころ 夏の終わりって、というより夏休みの終わりって やはりもの悲しくせつないものでした。 夏の終わりの曇りの日はさらにそういう気分が増したものです。 「夏休みは終わらない」はこの雰囲気にぴったりだなぁ、と思うのです。 今でも、知る人ぞ知る名曲なのですよ、おそらく。 解散してから15年以上たち、 あえて大人になってしまってからおニャン子クラブやうしろゆびさされ組などの ベスト廉価版CDをインターネット通販で購入しているあたり、 ようするにわたしは小学生くらいのときかなりおニャン子に夢中になっていたわけで 当時のことを懐かしみつつ聞き返しているというところなのです。 今でいうモーニング娘。との比較とか おニャン子の中ではゆうゆが好きだったとか ふつうっぽい、というかはっきりいってふつうの子たちが 集まって会員番号つけられて 歌を歌ったりするとなんであんなにココロひかれる現象となったのか というようなことを語りますとさらに長くなりそうなので それらはまたの機会にゆずりましょうか。 でも「かしこ」も名曲・・・ 8月29日 超久しぶりのレビューのページ更新でした。 この2編については思いついてから公開までに1年半くらいの 間隔があいています。 9月には「チョコレート工場の秘密」の映画も公開されるんですね。 なんだか今話題の作品の紹介になっておりますが この文章自体はおととし書いたんでした。 8月2日 『母に習えばウマウマごはん』(小栗左多里 著)を読みました。 これは料理レシピとマンガで構成されている本で、 『ダーリンは外国人』と同じ人の作です。 昔料理教室の先生をしていたという お母さんに教わった料理の数々が紹介されており、 また、その母の人柄や、各料理を実際に作ってみたときのことが マンガに描かれています。 載ってる料理を見てみると作り方はどれも簡単なのに 意外な素材の組み合わせで楽しく、それにみんなおいしそうなので、 作って食べてみたくなるものがたくさんありました。 母のモットー「簡単に、身近な材料で、目先を変える」の通りでした。 さらにマンガとあわせて読めば関心はもっと高まります。 正直なところ、マンガに期待をして買ったのであり、 載っている料理を作るところまではしないかな〜、と思っていたのですが 読んでみたらこんなに作ってみたいと思う料理本は あまりないよなぁと思うほどです。 それにしても小栗左多里さんのマンガはものすご〜く親しみが持てますね。 ここまで登場人物(エッセイ作品の場合本人含む、ですが)が 身近に感じられるマンガっていうのもなかなか貴重と思います。 ダーリンが出てこなくてもじゅうぶんおもしろかったけれど ダーリンが出てくるとおもしろさが飛躍的に上昇しています。 7月26日 新潟県でネコを飼っているからには 家に置いてみたいグッズがあります。 それは「ねこちぐら」です。 「ねこちぐら」とは新潟県岩船郡関川村の工芸品で、 ネコが入るための、ワラで編まれたかごのことです。 ねこちぐらの実物を県内の道の駅で見かけました。 (関川村で見たわけではないのですが) それから、三重県伊勢市の伊勢神宮へ向かう道「おかげ横丁」で、 各地の工芸品を扱っているお店でも、 新潟県ならではの品として、店頭に並べられていました。 稲ワラをぎっちりと編み込んである頑丈なつくりで、 編み目の整然と並ぶようすはとてもみごとです。 値段もそれなりに高く、12000円くらいだった気がします。 このなかにくりさんが入って プロの技ともいえる領域のさまざまな悩殺ポーズを・・・ (↑このあたりがバカいぬしさ加減のあらわれと言えますが なにしろうちのくりさんはコレで飼い主を魅了することによって ゴハンを食べているスーパーモデルなので・・・ まあどうでもいいですね) と考えると旅先の衝動にまかせてえいっと買っちゃえばいいようなものなんですが もし見向きもされなかったら、相当悲しきインテリアになっちゃうんだろうなあと思うと いまだ購入には踏み切れないのでした。 プロは仕事の道具を選ぶものだからね←まだいうか 7月24日 『へこまない女』(はにわきみこ 著)という本を読んでいます。 最初図書館で借りて読んでみたら気に入ってしまい、 文庫版も出ていることを知ったので入手して再読中というわけです。 つらいことがあって落ち込んでしまったとき、 いつまでもぐるぐる悩んでいては回復できません かといって悩むなっていうのもムリ! そんなとき、ココロはともかくカタチから回復の手がかりを見つけよう。 とにかくなにかすぐにでも 楽しめるコトを始めよう、さあ、行動しよう〜! 落ち込み気分から立ち直るためのきっかけにできる 具体的な35の行動メニューが載ってます。 どれもこの著者が実際に体験してきたものばかり。 へこみから回復するだけでなく、 新しい発見や楽しみや能力を伴って、 へこむ前より充実した自分になれちゃったらお得かも。 失恋やリコンや、いろいろなへこみをのりこえてきたはにわさん 文章からはなみなみならぬ前進パワーが伺えますが、 落ち込んでいる人たちを見守ってくれているような あたたかいまなざしも感じます。 「あなたにもできるよ、なれるよ、へこまない女!」と。 自分なりのへこまないメニューを考えながら読みました。 すでにわたしがやってることも載っていたりするから。 エアロビクスとパソコンはもうやってる〜 ヘアチェンジはこないだやったし(効果ありますね) 料理もそのうち再開ね、フラメンコやってみたいかも。 そしてイメージトレーニング・・・ これが今の自分にとってはいちばん重要かな。 それでサイト再開、っていうのもあるんです。じつは。 7月23日 もう4カ月ほど前の話になりますが・・・ 新聞の新刊広告欄で 『子どもの替え歌傑作集』(鳥越信 著)という本の題名を見かけたとき これは読んでおかねばなるまい、とさっそく入手したのです。 (注:この著作は1998年に平凡社より刊行されていました。 わたしが見かけたのは2005年に 平凡社ライブラリー版が出たときの新刊案内でした。) 子どもが作ったり歌ったりする替え歌というのは どちらかといえば大人が眉をひそめてしまうような いかがわしいというか教育上よろしくない内容のものが多いゆえ あまり表立って評価されることもなく、 作中の言葉通り日陰に咲いた徒花の如き裏の文化なのです。 しかし替え歌は子どもから子どもへ歌いつがれてゆく伝承文化であり また、うまいこというなぁという「作品」も少なからずある ということで、 さまざまな替え歌を収集、体系化し、 それらの替え歌の特徴から 歌われた時代の子どもと子どもを取り巻く文化について論じている 学術的な著作なのです。 わたしは替え歌が大好きな子どもでした。 大人になってもやっぱり替え歌が好きなのでした。 かつて「ボキャブラ天国」 (映像付きの替え歌とか、若手芸人の演じるダジャレがオチの短いコントを 鑑賞し採点する番組) に熱狂し、今でもあの熱きボキャ天全盛期に思いを馳せるこのわたしです。 タイトルが替え歌の「傑作集」であるところに期待が高まりました。 著者自身がまず、文化の分析、とかそういうこと以前に替え歌を楽しんでいるのです。 そして、たわいもない内容の替え歌に けっこうキビしい評価を真剣に加えているところもよろしいです。 じつに網羅的に収集されているので わたしがかつて歌ったり耳にしたりして記憶に残っている替え歌は ほぼすべてが収録されていました。これは驚きです。 それから、少なからず存在するひわいな替え歌は 替え歌界でもさらに裏側の部分との意味で 「B面」として巻末のほうに集められています。これもまたこころにくいです。 いままであまり文章化されることがなかったけれども 残すべき(?)文化の次世代への伝承の源として・・・ 替え歌の歌詞が学問的に大まじめに掲載されたテキストを所有しているのも なかなかうれしいもんだと思うのです。 7月21日 我が家の巨ネコ・久里之輔(くりさん)も満2歳、健やかに育っております。 シモ関係のことでたまに動物病院のお世話になってますな。 あと、近所のノラネコに威嚇されていつも逃げ帰ってきます。 先月ケンカに負けてできた傷口、ばっちり化膿してました。 休日時間外にあわてて病院行ったら、あっさり指摘されました。 「ケンカでできた傷ですねぇ」 医療費が高・・・じゃなかった くりさんにはいつも元気でいてほしいので、 自分より強いものに立ち向かっていくとか、 あまり無謀な挑発とかはしないでもらいたいものです。 ところで、女優・室井滋の愛猫「チビ」はくりさんとそっくりの茶トラです。 『チビのお見合い』という写真エッセイを入手して眺め楽しんでおります。 茶トラのネコってけっこう多いみたいです。 きっと雑種ネコの交配の歴史の中で、 より強い種であったため後世に残っていったのが この柄だったのではないかとニラんでいるのですが・・・ 茶トラネコの写真が載っているキャットフードの袋や雑誌の広告なんかを見ると 「ああっ、スーパーモデルくりさんが我々家族の知らない間にこんなところに出演してる!」 って騒ぐ飼い主ってやっぱりバカいぬしですかねぇ(笑) というか、実はくりさんがムロイ氏に頼みこまれて本に出演してあげたのだ、 っていう説を思いつく飼い主ってやっぱり大バカいぬしですかねぇ(苦笑) 7月20日・その2 そのような状況でも本はそれなりに読んでおりまして ・・・ジムの待ち時間とか名古屋行きの新幹線の中とかでね・・・いやはや。 ひとつ書いておきます。 『負け犬の遠吠え』(酒井順子 著) テレビなどで耳にします「負け犬」という呼称、 「三十代、独身、子ナシ」の女性の総称だということですが 最初ずいぶんとひどい言い方だと思ったのです。 それじゃあまるで、三十歳を過ぎて独身で子どもがいないというだけで 人生の敗北者であり、人間としての価値を否定されているってことではないですか。 負け犬というのは、そのように人を蔑む意味を含む言葉ではないですか。 しかしまあ、反発する前に、 まずはもとになった著作を読んで真意を知らねばと思い この本を手にしたというわけです。 著者自身もいわゆる負け犬。 結婚して子どもをうみ育てることが 人間として、ひいては生物としてまっとうであるという見地から見れば それができている人はできてない人よりえらいんだという、 そういう風潮でちくりちくりと負け犬たち追いつめるこの世の中、 「たしかにわたしたちは負けです〜」 とおなかを見せて負けを認めてラクに生きていっちゃおう という意図で、自らを含む三十代独身女性たちのことを このように称しているとのことなのです。 なぜ現代女性が負け犬となるのか、 その経緯や負け犬となった女性たちの生活や性格の特徴を いろいろな角度から分析しています。おおいにうなずけます。 そーそー、理由があるんです。 高学歴高収入となった女性が自分より高い相手を求めるから。 堅実な結婚よりちょっとスリリングでおもしろそうな恋にこころひかれるから。 純粋な愛を求めるがゆえに、たとえ目の前に結婚相手となりそうな男性があらわれても、 生涯のパートナーとしてえらびとることをしなかったから。 そして、本来子どもを産み育てるべき時期に それをしない負け犬たちは、有り余る情熱やエネルギーを自分のため、 つまり趣味などの活動やファッション研究に傾けます。 これもわかる・・・ 和風を好みスターをおっかけジムやスタジオで踊り旅行を楽しみ手芸の大作をつくりあげ、 そして自分をより高め、内面も外面もしっかり磨いてゆく、 なのに、いや、だからこそ結婚が遠のいてしまうという・・・ これ読んだら結婚なんてしないほうが楽しいんじゃないかと思ってしまいます。 っていうかそう思うことがすでに負け犬体質のあらわれなのでしょうね。 30代前半はまだ遊んどかなきゃね〜〜なんて思ってしまう。 まああと数カ月、わたしもこの本でいうところの いちばん楽しい年代の負け犬ライフを味わってみようかと、思っております。 (でも負け犬として論じられているのは 高学歴でキャリアがあって高収入、 メイクもファッションも身の回りの持ち物や家の中もばっちり整えた、 けしてモテないわけじゃないのに結婚していない女性たちのこと・・・ そうでない人のことはなんだか最初から除外している感じ、です。 むむ、ということでどちらにせよ、 すごく仕事ができるわけでもなく服装にも疎いこのわたしは この本でいうところの真の負け犬にはなりえないんでした、 くぅ〜ん・・・やっぱり勝ちにいこうっと) 2005年7月20日 いやはや・・・ ほんとにまたしてもインターネットから遠ざかってしまい サイトもほったらかしとなってます。 インターネット疎遠となったことには、いちおう原因があります。 1 スポーツジムでエアロビクス等に興じているため 2 オンラインゲームのファイナルファンタジー11に興じているため 3 遠距離恋愛(新潟←→名古屋)に興じているため もはやここを読んでいる人はいないと思いますが ・・・こんな理由ですいません。 まず1ですね、現在市内の2つのジムに入会しています。 ひとつにしておけばよいものを、どちらにもそれぞれに利点が、いやはや。 そして2 これが最も大きな原因といえそうですが、 ひとたび始めてしまったら数時間はやめることのできない他人数オンライン、 どっぷりはまってますね、飽きないもんなんですよ、む〜。 プレイステーション2でネット接続してしまうと そのあと10数分パソコンで接続できなくなってしまうという、いやはや。 さらに3ですが・・・うははは。 もちろんネット発なのはいうまでもなく。 誰も見てないと思って書いてますが 2006年の3月いっぱいで今の職場をやめて 名古屋に移住しちゃおうという そういうつもりです。 まあ別に見られてたっていいんですけどね、 ていうか、むしろ、さあ見よ!!ってことです。いやはや。 そして今日はれんれんのお誕生日であった・・・とほほ。 南知多のえびせんべいの里で手作りした 大判絵つけえびせんの写真をトップページに使っております。 更新してから気がつきました。 東海地方によくでかけるようになったものですから 愛・地球博にも行ったりして、 ドイツパビリオンでソーセージ食べたりしてきたものですから。 10月30日 すこし前に読んだ本について。 『面白南極料理人』(西村淳 著) 新聞に載っていた新潮文庫の新刊案内で見かけて これは!!!と思い買いました。 著者は南極観測隊に料理担当として参加したのです。 世界の果ての果て、ウィルスさえも生存できない過酷な寒さの南極で 隊員たちはいったいどんなものを食べて生活していくのだろうか?? そーとーに興味をそそられるテーマなのです。 しかし読んでみますと その食事メニューがかなり充実したものなのでびっくりします。 本格中華、フレンチ、和食、などなど、 そして数々のお酒類・・・ 1年分の食糧が、大きな観測船に大量に積み込まれているのです。 保存がきくように、冷凍や乾燥などじつにさまざまな技術を駆使して じつにさまざまな食材が集められます。 ・・・「食料をたくさん積み込んで遠くへ航海に出かける船」って 子どものころからなんかものすごく魅力的な存在なんですよねぇ。 観測隊には、学術研究の専門家たちと 南極での生活をサポートする各分野のエキスパートたちが同行しているわけで 著者にしてもかなり腕の立つ料理人なわけです。 過酷な環境の中でいとも軽やかにあざやかに そして適度に手を抜きながら、おもしろおかしく 仲間たちのため、料理をこなしているのです。 料理その他の「」つきのネーミングが 笑いをとることを意識しすぎちゃっててちょっとくどいかなぁ なんて思っちゃったけどまあささいなことですね。 10月29日 ぼちぼちと、最近読んだ本のことも書きとめておきます。 村上春樹の『アフターダーク』読みました〜〜。 三人称の形式なのですね、「僕」ではなかったですね。 都会でくりかえされる深夜のなかのある一晩に起こった、 あるひとつのできごと、 すこしずつ関わりを持つ人々のようすが、 時間を追って描かれます。 しかし時間が経てば当然、 真夜中の深い闇が、ほのぼのと明るくなってやがて朝がきて そして『アフターダーク』の物語もそこで終わりです。 真夜中のあとやってくるときこそが「アフターダーク」、 読み終われば、 夜明けのまだ新しいほんのりとした明るさのように、 ほのかな希望が残りました。 『アフターダーク』はベストセラーになっているようです。 TVで見かけて関心を持った職場の人から どんな話でどんなふうにおもしろかったのか、と聞かれて うまく答えられなかったわたしです。 「女の子が夜中のファミレスで本を読んでるところに ちょっと知り合いの大学生の男が来て そのあと中国語ができるからっていうことで女の子が呼ばれて・・・」 「・・・???」 まあねぇ・・・。 2004年10月24日 ずいぶん、ずいぶんとひさしぶりの更新となってしまいました。 壁紙、ちょっとオリジナルになりました♪ 昨日の夕方に大きな地震が起こってから、 24時間が過ぎようとしています。 わたしの住む地域は震源の小千谷市からやや離れているので 断水も停電もなく、ガスも電話も止まりませんでしたが あんなに強い揺れを体験したのは初めてのことでした。 今も余震が続いていて、ヘリコプターが上空を飛び、 今日は不安な休日となりました。 これを書いている間にも・・・ 地震には音があることを知りました。 まず、どこからかどすん、という音が聞こえ、 揺れが始まると家もみしみしと鳴ります・・・。 どうか平和で穏やかな暮らしが早く戻りますように。 |