自己「顕示」欲の強い男の、話の押し売りのコーナーです。
昨今の北朝鮮情勢を見て思うこと
(所謂)北朝鮮に対する制裁措置に関する国連安保理決議を受け、北朝鮮大使が決議批判のステイトメントを発し決然と退席したが、多くの日本人はこれに良く似た光景を見たことがあるだろう。昭和8(1933)年、満州国の拡大行動に対し、国際連盟が対日勧告を採択した際、「日本政府は今や日支紛争に関し連盟と協力する努力の限界に達したと感じざるをえなくなった」と述べて席をけって退場した、松岡洋右の姿である。1ヵ月後、日本は国際連盟を脱退し、国際的に孤立を深めていき、海外からの物資調達もままならなくなり、アメリカの石油禁輸を受け、太平洋戦争への道を突き進んで行くことになる。
現在の北朝鮮の置かれている立場が、昭和初期の日本に酷似している、と感じているのは私だけだろうか。各国の経済制裁が効を奏した時、北朝鮮が無茶を承知で宣戦布告する可能性があるということを、身をもってわかっているのは日本であり、今のアメリカの対朝政策は、太平洋戦争前夜の対日政策そのものではないのか。意外なことに対朝制裁について保守勢力の中に慎重論があるというのも、こうしたことを一番感覚的にわかる者がいる、ということではないか。北朝鮮を追い詰め過ぎると、負け戦と知りながら銃を手にするということを、触角で感じているのだろう。
昨今、こと北朝鮮のこととなると、やたら感情的になる手合いが多い。安倍晋三という男もそうだ。
安倍政権が成立して1ヶ月足らず。外因によるものが多いとはいえ、世論の右傾化には甚だしいものがある。友人などと話していても、本人は無自覚なところでその物言いがタカ派化していることがよくある。中川自民党政調会長の発言など、何をかいわんやではあるが、このような過激な発言が、ニュース・ヴァリューはあっても、世論から大批判が巻き起こってこないということが、右傾化風潮の証左であろう。
よく言われることではあるが、安倍は祖父・岸信介(言わずと知れたA級戦犯である)の膝の上で育った。これ以上のマインド・コントロールはあるまい。自民党内でもとびきりのタカ派と言われる所以である。かつて右翼団体を率いた中曽根康弘ですら待ったをかけるような行動をとる、安倍はそういう人間だ。
金正日を元首に頂く北朝鮮国民も不幸だが、安倍総理大臣を選出してしまった日本国民が不幸に陥らぬよう、微力でも危険な世論形成に抗する姿勢は堅持していきたい。
※この記事は他サイトに掲載したものを転載したものです。
(2006/10/17)
小論・吉本隆明
近年の著作について
個別の著作についての批評はちょっと置いといて、長年吉本を読んできて感じるのは、あの水難事故を境に、言葉で表現するという行為に対する姿勢が変わったのではないか、ということです。かつては、言語の限界というか、ある概念を表現するのに、可能な限りの言葉を駆使して、突き詰めて突き詰めて、とにかく非言語概念を言語にトランスレイトするような姿勢でほとんどの著作が書かれていたような気がします(その典型が「言語にとって美とは何か」「心的現象論序説」かと思います。)。しかし、この近年の著作は、一般的には「平易になった」「わかりやすく書くようになった」「理解しやすい」などと言われていますが、そうなのでしょうか。私には、年齢的あるいは体力的な問題なのか、それとも意識的にスタンスを変えたのかわかりませんが、以前ならもっと言葉を駆使して他に表現のしようのないところまで突き詰めて書いてたものを、一般的な文学・評論と同じように、「行間」を使って表現するようになったのではないかと思えるのです。なので私には、難解でしつこくてまわりくどい表現でも、書かれていることだけを受け容れていけばよかった、かつての著作の方がむしろわかりやすいし、言葉になっていないものまで読み込まなければならない近著の方がより難しい、理解するのがしんどいものに感じられます。そういう意味で、ある時期までの著作と、近年の著作を、同じ眼で読んでしまうと、本来の吉本の真意を読み取ることができないのではないか、と感じています。
フーコーとの対談について
フーコーとの対談については、「フーコーが逃げ切った」という感想を持っています。吉本がマルクスについて、真正面から、かなり限定した点に言及しているのに、フーコーは話を一般化、普遍化してしまっています。そのようなやりとりが何度もくりかえされています。ことマルクスについては吉本の方が読み込みが深く、フーコーは逃げた、というのが私の理解です。 「逃げた」んですから、これはフーコーの負けでしょう。全然答えになってないことばかり言ってるんですから。
ボードリヤールとの対話について
物凄く簡略化した喩えですが、ボードリヤールの思想というか方法論の出発点というのは、「万物はすべて下部構造である。しかし、下部構造はすべて上部構造である。」ということですよね。しかし、吉本は、ここが吉本が「マルクス人」である所以かとも思いますが、上部構造、下部構造を明らかに措定している。だから同じ事象について語ったところで、まず土俵が違う。そこを前提として確認した上で、お互いの発言を咀嚼していかないと、どこまでも話は噛み合わないと思います。日本でボードリヤールに一番近いところにいた言論人は、「宇宙人」にイッてしまう前の栗本慎一郎あたりだと思うのですが、「相対幻論」でも、栗本がかなり気をつかってチャカしてごまかしていますが、そうした土俵の違いを感じさせる場面は多かったように思います。ボードリヤールにせよ、栗本にせよ、また所謂現代思想家たちは、構造主義、ポスト・モダンの流れについて、肯定的にせよ批判的にせよ、何らかの形で影響というか、それを前提に発言しているのに対し、吉本は、読んではいるのでしょうが、そんなこととは全く関係のないところで自らの思想形成をしている。なので同じ言葉が全く違う意味で使われていたり、一般的には前提となっているようなことが、前提になっていない、ということがある。そういう意味で吉本の発言、著作については、所謂現代思想と同じ文脈で読んではいけないところがあるように思います。
※この記事は他サイトに掲載したものを転載したものです。
(2006/7/15)
「顕示」物語 初の特別対談企画
「共産主義の行方とマルクスの評価」
対談:KAZUYA!/本吉明隆
KAZUYA!(以下K):「帝国主義論」10ページで撃沈・・・。
今、読まなければと思いつつ・・・。
本吉(以下M):何故、今「帝国主義論」? レーニン再評価?それとも今のアメリカの右傾化に関係?あ、あの、もしかして、岡田真澄がレーニンに似てるから? 違うか・・・
K:僕ちゃんが思うに歴史上は共産主義国家は未だに存在しないのよ!原始共産主義やイスラエルのキブツ?は問題外だし!ソ連型の社会主義(移行中)の失敗だと・・・。
M:賛成です。共産主義を原点に帰って再考するには、菅孝行「マルクスと現代」は必読です。所謂ボルシェヴィズムが本来のマルクス主義といかに乖離していたかをはっきりと示しています。
K: 「マルクスと現代」ですか! 今、「空想から科学へ」を読みなおししてます。 その後、探してみますね。資本主義の発展がないと社会主義は実質無理! 中国やベトナムはまだまだ・・・・。
M:う〜ん。この部分については、マルクスの言う「アジア的」という概念に関係してくると思うのですが、マルクス自身、考え方が変転しているところがあるんですよね。レーニンや毛沢東は、後期マルクスの修正案みたいなイメージなんでしょうが、私はこのあたりには批判的な立場ってことになるんでしょう。吉本隆明が一時期いやにこだわっていた「アジア的」という言葉の読み込みに非常に共感を覚えています。そもそも、高度に発展した資本主義〜社会主義〜共産主義というマルクス自身も唱えていたある種の進化論は、あくまでヨーロッパの事情であって、全く違った経路もありうるのではないか、という。個人的には、この進化論を教条化してしまったのは、多くはエンゲルスに責があるのではないかと思うのですが、よく引き合いに出される「経済学・哲学草稿」以前には、マルクスは必ずしもこの進化論がすべてという見方をしていなかったのではないか、という立場です。「共産党宣言」にせよ、「資本論」にせよ、あくまでヨーロッパにおける革命に向けての実用書として書かれたのでしょうから。
で、ここからは私以外にはあまり見かけない見方ですが、本当のマルクス主義のエッセンスを正統的に継承していたのは、レーニンではなく、トロツキーだったのではないか、というものです。現に旧ソ連、中国、かつての東欧の社会主義諸国、ベトナム、カンボジア、況や北朝鮮など、社会主義のなりそこないのような国家を作り出さないためには、「永続革命」しかないでしょう。トロツキーのマルクスあるいは共産主義に対する理解には、まま危なっかしいところはあるのですが、教条的マルクス主義の危険さ、そこへ収斂してしまうことへの危機感は持っていたように思えます。
K:たしかマルクスはその土地(国)や民族に合った革命や社会主義があると言っていたと・・・。 と言うことは中国、ベトナム、キューバ的な社会主義は否定より肯定的だと思います。 もしかして欧州以外の国の革命は労働者の独裁から資本主義の発展を経て社会主義にが正しいのでしょうか?
エンゲルスは資本論を完成させてマルクスの継承者&同志?だと思っていたので考えは殆んど同じと思ってました(今でも)。 トロツキーは不勉強ですがあまり良い印象はありません。
M:私の見解では、マルクスは基本的には哲学者、思想家なのであって、エンゲルスは実務者的な革命家だったのだと思います。なので、エンゲルス単独の著書は、マルクスの持っていた哲学・思想的なもの、共産主義という社会科学的な概念の背景にあるものをバッサリと捨象してしまっているように思えるのです。エンゲルスはヨーロッパにおける革命のために、マルクスの思想家としての成果・理論を基に、マルクスと共にアクション・プログラムを作った。ここまではマルクスの理論とエンゲルスの理論は同じベクトルであった、ということでよいのだと思います。しかし、レーニンにせよ毛沢東にせよ、非ヨーロッパ(高度な資本主義へまだ到達していないと見做されるところ)での革命理論を打ち立てるならば、その出発点はマルクス=エンゲルス主義ではなく、マルクスそのものに立ち返って考えるべきだったのではないか、というのが私の考えです。実務者エンゲルスがヨーロッパをモデルに構築したものを受け入れるのではなく、自分たちの革命に適したモデルを構築しなければならなかったのではないか、と思うのです。もちろんレーニンも毛沢東もそれぞれ置かれた状況において、革命を実践するためのマニュアルとしての著書を多く残しています。しかし、その骨子となっているのはマルクス=エンゲルス主義ではないでしょうか。さらに、インターナショナルが組織化されることによって、世界中ほとんどの国の共産党にとってマルクス=レーニン主義がイコール共産主義、マルクス主義ということになってしまった。そしてそれは一般人にもそう理解され、ソ連崩壊後、マルクス主義批判となり、マルクスそのものへの評価(不評)につながってしまった。
どこかに以前書いたような気もしますが、1960年代以降(サルトル以降といってもいいかもしれませんが)、スターリニズムによって求心力を失ったマルクス主義をどう位置づけるのか、ということを常に意識していたからこそ、フランス哲学・思想は世界の思想潮流の最先端を走ってきたのだと思いますが、それを政治・経済の実務的なところへ持ち込んでいく、バカな例え、ある意味アイロニカルであることを承知で言えば、「現代のエンゲルス」がいなかった、ということが現代マルクス主義の悲劇だったのかもしれません。
K:そうマルクスは思想家色が強いですね。 まあ時代的な背景があるので、それも仕方ないと思います。 啓蒙思想や空想的な社会主義の時代ですから。 マルクスは家族を持ちながら貧困だったので家族も苦労したそうです。たしかお子さんを亡くされたと。 エンゲルスなど支援者が居なければ多くの出版物は発行されなかったと・・・。
僕が思うにマルクス・レーニン主義やエンゲルスをそのまま実践するのではなく、あくまでも教科書的文献として考えればよいと思います。今の時代に合わないこともありますし、レーニンもネップでの失策もありますし、発展途上国などでは暴力革命も必要になる場合もあると思います。(僕は平和革命ですよ。)
僕も社会主義者は思想や革命もマルクス主義を基盤にするのが良いと考えます。 レーニンもそれにならって革命後ロシアの植民地を解放し国民にパンと土地を与えました。 しかし武装蜂起を訴えましたが、帝国主義国の介入を防ぎ革命を守るため軍隊を持ち続けました。日本軍は7年間もソ連に軍隊を送り帝国主義国の中では一番長く介入をしました。 日本国内の社会主義・共産主義の台頭を防ぐ考えもあったのでしょう。
日本の社会主義思想団体代表格?の社会主義協会(向坂派)はエンゲルスの評価は高いようです。 レーニン、毛沢東は国の指導者なので基盤はマルクス主義でも革命を守りにはいったので難しい立場にあったと思います。 第3世界の社会主義国もしかりと。 「ソ連崩壊後、マルクス主義批判」はナンセンスですね! 確かに欧州でも衰退はしましたが思想的には政党や市民運動、労働組合ではまだ大きな影響力があります。 そうですねフランスやドイツの哲学・思想はマルクスの考えの基盤です。
「現代のエンゲルス」「現代マルクス主義の悲劇」・・・レーニンは指導者・思想家は出てくると言ってますが今は?です。
M:まず、「マルクス主義」(純粋にマルクスのみの思想を咀嚼したもの。吉本隆明言うところの「マルクス人」。)と、「マルクス=エンゲルス主義」、「マルクス=レーニン主義」はしっかり峻別されなければいけないと思います。日本は特にその傾向が強いですが、世界的にも、一般的にはこれらをひとからげに「マルクス主義」と呼んでしまっていることが多いですよね。私は、「マルクス主義」は現代においても示唆するところは大きいものだと思っていますが、「マルクス=エンゲルス主義」「マルクス=レーニン主義」は、あくまでも、ある特定の時代の特定の地域を前提にした革命理論であり、現代においてはすでに「歴史」でしかないと思ってます。
「社会主義」という言葉も、使われているシチュエーションによって、その意味を正しく理解する必要があると思います。一部の共産主義者にとっての「社会主義」とは、共産主義に向かうプロセス上の一段階に過ぎず、最終目的地ではないはずです。また別の一部の共産主義者にとっては、共産主義達成のためにはむしろ邪魔なもの、だったりもするわけです。また、私にはなぜそんなこと考えてるのか全く理解できませんが、「社会主義」を最終目的地とする、社会主義者なる人たちもいます(ここで重要なのは、社会主義者はマルクス主義者ではない、ということです。)。更には一時期ヨーロッパを席捲した社会民主主義をひっくるめて「社会主義」と呼ぶ人たちもいますし、とんでもないことには、「社会主義=共産主義」だと思ってる大馬鹿野郎どももいます。
まずは、こうした言葉の意味を整理した上でないと、なかなか議論が進展することは難しいのではないかと思います。
そういう意味では、かつてはサルトル以降、フランス哲学・思想史が、各々立場は違えど、「マルクス=レーニン主義」と対峙し続けてきたことが、アカデミックなレベルでは、現代思想をリードし続けて来たわけですが、デリダ亡き後、所謂ポスト・モダンの進む道が見えなくなってしまったところで、むしろ今は吉本隆明、柄谷行人などを擁する日本思想界こそが、今後のマルクスに対する身の置き方、読み込み方を示していけるのかもしれません。
(以下、つづきは未定。つづかない気がする。)
※この記事はHP「ボジ夫のプログレ・バー」の掲示板「プログレ・ラウンジBBS」にて論議されたものを転載したものです。
ボジ夫のプログレ・バー:
http://page.freett.com/bozzio0821/
(2006/6/18)
今はなぜかコレにハマッてます。
基本的には連ドラって、毎回観るのが辛いので、滅多にハマることはありません。一話完結でない、本当の意味の「連続ドラマ」としては、一昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」以来でしょうか。今、ハマッちゃって、毎回見逃せなくなってるものがあります。
「宮廷女官 チャングムの誓い〜大長今」(NHK総合 毎週土曜日23:10〜)。
16世紀の韓国王朝で、料理人から出発し、朝鮮王朝唯一人の王の主治医となった歴史上の実在人物の生涯を描いた、まぁ言ってみれば韓国の時代劇、ってことなんでしょうが、これが一筋縄ではいかない、まさに波乱万丈の物語になっているのです。次から次へと事件が起こり、それがまた「え?」というような展開を生んでいく。かつて我が国で一世を風靡した大映テレビ製作のドラマを思わせるような、これでもか、これでもかの不幸の連続なのです。しかも、どうしても次回が気になってしまうようなところで毎回終わるのです。
韓国の歴史には明るくない私には、とこまでが史実で、どこがフィクションなのか、全くわかりませんが、そんなこと気にせず、エンターテインメントとして毎回観てます。毎週土曜日が近づくと、「見逃さないように」と緊張感が高まってしまいます(一度、その時間に観れなかったので、ビデオ録画を予約したのですが、ミスをしてしまい、1回見逃してしまいました。それ以降、ますます緊張の度合いが高まっています。)。
これまでは韓国ドラマなんてオバさんがハマるもの、と決めつけていましたが、前言撤回いたします。
これまで韓国ブームに無縁だった私には説明ができないので、下記サイトをご参照ください。
http://www.aii.co.jp/contents/changum/index.html
http://www.imbc.com/broad/tv/drama/daejanggum/japan/
(2006/5/28)
光陰矢の如し
いやぁ、一年経っちゃったんですね。前回、「新選組!」を総括して、去年一年間「義経」が放送されて、今は「功名が辻」をやってる。なんかついこないだまで「新選組!」観てた気がするんだけどなぁ(「義経」を観ていなかったからかもしれんけど)。そんなに月日が経ったことにふと気がついて、「廃盤になったらまずい」と思って、あわてて「新選組!」のサントラ盤CDを買っちゃいました。
ところで、まだ数回しか観てませんが、「功名が辻」に一言。いくらなんでも、柄本明が秀吉はないでしょ。全然賢そうじゃないし、全然機敏じゃないし、全然無神経にしか見えないし。時代劇史上最悪の秀吉ではないでしょうか。
「新選組!」は毎回ボロボロ泣いて観てたけど、今回は泣けそうにないな。今のところ。
(2006/3/23)
「新選組!」私的始末記
NHK大河ドラマ「新選組!」が終了して2週間が過ぎた。やっと多少は冷静になったと思うので、若干、思うところを書き留めておきたい。
毎週観ている最中はとかくその場の感情に流され、ひたすら泣きまくっていたわけだが、冷静になって観ると「あれ?」と思うような齟齬があちこちにあったように思う。それは別に「史実と違う」とかそんな野暮なことを言おうとしているのではない。三谷幸喜が手がけると聞いた時点で、史実などかおかまいなしにエンタテインメント優先のフィクションになってしまうことは先刻ご承知である。しかし、さすがの三谷も「大河ドラマ」の看板のもと、大局や主要な登場人物の生き死にまでシカトするわけにもいかなかったのであろう、その帳尻合わせが齟齬をきたしてしまっているのだ。三谷の「エンタテインメント優先」の主軸、最優先事項は、常に「近藤勇(香取慎吾)は正しい」ということである。近藤の行動を正当化するために、史実には無かったエピソードを挿入して「正しい動機」の成立する仕掛けを作り上げてしまう。そのこと自体は、フィクションなのだから何もとやかく言うことではないのだが、それがあまりに不自然であったり、史実の行動の動機は「正しい動機」になっても、その仕掛けの中での行動が必ずしも「正しくない」というような「綻び」が散見されてしまうのだ。
例えば、大目付・永井尚志(佐藤B作)に諭され、坂本竜馬(江口洋介)を「あの方はなくてはならぬお方」などと言っておきながら、竜馬が狙われていると聞いても剣術の試合観戦を優先して、試合が終わるまで何ら動こうとせず、結果竜馬は佐々木只三郎(伊原剛志)に暗殺されてしまう (そういう意味では、斉藤一(オダギリジョー)、藤堂平助(中村勘太郎)を置いていった伊東甲子太郎(谷原章介)の方が時勢を見る目があったということになってしまうではないか)。また、近藤が官軍に捕縛された流山にいたことも、史実では官軍に対して陣を敷いていた(実際は交戦の末、敗北して捕縛され、身を偽るも見破られ打ち首となった)からこそ、江戸からさほど遠くない流山にいたわけで、会津に行く前に調練が必要で、調練に適した地が流山、などというのは不自然極まりない。会津に向かうならば、下野でも常陸でも会津に向かう途上に当時ならばいくらでも調練のできる場所などあったはずだ。わざわざ流山に長居するなど、捕まりに行ったようなもんだ。しかも最後の最後、官軍の本陣に出頭する際に土方歳三(山本耕史)から「あくまでシラをきり通せ」と言われ、「近藤勇一世一代の大芝居だ」と、隊士たちに生きて帰ることを約束していながら、取り調べで自分から口を割ってしまうなど、その場だけ観れば、面通しさせられ苦悩する加納鷲雄(小原雅人)に気遣いした優しさに見えるかもしれないが、その実、隊士たちを裏切ってしまったということではないか。ここでは「近藤は正しい」すら破綻しているのである。
こんなことを許してしまうところが、「過去の作品のことは覚えていない。恥ずかしいから忘れてしまう。」などとのたまっている三谷の無責任さなのであるが、しかしまたこの無責任さが数々の秀れたエンタテインメントを生んでいることも事実ではある。しかしながら、毎回落涙せずには観ていられなかった私ですら、こうした場面には涙も止まり、冷ややかにならざるをえなかったのである。
キャストについても、制約があるのは重々承知してはいるが、主役三名は前提条件としてしかたがないとしても、不満は多い。中には、中村有志の岩倉具視、江口洋介の坂本竜馬、宇梶剛士の西郷隆盛など、膝を打つほどのナイス・キャスティングもあった。しかし、草g剛の榎本武揚はファン・サービスとしても、大久保一蔵(保村大和)はもっとクレバーでクールな顔してて欲しかったし、徳川慶喜(今井朋彦)は「家康の再来」といわれたほど才気ばしった文武備わった君子ぶりであったはずなのに、「ニ心様」と言われた移り気なところしか描写されていないよう。一番違和感があったのは野田秀樹の勝海舟。江戸っ子でガラッパチ、ざっくばらんとは言っても、あんなウジウジした物の言い方はないでしょう。もっと堂々として欲しかった。知的で大胆不敵、それでいてフランク。私なら「橋爪功」だけどなぁ・・・。松平容保役の筒井道隆は、ミス・キャストというより、筒井の演技力不足でしょうが・・・。
とはいえ、そんな不満も吹き飛ばすほどの感動を与えてくれたのも事実。大河ドラマとしては斬新な企画で、久々に大河を観た、という人も多かったよう。「元禄太平記」「風と雲と虹と」「花伸」「黄金の日々」・・・等々で育った世代としては「こんなの大河じゃない」という感覚が残っているのは否めないけど、近年の大河の中では抜群に面白かった、と言っていいんじゃないかな。
(2004/12/28)
お昼の楽しみ
「ぷろふぃーる」の「好きな女性タレント」の欄に、いつのまにか一人追加になっているのをお気づきでしょうか?
原田夏希。NHK連続テレビ小説「わかば」の若葉ちゃんです。何をしているところでも、どんな表情をしていても、その顔、姿を目にするだけでこんなにドキドキしてソソられる、XXXXが反応してしまいそうになる女優、タレントの登場は本当に久しぶりです。
といっても、私は決して「わかば」の熱心な視聴者とはいえません。私も会社勤めしているカタギの人間。昼間は仕事です。週に2〜3回昼食をとりに行く、自分の会社の近所のヨソの会社の社員食堂(シーッ!内緒)で、NHKテレビが流しっぱなしになっているので、そこで観るのと、土曜日は大河ドラマ「新選組!」の再放送の直前の枠なので、自然観てしまうことになっているという程度です。とりあえずその日観ている分には困らない程度に、登場人物や人間関係を把握していますが、細かいことや、全体のあらすじはわかりません。
でも、その程度の視聴者にも、彼女の魅力は充分伝わってきます。小学校、中学校、高校。皆さんの同級生にも一人くらいいたでしょう?なんか、見てるだけで元気が出てきちゃうコ。本当は繊細で、周りのことに何でも気がついてるんだけど、そんなこと周りには感じさせずに、いつも明るく、いつも前向きに振舞ってて、こっちまで元気になっちゃう気がして。だから、ついそのコに眼が行っちゃって、いつも気になってしまったりして。こんなトシになってくると、つい見かけの色っぽさとか、セクシーさにグラッときちゃうけど、そんなことが恥ずかしく感じられて、反省したくなっちゃいます。
夏希ちゃん。もちろん演技力はまだまだです。でも、「若葉」ちゃんがそういうキャラクターだってことが、彼女自身から溢れてきて観ている僕らに伝わってくるってことは、スゴイことなんじゃないかな。
予言します。原田夏希。絶対バケます。でっかくなります。
(2004/12/16)
社長、お縄になりやすぜ。
このところ、サービス残業の当局の摘発が相次いでいる。サービス残業というのは、残業をさせたにも関わらず残業手当、割増賃金が支払われない状態をいう。大方、労働局や労働基準監督署の勧告で支払いが命ぜられ、大手ともなるとその総額は数十億円に上るところも出ている。しかし、実態としてはサービス残業というのは珍しいものではなく、特に中小企業ではごく当たり前のように行われていることが多い。長引く不況による経営への圧迫により、経営者としては一番コスト削減しやすい人件費を削っている、ということなのだろうが、これはいけない。残業に対する賃金というものは個別に会社(あるいはその企業の労使間)が決めるだけではなく、法律(労働基準法)で最低限の支払い基準が決められているのだ。したがって、それを支払わないというのは、立派な犯罪なのである(例えば労使間や就業規則などで残業時間の上限が取り決めてあって、それを超えた残業については手当を払わない、というような決まりがあっても、それは違法だから無効になる)。電機連合など労働組合の産別組織(産業別に労働組合が連帯して組織をつくっているもの)も「サービス残業は犯罪です」などといったポスターなどを作ってキャンペーンを展開しているが、なかなか効を奏してはいないようである。やはり、経営者と、さらには労働者自身の意識づけが必要なのだろう。どうも多くの経営者たちは、労務管理を民事レベルの問題だと思い込んでいるようだが、こと労働基準法については罰則規定(何年以下の懲役とか何万円以下の罰金とか)のある強制法(刑法と同じ)で、労働基準監督官は警察官と同様逮捕権を持っており、経営者がお縄になるということも充分ありえるのだ。また、是正勧告で支払いが命ぜられると、賃金は時効が2年なので2年前にまで遡って支払わなければならない(別に是正勧告がなくても、未払いがあれば労働者は2年前まで遡って請求できる)のだから、経営者の認識・意識改革を急がねば、会社の命取りにもなりかねない。
また、比較的よく摘発されるケースが、管理職に残業手当が支払われていなかった、というケース。こんなこと言うと「あれ?管理職って残業代もらえるの?」って思う人も多いかもしれない。実際、会社の給与規定などでは、管理職には役職手当を支払う代わりに、残業手当は支払わないとしていることが多いのではないか。その根拠は、労働基準法が時間外労働の適用除外対象のひとつとして「管理監督者」というのを上げていることなのだが、実はこの「管理監督者」というのは「管理職」とイコールではないのだ。「管理監督者」とは部下の管理については一任されていて、かつ自分については出退勤の制限を受けないものを言う。だから、決まった時間に出勤して仕事することが命ぜられているような、例えば販売店や飲食店の店長やマネージャー、たいていの会社の課長、係長、主任なんていうクラスは「管理監督者」には当たらないのだ。しかも、適用除外にするには、残業手当を必要としないほどの待遇を受けている、というのも条件に入っているから、「課長になって、残業代がなくなったから収入が減った」なんてのは、よく聞く話だが本当は論外なのだ。この場合は単に未払いなだけじゃなくて、そんな規則を作っちまってるってことが悪質と判断されることもあるから、当局の判断は厳しいものになりがちだし、しかも支払い命令が出た場合、その算定基礎には役職手当が含まれるから、支払額も大きなものになる。当局の判断が厳しいほど、賃金の遡及支払いに追加して支払わされる追徴金も大きくなるから、経営者の人は気をつけた方がいいと思うけどな。
ただでも賃金が抑制されている中だからだろう、当局への告発や陳情、相談が爆発的に増えているらしく、それで当局も重い腰を上げざるをえなくなった。それがこのところの摘発の急増につながっているようだ。たしかに不況が深刻化する中で最近悪に手を染めてしまった企業もあるのだろうが、別に昔っからそんな会社いっぱいあったわけだからね。あなたの会社は、あなたの賃金は、大丈夫?
(2004/12/6)
こんなもん、生で!?
「もつ」で食中毒。集団感染。コワイ話です。しかし、それでも「もつ」は止められない。しかも「生」も。
そんな私でも、「それ、生で食うの?」とヒイてしまうことがあったのです。
数ヶ月前の話になりますが、私の誕生日に会社の同僚が「お祝いに今晩ご馳走しますよ。」と。
その頃、私は体力減退著しく、しょっちゅう鰻やらレバーやらばかり食っていたので、「精のつくものを食べにいきましょう。」と、連れて行かれたのが凄いとこだった。店名が「朝起」(と書いて「あさだち」と読む)。スタミナ料理、というかゲテモノ屋(と言うと店主は怒るのだが)。
食したのが、「豚のキXXマの刺身」(注文すると「タマ一丁!」と言う)「豚の子宮の刺身」「馬レバー・背わたの刺身」「焼きフジツボ」。食べてみると、意外と抵抗なく食べれる味だったが、とはいえ・・・
狂牛病騒動が起きるまでは、「牛の脳味噌」も出していたそうな。ただ、これは狂牛病はコワイが、一回食ってみたかった気も。
「蛙の活き造り」を勧められるが、ノーサンキュー。他の客が注文して、目の前でさばいていたが、両手くらいあるウシガエルをザクザク切って、 胸から上と脚を置いて盛り付けてあり、口と手足はまだピクピク動いてて・・・
「サンショウウオの姿焼き」もあったが、これは以前食べたことがあって、あまり旨くなかったのでパス。
なんでも臭み消しにニンニクがついてくるので、翌朝まで口の中がニンニク臭くてツラかった。
私には、もつ焼き屋の「レバ刺し」「ハツ刺し」「タン刺し」がちょうどいいみたい。
(2004/12/4)
「新選組!」とホルモン焼き
今ハマッているものといえば、NHK大河ドラマ「新選組!」と、「ホルモン」「もつ」の類である。
「新選組!」の評判は、若い慎吾ファンのことは知らないが、私の周囲ではすこぶる悪い。「コメディ・ドラマの演出家に大河ドラマが扱えるか」「本物の俳優なんか出てないじゃないか」などなど散々である。
私も観るまではそう思ってた。半年近くは見ていなかった。ある日、たまたま土曜日昼の再放送を目にし、不覚にも落涙してしまったのだった。山南敬助切腹の回だった。確かに大物俳優はほとんど出ていない(というか大物がやっていた役はほとんど死んでしまった。残ってるのは野田秀樹の勝海舟くらいか。)が、ちゃんと演技してるではないか。それからはもうだめ。毎週ナミダナミダ。夜8:00からの本放送を観て泣き、10:00からのBSでの再放送で泣き、翌土曜日の再放送で三度泣くのだった。もう終盤にきているから、毎週誰かが死んでしまうのだ。新選組幹部の中で唯一演技派といえた小林隆演じる井上源三郎が死んでしまった回などは、タイトルからして「源さん死す」ですからね。もう泣く準備して観てましたよ、はい。結構史実無視が多いんだけど、そんなの最初から三谷が作ったフィクションだと思って観てればいいわけだし。フィクションだって観てて泣いちゃうもんたくさんあるでしょ。気になるのは、その史実無視ってのは、「近藤は常に正しい」を前提にしてるからそうなっちゃうわけだけど、近藤の最期ってのは史実では自分の身を偽って逃亡しようとしたものの、見破られて、切腹も許されず斬首されるという、武士としては屈辱的なものだったわけだけど、その「身を偽って」ってとこと、「斬首」ってのをどう描くのか。もう多分再来週くらいだもんな。どうなんだろ。
ちょっと残念なのは、松平容保役の筒井道隆がやっぱりどうも・・・昔から感情表出が下手な役者だが、少し前までは「育ちの良い、名門のエリート大名」というイメージにはぴったりで、「これは珍しくハマリ役だ」と思って観ていたのだけど、ここ数回は屈辱を舐めて怒りや悔しさをあらわにせねばならぬのに、どうもセリフが白々しく聞こえてしまう。とても武士の悔しがり方に見えないのだ。香取・近藤の激情ぶりとあまりに対照的で、リアリティ欠いちゃうんだよな。
ホルモン、もつは炭火焼もよし、串焼きもよし。週に3回は食べてる。
炭火焼は、東京近郊にチェーンを持つ「いくどん」によく行く。ほとんどの支店は夕方からなのだが、町田駅前店は昼から営業しているので、昼飯に行くこともある。シロ、カシラ、レバ、ハツ、タン、ナンコツなどが一人前¥400。二品にライスつけると¥1000。私はレバ刺しもつける。
串焼きで一番は、池袋では有名店の「男体山」。串はどれも¥115。5本から。私のキマリのコースはシロ、レバ2本ずつにハツ1本、全部塩で。それと、ここはレバ刺しが滅法美味い。何が違うんだろか?
串焼きでもう一軒。これも池袋ではよく知られている「みつぼ」。ここは1本¥90とバカ安なのと、種類が多くて、普通の店には無くって、いったいどこの部位なんだろう?というものがいっぱいある。ここも刺身は美味い。もつの刺し盛り¥750ってのがあって、レバ、タン、ハツ、ガツ、コブクロが盛り合わせで出てくる。ただメチャクチャ混んでるので、早目の時間に一人でこっそり行くのに向いてる。
ホルモンも、「元々"ほおるもん"(捨てるもん)からホルモンって呼ぶようになったもんやんか、人間の食うもんちゃうわ」「肉より美味いわけがない」と私の周囲の評判はよろしくない。「新選組!」も「ホルモン」も、「食わず嫌い」が多いようだ。試してから評価して欲しいもんだ。
(2004/11/28)