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青島幸男 訃報:青島幸男

放送作家、タレントとしてお茶の間の人気を集める一方、参議院議員、東京都知事など政治家としても活躍した前同知事、青島幸男が20日午前9時半、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で亡くなった。74歳だった。
1932年、東京・日本橋の仕出し弁当店の二男として生まれた。早稲田大学卒業後、テレビのコント番組「おとなの漫画」で放送作家としてデビュー。歌謡バラエティー「シャボン玉ホリデー」で売れっ子に。「スーダラ節」の作詞などを手がける一方、67年には、テレビドラマ「意地悪ばあさん」に主演し、タレントとしても一世を風靡した。81年に母親をモデルにした「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞した。
一方、庶民の目線による政治の実現を標榜。68年の参院選全国区で2位当選(以後5回当選)し、政界入り。この時のトップ当選は現都知事の石原慎太郎氏だった。71年の参院予算委員会で、当時の佐藤栄作首相を「財界の男妾」と呼んで批判し、92年には、5億円献金受領問題で金丸信自民党副総裁(当時)の議員辞職を求めてハンストをするなど、権力への対決姿勢を貫いた。95年の都知事選では「反既成政党」を掲げ、石原信雄・元官房副長官らを破って初当選。知事就任後は、公約を守り開催が決まっていた世界都市博覧会の中止を実現させたものの、東京協和・安全の旧2信組の破たん処理への対応や自衛隊違憲発言、都の食糧費公開への消極的な態度などで批判を受け、1期限りで知事を引退。04年の参院選に出馬したが、復帰はならなかった。

(2006/12/30)





訃報:ジョゼフ・バーベラ

アメリカのアニメーション作家、ジョゼフ・バーベラが18日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去した。95歳。老衰とみられるが、詳しい死因は不明。
1911年ニューヨーク生まれ。銀行勤務などを経て、アニメーション作家として30年代に映画会社MGMに採用された。故ウィリアム・ハンナ氏(2001年に死去)とコンビを組み「トムとジェリー」「スクービー・ドゥー」「フリントストーン」などのアニメーションを制作した。「トムとジェリー」シリーズはアカデミー賞の短編アニメ部門を度々受賞。「フリントストーン」は1994年に実写版で映画化された。

(2006/12/30)





岸田今日子 訃報:岸田今日子

女優の岸田今日子が17日、脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなった。76歳。
東京都生まれ。文学座の創立者の劇作家・小説家、岸田国士の二女。姉は詩人の岸田衿子。文学座付属演劇研究所に入所、「キティ颱風」で初舞台。「一人前の社会人になってから俳優になれ」という父の言葉に従い同研究所を離れ、3年間の社会人生活を経て1952年に文学座に入り、「孤憑」で正式に女優デビューした。54年、「どん底」の舞台けいこ中に、演出を担当していた父国士が死去。60年に作家、三島由紀夫の演出で文学座「サロメ」に主演し話題を呼んだ。63年に文学座を脱退、現代演劇協会「雲」の結成に参加。75年には芥川比呂志らと演劇集団円を創立した。「聖女ジャンヌ・ダーク」「欲望という名の電車」など翻訳劇に主演する一方、清水邦夫、別役実各氏ら日本を代表する劇作家の創作劇にも出演。99年、別役作「猫町」と平田オリザ作「遠い日々の人」の演技で紀伊国屋演劇賞と読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。また、子供も楽しめる舞台を目指して、「円・こどもステージ」を81年から企画、今年で25回目になる。映画でも存在感を示し、62年「破戒」「秋刀魚の味」などの映画で第17回毎日映画コンクール女優助演賞を受賞した他、64年に主演した「砂の女」(勅使河原宏監督)はカンヌ映画祭審査員特別賞を獲得。97年の「八つ墓村」(市川崑監督)などでブルーリボン助演女優賞。テレビでも「男嫌い」「傷だらけの天使」「徳川慶喜」などに出演、声優としてムーミン役を演じたアニメーションの「ムーミン」でも茶の間に親しまれた。童話、小説、エッセーなど著作も多く、98年に「妄想の森」でエッセイストクラブ賞を受賞している。
先月死去した俳優、仲谷昇と54年に結婚したが、78年に離婚している。
最後の舞台は昨年10月に主演した中上健次原作の「オリュウノオバ物語」(大橋也寸演出)。今年1月下旬から体調を崩し入院加療を続けていた。

(2006/12/30)





訃報:大森健次郎

映画監督、大森健次郎が3日、肺炎のため死去。73歳。
「天国と地獄」「赤ひげ」「クレージーだよ 天下無敵 」「ニュージーランドの若大将 」「どですかでん」「潮騒 」などで監督助手を務め、73年、「二十歳の原点」で監督デビュー。その後も「岸壁の母」「地震列島」などを手掛ける一方、テレビでも「俺たちの旅」などを監督・演出した。

(2006/12/30)





訃報:レオン・ニエンチク

ポーランドの俳優レオン・ニエンチクが11月29日、肺がんのため中部ウッジの自宅で死去した。82歳だった。
ロマン・ポランスキー監督の長編デビュー作「水の中のナイフ」(62年)で主演。外国映画を含む400本以上に出演し、「500以上の役柄を演じ、6回結婚した人生の王様」と呼ばれた。ドイツ語に堪能で、ポーランド映画ではドイツ人兵士などの役が多く、旧東ドイツの映画にも出演した。

(2006/12/9)





ショッキング・ブルー ヴィーナス 訃報:マリスカ・フェレス

オランダのロック、ポップス・バンド、ショッキング・ブルーのヴォーカリスト、マリスカ・フェレスが2日、がんのため死去。59歳だった。
ショッキング・ブルーの代表曲「ヴィーナス」は1970年に全米チャート1位と、世界的にヒットした。他にもヒット曲として「マイティ・ジョー」「悲しき鉄道員」などがある。

(2006/12/9)










訃報:クロード・ジャド

フランスの女優クロード・ジャドが1日、パリ郊外の病院で死去。58歳。知人の脚本家によると、目の腫瘍を患っていたという。
フランス映画の巨匠フランソワ・トリュフォー監督に認められ、映画「夜霧の恋人たち」(68年)に出演。ほかに、ヒチコック監督の「トパーズ」(69年)など。76年には日本映画「北の岬」にも出演している。

(2006/12/9)





木下順二 訃報:木下順二

民話を基にした名作「夕鶴」や壮大な叙事詩劇「子午線の祀り」など戦後演劇を代表する戯曲を書いた劇作家、小説家の木下順二が10月30日に肺炎のため死去していた。92歳。葬儀は遺志で行わない。
東京・本郷に生まれ、小学4年から中学、高校(旧制五高)まで熊本で過ごした。東京大英文科でエリザベス朝演劇、特にシェークスピアを専攻。1939年に召集され、入営の前夜に、西南戦争直前の熊本を舞台に苦しみ抜く青年群像を描いた第1作「風浪」(戦後に岸田演劇賞受賞)を書き上げ、病気を理由に即日帰郷した。1941年に東京大大学院修了。第二次大戦中は「彦市ばなし」「昔話鶴女房」(「夕鶴」の原形)など民話を題材とした戯曲を書いた。敗戦後、これらの戯曲は次々と発表、上演され、戦後演劇の記念碑的な作品となった。特に「夕鶴」(毎日演劇賞受賞)は、山本安英さん(93年死去)が49年の初演から、つうを1037回も演じて、国民的演劇として親しまれた。97年からは坂東玉三郎さんが女形で再演している。
戦後の新劇運動、平和運動などで主導的立場に立って、強い実験精神に支えられながら、歴史と人間との鋭い緊張関係を描いた。ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実を主人公とした「オットーと呼ばれる日本人」、沖縄の祖国復帰をめぐる問題を追究した「沖縄」、戦争責任をテーマとした「神と人とのあいだ」(第1部「審判」、第2部「夏・南方のローマンス」)など秀作が続く。その先に、「平家物語」を題材に宇宙と個人の対立を力強く描き切った傑作「子午線の祀り」(78年)が結実した。
長編小説には「無限軌道」「本郷」など。全16巻の「木下順二集」と全8巻の翻訳「シェイクスピア」で89年度の毎日芸術賞を受賞。趣味の馬術を生かした随想集「ぜんぶ馬の話」が読売文学賞を受けた。84年に芸術院会員に選ばれた時は「一介のもの書きでありたい」と辞退している。

(2006/12/9)





訃報:宮内國郎

作曲家、宮内國郎が27日、大腸がんのため死去した。74歳だった。
「ウルトラQ」「ウルトラマン」など特撮テレビ番組や映画の主題歌作曲を中心に活躍した。

(2006/12/9)





実相寺昭雄 訃報:実相寺昭雄

「ウルトラマン」で知られる映画監督の実相寺昭雄が29日午後11時45分、胃がんのため東京都内の病院で死去した。69歳。
早稲田大卒業後、1959年、ラジオ東京(現TBS)に入社し、ドラマの演出をへて映画部に転属。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの演出を手がけ、69年「宵闇せまれば」で映画監督デビュー。TBS退社後、「無常」「あさき夢みし」など、実験的作品を発表した。陰影を強調した奇抜な構図や、エロチシズムを追求した作品で、根強い人気を獲得した。88年「帝都物語」、98年「D坂の殺人事件」、05年「姑獲鳥(うぶめ)の夏」などの小説の映画化や、「アリエッタ」「ラ・ヴァルス」などエロチシズムを描いた作品を精力的に監督。夏目漱石の小説が原作のオムニバス映画「ユメ十夜」の一編、自身が演出したテレビ番組を映画化した「シルバー假面(かめん)」を監督し、公開予定だった。舞台やオペラの演出、「ウルトラマンのできるまで」などの著作も多数。東京芸術大学名誉教授。

(2006/12/9)





アニタ・オディ 訃報:アニタ・オディ

「歌手の中の歌手」と呼ばれたアメリカの女性ジャズ歌手、アニタ・オディが23日、ロサンゼルスの病院で死去した。87歳。肺炎で入院中だった。
1919年米中西部イリノイ州シカゴ生まれ。30年代にシカゴのジャズクラブで歌い始め、「レット・ミー・オフ・アップタウン」がヒット、40、50年代を代表する女性ジャズ・シンガーとなった。「ハニーサックル・ローズ」「スウィート・ジョージア・ブラウン」「二人でお茶を」などの曲で知られる。
16歳の時からヘロイン中毒やアルコール依存症で苦しみ、刑務所や病院で過ごした期間もあった。10年前、米西部カリフォルニア州ヘメットの自宅で泥酔し階段から転落、入院した病院で食中毒と肺炎にかかった。その後約1年間、歩くことも歌うこともできなかった。その後、断酒し、晩年もロサンゼルスで歌い続けた。
力強い管楽器のような勢いのある歌唱が特徴。日本をたびたび訪れ、東京のライブハウスでの実況録音盤が出されるなど、50年代から80年代に至るまで、日本でも人気白人女性歌手として親しまれた。

(2006/11/26)





灰谷健次郎 訃報:灰谷健次郎

小説「兎の眼」「太陽の子」などで知られる作家で、教育問題に積極的な発言を続けた灰谷健次郎が23日午前4時30分、食道がんのため静岡県内の病院で死去した。72歳だった。故人の遺志により葬儀はしない。
神戸市生まれ。働きながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)へ。神戸で小学校教師を務め、創作活動も始めた。1972年に退職してインドやタイ、沖縄などを放浪。74年、工場地帯の学校を舞台にした「兎の眼」を発表した。
多感で繊細な子供たちや、彼らと向き合う個性的な教師たちを生き生きと描いた「兎の眼」は、児童文学として出版されたが、広く大人にも読まれてミリオンセラーに。国際アンデルセン賞特別優良作品にも選ばれた。78年、神戸の琉球料理店の少女が、太平洋戦争と沖縄に思いを深めていく「太陽の子」を出版。その後も、寡作ながら絵本「ろくべえまってろよ」(絵・長新太)や、少年の成長を追った大河小説「天の瞳」など、ヒューマニズムにあふれた作品を発表。教員体験や独自の死生観をもとに、子どもや教育をめぐる問題にも積極的に発言した。83年には神戸市に保育園を開いた。 97年に、新潮社の写真週刊誌が殺人容疑の少年の顔写真を載せたことに怒り、同社との出版契約をすべて解消して抗議の意を表した。 作家デビュー後、兵庫県の淡路島で農耕生活を10年余り続けた。91年には沖縄県の渡嘉敷島に住居を移し、漁をして暮らした。04年12月に食道がんの手術を受け、回復していたが、今年9月に再入院していた。

(2006/11/26)





訃報:斎藤茂太

精神科医でエッセイストとしても知られる斎藤茂太が20日、心不全のため死去した。90歳だった。
歌人で精神科医でもあった斎藤茂吉の長男。弟は作家の北杜夫さん。斎藤病院理事長として精神医療に従事するかたわら、「茂吉の体臭」「笑いの精神学」などの軽妙なエッセーを数多く発表し、「モタさん」の愛称で親しまれた。著書は他に「精神科医三代」「とにかく飛行機への情熱」「茂太さんの快老術」など。日本精神科病院協会名誉会長、日本ペンクラブ理事、日本旅行作家協会会長も務めた。

(2006/11/26)





訃報:ベティ・カムデン

アメリカのミュージカル作家、ベティ・カムデンが23日、心不全のためニューヨークの医療施設で死去した。89歳。
ニューヨーク・ブルックリン生まれ。2002年に死去したアドルフ・グリーン氏とのコンビで数々の名作を残し、ミュージカル映画の傑作「雨に唄えば」(52年)の脚本を手掛けたほか、コンビとしてのブロードウェー・デビュー作「オン・ザ・タウン」(44年)は後に「踊る大紐育」(49年)として映画化された。

(2006/11/26)





訃報:ロバート・アルトマン

朝鮮戦争を舞台にベトナム戦争を風刺した映画「M★A★S★H(マッシュ)」(1970年)で知られる米国の反体制派映画監督、ロバート・アルトマンが20日、ロサンゼルスの病院でがんのため死去した。81歳。
1925年、ミズーリ州生まれ。第二次世界大戦の爆撃機パイロットとして従軍し、テレビをへて映画界入り。「マッシュ」でカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞した。「ロング・グッドバイ」(73年)、「プレタポルテ」(94年)など、独特のスタイルと鋭い人間洞察で、「もっともハリウッドらしからぬ監督」と呼ばれ、個性の強い作品を撮り続けた。俳優たちに即興で演じさせることでも知られた。「ナッシュビル」(75年)、「ザ・プレイヤー」(92年)などで5回、アカデミー賞候補となった。来春日本公開予定の「ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン」(06年)が最後の監督作品となった。

(2006/11/26)





訃報:フィリップ・ノワレ

映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の映写技師役などで知られ、フランス映画の最高賞であるセザール賞の主演男優賞を2度にわたって受賞したフランスの男優、フィリップ・ノワレ氏が23日、死去した。76歳。フランスのテレビは死因をがんと報じた。
1930年、フランス北部リール生まれ。演劇活動を経て映画界へ。ルイ・マル監督の「地下鉄のザジ」(60年)で名を知られるようになり、以後、喜劇からシリアスな作品まで100本以上の映画に出演。幅広い役柄を演じた。75年の「追想」で最初のセザール賞を獲得。89年の「素顔の貴婦人」で2度目の受賞。日本でも大ヒットした「ニュー・シネマ・パラダイス」(88年)では年老いた映写技師のアルフレード役を演じた。他の代表作に「イル・ポスティーノ」(94年)など。
フランスのドビルパン首相は23日「フランス人の精神をとらえ、表現するすべを知った俳優だった。フランスの演劇界、映画界の誰もが喪失感を覚えている」との声明を発表した。

(2006/11/26)





仲谷昇 訃報:仲谷昇

文学座出身の俳優、仲谷昇が16日、肺気腫による慢性閉塞性肺疾患のため死去した。77歳。
昭和4年5月4日生まれ。中央大学中退後の昭和25年に文学座演劇研究所入りし「武蔵野夫人」で初舞台。翌年には今井正監督「にごりえ」の第2話「大つごもり」で映画デビュー。38年に神山繁、小池朝雄らとともにクーデター的に文学座を脱退し、芥川比呂志、岸田今日子らと劇団雲を結成。さらに50年には演劇集団「円」を結成し、平成4年から同代表を務めていた。
文学座以来、行動を共にした女優の岸田今日子さんと昭和29年に結婚したが、53年に離婚。その後、再婚していた。
理知的な顔立ちとクールな語り口で、テレビドラマ「ザ・ガードマン」「キーハンター」や、映画「猟人日記」「砂の上の植物群」「小説吉田学校」「悪魔が来りて笛を吹く」「夜逃げ屋本舗」、舞台「リア王」「2階の女」などで個性派俳優として活躍。テレビドラマ「帝銀事件大量殺人・獄中31年の死刑囚」(55年)では平沢貞通役を熱演。また、フジテレビの深夜番組「カノッサの屈辱」では"教授役"として出演し、若者の人気を呼んだ。

(2006/11/26)





訃報:ジャック・ウィリアムスン

アメリカのSF作家、ジャック・ウィリアムスンが10日、ニューメキシコ州の自宅で死去した。98歳だった。死因は明らかではない。
20歳で「メタル・マン」を著してデビュー。以来、核ロケットによる月探査や反物質など斬新なテーマで活躍して「アメリカSF小説の父」と呼ばれた。日本でも翻訳出版された「宇宙軍団」「ヒューマノイド」などで知られる。

(2006/11/15)





ジェネシス ジェネシスが復活、来年に再結成ツアー

ジェネシスが、フィル・コリンズ、マイク・ラザフォード、トニー・バンクスというメンバーで、2007年に再結成ツアーを行うことを発表した。
バンクスは「かなり前から(再結成の)話をしていた」と語った。来年6月11日のヘルシンキの五輪スタジアムを皮切りに、再結成ツアーの「Turn It On Again」がスタート。欧州各都市を周り、7月14日のローマで締めくくる。さらに、9月に米国ツアーも計画しているという。
フィルとあとの二人の間にわだかまりって、無いんですかね。こういう連中の感覚ってわかんないけど。ま、かつては苦楽を共にした仲なわけだし、他人にはあずかり知らぬ友情、一体感、結束みたいなもんがあるんでしょう。
来日はある?

(2006/11/12)





北村昌士 訃報:北村昌士

元フールズ・メイト編集長で、YBO2などの音楽活動で知られる北村昌士が、6月17日、心臓疾患により逝去していたことがわかった。77年、プログレ専門誌としてフールズ・メイトを創刊、編集長をつとめ、85年に編集を離れてからは、トランスレコード、SSEなどの自主レーベルを運営、自らの作品のみならず多くのアーティストの作品を世に送り出した。享年49歳。
あんまり話題にもなっていなかったし、最近業界事情にも無頓着になっていたので知らなかった。ショック。
私がクリス・カトラー、フレッド・フリスら、ヘンリー・カウ〜レコメンデッド・レコード一派に心酔したきっかけも、フールズ・メイトが一時期RIOに傾倒、イースタン・ワークスなどを通じて活動的にも接近していたからだ。また、私の音楽観形成に大きく影響を与えた「キング・クリムゾン〜 至高の音宇宙を求めて」も北村氏の著であり、日本において、初めてキング・クリムゾンについて感覚的でも感情論でもなく、分析と評価を与えた書であり、クリムゾン研究書としてこれを超えるものは未だ出ていない。
音楽評論とは何か、音楽に対して「言葉」はどこまで接近することができるのか、音楽を「解読」することとはどういうことなのか。北村氏は間違いなく、私の筆を取る姿勢と、その文体に最も影響を与えた人であった。
49歳。早過ぎる。
80年代後半以降は音楽活動に没頭し、あまり筆を取ることがなくなり、フールズ・メイトも彼が離れてからすっかり別の雑誌のように変貌してしまった。しかし、いつか再び評論の世界に戻り、健筆を振るわれることを信じていたのに。自ら音楽活動に進出していったことが、彼の寿命を縮めてしまったような気がして、残念でならない。
謹んでご冥福をお祈りしたい。

(2006/11/11)





クイズダービー 訃報:はらたいら

漫画家で、TBS系クイズ番組「クイズダービー」で人気を集めた、はらたいらが10日、肝不全のため死去した。63歳。
1963年に漫画家デビュー。ナンセンス・ギャグを得意とし、「モンローちゃん」が大ヒットした。作品は他に「ゲバゲバ時評」など。76年から16年間出演した「クイズダービー」では70%と高い正解率を誇り、博学で知られた。49歳から更年期障害を患い、だるさ、気力のなさに悩まされた経験を綴った「はらたいらのジタバタ男の更年期」を00年に出版し、話題を呼んだ。近年も漫画家活動に意欲を燃やしていたが、夫人曰く「好きなだけ飲ませていました。私も共犯です」というように、無類の酒好きが命を縮めた。

(2006/11/11)





内山田洋 訃報:内山田洋

 「長崎は今日も雨だった」「そして神戸」「中の島ブルース」「東京砂漠」などのヒット曲で知られるボーカルグループ、内山田洋とクールファイブの元リーダー、内山田洋が、3日に肺がんのため死去していた。70歳だった。内山田さんは4月末に体調不良を訴え、横浜市内の病院に検査入院。治療に専念していたが、帰らぬ人となった。
福岡県柳川市出身。昭和32年に同県の米軍キャンプで音楽活動を開始し、42年に長崎のクラブ「銀馬車」で森本繁、岩城茂美、小林正樹、宮本悦朗と「内山田洋とクールファイブ」を結成した。43年にはメインボーカルに前川清を迎え、44年にデビュー曲「長崎は今日も雨だった」が大ヒット。同年、日本レコード大賞新人賞を受賞した。以降も「噂の女」「そして、神戸」「中の島ブルース」「東京砂漠」などヒット曲を連発。前川ら個性豊かなメンバーがバラエティー番組などで人気を集めて一世を風靡し、日本有線大賞、日本演歌大賞などを次々と受賞。NHK紅白歌合戦にも通算11回出場するなど人気絶頂を誇った。だが、61年に前川が独立。それに伴い、メンバーを入れ替えて再結成した。近年もディナーショーなどを精力的に行い、昨年8月には日米の子供の交流を目的にしたチャリティーミュージカルにゲスト出演して熱唱するなど、歌への熱い思いを持ち続けていた。
内山田さんの突然の訃報に、昭和43年から61年までクールファイブのボーカルを務めた演歌歌手、前川清(58)は言葉を失った。仕事のため福岡から鹿児島へ向かう新幹線の車内で、スタッフからのメールを受け取り訃報を知ったという前川は、「訳も分からずただびっくりしています」と第一声。今にも消え入りそうな細い声で、「内山田さんにはお兄さんのように引っ張ってもらい、わが子のようにかわいがってもらいました」と感謝の言葉を送った。クールファイブ脱退後、内山田さんと最後に会ったのは十数年前だといい、「お互い頑張ろうという意味で連絡をとっていなかった」と説明。「内山田さんのおかげでソロとしてここまでやってくることができた。後は気を楽に安心して天国から見守ってほしい」と声を振り絞っていた。元「殿さまキングス」の演歌歌手、宮路オサム(60)は、「言葉が出ないですね。7、8年前から縁があって、よく一緒に食事をするようになったのですが、会うたびに僕みたいな歌い手にも『オサムちゃん、頑張ってるねー』『歌うまくなったねー』と褒めてくれて。優しい目で元気づけてくれる姿が印象的でした。2年前に歌番組のカレンダー撮影でご一緒したのが最後で、その時も元気な声で『最近、頑張ってるな』といってくれて。憧れの人でしたね。(「クールファイブ」は)コーラスグループの草分け的存在で、僕たちが今ここにいられるのも内山田さんが道を切り開いてくれたおかげ。『ありがとうございました』といいたいです」

(2006/11/11)





ポールモーリア 訃報:ポールモーリア

「恋はみずいろ」などのヒット曲を持つ指揮者で作曲家のポール・モーリアが3日(現地時間)、フランス南部ペルピニャンで死去した。81歳。
1925年、フランス・マルセイユ生まれ。マルセイユ国立音楽学院で学んだ後、18歳で音楽家としてのキャリアをスタート。クラブなどでの演奏活動を経て65年に「ポール・モーリア・グランド・オーケストラ」を結成。68年「恋はみずいろ」がフランスの曲としては初めて全米チャート1位を記録、グラミー賞も受賞した。日本でも「エーゲ海の真珠」が70年代にメルシャンワインのCM曲に使われたのを機に人気が爆発。「オリーブの首飾り」はマジックショーのBGMとして定番となった。「天使のセレナード」「そよ風のメヌエット」など次々とヒットを放ち、イージーリスニング界の第一人者として君臨。来日は69年以来、公演は通算2000回を超える。98年の日本ツアーを最後に指揮者を引退していた。

(2006/11/5)





訃報:小島信夫

「抱擁家族」や「別れる理由」など前衛的作品で知られる作家、小島信夫が26日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。91歳だった。
岐阜市生まれ。東京帝大英文科卒。第二次大戦では中国へ出征。復員後、高校教師などを経て、「小銃」「吃音学院」などを発表。1955年に「アメリカン・スクール」で芥川賞、65年には「抱擁家族」で谷崎潤一郎賞を受賞。安岡章太郎、吉行淳之介、島尾敏雄らとともに「第三の新人」と呼ばれ、その中でもラディカルに文学世界を追求する独自の道を歩んだ。82年には「別れる理由」で野間文芸賞を受賞。その後も、「菅野満子の手紙」「寓話」「うるわしき日々」などを発表し、文壇の異端児であり続けた。今年5月に刊行した長編「残光」が最後の作品となった。
一方、評伝や文学論でも活躍。「私の作家評伝」(芸術選奨文部大臣賞)、「私の作家遍歴」(日本文学大賞)などがある。

(2006/11/5)





ばってん荒川 訃報:ばってん荒川

俳優・歌手のばってん荒川が22日、膀胱癌のため死去、69歳だった。
1937年熊本市生まれ。18歳の時に即興喜劇の肥後にわか劇団「ばってん組」入り。19歳のころ熊本弁丸出しの「お米ばあさん」に扮して人気になり、ラジオ、テレビタレントとしても活躍。東京や大阪進出後も、九州を拠点に活動を続けた。映画「トラック野郎」、ビデオ映画「静かなるドン」などに出演した。歌手としてレコード、CDも発売している。

(2006/11/5)








訃報:ロジェリオ・ドゥプラ

ブラジルの作・編曲家、ロジェリオ・ドゥプラが26日、膀胱癌のためサンパウロの病院で死去した。74歳だった。
ジルベルト・ジルやカエターノ・ヴェローゾら、ブラジルを代表する存在である歌手たちとともに1968年、ポップスにサンバなどブラジルの伝統音楽を融合させたアルバム「トロピカリア」を制作。ブラジル芸術全般に影響を与えた「トロピカリズモ」運動の先導者の一人だった。

(2006/11/5)





ジェーンワイアット 訃報:ジェーンワイアット

アメリカの女優、ジェーン・ワイアットが、米カリフォルニア州南部ベルエアの自宅で20日、老衰のため死去した。96歳だった。
1910年、ニュージャージー州で生まれ、ブロードウェーを経てテレビ、映画女優に。映画「失はれた地平線」(37年)などに出演した後、54〜60年に人気テレビシリーズ「パパは何でも知っている」で人気を集め、エミー賞の最優秀女優賞を3回受賞した。我々の世代には、「宇宙大作戦(スタートレック)」で,スポックの母親アマンダ役を演じていたことが思い出深い。

(2006/11/5)








藤岡琢也 訃報:藤岡琢也

人気ホームドラマ「渡る世間は鬼ばかり」などテレビや映画の名脇役として活躍した俳優の藤岡琢也が20日午後3時18分、慢性腎不全のため、東京都内の病院で亡くなった。76歳だった。
兵庫県姫路市出身。関西学院大中退後、劇団「葦」入団。66年、NHK「事件記者」のちょびひげ記者役で人気者に。ドラマ「横堀川」「おやじのヒゲ」、映画「兵隊やくざ」シリーズ、「小説吉田学校」など多数に出演、脇役を中心にユーモラスで存在感のある演技を見せた。インスタントラーメン「サッポロ一番」のCMにも長年出演し親しまれた。橋田賞、菊田一夫演劇賞特別賞など受賞。90年にスタートした橋田壽賀子作「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)では、舞台となる岡倉家の父大吉役を演じていたが、今年2月、腎臓病の人工透析中に発熱。4月スタートの第8シリーズを降板、宇津井健に交代していた。

(2006/10/21)





訃報:木村尚三郎

フランス中世史の研究者でエッセイストとしても知られる東大名誉教授の木村尚三郎が17日、肝細胞がんのため死去した。76歳。
東京都出身。東大卒。東京都立大助教授などを経て1976年、東大教授。ヨーロッパに視点を据えた文明批評で知られ、中世史学の論客として活躍した。農業や食料問題にも造詣が深く、文明論などを幅広く論じた。90年に東大退官後は国民生活審議会長、食料農業・農村基本問題調査会長、中央社会福祉審議会委員長、トヨタ財団理事長などとして活躍。00年、静岡文化芸術大学長に就任した。愛知万博(05年)の総合プロデューサーも務めた。
「ヨーロッパとの対話」で日本エッセイスト・クラブ賞。「西欧文明の原像」「和魂和才のすすめ」なども話題となった。編集にかかわった「西欧精神の探究」で毎日出版文化賞を受賞した。

(2006/10/21)





訃報:日高普

法政大名誉教授(経済原論専攻)の日高普が16日、肺炎のため死去。82歳。
福岡県出身。東大哲学科卒。宇野弘蔵らの研究を受け継ぎ、日本のマルクス経済学を原理的に追求した。著書に「経済原論」「銀行資本の理論」「経済学」など。文化・思想など広い関心を持つ知識人として活躍し、浜田新一の筆名で文芸同人誌「世代」で評論活動などを展開した。

(2006/10/21)





訃報:フレディ・フェンダー

フレディ・フェンダーが14日、米テキサス州でがんのため死去。69歳だった。
同州生まれ。60年にデビューを果たし、ダグ・サームもカヴァーした名曲「Wasted Days and Wasted Nights」でいきなりの大ヒットを記録した。テックス・メックス、スワンプ・ポップ、ケイジャン、カントリー、ロックなどをミックスしたボーダレスでユニークな音楽性はアメリカとメキシコ、両国で高い人気を誇った。麻薬所持による服役などで浮き沈みもあったが、テキサス・トーネイドスやロス・スーパー・セブンのグループでも活躍。3度グラミー賞を受賞した。代表曲は「涙のしずく」(75年)など。ロック・ファンにはライ・クーダーの「Across the Borderline」で知られる。

(2006/10/21)





柳家小せん 訃報:柳家小せん

落語家・柳家小せんが10日、肺炎のため死去、83歳。
昭和24年、五代目柳家小さんに入門、36年に真打ちに昇進、四代目柳家小せんを襲名した。フジテレビ「お笑いタッグマッチ」にレギュラー出演、とぼけた回答で人気を集めた。最近は体調を崩して寄席を休んでおり、平成16年11月24日に東京・上野の鈴本演芸場で「道灌」を演じたのが最後の高座だった

(2006/10/12)





多々良純 訃報:多々良純

俳優の多々良純が9月30日、肺機能不全のため亡くなっていた。89歳。葬儀は親族のみで済ませた。
新築地劇団研究生を経て1936年に初舞台。50年から2年間劇団民芸に所属し、その後映画界へ。個性を生かした脇役が人気だった。第二次大戦中は、広島原爆で多くが被爆した移動演劇団「桜隊」に所属したが、召集中で難を逃れた。映画「鶴八鶴次郎」でブルーリボン賞受賞。他に映画「本日休診」「七人の侍」、テレビドラマ多数。

(2006/10/12)





丹波哲郎 訃報:丹波哲郎

俳優の丹波哲郎が24日午後11時27分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。
1951年新東宝入社、翌年「殺人容疑者」で主演デビュー。1960年代東映に移籍し、アクション映画、やくざ映画、時代劇を中心に活躍、「暗殺」などで大きく名を上げた。テレビにも積極的に進出。「三匹の侍」で人気を集め、「キイハンター」がヒット。その後同じ枠の「アイフル大作戦」「バーディー大作戦」、そして7年間続いた「Gメン75」と、刑事・探偵役で土曜9時台の顔となった。重厚でありながら、ユーモアを感じさせる酒脱さも持ち合わせた独特の芸風で、個性派俳優として500本を超える映画に出演。「日本沈没」「砂の器」「豚と軍艦」などで余人に代えがたい演技を見せ、英国映画「007は二度死ぬ」など海外映画にも出演するなど、正に日本映画界の重鎮であった。30年ほど前からは霊界の研究に取り組み、著作は70冊を超える。さらにはその研究成果を映画化、「大霊界」は3作のシリーズとなるヒットとなった。近年もNHK大河ドラマ「利家とまつ」「義経」などで渋味のある演技を見せていた。今年公開の「日本沈没」が遺作となった。
ふてぶてしいまでの、スケールの大きな演技の出来る性格俳優の死。残念でならない。

(2006/9/26)





アイランド 訃報:ボズ・バレル

ブリティッシュ・ロックを代表するベーシスト、ボズ・バレルが21日死去した。60歳。滞在先スペインの自宅で、友人のパーティーで演奏するため、外出する直前に倒れた。死因は今のところ不明。
バレルはヴォーカリストとして自己のバンド、ボズ・ピープルでR&Bシーンで活動。1971年プログレッシヴ・ロック・バンド、キング・クリムゾンのヴォーカリスト募集のオーディションに応募、採用され、ヴォーカリストがベースを兼任することを希望したバンド・リーダー、ロバートフリップがベースの手ほどきをし、ヴォーカリスト兼ベーシストとして「アイランド」「アースバウンド」に参加。音楽性の違いからフリップを除くメンバー、メル・コリンズ(サックス)、イアン・ウォーレス(ドラムス)とともに、ロンドンR&Bシーンの大物、アレクシス・コーナーの元へ走りスネイプを結成。アルバム1枚を残してスネイプは消滅。1974年フリーを解散したポール・ロジャース(ヴォーカル)、サイモン・カーク(ドラムス)、モット・ザ・フープルを脱退したミック・ラルフス(ギター)とバッド・カンパニーを結成。以後はほとんど歌は歌わず、ベーシストとして活動。80年代に入って活動停止、ロジャースが脱退。1986年ブライアン・ハウを加え再結成するも、アルバム1枚でバレルは脱退。しばらく第一線からは退いていたが、2000年のオリジナル・メンバーによるバッド・カンパニー再結成、ツアーに参加。しかし2002年のツアーには参加せず、再び音楽活動を休止していた。
(写真はキング・クリムゾン「アイランド」)

(2006/9/24)





マークボラン マーク・ボランの遺作見つかる!

マーク・ボラン(77年9月に29歳で死亡)率いるT.レックスの遺作が発見された。76年10月から77年4月にかけて録音されたマスターテープを閉鎖したエアースタジオの受付嬢が保管していた。80年代後半に閉鎖した際にテープを自宅へ持ち帰ったが、没後25年の02年からマークの息子のローラン・ボランが亡き父の"遺作"を捜していることを知り、返却した。発見されたマスターテープのメモによれば、急死する5カ月前まで録音していたもので、他界しなければ78年春に発表するはずだったアルバムの楽曲とみられている。初公開される音源は計8曲。中でも内縁の妻でローランの母親であるミュージシャン、グロリア・ジョーンズとのデュエット曲「To Know You Is To Love You」は、ほほ笑ましいほど2人の愛を感じる作品。インペリアルレコードから発売、既に発表されている曲のミックス違いを含め、全15曲。日本盤限定で同時代に録音された3曲が収録されている。

(2006/9/23)





阿部謹也 訃報:阿部謹也 死去

ドイツ中世史、西洋社会史研究の第一人者で、「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開した一橋大元学長の阿部謹也(あべ・きんや)が4日、急性心不全のため亡くなった。71歳だった。
中学時代のカトリック修道院での生活をきっかけに西欧中世社会史に関心を持ち、69年から2年間ドイツに留学。グリム童話で有名なハーメルンの笛吹き男の伝承の研究を通じて下層市民の生活と社会的差別に視野を広げ、西洋市民社会の深奥に迫った「ハーメルンの笛吹き男」(74年)は大きな反響を呼んだ。
社会思想史を考察する者には、「ハーメルンの笛吹き男」、「中世を旅する人びと」(サントリー学芸賞)、「中世の窓から」(大佛次郎賞)、「『世間』とは何か」、「中世の再発見――対談 市・贈与・宴会」(対談:網野善彦と共著)は必読。

(2006/9/10)





訃報:デューイ・レッドマン 死去

ジャズ・テナー・サックス奏者、デューイ・レッドマンが、2日、ニューヨーク市内で肝臓病のため死去した。75歳だった。
60年代から、高校時代に知り合ったオーネット・コールマンのグループに参加、キース・ジャレットなどとも共演。フリーから、コルトレーン的なストレート・アヘッド・ジャズまでこなせる、得がたいキャラクターのプレイヤーだった。

(2006/9/10)




訃報:エリザベート・シュワルツコップ 死去

数々の名唱を遺したソプラノ歌手、エリザベート・シュワルツコップが3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去した。90歳だった。死因は不明。
1915年、現ポーランドのヤロチン生まれ。ベルリンの音楽学校で才能を見いだされ、38年にオペラ歌手としてデビュー。モーツァルトなどのオペラを得意とし、ウィーン国立歌劇場などで活躍。70年代に引退するまでマリア・カラスらと並び20世紀の最も偉大なソプラノ歌手の一人とされた。

(2006/8/4)




帽子が笑う不気味に 訃報:シド・バレット 死去

7月7日、ピンク・フロイドのオリジナル・メンバー、シド・バレットが亡くなった。60歳だった。
バレットは、'65年に学友ロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイソンと共にピンク・フロイドを結成。「See Emily Play」「Arnold Lyne」などのヒット曲を生み出した後、1stアルバム『The Piper At The Gates Of Dawn』('67年)を発表した。しかし間もなく、ドラッグ過量摂取により精神のバランスを崩し、'70年にバンドを脱退。同年に5人目のメンバーとして加入していたデヴィッド・ギルモアが代わりの役割を果たすようになった。 その後、2枚のソロ・アルバム(『The Madcap Laughs』『Barrett』)を発表したが、70年代半ばからはケンブリッジの実家に引きこもり隠遁生活を送っていた。ピンク・フロイドのヒット曲「Wish You Were Here」は、シド・バレットに捧げる曲として有名。
ピンク・フロイドのスポークスマンによると、「バレットは、穏やかに亡くなった」という。今後、身内だけで密葬が行なわれる予定。元バンド・メイトは「バンドは、シド・バレットの死を知り、当然のこととても動揺し悲しんでいる。シドは、バンドの初期を導く光だった。彼の伝説は、その後も続いていた。この先も後世に影響を与え続けるであろう遺産を残してくれた」と追悼する声明を発表している。

シドが死んじゃった。 私の意識の中ではとっくにシドは死んでいて、 それがピンク・フロイドの音楽を冷たく鋭利なものにしていた。 だから、今更その肉体が死んだ、と言われても、それをどういう気持ちで受け止めたらいいのかわからない。 明日から、フロイドの音楽はこれまでとは違った響きを聴かせるに違いない。

(2006/7/15)





訃報:薗田憲一 死去

ジャズ・トロンボーン奏者、薗田憲一が12日、食道がんのため死去した。76歳だった
1960年に「薗田憲一とデキシーキングス」を結成。即興性に富むデキシーランドジャズで、スタンダード曲のみならず日本の童謡などをアレンジした演奏が人気を博し、海外でも活躍した。77年、ジャズ発祥の地、アメリカ・ニューオーリンズ市から名誉市民の称号が贈られた。

(2006/7/15)




訃報:アリフ・マーディン 死去

アリフ・マーディンが、25日、すい臓がんのためニューヨーク市内で死去。74歳。
トルコ生まれで、クインシー・ジョーンズらに誘われ、1958年に渡米。ソウル、ファンク、ジャズ、ポップスと幅広いジャンルでプロデューサーとして活躍、手掛けたアーティストは、アレサ・フランクリン、チャカ・カーン、ノラ・ジョーンズなど、枚挙に暇がない。最優秀プロデューサー賞など多くのグラミー賞も獲得している。

(2006/6/29)




鈴々舎馬風 落語協会会長に鈴々舎馬風

落語協会(東京)は26日の総会で、会長を5期10年間務めた三遊亭円歌に代わる新会長に、副会長の鈴々舎馬風を選出した。円歌は最高顧問に就いた




(2006/6/27)





川合伸旺 訃報:川合伸旺 死去

俳優の川合伸旺(かわい・のぶお)が24日、脳こうそくのため死去した。74歳。
劇団青俳を経てテレビドラマや舞台、映画で活躍。特に時代劇の名悪役として知られる。また、洋画の吹き替えでポール・ニューマンといえばこの人だった。
川合に匹敵する時代劇の悪役俳優が育っていないだけに、その死は惜しまれる。これから悪代官や、黒幕の勘定奉行は誰が演じるのだろうか。ただでさえジリ貧の時代劇。次々名優を失って、行く末が案じられる。

(2006/6/27)





岩城宏之 訃報:岩城宏之 死去

日本を代表する指揮者の一人、岩城宏之が13日、心不全のため東京都内で死去した。73歳。
東京芸術大学音楽学部に進学し、在学中から指揮者を志し、56年にNHK交響楽団を指揮してデビュー。ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなど、世界的なオーケストラの指揮台に迎えられた。正指揮者を務めたNHK交響楽団をはじめ、名古屋フィルハーモニー交響楽団では初代音楽総監督(1971−74年)として草創期の名フィルの礎を築き、またオーケストラ・アンサンブル金沢では音楽監督として設立に尽力し、積極的に同時代の作品、日本の作曲家の作品を取り上げるなど、多くのオーケストラを率い、日本のクラシック界の繁栄に大きく寄与した。サントリー音楽賞、紫綬褒章など受賞多数。

(2006/6/15)





訃報:大橋節夫 死去

日本のハワイアンの第一人者として、歌手、スチール・ギター奏者として活躍した大橋節夫が7日、呼吸不全のため亡くなった。81歳。
1946年、ジャズ歌手の笈田敏夫らとジャズバンド「スターダスターズ」を結成。48年には「ハニーアイランダース」を結成し、ハワイアンブームの中心的存在となった。

(2006/6/10)




リンゴ・スターと 訃報:ビリー・プレストン 死去

ビリー・プレストン(シンガー・ソングライター兼キーボード奏者)が、6日、米西部アリゾナ州の病院で死去した。59歳だった。死因は明らかにされていないが、腎移植手術が失敗し昨年11月から意識不明の状態だった。
一般的には、ビートルズ「ゲット・バック」でエレピ弾いてた人、という認識なんでしょうが、ヴォーカリストとしても味のある歌を聴かせる存在として、ファンも多かった。
(写真左。右はリンゴ・スター)

(2006/6/8)






訃報:山崎旭萃 死去

日本を代表する筑前琵琶奏者で人間国宝の山崎旭萃(やまざき・きょくすい)が5日午前0時24分、心不全のため大阪府茨木市内の病院で死去した。100歳。
明治39年、大阪市生まれ。幼いころから琵琶を始め、16歳の若さで「山崎旭萃会」を創立。昭和3年に師範を許され、42年には筑前琵琶日本橘会の最高位「宗範」となった。力強く情感のこもった声と演奏、高い芸術性と表現力で長く第一人者として活躍、琵琶の普及・振興につくした。芸術選奨文部大臣賞、芸術祭優秀賞、勲五等瑞宝章など。

(2006/6/8)




今村昌平 訃報:今村昌平 死去

「楢山節考」「黒い雨」「うなぎ」などで知られる、今や数少ない「巨匠」と呼ばれるにふさわしい映画監督の一人、今村昌平が30日、転移性肝腫瘍のため死去した。79歳だった。
人間の「欲望」と「理性」について非常に示唆的な作品を数多く残し、国際的にも大きな評価を得ていた。

(2006/5/30)






岡田真澄 訃報:岡田真澄 死去

俳優の岡田真澄が29日、食道がんのため死去した。70歳。
映画界は、貴重な性格俳優をまた一人失った。

(2006/5/30)







訃報:ハムザ・エルディーン 死去

アラブの民族楽器ウード奏者として、恐らく日本で最もその名が知られているであろう、ハムザ・エルディーンが感染症のため米カリフォルニア州オークランドの病院で22日夜(現地時間)亡くなった。76歳。
一時、日本に在住していたこともあり、純邦楽器奏者との共演なども積極的に行い、注目された。彼の名前と、ウードという楽器が認知されたのは、その頃の活躍と、それを中村とうよう氏があちらこちらで書きまくったことによる、と言ってよいだろう。今でこそレコード・メーカー各社が挙って所謂ワールド・ミュージックのCDを発売し、ウードの音色、音楽も簡単に耳にすることができるようになったが、その地盤をつくった、という意味でもエルディーン、中村氏の貢献は大きい。

(2006/5/28)




訃報:田村高廣 死去

阪東妻三郎の長男で俳優の田村高廣が16日に脳こうそくで亡くなっていたことがわかった。77歳。
三男・正和、四男・亮との三兄弟では、亮は幅広い役をこなす堅実な実力派であるのに対して、高廣、正和は二人全くベクトルの向きの違った個性派、性格俳優であったように思う。あの深みのある重厚な演技をもう見ることができなくなるということは、非常に残念だ。

(2006/5/18)




訃報:ジューン・ポインター 死去

ポインター・シスターズのメンバーだったジューン・ポインターが4月11日亡くなった。52歳。まだ若いですね。
新聞報道ではポインター・シスターズについて、「80年代に『スロー・ハンド』『ジャンプ』などをヒットさせた。」なんて書き方してますけど、音楽的にはやはり70年代のジャズ・コーラス・グループ時代の方が優れていたと思うし、今聴いても古さを感じさせません(むしろ80年代の曲の方が、シンセの音がいかにもで古臭く聴こえます)。男女混声はマンハッタン・トランスファー、ハイ・ローズ、シンガーズ・アンリミテッド等々、名グループが数多ありますが、女声のみのグループでは群を抜いて素晴らしかったと思います。「ソルト・ピーナッツ」が聴きたくなりました。

(2006/4/13)




訃報:ドン・アライアス 死去

フュージョン・シーンでは欠かせない名脇役であったパーカッショニスト、ドン・アライアスが3月28日亡くなった。66歳。
ニーナ・シモンのバック・バンドのドラマーを振り出しに、マイルス・デイビス「ビッチェズ・ブリュー」に参加、ジャズ界から大きな注目を集め、数多くのジャズ、フュージョンの名盤にクレジットされる。所謂ドラマーとしてだけでなく、多種多様な打楽器を駆使したパーカッショニストでもあり、作品に大きなアクセントと自らの個性を反映できるプレイヤーとして、ファースト・コールのミュージシャンであった。

(2006/4/6)




訃報:ジャッキー・マクリーン 死去

数少ない存命の巨匠ジャズ・サックス奏者であった、ジャッキー・マクリーンが3月31日亡くなった。73歳だった。
新聞報道などでは、「故マイルス・デイビスと共演」云々といった程度の紹介しかされていないが、ビ・バップの時代から、モード、新主流派へと、時代に順応してスタイルを変えながら、自らのプレイは個性的な、クールなようでエモーショナルな、時に哀感を湛えたフレーズも聴かせるという「マクリーン節」とでもいうようなものを確立していた。60年代以降の、プレスティジ、ブルーノートからの諸作はいずれも傾聴に値する。

(2006/4/6)




訃報:宮川泰 死去

作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)が21日、虚血性心不全のため亡くなった。75歳だった。
宮川泰といえば、もちろんザ・ピーナッツをはじめとする、数々の歌謡曲の大ヒットで知られているが、多分このページをご覧の方々には、「ゲバゲバ90分」を含むクレージー・キャッツとの繋がり、そして「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの音楽担当であったことが重要なのではないか(でも今現在、彼の作品で最も人口に膾炙しているのは、彼の作曲と知る人は少ないだろうが、「ズームイン!!朝!」と「午後は○○おもいっきりテレビ」のオープニング・テーマだろう)。「宇宙戦艦ヤマト」では、最初のテレビ・シリーズの主題歌や、エンディング・テーマ「真っ赤なスカーフ」(いずれも歌は、ささきいさお)が有名だが、テレビ・シリーズの続編となる劇場映画版「さらば宇宙戦艦ヤマト」のサウンドトラック盤は、実写を含めた日本映画サントラの名盤のひとつに数えていいだろう。それぞれのキャラクターにモチーフがあてられ、それが場面場面で変奏的に使用され、その変奏が実にドラマティックで、まさに「プログレ管弦楽」。ロック・ファンにこそ聴いていただきたい1枚である。
今ここに1枚のCDがある。宮川泰の作品をご子息で喪主、そして自身作曲家でもある宮川彬良(あきら)が編曲・指揮した「宮川泰 ザ・ヒット・パレード」というものだ。そこには、「シャボン玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」から「恋のバカンス」「ウナ・セラ・ディ東京」、そして「宇宙戦艦ヤマト」までがナチュラルな編曲でオーケストラ演奏されており、こうして並べて聴くと、この幅広いジャンルの作品たちが、いずれも「宮川泰の色」を持っていることがわかる。これを聴きながら、泰氏のご冥福をお祈りしたい。
ちなみに、彬良氏は「マツケンサンバ2」の作曲者、ヒット・メーカーである。

(2006/3/23)




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