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  あの歌の頃    Vol.1

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  サイモン&ガーファンクル
  「明日にかける橋」 

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オールナイト・ニッポンという深夜ラジオがあった。
今でもやっているらしいが、僕の中では「あった」になっている。

中学生になったばかりの僕は、とてもマセタガキで仲間の誰もが、
まだ漫画に夢中でせいぜい「11PM」の時間まで起きていて「夕べ11見たぜっ」
なんて自慢しあってた頃、深夜ラジオ、それも午前3時からの
糸井五郎のオールナイト・ニッポンに夢中だった。

糸井五郎は、DJという今のスタイルを確立した人として有名だ。
ウルフマン・ジャックに代表されるようなアメリカンスタイルDJ
(そんな言葉があるか無いか知らないが)
は、糸井五郎のスタイルをアメリカ人が持ち帰ったのだという。

糸井五郎のDJは、当時の僕にはショックだった。
何しろ、話している最中ずっと音楽が鳴り響き続け、切れ目がない。
当時(1970年代中頃)は、そんなスタイルのラジオなどなかった。

「夜明けの音楽ファンのみなさんGOGO,Beat Go's on!!」

カッコ良かった。
僕は、早速、学校にラジカセをもって行き、皆に聞かせた。
皆の反応は予想以上に冷たかった。
「鶴光のほうがオモロイ」

クラスでも静かなタイプのA子が、
「カッコええねぇ..こーいうの聞くん?」と言った。
「まーなっ、今、イギリスが熱いんさ」
イギリスでは、当時、パンクムーブメントが起こりつつあった。
と、DJ糸井五郎が言ってた通りに話した。
この時、初めてA子と喋った。

それからA子とは、レコードを貸し借りするようなり、
やがて自然と付き合ってる感じになっていったが、今の子のような
大胆な行動も行為もなかった。
音楽を聴ける仲間だった。


ある日A子は転校して行った。
突然だった。

「これ、糸井さんは掛けんかもしれんけど...」
サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」のシングル盤。
「これあげる。いい曲だから」
ありがと。とかなんとか気の利いた言葉が出なかった。

家に帰りレコードをかけた。
「君のためなら僕が橋になろう」
聞いていたら堪らなくなった。A子の家へ自転車をこいだ。
町の外れの公営アパートのA子の家のドアには、転出先の張り紙が貼ってあった。

それから一度年賀状が来ただけで、A子とは音信不通になった。
「明日にかける橋」を聞くと、今でもA子の事を思い出してしまう。


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