「哀しみを刻んでいく」

“哀しみがあなたのなかに刻まれれば刻まれるほど、
    その分だけ歓喜を受け入れられるようになる。”
      カリール・ジブラン(レバノン生まれの詩人)
      1883年1月6日生まれ 

母方の祖母が亡くなって、もう10年近くになる。その祖母のお葬式の時に喪主を務め
た親戚の叔父さんが、お葬式の時にこんなことを言った。
「人間、生まれてきたときから、良い事も悪い事も半分半分。母は戦争や、夫を早くに
亡くし大変な時期を過ごしたが、最終的には良い人生を送ったと思う。」
僕もそう思う。人間は誰でも公平に、良いことと悪いことの両方を与えられている。
死んでいくときにきっと帳尻は合うんだ。

日本の風土、というか習慣として・・・まぁ特に日系大企業の米国法人に勤めている
と、時々大企業病にかかった人たちを見かける。「大企業病」・・・いろいろな症状
があるが、その一つに「超保守的」というのが揚げられるだろう。
「これでは失敗する可能性があるからやるべきでない。」
本当に確実に成功する方法しか取らない。そのうち、何もできなくなって、結局は衰退
していく。またこんなことをいう社員もいる。
「それは自分の仕事ではない」
確かにそうかもしれない。でも、その発言によって、その人はその人自身の仕事の幅を
狭めていし、そう言うことでその人自身の発展もない。それが最終的には会社の発展を
妨げていることになる。

僕らの人生でも同じである。たとえば大学受験。一番行きたい大学は、合格の可能性は
低い。一つランクを下げれば合格できる。合格する可能性が低くても、自分の行きたい
大学に挑戦するか、それとも、一つランクを下げるか。どちらが正しいかは誰にもわか
らない。でも、合格できなくても一番行きたい大学に挑戦して、もし落ちてしまって、
とても悲しい気持ちになったとしても、その気持ちが自分をまた成長させてくれるし、
次に他のことで、目標を達成できたらその時の喜びは、本当に大きなものになる。

恋愛でもそうだ。本当に好きな人がいる。告白しようか、どうしようかと、迷う。ここ
で、「どうせフラれるから」と諦めるか。それでも自分の気持ちを伝えてみる。やっぱ
りフラれてしまったとしても、その時の哀しみは、いつかまた次に出会う人と恋が成就
したときにきっと、より一層の喜びになる。フラれてしまった人との出会いは決して間
違いではないし、大切な思い出となる。

数学的に考えるとすると多分、人は生まれたときには、喜びも哀しみも0である。時に
は喜びが増えて+10ぐらいになったり、時には哀しみが増して−10くらいになった
としても死ぬときにはきっとまた、0に戻る。では、哀しむことを恐れて、安易な方向
に進み、人生での最大の哀しみが−2くらいだと、喜びの最大もきっと大きくて+2。
せっかくこの世に生まれてきて、一度しかない人生。せっかくなら喜びの最大は+10
でも+100でも大きいほうがいい。それを実現するためには、僕らは哀しみが−10
や−100になることを覚悟しなくてはいけない。それでも、大きな喜びが得られるな
ら、僕はそれでもいい、と思う。

世の中には、たくさんの哀しみがあり、僕らの人生にもいろいろな哀しみが存在する。
それを否定するでもなく、拒否するでもなく、そしてそれから避けることもせずに、す
べての哀しみを受け入れ、そこから進んでいくことが、自分の人生をより歓喜に満たす
ために重要なことだと、僕は思いながら、日々を生きていく。