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タブーペルー空母ヤクザ脳死オタク、カルト酒鬼薔薇神戸事件動燃カラ不正ミステリ林檎

Visitorアンケート参考文献リンクHost 1999年5月13日更新

相互リンク: 「知的生活の世界にようこそ」 インターネット時代の知的生産技術のあり方を模索し知的生活を実現するためのホームページ(詳しくは投稿No.8を見てください。artemis)

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No.8 投稿者 Y Ohtsuki タイトルなし 投稿日99/3/2

以下は、相互リンクを希望された差出人 Y Ohtsuki さんの許可をリンク完了後の3月5日に頂いて、その後のメールでのやり取りを必要部分だけ再録したものです。

誰かがやってはいるだろうとは思っていたメールマガジンの「新明快悪魔の辞典」は、この方に先 を超されたという感じです。私は、A・ビアースの創土社版を持っていますが、いつかはそちらも覗いてみたいものです。  

相互リンク:「知的生活の世界にようこそ」 インターネット時代の知的生産技術のあり方を模索し知的生活を実現するためのホームページ

メールマガジン:「新明快悪魔の辞典」                          『まぐまぐ』を利用 して発行しています。ID:は0000010074
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拝啓  

このたびは、相互リンク完了のご丁寧なメールをいただきまして、ありがとうございました。 貴ホームページはTOPページとリンク集のページとりあえず、2箇所リンクさせていただきました。  

>このように、互いに似た問題意識を持った個人サイトが、ネットワークで繋がる事は
>素晴らしい事だと思います。
これからも、できれば情報交換などで話し合えたら良いですね  

こちらの方こそ、宜しくお付き合いのほど、お願いいたします。   

  では、私の自己紹介もかねまして、一言、日頃考えていることを述べさせていただきます。 私はインターネット暦2年になりますが、最近、やっとネット上で自分がやりたいこと、やれることが見えてきた状況です。

私のホームページのタイトルは、過去の仕事などの経験から、これからは哲学が重要ではないかという自分なりの人生観から始まったもので、それを特定の思想、宗教という枠組みにとらわれずに、まず自ら学びその結果をOUTPUTしていこうという気持からこのようなタイトルを選ぶ結果となりました。

また、私のメールマガジン(新明快悪魔の辞典、1月発刊)については、何か発表したい、何か変えたい、というこれまた内なる欲求からはじまりました。  

次に、私なりの問題意識を申し上げますと、日本においては、政治、経済、社会が閉塞状況にあると言われており、それを変える原動力になるのは、ニュービジネスや新商品開発や規制緩和だとされているようですが、私はどうも違うのではないかと考えております。

そういう意味で私は、今日的な社会哲学の模索を始めたところであります。

(以下略;artemis)


〔Host artemisからのコメント〕このメールに対する返事を再録したもの。【】内は加筆です。

早速のご返事、興味深く拝読しました。   インターネット暦2年とのこと、私もそんなものです。問題意識だけでなく生活面でも意外と似 た者同士かも知れませんね。  

ご紹介中の、  

これからは哲学が重要ではないかという自分なりの人生観から始まったもので、それを特定 の思想、宗教という枠組みにとらわれずに、まず自ら学びその結果をOUTPUTしていこうとい う気持  

には、感心させられました。    

この危機の時代を生きる上で、戦後流行した外来思想が、ものの役に立たなかったばかりか、 揃って自壊、消滅した感のある世紀末には、ご託宣を述べそれらを切り売りする既成哲学者、 思想家、出版社ではなく、事実を徹底的に堀下げるフリージャーナリストと、それに導かれWWW でネットワーク化された市民活動こそが現実を変え、時代をリードする力となっていると思います。  

例えば、TV朝日のニュース・ステーション報道がきっかけとなった、今度の所沢野菜ダイオキ シン汚染騒動でも、報道の表現自体に問題のあったことは否めないにせよ、所沢市、埼玉県、 国のような行政機関を、尻に火が付いたように市民の生命を守る規制強化に乗りださせた成果は、他の手段で可能だったとは思えません。  

環境問題の専門家でも何でもないジャーナリズムの一翼を占めるTV朝日が、数値報道の根拠 とした調査機関も、株式会社 環境総合研究所(ERI)  という民間NGOで、権威ある公共機関ではありませんでした。クボタ主導の水道鋳鉄管談合疑惑を最初に指摘し、公取委を摘発にまで動かしたのは、市民オンブズマン活動の地道な成果でした。  

市民運動広場
'89年に発覚した大阪市の私的飲食、接待・ヤミ手当て等「公金詐取事件」を追及する市民グループ「見張り番」
「水道局鋳鉄管に関する問題」談合落札資料あり

このような動きには、「特定の思想、宗教という枠組み」によるバックアップはないからといって、 何の哲学も思想も存在しないとは言えない。むしろ、「まず自ら学びその結果をOUTPUTしてい こう」と行動するところにこそ、生命と真実に掛けて時代を生きようとする真の哲学が息づいているのではないか、それがおっしゃる事の深い意味かと思います。  

もちろん、ジャーナリズムには、先走りに基く誤報道の危険以外にも和歌山カレー事件や、今も 続いている高知赤十字病院の脳死移植報道のように、プライヴァシーの侵害等の大きな陥穽があることもわきまえておかなくてはなりません。   そのマスコミ独走を規制抑止するために、ジャーナリズムと市民とを双方向的に繋ぐ唯一の手段 として、ご指摘通り出版新聞でなくWWWインターネットが期待されるのですが、現状では以下の ような欠陥、課題が明らかです。  

1)当該する事件について、いざ情報を探そうとしても当事者あるいは関連するサイトに、肝心の情報が全く掲載されないか、あっても、通り一編の官報的な「建て前」でお茶を濁していることが多い。  

特に、業務、営業宣伝、組織案内位しか内容がない自治体、会社、法人、学会などの独自の 情報を持ち、公開性の高いはずの公共組識サイトがほとんどこれです。  

カレー事件でも、混乱を極めた毒物の特定について、和歌山県内のどのサイトを探しても当時、 毒の「ど」の字も見当たらなかったのは序の口で、ダイオキシン報道で謝罪や弁明・反論の一つ もあってしかるべきのニュース・ステーションは、HP担当者がいないのでは、と思わせる「お寒さ」 です。埼玉県や所沢の公式ページにしても似たようなものでした。  

高知での日本初脳死判定・臓器移植でもコーディネートを担当した「日本臓器移植ネットワーク には、何の情報も公開ストックされていないのは、この問題について調べようとした折角の訪問者を脱力させるものです。   早々と証拠会計書類が焼却されていた長野オリンピック招致不正疑惑では、長野県のサイトを調べて見ようとする気すらなくなるというものでしょう。  

いくらインターネットでも、「ない袖は振れぬ」で、ファイルアップして公開されない情報まで入手 することは出来ないのは自明なことです。公共の利益に大きな影響を与える犯罪的行為を不祥 事とする組識隠匿性が強く、体面を重んじる社会意識のままでは、メディアをデジタルに変えて も貧弱なHPの質を変えることはできません。    

こうした事情は、「やっとネット上で自分がやりたいこと、やれることが見えてきた」とおっしゃる、 あなたが良くご存じかもしれません。この情報隠匿の限界を突き崩すのが、公共機関情報公 開制度の確立,HP公開と、市民オンブズマンによる活用、フリー・ジャーナリストの取材活動を (原則無料で)公開したHPだと思います。  

2)速報性が必要不可欠となる情報が、リアルタイムで入手できない程HP更新が遅い。  

1)とも関係するところですが、さらに危急を要する地震等災害、何らかの原因による戦争被害の場合はお手上げです。つまり、核戦争時に耐えられるネットワークとして開発されたWWWが、肝心のここぞという時に画面が固まり、役立たずとなる手遅れの可能性が高いのです。  

3)逆に、URL移転、ファイル移動消滅などが頻繁で、データベースとしての永続信頼性に欠ける。  

こちらで、苦労して探し当てた情報のファイルを見つけ、せっかくリンクしておいても、次にアクセスをかけた時には、行方不明になっていることが多いのです。サイトそのものが消滅している場合もあります!  

4)各種情報収集に適当なリンク集を完備し、誰でもが利用できる無料のポータルサイトとなる ものが圧倒的に少ない。  

特にリンクされた「Artemis Samplerリンク集」は、この欠落を少しでも埋められたらと思って始めたページですが、まだまだという気持ちが強いです。いいリンク先があったら是非情報交換 したいものです。  

5)インターネットの画期的な特性である双方向性が未だ実験的な模索段階で、大手ニュース サイトでさえ十分に活用されていない。  

例えば、個人ページでも花盛りな掲示板、チャットなどは、率直に言って、あまり成功しているとは思えないところが、‘Artemis Sampler’に現在でも手動メール式を採用させている理由とな っています。また、当HPスタートページ下部や‘Visitor's Room’で  

リンク先や、資料情報を送ってくれたり、一緒に編集したりするスタッフも募集中ですので、お気軽にご一報ください。 IE4.0の新しいNetmeeting機能、無料メーリングリストWild Bird、Free ML;WWWフォーラム‘at Club などを活用してバーチャル編集会議を開きましょう!  

と呼びかけているのは双方向性を活用しようとする一環です。        

以上挙げたこれらの諸点には、私のHPでも自戒として受け止めるべき点が多々思い当たります。しかし、こうした欠 陥、課題を側面から援護支援あるいは場合によっては内部から告発して、WWWを豊かにして行く ために「まず自ら学びその結果をOUTPUTしていこう」と行動することが、私たちのような個人 情報ナビゲーションページに求められている役割ではないでしょうか。  

Linuxなどオープンソースコードが、ユーザーボランティアによる輝かしいフリーソフト改良の伝統を築き上げてきたように、文化思想哲学面でもWWW上でオープンソースの共同ネットワークを創 っていこうというのが上に挙げた「バーチャル編集会議」の夢なのです。  

日本においては、政治、経済、社会が閉塞状況にあると言われており、それを変える原動力になるのは、ニュービジネスや新商品開発や規制緩和だとされているようですが、私はどうも違うのではないかと考えております。  

というご発言の趣旨がそこに繋がるような気が致します。そしてこれは、私が「ちまたのコラム」 でも度々引用してきた文章、  

今日、日本は、政治・経済・外交その他あらゆる面で岐路に立ち、またそのゆえに危機に直面している。そしてそのよって来るところには、国内的の理由もあれば、国際的の原因もあって、まことに複雑なものが伏在しているのだが、端的におしつめてみれば、今日の日本には、問題を問題として意識してそれを自ら解決するについての自主性が欠けているということが、最も根源的な素因をなしているのではあるまいか。

自主性が欠けている。このことは、個人にあっても国家や民族にあっても、自らの問題を自らの問題としては意識せず、したがってこれを自ら解決しようともしないで、ひたすら他の力にたより外からの圧力によって動かされていることを意味する。すなわち、それは、自分で考え、自分で断じ、自分で行うことができないということであって、いいかえれば、自由をもたないということを意味する。

自由をもたない。そのことは、個人にとっては人間性の否定であり、国家や民族にとっては独立の喪失である。・・・(後略)

1954年6月末川博

岩波新書「法と自由」まえがき(引用に当たって旧字体を修正)

が既に40年以上前に言い当てていたことだったのではないでしょうか。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆この問題について考えるためのヒント◆◆◆◆◆◆◆◆◆

日本人は未だ、個人として独立できず、寄らば大樹の陰と、一生どこか何かの組織集団の一員として、加入寄生渡り歩く(ヤクザ、渡世、渡り鳥)ことでやっと自己のアイデンティティ=日本的自我である自分(親分、子分にはさまれたヤクザ序列中の己の身)、自己の体面、自己の役を得ているからである。

経済を先ず第一に考えて、それ以外それ以上の価値についてはすべて「後回し」あるいは先進欧米にお任せという口実で無視する経済優先思考は、日本人から戦後に生きるための精神的価値を創造していく萌芽をすべて自己去勢圧殺してしまった。 国家的貧困は、人間として最低限とらねばならない他の全ての義務と責任を免除したのある。皇軍に継ぐ統制経済企業戦士エコノミックアニマルの誕生であった。

家庭、学校卒業から、実人生と世界、宇宙、自己の存在意義について深く思い悩む思春期、青年期体験も経ることなく、――大人になることなく、意味のある成人儀式も経ず――一直線に、軍隊、企業、官公庁など組織内役職に潜りこみ、外の現実世界の荒波を被らないで一生を母胎の中で安楽に暮すことこそが卑弥呼、巫女大母と御子依り童天皇小さ子の理想なのである。

従って、彼らにとって除隊、失業、退職は自己=日本的自我である自分(親分、子分にはさまれたヤクザ序列中の己の身)、自己の体面、自己の役とその所属する世界を根こそぎ失うことであり、(職、身分、役、使役がないと自分がない)その役者アイデンティティ・クライシスとアノミー状況に当たってやっと人生と自己の存在意義を思い悩む青年期に入るのである。今度こそは、家庭にも企業にも、勿論軍隊にも国家にも上手い受け皿が用意されていなかったからである。(今の青少年のアイデンティティはフェティッシュ商品の中にある。)

開高健は「衣食足りて、文学は忘れられた?」と嘆いて死んだが、それどころではない。「衣食足りて、礼節を知る」という広い意味における中国文化移入習合的伝統そのものが根底から破壊された事実が戦後50年経ってやっと暖衣飽食の腐敗した身心に沁みて来たというのが、現在の日本の現実である。

軍事活動だけというのが不具であるように、豊かになっても経済活動だけ、というのは人間のやることではない。流産による一種の小さ子朱儒的奇形、不具である。

日本人の大半がもっぱら自国の軍事政治外交教育宗教文化社会思想を欠落させ、敗戦の地の経済復興だけに熱中するようになったのは戦後アメリカの占領政策極東戦略上、実に都合の良い事であった。アメリカに押し付けられた経済以外の戦後社会文化構造に絶対依存言いなりになってあまりに巧く行き過ぎた、その経済オンリーに狭められた官僚的視野狭窄戦後思考の限界が、最早戦後50年の間に当のアメリカからさえも変革するよう迫られるほどに、次々と隠しきれないボロとバブル腐敗となって構造的に出てきているのである。

酒鬼薔薇聖斗を生んだ戦後日本という社会

外圧によって動いているということは、外圧がなくなれば一転してどうしたら良いか分からないアノミー状態に陥る、ということであり、その社会が、外圧による統制と、アノミー混乱との二極の往復を繰り返すことしかできず、その成員が、永遠に「自分で考え、自分で断じ、自分で行う」自主性に辿り着けない奴隷従属的存在に止まるということを意味する。

また、これに共通して、鈴木方斬が

早い話が、昨今生じている、犯罪は、親や社会が「哲学的な問題を何も考えていないで」 ただ「生産する事」や「生きること」だけに価値をおいた人生を過ごして来たことが、子供の 中に明確な疑問や不満や衝動として映し出されているだけなのである。・・・ようするに全て は、生きる事ばかりに追われて、「物事を深く考えなかったこと」の、その大きなツケが回っ て来ただけなのである。  

と現代日本の閉塞状況を分析する投稿 No.2もご覧ください。

◆◆◆◆◆◆

 

No.7 投稿者 Masa タイトルなし 投稿日98/11/18

以下は、差出人 Masaさんの許可を12月5日に頂いて、メールでのやり取りを再録したものです。


空母、ペルー、ナイフのページを読ませていただきました。

特に空母の記事ですが、膨大な資料と的確な考察に驚くばかりです。また、日本の行く末を思う熱い気持ちに感動しました。まったく同感です。アメリカに依存していれば国は滅ぶと思っていたのですが、人にうまく伝えられず、このページを見て多くの人がこれを理解すればいいなと感じます。
 
ペルーにいたっても、見かけだけの人道主義にとらわれず、政治としてのポイントをとらえ平和と言うものが口先だけでは得られないということや、主権をもたない日本政府が国際的に相手にしてもらえないということが非常に良く伝えられていると思います。

ただ、突入した特殊部隊に投降したゲリラが射殺された件で評価が変わるといわれましたが、国際論評はかわるとしても、現実的にはきわめて当然かと思います。たぶん作戦の段階でゲリラ側の捕虜はださず、全員射殺の命令が出ていたと思います。(ゲリラに生存者なし、との報道でそうおもいました。)ナイフのなかで、あなたがさんざん取り上げたその手の文献を読めばわかると思います。すべてにおいて相当シビアな要求がなされていたと考えます。

 ナイフまで読んで、すべてに共通しているのは、「日本人の大半がもっぱら自国の軍事政治外交、教育宗教文化社会思想を欠落させ」(すべての日本人に目を覚ませと言いたいところなのですけど)といわれるように、天皇家、神道、キリスト教がキーワードとなって現れてきています。教育宗教文化社会思想これは、根本的なところで必要と
思います。
 

神道の精神が日本をだめにしているときこえるのですが、それは、悪い部分のみしか見ていない と思います。「人良し、我良し」が神道の精神です。ちょっと弱ちいですけど、「やむにやまれぬ大和魂」という言葉もありますよ。
 

北条時宗のときも(元こう)命をはって国を守ったじゃないですか。しかも神風つきで(笑)神道=天皇ということになりますが、「人は祖にもとづき、祖は神にもとづく」それが、日本の歴史であって文化です。
 

「文化、言語、民族、歴史にホームグラウンドのない国際人は単なるホームレスだからである。」とおっしゃってるじゃないですか。
 

これからは、PKOにかわって、(いやアメリカにかわって)平和を作っていく組織が必要だとおもいます。PFO(peace forcing operations)とかってにいっていますが、国連のように世界各国で運営する帝国です。(植民地帝国ではないです。)ローマ連合ににた感じですか。(ただ、PFOは主権国家にはなりません。)

理想ですけど、そのときにかつてのローマがそうだったように、多神教の母台は非常に有効です。もともといっぱいいるから、ひとりふたりふえても、爆弾なげあったりしないんですよ。(アイルランドみたいにね、中近東でも)

一神教っていうのは力強いですけど、多神教も捨てがたいじゃないですか。(最近、ちまたでは国際連邦政府というのがつくられるそうですけど)
 
 はなしは変わりますけどこのページ非常にすばらしいと思います。すこしでも、目先にとらわれないで、大きく発展していこうという日本人が増えればいいなとおもいます。
  
 最後に、ホームページ以外でこのようなことを人に知らしめる、活動をなさっていましたらどんなものなのか教えて頂ければさいわいです。


〔Host artemisからのコメント〕このメールに対する返事に一部【】内加筆したもの。

Artemis Sampler’に丁寧なご意見と御感想を頂き、ありがとうございます。何よりも「空母、 ペルー、ナイフ」の拙く長い文章を3本も目を通して頂けたということに素直に喜んでおります。   アクセスは増えている割に具体的な反響らしい反響は、余りないもので、余計そう感じるのか もしれません。特に  

>アメリカに依存していれば国は滅ぶと思っていたのですが、人にうまく伝えられず、このペー ジを見て多くの人がこれを理解すればいいなと感じます。  

と行間の意まで汲み取っていただけたのは、WWWに公開した事実を越えた望外の喜びです。
 

「神道の精神が日本をだめにしているときこえるのですが、それは、悪い部分のみしか見てい ないと思います」という核心を衝かれるご指摘についても、感服しました。  

説明しだすと切りがないのですが、以下2、3の点を補足させて下さい。  

HP冒頭エピグラフに「やるべきことはやり、言うべきことは言い、書き記すべきことは、書き 記しておかねばならない 」と印しているように、どうしても通常は言いにくいことを、ここで吐露 する形になって、良い点は言わずもがなと、明記しないで通りすぎる面があるのは事実です。  

それが結果的に「悪い部分のみしか見ていない」という印象を与えたかと思います。  

しかし、医師が診断書に病名しか記載しないからといって、それ以外の健康な面を否定するも のではないように、明記しないことは、その対象について必ずしも良い点の存在を否定してい ることにはなりません。  

>「文化、言語、民族、歴史にホームグラウンドのない国際人は単なるホームレスだからである。」 とおっしゃってるじゃないですか。  

正におっしゃる通りです。素晴らしい処を衝かれていますね。 ホームと伝統を全否定したところに生まれるものは思想においても何もありはしない、と私も考 えています。

ただ、日本人の一員として私が言いたかったのは、例えば日本の神道を含む伝統的宗教には、 伝えていくべき良い点が多々あるものの、無宗教的に習俗と習合し現況のままに止まっていて はいけないというこの一事だったのです。   「神なき社会アノミーからカタストロフへ」の冒頭辺りに内村鑑三の警句

日本国の大困難、その最大困難とは何でありますか。私は明白に申します。それは日本人がキリスト教を採用せずして、キリスト教文明を採用したことであります。これが我が国今日のすべての困難の根本であります。

  を掲げた意味は、キリスト教を採用しもっと日本に注入しろ、ということではないのです。それは 不可能でしょう。その代わり   神道には日本の固有宗教として、アニミズム、フェティシズム、憑依シャーマニズムの伝統(ホ ームグラウンド)を継承するだけではなく戦後民主社会の要請に応じ発展させていく義務があると思うのです。  

神道は、慣行の名の下に国民すべてに強制できる無宗教社会の習俗ではなく、自ら信者が自 覚して加入する「【広義の】宗教【結社】の一つ」であることを自覚すると同時に、政教分離、宗教選択信仰の自由、個人の人権擁護という近代社会の要請にも答えていかなければなりません。   

天と地の未分に基く、公私の未分、祭政一致、人権概念を身分制で受け止める丸抱え体質、 数を頼りに個を無視するとことから生まれる「赤信号、皆で渡れば怖くない」自己破滅体質、 ケガレ・ミソギ・ハライ・キヨメの呪術観念による罪の意識の欠如、ルール言語論理、公共倫理 の欠如、検査実験行為による現実認識【に伴なう】合理的反省行為、行動変更、自己制御の不能、  

国内でも、地鎮祭訴訟、靖国神社参拝、人権思想の欠如、法治主義無視、民主制と錯誤し た談合体質等、で繰り返される戦後民主政教分離憲法思想との背反乖離はもとより  

バブル経済崩壊の原因ともなったこれらの欠陥は、官僚主義と多数による「赤信号無視」と して国際社会という外部に日本人が出ていった時、なお更に諸外国との間に不可避的に 立ちはだかる城壁、摩擦、障害という大きな困難となって、如実に現われざるをえないのです。  

外部社会に対して、他宗教、他民族、他言語、に対して日本人が、その身内、内部では考え られない程の存在の無視、非人道的行為を平気で行ってきたことは戦争の歴史が記録する通りです。  

「人は祖にもとづき、祖は神にもとづく」天皇の官僚を生み出した神道は、その伝統を受け継ぎ ながらも、軍国主義侵略国家に荷担した社会的責任があるのにもかかわらず、習俗習合に甘 んじ、伝統内に埋没してこれらの欠陥を矯正抑止するような宗教思想的営為を自ら自覚し果してきたとはとても言えません。  

宗教は、意識され、言語化思想化されて始めて、自己制御可能で他者にも説明可能な「文化」 となることができるのです。  

>多神教の母台【ここは「母胎」ですよね;引用者】は非常に有効です。もともといっぱいいるから、ひとりふたりふえても、爆弾なげあったりしないんですよ。  

これは母胎性文化の良い点です。しかし私が、その良い点を否定できないというのと同時に、 「なぁ、なぁ」の仲間内馴れ合い構造腐敗体質と、それに同調しない縄張り外のよそ者、第三 者の排除、赤の他人、外人、異人に対する徹底した部落共同体的差別の原因となっているこ とも事実であることをあなたも否定なさらないでしょう。  

この母胎の外部に対しては、おっしゃる美点の抑止は外れるということが、世界を相手にして 「爆弾なげあった」先の大戦と、今回の反社会的組織による外部一般市民への犯罪行為、証拠隠滅の数々とにおいて2回とも見事に立証されたのではないでしょうか。  

そして、良い点を列挙擁護するだけでは、社会と無意識の根底に隠されている悪い点を変革し て行くことは到底不可能であるという事もお認め頂けると思います。病巣は、その存在を自覚さ れ、摘出され批判解剖反省されなければなりません。「神戸事件など日本の危機的事件に潜 む社会文化構造をえぐる評論誌」においてはなおさらです。

何らかの宗教思想的歯止めを、危機を予防回避する倫理と論理を、日本人が、その伝統の中 から創造し生み出し実践することを国際社会から迫られているのが戦後だと言っても過言では ないのです。  

それが戦後50年が経過しても創出できず、歯止めが効かなかったからこそ、戦前に続き今回 もあのようなバブル経済を回避できず、崩壊を自ら招く過ちを繰り返すことになったのではない でしょうか。  

おっしゃるような日本型‘PFO’がそれを教訓に乗り越えていかれればこんなに素晴らしいこと はありません。  

私も、「すこしでも、目先にとらわれないで、大きく発展していこうという日本人が増えればいい」 という思いは同じです。これからも忌憚なき意見交換ができればうれしく思います。  

終わりに「ホームページ以外でこのようなことを人に知らしめる、活動をなさっていましたらどんな ものなのか」というお尋ねですが、  

どうしても通常は言いにくいことを、ここで吐露する形  

ですので、他では何もしておりません。尤も、個人ネット以外のメディアでこんな話題を書き連ね たら、直ちに追い返されるか、すべてボツにされることでしょうからね。   この答えで納得されないときには、当HPカルトクイズ「ここはどこ、私はだれ?」に挑戦してみて 下さい。ほんの冗談ですが・・・。


 

No.6 投稿者 志々雄(つくば市) タイトルなし 投稿日98/11/6

以下は、差出人 志々雄さんの許可を得て、メールでのやり取りを再録したものです。


冠省、既に存在はご存知のことと思いますが「真相 − 神戸市小学生惨殺遺棄事件 −」安倍監修/小林編(早稲田出版)を私も読みました。ひとつひとつ事実を丹念に丹念に洗い出し、常識的かつ合理的な疑問を投げかけており、一読、実に説得力があります(ちょうど映画“十二人の怒れる男”のヘンリー・フォンダを彷彿させます)

 この本に書かれていることが事実とするなら、これは世紀の大冤罪事件ということになります。警察・検察の捜査・立件のズサンさ、大マスコミによる犯罪関連報道の無責任さについては従来から事ある毎に指摘されてきたことではありますが、あらためて背筋が寒くなる思いです。

警察・検察・大マスコミがグルになって1人の少年を陥れたと言っても過言ではない。特に、捜査当局のリークに乗って国民を欺くことのお先棒を担いだマスコミの過失は重大です。

アルテミス様はどうお考えでしょうか?

警察情報と、それを垂れ流すだけのマスコミに躍らされ、アルテミス様御自身、“劇場化社会”に荷担しているように見えますが・・・。A少年の精神分析や酒鬼薔薇聖斗を生み出した現代日本社会について考察する前に、その前提たる事実「この事件は本当にA少年の犯行なのか?」について考えてみる必要があるのではないでしょうか?

例えば、『7月14日 (月) 連続殺傷事件へと発展か』における記述で・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

(1)7月11日には少年を車に載せたままの実況検分も済ませた兵庫県警側は
、・・・
=>車に乗せたままの実況検分で、実際に少年が徒歩や自転車で(それも遺体を抱えて)供述通りの移動が可能かどうか分かると思いますか?

(2)供述によれば池に捨てたとされる、ケーブルTV施設用に取り替えた南京錠とその鍵が見つからなかったのは残念だとしながらも、これだけでも十分立件可能として、昨日の13日で捜査が打ち切られた。

=>なぜ見つからなかったのか?金属探知器は使わなかったのか?
   それとも金鋸やナイフは無くならないのに、南京錠は自然消滅するとでも?

(3)8日の金槌は事件との関係は不明とされてはいるが、警察は、6日発見の金鋸は、土師淳殺人容疑、9日の2本の金槌及びナイフは2月10日少女殴打事件、3月16日の連続通り魔事件容疑のそれぞれの物証となるものと判断しているようである。(頭を金槌のような鈍器で殴打された10歳の少女、山下彩花は死亡、その直後に別の場所で襲われナイフで腹部を刺された少女も重傷を負ったが一命はとりとめた)

=>ルミノール反応、指紋は検出されたのでしょうか?また、被害者に残る傷痕と照合比較して実際凶器として使用されたものと特定可能なのでしょうか?

(4)土師淳殺人容疑に対しては、少年の供述は大半がこれまで推測された犯行状況と大筋でいう限りそれほど大きな食い違いを見せるものではない。しかし2、3の点についてはかなり矛盾した箇所がある。

=>2,3の点にかなり矛盾があって、大筋で食い違いがないと言えますか!この疑問をなぜ持続させないのか!
   あなた、もしくはあなたの家族が容疑者なら、1つも矛盾があっては許さないでしょう?

(5)少年は5月24日の午後2時ころ、多井畑小学校付近で祖父の家に向かう土師淳に会い、・・・・・通称「チョコレート階段」と言われている登り口からタンク山に誘った。その時少年は自転車に乗っていたが2人で徒歩で向かったという。途中誰にも会わなかった。・・・また北須磨公園での被害者目撃証言との食い違いは説明されない。

=>途中誰にも合わなかったとは、かなり不自然ですね。目撃証言はその後どうなった?

(6)そしてケーブル施設フェンス付近で中には入らず土師淳を絞殺、死体はフェンス外側にある窪んだ茂みに隠して下山した。 ・・・少年は・・・フェンスの付近には一種の隠れ家のような「基地」をつくったりしていたが死体をここに隠したのではないらしい。・・・・・その後になってフェンスの南京錠や金鋸を用意して25日の早朝家を抜け出し
タンク山に再び訪れ、フェンスの錠を壊して侵入、隠し場所から中に運び入れた死体を切断した。しかしすぐその後には地元自治会による、警察犬を動員した山狩が始まっているところから、この隠した死体が発見されないで済んだというのも、不自然な感じが否めない。

=>繰り返しますが、この疑問をなぜ持続させなかったのか!

(7)これについても原文は公開されず謎が多い。第二の声明文の大人びた緻密なスタイルとの余りの落差から、立花隆は、容疑者の逮捕前、インターネットのホームページで、自己の経験でも「あれだけの文章を書けるのは大学生にもそういない」と断言し、「犯行声明文を書いたのは実行犯とは別の人物」と複数犯説を提出していた程だ。

=>繰り返しますが、この疑問をなぜ持続させなかったのか!

(8)だいいち、ネットに現れた「酒、鬼、薔薇」の文字の件はどうなったのか?
=>繰り返しますが、この疑問をなぜ持続させなかったのか!

(9)頭部は袋にいれ自宅に持ち帰り、天井裏に隠していた。 ・・・・・27日の午前1時から2時ころの真夜中に自転車で友が丘中に出かけ頭部を正門前に置いた。・・・これら全ての少年の行動について、家族はまったく何も知らず、感知すらしなかったという。

=>かなり不自然です 。少年の家族がこの期に及んで見え透いた嘘をつくでしょうか?また、事件当初TVで映像が流れた、校門前に残された頭部の置かれた跡の大量の血痕は、日本中の視聴者が覚えているはずです。 2日前に切断し、風呂場で洗い、天井裏に置きっぱなしにしてきた頭部から、あれほどの血液が流れ出すと思いますか?

(10)これまでにマスコミに断片的に漏れてきた容疑者少年の供述情報・・・「弱いものをいじめるのが好き」とか「(殺す相手は)誰でも良かった」、「いろいろな方法を試してみたかった」とか・・・「魂を抜き取る儀式」、・・・「清めの儀式」とか口走ったと伝えられているのがそれである。

=>すべて警察発表とマスコミ報道の鵜呑みですね
。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1人の少年の一生が懸かっているのです。1年以上が経過した今、徐々に人々の話題に上らなくなるでしょう。
被害者遺族が起こした民事裁判すら不可解な和解が成立し、裁判の場で真実が争われる機会を逸した今、時間はそれほど多く残されていません。

予断と偏見を排し、事実にのみ基づいてもう一度吟味し、この本で提示された疑問について正しいのか正しくないのか決着をつけて欲しいです。その結果「やっぱりあのA少年が犯人で間違いない」と結論できるなら、それで構いません。

私は“真実(まこと)”が知りたい。志々雄でした。

以上


〔Host artemisからのコメント〕このメールに対する返事に一部加筆したもの。ボールドはすべてartemisです。

当HP‘Artemis Sampler’の記事「神戸 小学生惨殺事件を追う」につき、真摯なご意見をありがとうございます。以下の文面


警察情報と、それを垂れ流すだけのマスコミに躍らされ、アルテミス様御自身、“劇場化社会”に荷担しているように見えますが・・・。A少年の精神分析や酒鬼薔薇聖斗を生み出した現代日本社会について考察する前に、その前提たる事実「この事件は本当にA少年の犯行なのか?」について考えてみる必要があるのではないでしょうか?  

及び、『7月14日 (月) 連続殺傷事件へと発展か』における記述についてのご指摘

(4)土師淳殺人容疑に対しては、少年の供述は大半がこれまで推測された犯行状況と大筋でいう限りそれほど大きな食い違いを見せるものではない。しかし2、3の点についてはかなり矛盾した箇所がある。

=>2,3の点にかなり矛盾があって、大筋で食い違いがないと言えますか!この疑問をなぜ持続させないのか!あなた、もしくはあなたの家族が容疑者なら、1つも矛盾があっては許さないでしょう?


がご趣旨かと判断し、主にこれらの部分につき当HPの立場を説明したいと思います。   冒頭に「お断り」として


このドキュメントは日付通りに書かれた原文を事件の経過にそって並べたものです。従って、現在では誤っていると広く承知されている情報がマスコミから流された当時のまま入っていますが、逮捕される以前に最低限の訂正、加筆を(後記)として挿入した箇所以外は、Artemis側の誤認、誤推定を含め記録として価値が在ると見て訂正しておりません。(但し、日付の入っていないものは随時、更新訂正している場合があります。)

〔中略〕

もちろん現在でも逮捕されたのが未成年であること、未だ裁判〔少年審判〕すら開かれていないなど容疑者の人権侵害の怖れがあることにも配慮しながら、それを侵さないと考えられる範囲においてこのぺージをネット上に公開するものです。(1997/7/2)

‘Artemis Sampler’では'97年6月の発生当時から、神戸連続児童殺傷事件を取り上げ追跡してきましたが、今回「文芸春秋」3月号に掲載された‘容疑者少年への検察官調書’につきましては、その流出経路に問題があり今後刑事的責任追及の及ぶ怖れがあること、情報公開の価値に比して被害者家族に対しての配慮に著しく欠ける点
が残る等の事情を考慮し、新たな展開のない限り事件の「資料」としてはネット上で取り上げる予定のないことをお断りします。参考リンク:メディア・ウオッチング /同志社大学 渡辺武達 より詳しくはメディア報道による人権被害を扱う浅野健一ゼミ(1998/2/13)

と書いてありますように、「神戸 小学生惨殺事件を追う」は、一つのリアルタイムドキュ メントとして、マスコミ報道に反応する私自身を含め事件の経過を述べようとして始まっ たものです。つまり「Artemis側の(ひいては、そこに仮定を置いているマスコミ報道、警察、 裁判情報の)誤認、誤推定」が含まれることを当初から否定するものでなく「記録に価値」 を置いている性格のものであると断っていることに御注意願います。

私「自身、“劇場化社会”に荷担しているように見えます」という批判については、その 「記録」の中で小説のように記述者自身劇場の観客と化し登場していた事を否定するつもりはありません。
観測者の存在を無視した客観的真理を排することは20世紀の認識論、学芸の到達点 でもあります。「真理」といえども、少なくとも一人の観客の存在を必要とするのです。

【以下加筆】例えば

○月×日 「・・・・」とA紙、B局が報道した。それに私は***と考える。

とartemisが記述した文においては、仮に当時そういう報道が存在したこと、それに対してartemisの意見を述べたという事実の全体が客観的真理だとしても、報道された「」内の記事内容までについてはその真理値は確定しえないという了解が含まれています。これは報道内容を論評の前提として「仮定」することによって、単に

・・・・・・・・・

とベタで記述するより、読者にその内容を客観的真理であると印象づける断定を論理的に回避できる方法です。

【以上加筆】

後でも述べますが、観客として「仮定」することは、客観的真理と断定することによるマ スコミ側への無条件な「荷担」とは違います。観客として最低限参加しなくては、論じる ことすら不可能であるという場合、劇場に入らずんば情報も得ずで、それは予め犯人も 期待していた諸刃の剣の性格を持つものなのです。   「現在では誤っていると広く承知されている情報がマスコミから流された当時のまま入っ ています」というところが必ずしも「警察情報と、それを垂れ流すだけのマスコミに躍らさ れ」た結果だけとは思いません。 「(10)これまでにマスコミに断片的に漏れてきた容疑者少年の供述情報・・・」について も、できるだけ扇情的に扱わず、軽く「マスコミ側の情報」として「・・・と伝えられている」 と紹介しているだけです。

***

犯人がマスコミ報道を前提とした犯行を計画時点から持っていたことは、この再度 にわたる「殺人ゲーム」宣言からも明確だろう。この事実に今更のように驚いていた某TV関係者は、現代のジャーナリストとしての資格が疑われるといわなくてはならない。 現代の犯罪は否応無しに、血が流れ首が転がる生々しい現実であると同時にこうした マスコミに現場報道された瞬間、茶の間でくつろいで見る視聴者にとっては否応無くショ ーアップされた一種の小説のようなフィクション、現実とはかけ離れたゲームのような 劇場犯罪と化してしまうのだ。
「6月6日(金) 動機の分析 」

「“真実(まこと)”が知りたい」という方から見れば、事件の流れを追うことに終始し、さま ざまな疑問や矛盾点を指摘しながらも、真相の追及が尻切れとんぼに終わっている点 は物足りなさを与えるかもしれません。確かに今読んで隔靴掻痒の感じがするのは、 「記録=ドキュメント」であることに加えて「リアルタイムの限界」が出ていることから来ると 思います。

これらを出版書籍等に盛られた現在の知見から削除なり修正なりすることは簡単です が、却って個人ドキュメントの意義を損うものと思いそのままにしてあるのです。日付の あるものはほぼ一年前の発表当時のまま一字一句修正改変はしてはおりません。【というより‘ドキュメント’と銘打った以上それはできないのです。加筆】

その意味では(4)で引用された

土師淳殺人容疑に対しては、少年の供述は大半がこれまで推測された犯行状況と大筋でいう限りそれほど大きな食い違いを見せるものではない。しかし2、3の点についてはかなり矛盾した箇所がある。

という文では「2,3の点にかなり矛盾があって」と強調することで間接的背理的に、供述 内容全体に疑問を投げかけるのが当時の意図だったのです。 「2,3の点にかなり矛盾があって、大筋で食い違いがないと言えますか!」とのご指摘 ですが 「土師淳殺人容疑に対しては、少年の供述は大半が」「大筋でいう限りそれほど大きな 食い違いを見せるものではない」という意味ですので、大筋以外の仔細な「2,3の点」を 含むものではありません。

一方、どのような事件であれ、独自の情報源も調査権も専門的知識も持たない個人ペ ージにおいては、また特に、このような少年が容疑者とされた「知る権利」が著しく制限 される事件については事実上マスコミ報道、及び裁判所処分決定を一応の前提(仮定) として採用せざるを得ない「情報の限界」が存在する事も考慮して戴きたいと思います。

えん罪や誤報の可能性を逐一裏付け調査確認をし、潰した上でなければ、マスコミ報 道、裁判結果を前提(仮定)にした推測記事を発表してはいけないのであれば、 ‘Artemis Sampler’のほとんどすべてのページが成立しなくなってしまうでしょう。

「7月3日(木) 社会の反応 」の項でも述べましたように、

殺人及び死体遺棄容疑が須磨警察署内で未だ取り調べ中である現在、「未成年者」か ら警察が引き出したこれらの供述にどれだけ信憑性を認めてよいのかそれ自体極めて 疑問ではある。

少年の自宅から、通り魔事件を詳しく記述したメモのようなものが押収されたという以外、 目撃証言はおろか裏付けられる物証がほとんど出てきていないのだ。これら3件の自供 そのものが、かなり前から学校を休んで、おそらくマスコミによって増殖された事件報道 の一部始終を家のTVで見ていたこの少年の頭につくりあげられた、犯人との同一視に よる妄想かも知れないのである。

被害者河野義行はあれほど自供はもちろん確証がないのに、見込み捜査で一夜にして 犯人にさせられてしまったではないか。警察の初動捜査のミスとそれを無批判に垂れ流 し続けたマスコミ迎合報道が、まったく見当外れのところにいた宗教組織を自由に泳が すことになり、その後の地下鉄サリンという歴史的大事件を抑止することを結果的に不 可能にしたのである。

と当初からえん罪の可能性を指摘した上で「さてそうした前置きの上で、もしこれらの少 年の供述がすべて真実だとすれば」と断り、紹介文にも揚げた「・・・神戸事件など日 本の危機的事件に潜む社会文化構造をえぐる評論誌」としての当 HPの紹性格上、 これに追加して「酒鬼薔薇聖斗を生んだ戦後日本という社会」の分析へと移っていった のです。 (公開当時はこの辺りに、「幕合いinterlude背景となる社会構造の分析」というタイトル で挿入してありました)  

また、この項の最後には、  

学校に復讐してやる、といった警察発表の供述内容とは正反対の発言も得られたと いう。これは、宮崎勤被告の言動を思わせる人格崩壊の危機に瀕したアノミー的無感 動性なのか、それとも、まったくの見当違いの冤罪拘禁のショックの余りの無反応なのか現時点では推測の範囲を超える。  

とも書いています。     疑問や矛盾点も、(1)から(10)までのようなご指摘であなたの気づかれたまま、少年の 逮捕を境にして手のひらを返すように削除せず、過ちの可能性も残しているところにむ しろ積極的な価値があるとは言えないでしょうか?  

えん罪を主張するサイトへ、またそれを批判するサイトへも無視することなく

冤罪陰謀説を展開する神戸事件の真相を究明する会とその批判革マルの強弁に屈した毎日新聞 もご覧ください。  

と、トップリンクを張って、読者に参照を促しています。
ですから、

A少年の精神分析や酒鬼薔薇聖斗を生み出した現代日本社会について考察する前に、その前提たる事実「この事件は本当にA少年の犯行なのか?」について考えてみる必要がある

という点については、どのページにおいても終始「A少年」の犯行と断定しているのでは なく、「仮定」もしくは「Artemis側の誤認、誤推定」の可能性を含む「推測」として扱ってい るのだ、ということを是非読み取って戴きたかったと思います。  

これまでの関連ファイル:神戸事件ドキュメントに知られた材料だけから、現時点で あえて「酒鬼薔薇聖斗」を生むことにまでなったこの戦後50年経過した日本という社会 が犯罪の背景にもつ構造的要因について・・・極めて簡単、粗雑な推測をたくましくする  

という文を「酒鬼薔薇聖斗を生んだ戦後日本という社会」の冒頭においたのはそのつも りです。  

「6月6日(金) 動機の分析 」で書いた

肝心の動機であるが、こういう場合先ず最初は文面通り全面的に受け取り分析を進め、 いたずらに犯人の偽装工作だと決めてかからないようにすることが解読作業の前提で ある。矛盾点があれば、その時点で疑いを持ちさらに追求していけば良いのである。

というのが、犯行声明文のみならず、今も変わらぬ事件報道全体に渡るスタンスであるとお認めくだされば幸いです。

その意味で、歯がゆいと言わればそれまでですが ご指摘の(4)では「しかし2,3の点にかなり矛盾があって」と付け加えることで間接的 背理的に、供述内容全体に疑問を投げかけるのが「警察が引き出したこれらの供述 にどれだけ信憑性を認めてよいのかそれ自体極めて疑問ではある」と述べた通りの 当時の意図だったのです。  

「この疑問をなぜ持続させないのか!」と繰り返し衝かれる追及の弱さについては、当 HPの紹介文にも揚げた「・・・神戸事件など日本の危機的事件に潜む社会文化構造 をえぐる評論誌」としての性格から、また、メールで集まる事を期待した内部情報提供 が皆無だったことにより、この事件追及を専門とする書籍やサイトに譲る形になったと いう事情があります。   もし独自の情報を基に続編を公開することがあれば、お言葉をはげましとし、今後の自 戒として受け止めたいと思います。

「あなた、もしくはあなたの家族が容疑者なら、1つも矛盾があっては許さないでしょう?」
 
しかし、現在のところ、「事件から一年を迎えて」のコラムすぐ下に掲げた
「asahi.com 98/10/16神戸市の連続児童殺傷事件、事実関係認め和解求める」の記事 (FTPが鈍くページ更新が反映されていないかもしれません)でこの報道自体も過ちを含 んでいるとするのでない限り、

少年の代理人は15日、事実関係をすべて認めたうえで、和解を求めることを明らか にした。・・・しかし、被告側が事実関係を争わないことで、実質的な審理をしないまま 裁判が終結する見通しとなった。

と報じられた事実関係を覆すに足る情報を当方が握っている訳ではありません。     ましてや、盗まれた検察官調書については、当方の論評外であることは、「お断り」に書いた通りです。

私の様な者が、「この本で提示された疑問について正しいのか正しくないのか決着をつけ」る立場にはなく、また、WWWでも出版でもえん罪の可能性及びそれを主張する発 表の場を否定し妨げるものでもないことを今一度ご確認下さい。

陪審員でも裁判官でも、検察官でもない法治国家における私たち一般市民は、「仮定」 して推測乃至論じることができるだけで

「やっぱりあのA少年が犯人で間違いない」(あるいは、犯人ではないと)と結論(断定)できる

ものではないのです。


  しかしマスコミも冷め、TV画面やWWWからも事件報道や、(8)の、ネットに現れた「酒、鬼、 薔薇」の文字も消え失せた今、あの当時でなくては書けなかった‘熱気’は当HP内に 保存されているとも感じます。   容疑者少年が、あと数年もして収容された関東医療少年院から出て、成人として社会に復帰した時こそ、新たな展開が始まるともいえるでしょう。   もし、未だでしたら、あなたのお考えをまとめられて、HPを立ち上げてみてはどうですか? こちらからリンクすることが出来ます。

 

 

No.5 投稿者 村田喜宣 タイトル リンク張らせていただきました 投稿日98/6/22

わざわざリンク報告ありがとうございます。そちらのような会社組織の方からのコンタクトは個人運営ホストには思いもよらぬことで、戸惑 いながらも喜んでおります。私、「静電気コントロール」で 環境改善というのはあまり聞いたことがありませんが、市民1000人はすごいですね。貴サイトに伺い確認しましたので遅れ馳せながら、お礼にこちらからもリンクさせてもらい「相互リンク」として掲載いたします。

次回は‘Artemis Sampler’への感想、意見を是非お聞かせ下さい。

このページは98/11/7,同差出人から閉鎖されたとの連絡が入りましたのでお知らせします。artemis


ライフ&ワークネット村田といいます。現代社会が抱える諸問題の根本原因は全て静電気であるとの考えを元に、
静電気コントロール技術を開発した(株)アイセ・の代理店です。(株)アイセ・はこの静電気コントロール技術を地球環境・地球平和のために利用する目的で、市民1000人が集まって作った会社です。

名前:地場改善のホームページ

ジャンル:健康

コメント:人の健康を害する原因は静電気です。イオン棒とアイセエレキテルを使って土地に帯電している
静電気を除去することにより健康を取り戻すことができます。

宜しくお願いします。

 

 

No.4 投稿者bv タイトルなし 投稿日98/2/12

前回No.2の呼びかけにさっそくお答え頂きありがとうございます。今回はオリジナルの原稿をお詫びに全文掲載し、一言多いとの噂もあるartemisコメントは控えることと致します。しかし、随所にマスコミには見られない卓見が伺え、決して雑話とは言えないことだけは請け合います。逆にこうした自身の体験に基く‘雑話’のようなものさえ子供に語り掛ける事ができなくなっているのが今日の、親や教師なのではないでしょうか?これに対する他のVisitorの皆さんのご意見も伺いたいものです。

ナイフ事件についてはこちらもご覧ください。緊急追加ファイル:頻発する少年ナイフ犯罪に寄せて(artemis)


方斬氏より以下の文章が届きました。前回のものへの追加原稿です。ただし、今回の文章は、単なる雑話につき
こちらのHPには記載いたしません。

なお、いくつかのテレビ局にはFAXしたものだそうです。

もしも、ArtemisさんのHPに記載をご希望であれば、ご自由にお取り扱いくださいとのことでした。



==============================================

                                ▲私の教育観▲

●すべては学歴を評価した大人社会と企業の責任である●

極論すれば、子供達や中学生には何も非はない。彼らに自主的な価値観や才能や意欲を持たせないようにしてしまったのは、大人社会だからだ。

最近の、いわゆる【キレる】子供達の根本原因は、日本特有の「学歴社会」の、しかもその「残留物」による弊害の一点に絞られる。

そもそも社会や企業が、高学歴などを評価しない社会であったのならば、親たちも自分の子供に必要以上の勉強など押し付けたりはしなかったのだから。

その昔、子供とは「子供の社会の縄張りの中」で『遊ぶ』ものだったのだ。約20年前は、子供に勉強など強いれば、「教育ママ」と呼ばれ、また子供も「ガリ勉」と言われ、周囲からはむしろ白い目で見られた時代があった。という事を思い出して戴きたいものである。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ところで、今、ナイフなどで問題行動を起こしている子供たちの「その親の学生時代」とは、一体どんな時代だっただろうか?。

おそらく、彼らは「楽しい学生時代」というものを経験した最後の世代のはずなのだ。
仮に25歳で子供を持ったとして、現在中学生の子供をかかえる親は、現在40歳前後だろう。ちなみに私は1998年2月現在39歳である。

こんなエピソードがある。

私は中学生のころからナイフマニアだった。あるとき、放課後、廊下で友人にジャックナイフを向けて「恐喝ゴッコ」をしていた。
まぁー、言うなれば洋画のシーンのマネである。そこへ通りかかって、私たちを見た一人の教師は私にこう言った。
「おおっ、かっこいいナイフじゃないか。・・でも手を切らないように気をつけろよ」。私「はい」。これで終わりである。

職員室に連れて行かれるわけでもなく説教をくらうわけでもなく、ただ「使い方の注意」をされただけである。
言うまでもなく、これは約23年前の話である。そして、当時はそういう時代だったのである。

ナイフを持っているからといって、生徒がそれで事件を起こすなどとは教師も思ってもいなかった。誰かが単なる遊びや趣味でナイフを持っているからといっても、誰もそんな事を特別な目では見なかった。

私の両親すらも、私がナイフを集めて持っていても、「ケガをしないように注意した」のみであり、刃物を取り上げるなどという事は全くなかった。ナイフを持っていることと犯罪や暴力は結び付いてなどいなかった時代だったのだ。
・・・・・・・・・
また、当時は、子供同士の間でさえも、ケンカで刃物を使えばどういう事になるかは分かっていたために、私たちの時代のケンカは、素手でやるのが礼儀であり、それがルールだった。

むろん、それは恐らくは、文化を通じて伝えられた日本特有の「武士道精神」から受け継がれたものではあろうが、それにしても、そのルールは誰が決めたのでもない。それが子供にとっての「かっこいいケンカ」「当たり前のケンカ」であった。

また、素手で勝ったからこそ、仲間の中でも力を認められたのであり、凶器というのは、そもそも反則であり、卑怯だと見なされた。凶器を使えば、それこそ仲間外れにされたのだ。

しかし私たちの世代の少し後から、暴走族が角材やチェーンで武装するようになった。
そして、今では警棒、金属バット、催涙スプレー、スタンガン、ナイフである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

さて、ではそのころから学校や社会では、何が変わっていったのだろうか??。私が高校生の時には、自分の「進路」について考えた事などなかった。私が進路を考えたのは、短大の半ばあたりでやっと現実的に考えたものだった。

高校生の時でも、学生は自分の将来の進路などというものを考えたのは、せいぜい高校2年の終わりごろからだった。では、それまでは何をしていたか??。言うまでもなく、我々は、ひたすら「遊んでいた」のである。

私は幸いに「受験戦争」などというものを経験しなかった。私のすぐあとの世代から、それは始まった。

私が小学生の時、塾へ行っている者など、わずかだった。私立中学を受ける者が、ほんの少数だけ行っていただけだ。

そして、中学、高校でも、そもそも勉強ばかりをする者などは、「ガリ勉」と呼ばれて、馬鹿にされていたのである。
子供時代とは、そもそも『遊ぶもの』だったのだから。

つまり、受験戦争など、ほとんど知らない私たちの世代は、よい高校から良い大学、そして良い企業、良い収入、良い老後、という価値観などは、全く頭にはなかった。

確かに、既に学歴社会の色彩は始まりかけていたが、それとても、多くの中小企業自体が、別に学歴を問うわけではなかったから、大手はともかく、小さな企業では、学歴や経験不問の求人広告が多かった。
だから何をやっても「いちおうは食っていけそうな時代」だったのである。

今の子供のように、小学生のころから将来の進路に基づいた行動をしなければならない理由は何もなかった。
自分の就職や進路などは、高校を卒業する間際あたりで考えればよかったのである。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ここで非常に重要な事は、大人社会と子供社会の間には、20歳の前後あたりに「縄張り」のようなものがあったという事だ。

20歳までは、とりあえず子供たちの社会であった。自分のやりたい事は、とりあえず20歳過ぎたら好きにやろう。
それまでは我慢するなり、遊んでいよう・・・と。

そのように、20歳あたりを境界線とした「暗黙の縄張り」が、大人と子供の間に明確に存在していたのだ。
ところが、この境界線を破ったのは、大人たちだったのだ。縄張りを破ったのは断じて子供ではない。「大人が破った」のだ。

すなわち大手企業への就職=高収入となり、高収入=平均的幸福の条件となり、何もかもが、そのための学歴、そのための学習、そして、そのための内申書という構造が生まれた。内申書は教師や親が子供たちを脅迫する材料となったのだ。

私は幸いにも、中学高校が続いている(当時は3流の)私立校へ入った。だから、内申書が進学に影響するなどというストレスもなかった。

しかし公立の中学では「内申書」という「脅迫要素」があり、それが子供へのストレスとなる。親が求める「いい子」とは「内申書」にまずい事をかかれない子供ということなのだ。さらに既に述べたように、自分の進路などは昔は大学生ですらまだ決まっていなかった。


そもそも、私たちの時代には「大学へ行く」という場合には2つの意味を持っていた。

1:ひとつは、自分の就職や興味に直接かかわるような専門分野の大学へ行くこと。
2:そしてもうひとつは、進路の事など後回しで、「遊びに行くところ」「新しい出会いの場」としての大学である。

大学へ行ってしまえば、あとは自由。親からもとやかく言われない。そのせいで、「入るまでは大変で、入ったら遊ぶ」という日本の大学生と、欧米の「実力主義の大学」とが比較されて、随分と批判を受けたこともあったものだ。

しかし、それもいつの間にか忘れ去られ、中身のない、ただの教育制度と古い価値観だけが現在まで継続しているのである。親や大人たちが、社会や企業の価値観を小学生の領域にまで侵入させたのである。


ここのところを棚に上げて、ストレスから非行や暴力に走る子供を、「良識がない」とか、「当たり前の事が分からない子供だ」と、責めるような者は、そもそも根本問題をすり替えている。

子供社会と大人社会の『縄張り』を破ったのは、まぎれもなく大人なのだ。前文書の『少年犯罪の背景』でも述べたように、子供をターゲットとした玩具を生産して子供社会へはいり込んで儲けようとしたのも、大人たちではないか。
だが本来、「子供の社会」と「大人の社会」は、別々の異なる価値観、異なる世界観、異なる感性で分離している事が健全で当たり前なのである。

しかし、どうして小学生たちが「将来の進路を年頭に入れた学習」などを、親から強要されなければならないのだ??。これらは全部、戦後の消費社会を生きて来た親や社会が押し付けたことではないか??。

しかもバブル以後、もうすでにとっくに、学歴などが通用する雇用体制ではないのにもかかわらず、「ただの成り行き」で、いまだに同じことを繰り返しているのだ。

親は、子供をまるで自分たちの「老後の保険」とでも見なしているのだろうか??。
親が子供に「勉強しろ」というのは、老後に自分が動けなくなった時の面倒を子供に見てもらおうとする計算があるのだろうか??。

だから、現在の教育現場のあらゆる歪みの責任は間違いなく、大人社会、大人の企業の価値観、そして大人が子供に与えた情報(ドラマやアニメ)にある。
・・・・・・・・・
そもそも、20年前には、大人社会の「裏側」を扱ったドラマなどはなかったのだ。
ドロドロになった人間関係や、大人の使う策略や偽善や虚偽をドラマにしたものなど、そんなに多くはなかった。映画ではあっただろうが、お茶の間のテレビの中には、そのようなものは、ほとんど存在しなかった。当時、「子供が見る番組」として存在していたのは、お笑い番組と、歌番組、アニメやクイズ番組などである。

しかし、今の子供達は、報道番組やトレンディードラマを通じて、人間の不正、不倫、暴力、汚職、犯罪といった大人社会のすべてを見ているのである。これで、暴力の方法や恐喝方法や、嘘のつき方や、社会の裏側を「覚えるな」という方がどうかしている。
・・・・・・・・・
そして、結局は、おそらく、このままいけば、子供の暴走のみならず、大人社会全体のストレスの解決法として、人類は、必ず脳内麻薬である「プロザック」や「ピセタム」を飲ませるという安易な方法に走ることだう。
その時、人類は「取り返しのつかない事」をしてしまった事に気がつくだろう。

                       ▲では、どうしたらいいのか??▲
                          ●答え=  寺子屋へ戻れ!●

まず親たちは、あなたの子供の勉強内容、つまり中学や高校の教科書を見てほしい。子供にとやかく言う、そのあなた本人は、いったい現在の中学の何年までの学力レベルだろうか??。

そもそも、親が子供に教える事も出来ないような内容の学問が、どうして必要なのだろうか??。私が小学生の時、その教育レベルというものは、親が教えることが出来たものだ。だから、親子の間で勉強に関しての話が成立した。学校で分からなかったことは、家で兄弟や親に聞けば分かったものだ。

だが、今では「子供と親」の間に、あまりにも学力レベルの違いがありすぎる。しかし、かつて学校で習った内容で、いまだにあなたに役に立っている知識はどれほどだろうか。全くではないにしても、おそらく、ほとんどありはしない。

そもそも、義務教育のレベルがなぜ、こんなにも「無意味に」高くならねばならないのか??。なぜ、こんなにも多くの教科がなければならないのか??。人間が生活して行くのに必要な基礎教育は、極論すれば、この現在でも、やはり「読み書きソロバン」なのである。

現代ならば、これに、英語とパソコンの基礎が加わるだけで義務教育など十分である。あとは、おなじみの、美術・音楽・体育といった、いわば点数のつけられない教科である。また、農作業や簡単な工業実習や、調理などの授業もあってもいいだろう。

そして、そもそも高校からは、多くの学校を「職業訓練」を中心とした専門学校にすべきである。また、学術研究に進みたい者には、そのような学校を用意し、そこへ行けばいい。

専門学校以外の、現在の多くの大学と社会の間には無駄な溝がある。つまり、大学へ行ったところで、社会の実践の中では何の役にも立たないような大学があまりにも多すぎるという事である。それなのに、ただ大学を出たからというだけのレッテルをもらう為に行く大学などには、全くなんの意味もありはしない。

すなわち、「大学へ入るための勉強」などは、そもそも全く無意味なのだ。だから、まず義務教育である中学3年までの教育内容を、可能な限りレベルを落とし、本当に必要な学習や素材だけに絞るべきである。

ほぼ全員が、同じ程度の学力に至るようにして、落ちこぼれなどというものが存在しないようにすべきである。
ただし、飛び級は小学生の時から全面的に認めるようにすべきだろう。

また、極論すれば、中学生の3年あたりでは、個々の生徒が関心を持たない教科は、やらなくてよいようにすべきである。

とにかく義務教育までは、いくつかの「サンプルとしての教科や実習」をばらいまいておき、あとは、子供が自分で学びたい方向を決めればよい。

むろん、中学を卒業したらすぐに何か技術をつけて就職しろという事ではない。中学以後、約4年ほどは、あれこれと専門学校を転々としてみればいいのである。

かつての日本では、学問は自ら「学びたくて行ったもの」だ。そもそも、学問とは、いやいやながらやるものではないのである。


1998  2/11  
鈴木方斬  



 

 

No.3 投稿者fukuhara タイトル相互リンク希望 投稿日98/2/4

私も現代社会を考えていく一員になりたいです。内容は主に科学的な見地から環境面、政治面、哲学面をかいていると思います。相互リンクお願いします。

相互リンク: The next world 科学的な見地から、政治、経済、環境、哲学を考えているページ


〔Host artemisからのコメント〕

相互リンク希望、ありがとうございます。さっそく、そちらのサイトへ行ってみました。ちょっとしか見ていませんが、物理専攻の学生らしく、ガイア思想で来るべき地球人類危機を乗り越えるという意気壮大な趣旨と判断しましたがいかが?あのJ・ラブロックの仮説によるものでしょうか?(違っていたら御免なさい)

あなたのような若いうちに、専門から少し離れた大きいことを総合的に考えておくのは、これからの社会に極めて重要で頼もしくもあり、感心致しました。ただ、その思想と、具体的に実生活との関わりをもう少し掘り起こして書かれると、そのうちいつかの問題でなく、今、ここの問題としてwww上での反響がより大きくなると思います。

例えば、あなたがこれから、日本の官公庁、企業、学校に勤められる時、そのあなたの思想が、何処まで既存の社会から掛ってくる重圧に抵抗し、耐えられるのかというようなことを、今から予想して文章にしてみたらいかがでしょうか。

Artemis Samplerでも取り上げていますが、動燃のような隠蔽体質のある組織に就職された場合、その一員としてどのような行動を取ることが可能かシュミレーションすることが、あなたの思想の試金石となると思います。

部外者が余計な事を述べたかもしれませんが、こうした主題の投稿がもしできましたらArtemis Samplerは喜んで掲載するつもりですのでよろしくご一考下さい。

最後に、相互リンクの数が、予告した‘Thanks to Links’を特設するほど集まっておりませんので、当面、こうした形でそれぞれ適したページに散在することになりそうです。しかし、必ず将来‘Thanks to Links’に約束通り保存して常設公開しますのでご安心のほどを。

こういう形での掲載で良ければどんどん相互リンク希望をお寄せ下さい。

 

 

No.2 投稿者 bv タイトルなし 投稿日98/2/3

以下は、差出人bvさんの許可を得て、メールでのやり取りを再録したものです。ありがとうございます。作者の鈴木方斬さんによろしくお伝え下さい。

ナイフ事件についてはこちらもご覧ください。緊急追加ファイル:頻発する少年ナイフ犯罪に寄せてartemis


はじめまして。

自殺と殺人について考える空間というHPをやっている者ですがArtemisさんのHPは、神戸事件に付いては全文拝見させていただきました。


突然長いメールをお送りして失礼かと存じますが、私のHPの監修をお願いしている方が書いた文章をお送りいたします。何かのご参考になりましたら幸いに存じます。


少年Aと「キレる」子供たち』少年犯罪の背景 鈴木方斬:記

(この文章については、差出人主宰のHP 自殺と殺人について考える空間 にある 同タイトルのファイル(98/2/3)と同じであり、少々長めなので残念ながら割愛させていただきました。ご面倒でもそちらをご覧ください。artemis


〔Host artemisからのコメント〕このメールに対する返事に一部修正、中、後半加筆したもの。

こんにちわ。‘Artemis Sampler’のホストartemisこと**です。 そちらのメール確かに受け取り拝読しました。私の拙い神戸事件の文章を全部読まれたとのこと、ありがとうございます。

 実は、ほとんどリアルタイムで書いたもので、今読むと興奮して書いている感じが 明らかで赤面してしまいます。ファイルが長い上、繰り返しが多いのは私の癖ですので読みにくかったら悪しからずご勘弁下さい。

 さて、折角添えられたそちらの少年Aと「キレる」子供たち』少年犯罪の背景 鈴木方斬:記  について、短いですが感想を述べさせて下さい。   

先ず、主題の展開は

@消費社会における、「子供のご機嫌を取る娯楽」子供の遊び、玩具、ゲーム

A明確な敵の不在 

B『人間存在への疑問』『生きる事の虚無感』、そして『思考というものへの嫌悪感』 

となっていると思われます。   

@については、「「子供は、未熟だから」と大人は言うが、厳密な意味での未熟さとい うものは、本来無害なものだ。だから、「未熟」である事が事件の原因ではない。むし ろ、彼らに無作為に情報や物質を与え「半端に成熟させた」社会にこそ原因がある。 (ボールド引用者)という箇所の後半には私も同感するところが多いです。 その人類誌的意味については私の「神戸事件」HP中には(点々としか)明確には述べ られていませんが、「リンク集」のなかにある次のコメントが一つのヒントになるかと思 います。

  *********************************** ***********
  オタクのバイブル、マザーグース=Great Mother。童心の純真無垢な残虐性は、プラ トン・ニィチェ的犯罪=演劇遊び=道化理論ともマッチし‘Alice’他、20世紀ミステリに大 きく取り上げられた。フィルポッツ「誰が駒鳥を殺したか?」、ダイン「僧正殺人事件」、 クイーン「靴に棲む老婆(正者と死者と)」カーの名探偵「フェル博士」クリスティ「そして 誰もいなくなった」などはほんの一例である。 ブラッドべリ「小さな殺人者」スペイン映 画「ザ・チャイルド」S・キング「ペット・セメタリー」のホラーの方にその純真無垢な残虐性 が良く表われている。


  *********************************** ********* 

ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」も参考になるでしょう。 あと、「ミステリとロック、そしてゲームは20世紀の芸術か?」の中にある「ゲームと遊び、 劇場芸術・・・暴力教室からカルト、オタク、時計じかけのオレンジヘ」そして人類の幼稚 化による進歩を述べた「参考文献」死と再生の秘儀mystiqueなき現代人の母胎回帰 願望 も見てくだされば幸いです。  

Aについては、私のHPには触れていません。しかし、攻撃衝動を向ける対象の消失は 、最終的に−特に日本戦後社会の父親の喪失、規範の喪失による社会アノミーおよび 虚無感による暴走行為、自虐、自傷、自殺、をもたらすことは、デュルケームも待つまで もないことのように思われます。そしてこれは、ニーチェのいう「神の殺害」を果した近代 人カインの末裔の持つ宿命でもあります。  

【追記加筆】強いて、この日本社会において関連した箇所を見出すならば、

Artemis Sampler 火災爆発事故で動かしがたくなった動燃の 組織隠蔽体質

組織犯罪の害悪を外へ垂れ流してそれを公害と称するのは「鬼は外、福は内」から続いている伝統的日本人の自分が所属する()内さえよければそれ以外の外(ヨソ者、アカの他人)についてはどうでもよい、無視するという部落エゴ的平面思考視野狭窄に合致している。これを象徴するのがウロボロス蛇が自分の尻尾を噛んで造り出す身内仲間一族だけの輪=である。身内では競争を避ける身分制を敷き、その圧力からの忍耐により個人を殺し無私を徹し輪=和の中に融け込むことによって皆で渡れば恐くないと寄生団結した部落グル構造は、身内身分制では抑圧されている競争の恨みから来る攻撃衝動を絶えず、ヨソ外部への対象に投影することで発散解消し個人を殺しても寄生組織集団既得権益を維持していかなければならない。これが日本の組織が常に外部に必要としそこから被害を集中的に受けるヨソ者イジメの対象=鬼ハタモノ古代祭祀犠牲生け贄である。

中にある身内身分制では抑圧されている競争の恨みから来る攻撃衝動を絶えず、ヨソ外部への対象に投影する」がそれにあたるかもしれません。あるいは

結局はこれが危機に瀕したカルト集団をオウムのように対外的に敵を創って必死の特攻 攻撃を仕掛けるか、ガイアナ人民寺院事件や今回のように集団自殺へと導かれるかのいずれかとなる要因を作っている。オウムは米軍機が飛来して、上九一色村の施設に上空からサリンを撒いているのだと盛んに宣伝していた。かつての鬼畜米英B29を思わせる。 Heaven's Gate、オウムとカルト あるいはオタクの精神状況

Bの『人間存在への疑問』『生きる事の虚無感』については、上述の通りです。 そして『思考というものへの嫌悪感』を述べている次の一節  

早い話が、昨今生じている、犯罪は、親や社会が「哲学的な問題を何も考えていないで」 ただ「生産する事」や「生きること」だけに価値をおいた人生を過ごして来たことが、子供の 中に明確な疑問や不満や衝動として映し出されているだけなのである。・・・ようするに全て は、生きる事ばかりに追われて、「物事を深く考えなかったこと」の、その大きなツケが回っ て来ただけなのである。  
 

は、私の主張通りで心強い限りです。すなわち、   

経済を先ず第一に考えて、それ以外それ以上の価値についてはすべて「後回し」あるいは先進欧米にお任せという口実で無視する経済優先思考は、日本人から戦後に生きるための精神的価値を創造していく萌芽をすべて自己去勢圧殺してしまった。 ・・・ 

家庭、学校卒業から、実人生と世界、宇宙、自己の存在意義について深く思い悩む思春期、青年期体験も経ることなく、――大人になることなく、意味のある成人儀式も経ず―― 一直線に、軍隊、企業、官公庁など組織内役職に潜りこみ、外の現実世界の荒波を被らないで一生を母胎の中で安楽に暮すことこそが卑弥呼、巫女大母と御子依り童天皇小さ子の理想なのである。

「酒鬼薔薇聖斗を生んだ戦後日本という社会 」 

(以下、不要部分削除の上加筆)

これ以外にも私のアプローチとは違った意味で素晴らしい意見が述べられている文章をすべて引用できないのが残念です。例えば、マーク・トウェインの「不思議な少年」を挙げられているところなどは良い着眼で、懐かしく思い出したりしました。

特に、この1月末から堰を切ったように全国で連続して起ったナイフでの少年犯罪に対するこの真摯な警鐘を、子供をお持ちのvisitorの皆さんはArtemis Sampler「ちまたのコラム98/2/1」とともに、自殺と殺人について考える空間 のサイトにある2/3付け原文是非一読、熟慮されることをお勧めします。

次回からは、bvさん本人、鈴木方斬さんのこれら少年犯罪の新展開につき他では読めないオリジナル投稿が待たれるところです。是非お寄せ下さい。

尚、「ちまたのコラム」への投稿は混乱を避けるため、必ずメール件名に

「コラム98/2/1」とかいうように日付を指定して下さるようお願いします。

 

 

No.1 投稿者 T.S タイトルなし 投稿日97/12/11

T.Sさん、投稿ありがとう。一応こちらで(読み方が間違っていたら御免なさい)イニシャルにしました。artemis


第一勧銀ATMのブースでキャッシュカードを利用して現金を下ろそうとしたら、このカードは扱えないと表示が出てカードが戻ってきた。ほんの2週間前まで普通に使っていた磁気カードである。傍らの電話機で連絡を取ると、支店に行けという。

高田馬場支店まで出向いたら、「カードの磁気がダメになっているから、カード再発行の手続きが必要だ」と説明があった。聞けば再発行には印鑑など一式を持っていかなければならないという。しかも私のカードは別の支店で作
ったものなので、高田馬場支店で処理しようとすると1週間近く時間が必要とのこと。


 しかし、私はカードを紛失したのでもなければ破損したのでもない。もともと(普通に生活していてさえ磁気が効かなくなってしまう可能性のある)磁気カードにしてくれと頼んだ覚えもない。磁気カードを採用した銀行が、一体こちらの手落ちでもないことに対して客にそれだけの労力と時間を割かせる権利があるのだろうか。
 印鑑とはそもそも本人であるかどうかを確認し、安全を期するためのものだ。


私はその時印鑑は持っていなかったがパスポートは持参していた。しかし行員からは一言も「本人確認のため書類を見せてくれ」の言葉はなかった。本人であるかどうかより、印鑑を持っているかどうかの方が大切なのだ。システムのためのシステムであるといわざるを得ない。


 私は数年前、イギリスのNW銀行の自分の口座から現金を引き出したことを思い出した。私は預金通帳と小切手帳を忘れてでかけ、再発行手続きも覚悟していたのだが、銀行では私のパスポートを確認し、サインひとつだけで必要な金額をさっさと下ろしてくれたのだ。銀行といえば手続きが煩雑と相場が決まっているのに、ものの5分とかからなかった。私はきつねにつままれたような気分でポンド札を握って外に出た。 


 相次ぐスキャンダルや倒産、規制緩和などのあおりで、これから受難の時代を迎える日本の銀行が、徹底的に合理性を追求する外資系の銀行に勝てるとは思えない。相も変らず印鑑印鑑至上主義の融通のきかなさで、印鑑さえあれば客の顔や筆跡もノーチェックという銀行の盲点を突いて、関西では今、偽造印鑑の被害が拡大しているという。


 印鑑など、コンピュータ時代にものの1時間もあればそっくりなものができてしまうらしい。第一、世界中で印鑑で本人確認(などという原始的なこと)をしているのはわが国だけなのだ。自分たちの時代錯誤のシステムを客に押しつけ、「そういう規則ですから」の一言で客をあしらう第一勧銀始め邦銀の皆さんにお尋ねしたい。「総会屋には一体どんな規則を適用し、何枚の書類に印鑑を押してもらってお金を融通したのですか?」
 

(全文掲載)


〔Host artemisからのコメント〕

いゃ〜、御待たせいたしましたVisitorの皆さん、長らくこのページが開店休業状態のままで、すみませんでした。

何しろ、おかげさまでアクセスカウンターはこの12月でやっと1000の大台を越えたと言うのに、皆さんおとなしすぎるというのか、ほとんど反響というか反応がないというか、公開するに意味のあるメールがこの6ヶ月間届きませんで、別にサボっていたわけではないのです。

来ましたよ。やっと内容に関連する投書が。T.Sさん、〔もう一度言います〕ありがとう。

特に、記載がないので察するところ、Artemis Sampler(AS)中の、第一勧銀にも言及した「ヤクザ資本主義・・・」を読まれてのご意見と伺いました。あるいは、「林檎は・・・」のネットワーク社会について述べた次の箇所を意識されての事でしょうか?

この個人識別の確立が、特に日本の戸籍、印鑑、氏姓身分制、米穀縄張り年貢税制に存在根拠をおく農奴管理古代律令制官僚行政を根本から崩壊廃絶に導き、変革し、地方自治体の直接民主主義を実現させる原動力となることは疑いの余地が無い。

国家公務員を始めとする官僚は、特にもったいぶった許認可権に基づく単純事務処理、判子行政をするだけならば真の国民の公僕servantとしての地位を、不正も腐敗も隠蔽偽装工作もしない super serverに真っ先に取って代わられる最大のリストラが生じると予測される職種である。退職金と天下りを目当てに徒食を決め込む者は今から首を洗って覚悟を決めておいた方がよかろう。

私も、以前から、日本の官僚を中心とした戸籍=印鑑=土地縄張り=氏姓制度が、21世紀コンピュータネットワーク社会となるために世界を襲う第三の波に耐え切れず、「生体特徴照合技術」IDカードの普及により根底から切り崩されざるを得ないと警告しておりますのであなたの意見に全く同感です。ああいう銀行の態度などは、官僚の真似ですね。

ASの記事が、余りに生真面目に公共的抽象性を中心として展開しているため、投稿しにくいかと思いますが、このような私的な体験に基いた意見は、当方の頭でっかちになりがちなページバランスを取るためにも、大いに歓迎致します。(言い換えれば、掲載の可能性が高いということです。)

そして、願わくば、ASのどのページ、どの部分に対してのご意見かを、上のように一部コピーして添えてもらえると、更に、分かりやすく読者の共感が得られるかと思います。我ながら話題が多岐に渡っていますので。

じつは、すべてのメインページの最後に、(そのぺージでキイボードの‘End’を押してみて下さい)

 

ご意見、ご感想がありましたらメールをどうぞ。

必ず、件名の冒頭に「ペルー」とお書きになり、誌上公開を前提にした仮名を指定して下さい。




このページのトップメニューに戻るには、キイボードの‘home’を押して下さい。

 

のような、投稿用メールリンクを張っているのですが、何しろ長いので最後まで辿り着かないうちに、次へ行ってしまわれる方が多いようですね。ご想像の通り、メールのフィルター&スレッド機能で振り分け整理を考えていますので「件名」を無視して投稿されると、数が増えるに従い対応しきれなくなるかもしれません。

そういう訳で、スタートページと、このページにある一般投稿用メールリンク(冷やかしとか挨拶くらいならこちらで歓迎します)以外の、上のような本質に触れる特定の話題にはできるだけ、内容が一目で分かるタイトル(本文中に)と「件名」をお書きください。このページへの直接投稿には‘Visitor’と書いて下さい。

それと、AS専用でもかまいませんから公開仮名、ハンドル名なども添えてくれれば、常連になると必要かつ何かと便利だと思いますよ。仮名指定のない場合にはこちらで適当に付けさせてもらいます。

また、後日連絡の必要が生じた時のために、差し支えなければメールアドレスを添えて投稿して下さると助かります。もちろん公開許可なしでのアドレスの秘密は厳守いたします。

(証券銀行)会社員、官公庁(動燃)職員、「**組」組員(!)の他では言えない怒りとぼやき、臓器移植売買秘話(!!)、カルト教団裏話(!!!);ゲーム(カルトクイズどうでした?)、欧米古典ミステリ、PC、WWWトホホネタ、リンク先紹介その他何でも結構。

でも、話の受けを狙っての創作投稿は駄目ですよ。

事実に基いた投稿を望みますが、いずれにせよ、こちらには見分けがつきませんので、artemisでは投稿の内容あるいはその結果生じた利害については一切の事実確認、事後責任を取りません。また取れません。問題は、当事者間で解決して下さることを条件に、投稿、対応して下さい。

それはともかく、

マスコミには掲載できないVisitorの皆さんのオタクな本音を、こちらには不足しがちな素材、資料としてできる限り掲載活用させていただきますので、他と重複しない独自な体験、情報がありましたらどしどし御寄せ下さい。

 


 

掲載された投稿につき直接、ご意見、ご感想がありましたらメールをどうぞ。

必ず、件名の冒頭に「Visitor」とお書きになり、誌上公開を前提にした仮名を指定して下さい。




このページのトップメニューに戻るには、キイボードの‘home’を押して下さい。

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