脳死と臓器移植
――とる側の論理と、とられる側の論理 Copyright © Artemis 1997,1998,1999――
21世紀になってから、
あの時、生物学者と医学者が開けたのはパンドラの箱であったということに
人類は初めて気がつくだろう。
大人の退行胎児化、子供の早期自殺、奇形不具、精神異常傾向と歩調を合わせるようにかなり以前から始まっている、少子化傾向どころか結婚しても子供を産まないNo Kidsの選択、そしてそもそも結婚生殖しないセックスレス人生を選ぶ(精子減少)世代の登場は、人工生殖クローン移植テクノロジーによるこの社会カタストロフを生物本能的に予兆する生理変化適応=幼形進化と言うべきである。
「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、・・・園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。
(創世記3.22〜24)
タブー|ペルー|空母|ヤクザ|脳死|カルト|酒鬼薔薇|神戸事件|動燃|カラ不正|ミステリ|林檎
| 1997年4月17日作成 | スタート・ページへ |追加ファイル#1を読む | 1999年5月31日月曜日更新 |
| 医者にメス日本の医師に臓器移植を任せようと考えている方は、先ずここに集められた過去の新聞報道を閲覧することを強くお勧めする。医療過誤の日々途切れることのない連続に背筋が寒くなるのは私だけか?リンクも極めて充実、素晴らしいサイト!
NHKTV BS1/InternetForum地球法廷の内、精子・卵子操作、代理母、クローン、安楽死、脳死体の利用、臓器移植等、人の生から死までを総合的に解説、市民がWWW上で討論する生命操作 第一回討論 人の生命を操作することはどこまで許されるのでしょうか? 厚生省
生殖医療技術を巡る論点、参考資料1.生殖医療を巡る論点2.日本における生殖医療の現状3.生殖医療に関する諸外国の対応 立岩真也(社会学)と玉井真理子(心理学・生命倫理学)と長瀬修(障害学)による《生命・人間・社会》(仮称)内 森岡正博(大阪府立大学総合科学部助教授・生命学) 生命を考える 内 人間の尊厳とクローン人間 におけるクローン人間の孤独と屈辱 |
Weeklyタランコ |あべともこ(小児科医) |Transplant Communication |「脳死は死か?」ディベーティング・ルーム
| ミドリ十字と731部隊生体解剖
薬害エイズと日本の医学者
七三一部隊の陰を引きずったミドリ十字
隠された医学史ミドリ十字の前身「日本ブラッドバンク」を1950年に設立したのは、731部隊長石井四郎を主幹とする「陸軍軍医学校 防疫研究室」主任 であり「731部隊の総参謀役」とも言われる内藤良一であった。彼が、敗戦時実験データと引き換えにGHQとの731部隊生体実験免責交渉に当たったのではないか。 自由の森学園
N G O のミドリ十字にも触れる「731部隊」の跡地を訪れて 薬害エイズリンク
こうした戦争医学犯罪を免責、黙認、責任者を社会のトップに付けてここまで来た日本の医療腐敗の実体が薬害エイズ及び、旧「陸軍軍医学校
防疫研究室」跡地に建てようとした厚生省予防衛生研究所工事現場から1989年に掘り出された物言わぬ多量の人骨(35体;20年以上前)となって現れたのである。常石敬一「消えた細菌戦部隊」ちくま文庫「文庫本のための長いあとがき」参照。
安部英被告、松村明仁被告、ミドリ十字3代表取締役刑事裁判、基礎知識、最新情報等AIDS SCANDAL 98/7/14asahi.com新宿の旧陸軍軍医学校跡地の人骨問題で厚生省に申し入れ 東京都新宿区戸山の国立感染症研究所の敷地(旧陸軍軍医学校跡地)で9年前に発見された大量の人骨の問題について、市民団体「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」(代表・常石敬一神奈川大教授)が14日、発見された100体以上の人骨の身元調査と、さらに多くの人骨が埋められているといわれる近接の運動場予定地の発掘調査を行うよう、厚生省に申し入れた。 厚生省は「なぜ人骨が新宿区にあったのか由来を調べているが、いまはほとんど情報がない状態だ。由来は調べるが、身元調査はできない」などと回答した。 こうしたことに何の反省も持ち得ない日本の医療界に臓器移植が法的に解禁されたのである。 しかもこのミドリ十字が97/02/03 株式会社ミドリ十字の遺伝子治療用医薬品確認申請して許可されていたのである。 98/7/14asahi.com薬害防止で提言、「医薬品の質は製薬企業の全責任に」 薬害エイズ事件をきっかけに、薬害防止の方策について検討してきた「薬害等再発防止システムに関する研究会」(座長・黒田勲前早大教授)が14日、医薬品の質については製薬企業が全責任を負う仕組みにするよう求める報告書をまとめ、小泉純一郎厚相に提出した。厚生省が医薬品を承認する現行制度では、薬害が発生しても、責任があいまいになってしまうと指摘。審査主体を厚生省から民間審査機関へ移し、医薬品の開発から販売までの一貫した責任体制は製薬企業がとるべきだとした。 研究会は厚相が政府系のシンクタンク「総合研究開発機構(NIRA)」に薬害の再発防止策について調査・研究を依頼、1996年7月に発足した。厚生省とは独立した立場でまとめた。研究会では「5年から10年先を見越した提言」としている。 (ボールド引用者) |
§1 同時に脳死を人の死と認める臓器移植法案も国会に提出され、すんなり成立してしまう可能性が大きい。アメリカで話題の羊、猿にまで実用化された人工「クローン」技術が人の誕生の定義を書き換えようとしているのに対し、「脳死」は縄文以来変わらなかった文化社会的な人の「死の定義」或いは「自己の定義」にそれぞれ生物学者、医学者が変更を迫っている。
農林水産省 畜産試験場 繁殖部 生殖工学研究室(クローン動物Q&A、リンク)
'98年1月8日には、アメリカでR・シード博士が、この4月に施行される合衆国クローン禁止法に滑り込むような形で、ドリーと同じクローン人間の赤ん坊を、4組の夫婦から500人造る予定だと報じられた。
事象の地平線R・シード博士の人間クローン計画
クローン人間作成について考える談話室もある生命を考える
NHKTV
BS1/InternetForum地球法廷の内、精子・卵子操作、代理母、クローン、安楽死、脳死体の利用、臓器移植等、人の生から死までを総合的に解説、市民がWWW上で討論する生命操作
第一回討論
人の生命を操作することはどこまで許されるのでしょうか?
「生の定義」の変更に迫る、現場の医師から提出された事例として、次のニュースを取り上げよう。
'98年6月6日には、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックにおいて、院長の根津八紘が、不妊で悩んでいた30代のある妻の実の妹から提供された卵子に、夫の精子を体外受精させ、これを妻の体内に戻すことによって'97年出産した双子の男児を、この夫婦の実子として育てているという事実が発表された。
複数の胎児を妊娠した女性から、母胎の中で特定の胎児を死亡させる「減数(減胎)手術」を実施していることでも知られているこの病院では、夫が無精子症で不妊の原因がある場合にも、その弟から提供された精子を使って体外受精させた出産児を扱っていたことも分かった。
根津
八紘の投稿意見及び1998年6月6日・記者会見資料全文
彼は、この記者会見中で、不妊治療として考えられる非配偶者間人工授精(AID)か非配偶者間体外受精による治療法及び、代理母の3つの方法のうち、'49年以降半ば闇の世界で公然と50年近くも行われ続け、'97年になってやっと日本産婦人科学会がそれを認可することになったのが既成事実化したAIDだけだったという日本の医学、医療界への、不合理と怠慢、矛盾を突いている。
「AIDのように精子の提供が許されるならば、卵子の提供も許されてしかるべきです」、「又、体外受精のAIDとも言える非配偶者の精子を使った体外受精が何故許されないのかわからないのです」と。
この矛盾については、後でも述べるが次のような輸血における臓器移植推進者の論点と同様なのである。すなわち、
生体から「献血、輸血」行為を許容しているのなら、必然的に、脳を含めた生体からの臓器移植を禁止するわけにはいかなくなると移植論者に矛盾を突かれる(いわゆる‘クサビ論法’)のはそのとおりなのである。
既にネット上で呼びかけ売買を開始している日本初の精子バンク
EXCELLENCE でも精子売買を補強正当化するのに使われているのはこの論理である。
精子提供者(ドナー)求む
あなた体の一部(精子)を、望む方に提供する・それにより、提供を受けた方はとても感謝する。
これは「献血」と同じようなものです。一部の方々からは生命倫理上問題だとの批判もありますが、AIDを条件付で賛成とする立場で考えると、現在の日本のAID方式について全く批判せず、エクセレンスだけを問題とするのは筋違いでょう。もしもエクセレンスが生命倫理上問題ならば、日本の病院で行われているAIDは更に輪をかけて問題となることになります。
日本でも始めての精子バンクということで、色々と物議を醸していますが、少なくとも今までの日本のAID方式と・またアメリカの精子バンクと比べても、エクセレンスの方式は優れています。心配は無用です。社会的意識の高い、真面目な方々の積極的な参加をお待ちしているのです。
ドナー募集詳細より一部引用
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良く引き合いに出されることだが、死体からの臓器摘出、移植はもちろんのこと現行では許容されている医療のための「(売血)、献血、輸血」行為も人工血液等を開発し、本質的には禁止されなければ、法思想上の合理性は保たれないであろう。キリスト教の分派「エホバの証人」がこれらを拒否しているのはその意味で正当であり、法に抵触しているのは薬害エイズを引き起こした我々の方なのだ。
このような夫婦間以外の第三者による卵子、精子の提供による体外受精をガイドラインで禁止している日本産科婦人科学会は、「困っている患者を見捨てることはできない」などと患者のニーズを強調してこの手術を行った根津八紘院長に遺憾の意を表わし、学会から除名等の処分も検討しているという。(その後除名処分が決定する直前に本人も脱会を表明した。)
98/8/3 asahi.com非配偶者間の体外受精、独自基準で今後も実施と根津医師
妻の妹や夫の弟という非配偶者の卵子や精子を使って体外受精をし、日本産科婦人科学会から除名されることになった長野県下諏訪町の根津八紘(やひろ)医師が、今後も非配偶者間の体外受精を実施する方針を長野県医師会に伝え、独自の実施基準案を渡していたことが2日、明らかになった。
基準案は、(1)卵子や精子の提供者は兄弟姉妹に限る(2)提供を受ける女性は45歳以下(3)提供者と夫婦の間に謝礼の範囲をこえる金銭の授受がない(4)生まれてくる子供の幸せを守るという誓約書を双方に書いてもらう――などとなっている。
産科婦人科学会は6月末の理事会で、「体外受精は夫婦間に限るとした学会の指針に故意に違反した」として根津医師の除名方針を決めた。5日に学会幹部が長野県医師会を訪れ、処分理由などを説明する。8月中にも地方の役員を交えた評議員会で正式に除名する予定だ。
***
いわゆる、夫婦以外の卵子、精子によって受精した子供が、いかにその母胎を借りたとはいえ文化、社会、宗教、法、倫理的に彼ら夫婦を親とする実子と認証できるのか、そしてまた成人したその子供が、彼らを育ての親でなく実の親として認知でき自己のアイデンティティを確立できるのか、そうした行為はただでさえ危うくなっている現代の親子関係をさらに根底から破壊することになるのではないかという疑問が、専門医学者間においてすら何ら合意されていない現実がここにさらけ出されているのである。
この問題の場合、少なくとも、夫婦以外のどちらか第三者の遺伝的形質を半分は受け継ぐ出産児は、生物学的には夫とその妻の子供ではなく、夫と、その妻の妹との間の子供ということになるからである。そのような子供を、現行の文化、社会、宗教、法、倫理は、その夫婦の実子として矛盾することなく認知し、受入ることができるのか?もし、社会が認知しないとしたら、既に生まれてしまったその子供とその人権は、成人した時どうなるのか?
ここには、一医学会の考慮能力を遥かに越えた財産相続、親権関係、社会的存在としての自己確立の危機など、親子関係の定義の変更に絡むより法理;哲学;心理的利害関係の根本的変更が存在しているのである。
ちょうどタイムリーに、フランスのシャンソン歌手イブ・モンタンに彼の死後、実の娘と名乗り出た女性の申請が、墓から掘り出されたモンタンの遺体から採取されたDNA鑑定の結果、否定されるという劇的なニュースが入ったところである。この場合でも親子の判定は遺伝子レベルで定義されているのであるから、今問題の出生児も当然夫と、その妻の妹との間の子供と判定するのが妥当ということになるのではないか。
ここから生ずる混乱と矛盾の社会的倫理的責任を誰が取るのか?
そもそも「生の定義」の変更が科学、医学オンリーに任せておける問題では有り得ぬことは言うまでもなかろう。法の問題に限ってみても、人の「生の定義」を変更するということは、堕胎中絶殺人を含めた罪の定義、基本的人権の意味を変更するものであることを、必然的に含むのである。ありふれた言葉の意味を変えると言うのは、「戦力なき軍隊」という矛盾を犯してここまで来たのと同様、憲法をはじめ法の条項文全体を変えるよりある意味では、いっそう激しい本質的な変化をもたらすものであることにもっと注意しなければならない。そして日本が法治国家であることを認める限りにおいて、このような変更は、一旦成立してしまえば、憲法改正より大きな拘束力を以って宗教や文化に関係なくすべての国民に及ぶものである事をここに警告する。
自分の出生の秘密を知ったフランケンシュタインの怪物のように、このような子供は、自分を創ったフランケンシュタイン博士と、その育ての親達を次々と襲い殺して行き、最後には自殺する運命を背負わされて生まれさせられる時限爆弾のような存在なのではないか?その復讐の念は「酒鬼薔薇聖斗」のいう「積年の大怨」の比ではないであろう。
子供は、不妊の親を慰めるペットとして生まれてくるのではない。「私の胎児は私が使う」という 親のエゴの犠牲になって育てられる子供を誰が助けその責任を取るのか?
ここで述べた人工授精、体外受精に比べ、より激しく哲学的本質的な問題を突きつけてくるクローン人間の尊厳に焦点を当てた相似的問題点については、
生命を考える
内 人間の尊厳とクローン人間
におけるクローン人間の孤独と屈辱に詳しい。
欲望の限りない解放と、手に触れるものすべてを黄金に変えるよう望んだミダス王のような実現は、その通りに願いを叶えることによって罰する復讐の女神ネメシスの業に出会うであろう。
根津八紘院長は、減胎手術が堕胎罪に当たる恐れがあるという危惧に対しても「1人でも2人でも助けたいという人間心理の前提のもとに、法的、倫理的問題を改めて考えればよいと思う」と述べているが、まさしく、これは、もはや技術力と患者からのニーズさえ整えば 、社会の認知、法や倫理、学会の公式認可を待たずに無視して独断専行;文字通り患者と医師だけの閉じられた二者関係で先行してしまう危険を現場の医師自らが認めた発言であるといえよう。
彼の言う「法的・倫理的・社会的問題」が50年経っても遅々として進まない現状に憤慨し、闇に見捨てられている患者を救済し、同時にそれに抗議する意味も込めて、実際の行動によって問題提起をするという「ゲリラ的手法」を、生命を預る医師が個々銘々にやり始めるとしたら、親を助けるために一生が犠牲となる子供を含め事態は一体どうなっていくのか、誰にも予想がつかない。
大層立派な建前的演技が完璧すぎる余り、みじめな現実本音との間でコミュニケイションが完璧に切断されている劇場社会、国家においては、暴力と犯罪こそが言語に替わる唯一にしてぎりぎりの突発メディアとして働くしかないであろう。俗に言う「この野郎、殴られなければ分からないのか」というやつである。
とはいえ世論の後押しがあれば、容疑者の人権など少々侵すくらいは許されるというマスコミの「ゲリラ的手法」以上に、生命そのものが懸かった問題で指導的立場にいる者が、先ず行動を起こせ、法と倫理、社会的合意はその後でも良いと言ったら最後その合理化は、それこそ我々の社会に歯止めが利かない闇社会アノミー無法状態を現出させてしまうであろう。
ここでは自己の存在証明を懸けた犯罪者が芸術家の如く機能するのである。
どうして、止むにやまれぬ実際の生命操作闇治療行為に走る以前に、学会に言論と論理でそのことを訴えないのか?
危機管理に愚鈍極まりない社会では、それに対する社会的弱者、鋭敏な少数者、あるいは天才からする警告も、残念ながら理性的に言語、芸術、文化によって行われるはずはなく、行われても常に無視され続けるので、例えば三島由起夫と楯の会自衛隊乱入割腹自決事件のように、宮崎勤事件、あるいはオウムによる地下鉄サリン事件のようにその社会から「異常犯罪」と見られることなしには済まない、本人にも一見無目的で無自覚な、残虐なやり方で表現される他はない。
ここでは場合によっては大衆に支持されれば凶悪犯罪すらも〔もの言えぬ;口のない大衆の代弁的表現者として〕スターを生み出すのである。カブキ芝居とは元々そうしたキワモノから始まった演劇ではないか。
もし〔学会始め〕日本の戦後文化の総体が、この訴えを聞く耳を持たず、あるいは、(サーカスと新たなお芝居お祭り興行以外に)答える能力がないというならば、そのような子供からの命懸けの問いかけに対してすら応答のない文化は、文化ではなく、太母的空虚だというべきだろう。
言語による問いかけに、何も答えずに無視し続けるというのなら、一度殴ってみて本当に生きているのかどうか生体反応を見るということになるだろう。チーマーによるオヤジ狩りも、そうした生体反応を見る「聖なる実験」の悦楽に支えられているのではないか。
これは、臓器移植における私の以下の論点にもつながる問題である。
「必要な医療であれば、それを認めた上でその悪用を防止するシステムを整備すべきだろう。」とするそのシステムは、一体どこにあるのか?
悪用を防止するシステムを実際に整備完成した後、必要な医療を認めるのが本当ではないのか?彼らは、先ず、移植医療有りとして、その絶対前提「それを認めた上で」から、すべてを敷延合理化しようとしている。
98/10/22 asahi.com 生殖医療技術のあり方で国が全国アンケートへ
今年6月、国内で初めて非配偶者間の体外受精が明るみに出たことなどから、生殖医療技術の指針づくりを進めている厚生省の厚生科学審議会先端医療技術評価部会は21日、専門委員会(委員長中谷瑾子(きんこ)慶応大名誉教授)の初会合を同省で開き、専門家以外に一般家庭も含め、全国的なアンケートを実施することを決めた。非配偶者間の是非を含め、生殖医療全般についての意識や現状を探る。来春までに調査結果をまとめる予定だ。
生殖医療は広範に行われ、技術進歩が著しい。しかし、統一的基準がないまま、医師側の自主的判断のもとに実施されている。厚生省も現状を全般的には把握しておらず、また医師と一般との意識の差を知ることも重要と判断した。
計画では、一般家庭2000世帯、体外受精を実施している病院などの施設と患者、実施していない施設、小児科のある施設の計5グループに分け、約6000人を対象に調査する。質問内容や実施方法は固まっていないが、精子を注射器で子宮に注入する人工授精や代理母の問題、技術の安全性なども含め、広範囲に意見を聞くほか、実施状況も調べることにしている。また、他人の精子の提供による人工授精で既に1万人以上の子供が生まれているとみられることから、子供の法的地位の扱いについても聞きたいという。
精子と卵子を採りだして混ぜ、子宮に戻す体外受精は、国内では1983年に始まり、既に2万7000人の子供が生まれている。90年代に入って、顕微鏡下で卵子に確実に受精させる技術が発達、対象の患者も広がっている。
***
日本が法治国家であるというのなら、いわば未公認の闇の世界で技術進歩が著しい生殖医療が広範に行われ、既成事実を積み上げた結果として人工生殖でつくり出した子供を追認せざるをえなくなってしまう以前に、アンケートで「非配偶者間の是非を含め、生殖医療全般についての意識や現状を探」り、「子供の法的地位の扱いについても」完備した「医師と一般との意識の差」を出来る限り解消する統一的基準を策定しておくべきではなかったのか。
「1人でも2人でも助けたいという人間心理の前提のもとに、法的、倫理的問題を改めて考えればよいと思う」という「闇社会の殺し屋;安楽死屋」が糾弾されるべきであるように、困っている相手から援助を求められれば可能なことなら何でもやってしまっていい、ということにはならない。これで依頼者が支払う金次第となれば、まさしくその医師の行為はわがままな子供のような患者の御用聞きをする資本主義社会の「職業倫理なき生と死の闇商人」のレベルに転落するのである。
DNA始め、卵子、精子の生殖細胞や、臓器の体細胞が人工的に増殖培養、保存、改良され、その持つ遺伝情報の価値により、値段がつけられ売買される細胞銀行、工場及び市場が成立するであろう。
例えば、他の病気治療の際に採取切除した血液、神経、皮膚片、歯、骨、毛髪、唾液、胎盤、臍の緒、内臓、生殖細胞等を、再利用できない患者には価値がなく所有権を放棄した「医療生体ゴミ」と見なして治療側が取得し、それらを基にした遺伝子始め生体細胞培養産業市場を開くための広大な無料資源とすることができると考えている医学者が存在するのである。このための生物資源として最も有力視されているのが人工的に創り出し資源とする試みもある無脳児からの臓器や細胞、中絶された胎児の細胞である。
消費者は王様とは、赤ん坊陛下(胎児)にすべてが支配的に依存されるということである。
つまり、すべての社会資本と労働者、科学技術は、最終的に欲望だけ肥大させて育った全能感を持つ無能力=無責任者乳幼児=赤ん坊陛下に仕える結果になるのである。大人は、幼児の欲望を叶えるための従僕的存在と化すのである。(支配的依存)
これは、神学的には被造物にすぎない人間がついに遺伝子生命操作において
「神を演じる」ことになる、とか「神の如くに振る舞う傲慢」の段階に突入した等といわれてきた問題である。
〈地上は、すべての良心にとって、子供っぽいとともに手に汗を握る、滑稽であるとともに怖るべき「神秘劇」が演じられている「殿堂」である。〉というコンラッドからの引用に始まる「僧正」では、
「死骸を道化芝居の道具立てに使うような冷酷な道化師にも見物人はなくてはならん。そこに、このいまわしい犯罪のひとつの弱点がある。」
(神々は)そこから下界を見おろして、人間の行動をごらんになるのです。神々にとって、これくらい気散じになる光景はありません。。いやまったく、なんというすばらしいお芝居でしょう!なんという騒ぎでしょうか、なんといういろいろさまざまな気違いどもがいるのでしょう!エラスムス「痴愚神礼賛」48
まるで
《見ろ。これがお前たちが大真面目に取っている世界だ。お前たちは無限に、いっそう広大な抽象世界について、何も知っていない、地球上の生活などは子供の遊びだ−−−じょうだんの種にするだけの値打ちがあるのがせいぜいだ》
とひにくられていると同じだ・・・ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」創元推理文庫版341ページ
もちろん、これらの源は、ホイジンガも指摘し、ニーチェにも及んだ、人間と世界を洞窟の外にいる神の神聖な玩具と見るプラトンの遊戯思想によるものだが、現代では、洞窟内の巷に迷う群集は、突出した一部の諧謔的犯罪者によって弄ばれる実験対象モルモット(品種改良されるべき家畜、ニーチェのいうさ迷える畜群、支配者に飼育される可愛いペット)に成り下がっている。
神の殺害された社会においては、人間が、狂気に追い込まれたニーチェの「超人」のように自我肥大したヒトラーナチス的独裁者=天地創造する全能の神となる他ないからである。
ここでは、人間と世界は、幼児的欲望を持った独裁的支配者の玩具的ジオラマとなるのだ。麻原彰晃は、自分の子分として命令通り動く「ロボット」=リモコンの玩具が欲しかっただけ、とも言われている。
Artemis Sampler 神なき社会アノミーからカタストロフへ−頻発する少年ナイフ犯罪に寄せて
Rock around the Clockと「暴力教室」に始まった時代の波はA・バージェスが予言した「時計じかけのオレンジ」にまで確実に押し寄せて来ているのだ。1968年にA・C・クラークとS・キューブリックの予言した、スターチャイルドの宇宙的胎内回帰に終わる「2001年」まであと数年ではないのか。そしてそこにはR・シュトラウスの、神を殺した「ツアラトゥストラはかく語りき」が流れていたのである。 Stanley Kubrick's Clockwork Orange
心臓、肺、腎臓、血管、皮膚、血液のようなパーツとしての臓器、表皮、体液は勿論、顔面容貌、身長、筋力、骨格のような体格や、知能、才能のような脳、神経系を形成決定する遺伝子は、それまでは押えられていた人々の限りない欲望を満たすための売買の対象となる高額な世界商品として扱われるようになるだろう。
日本初の精子バンク EXCELLENCE ;NHK生命操作:ケーススタディ 1.「求む!ノーベル賞受賞者の精子」
そして、もはや子供は家庭や病院で両親から「生まれて来る授かりもの」ではなくて、半ば各パーツを組み合わせるDOS/V PCアセンブリモデルのように社会主義的工場で需要と供給関係に従い「国家的にライン組立て生産される商品」となるのである。
そこでは、競技スポーツ用、軍事兵士用、知識天才用、美貌芸術用、などに特化された改良遺伝子を持つ胎児らが、国家の威信をかけプロジェクトを組んで他国に負けじと続々に開発製造されてくる人材〔731部隊の言うマルタ〕となるのである。
個人レベルでさえ、例えば、体重を減らし身長を高くするため、目を大きく二重にするため、足を長くするため、髪の色を変えるためにコンビニで遺伝子に作用する〔環境ホルモン的〕錠剤を買うことになる。
すなわち、上でも注意したが、輸血の認可が、臓器移植を正当化する論理的突破口にされる(いわゆる‘クサビ論法’)のと同様に、ひとたび「治療」の名目で遺伝子操作が始まったら最後、これまですべてが先天的に決められている遺伝形質のどこまでを人為的に「意志によって美容整形のように変更可能、治療されるべき異常、病気」と認定し、どこまでを断念すべき「変更不能な天与」のものとするのかを決める合理的な客観基準は先天的に存在し得なくなるのである。
現在ですら、本人の意志に任される、形質のより良い向上を目差す「整形、身体、能力改造」と、進んで直されるべき病気「治療、医療」との境界は明確ではない。
美容、エステ、身長体格ボディビルはもとより脱毛症、歯列噛合、外反母趾、不妊症、性的不能、健忘症、等に対して為される行為は、整形、能力開発なのか矯正、治療なのか?
さらに、治療されることが許された遺伝子を「残すべき良い遺伝形質」と「絶滅されるべき悪い遺伝形質」の2種類に分類する操作側の基準は、長らく栽培植物や家畜、ペットに対して行われてきた品種改良交配、優生保護、純血血統崇拝とおなじく特定文化に刷り込まれた特定種への利害差別意識以外本来存在せず、いわゆる「欠陥、異常、障害、病気」と見なされ兼ねない形質すらも、生まれながら、ありのままに認め、万人形質に先験的に平等に与えられるはずの「人権」における平等性及び、どれを正統、正常とは見なさないことによってあらゆる不測の事態に対応する生命の無限な多様性、個性を完璧に蹂躪破壊するのである。
98/7/6asahi.com成牛から初のクローン誕生、近畿大と石川県の共同研究
石川県畜産総合センター(石川県押水町)は5日、近畿大学農学部畜産学研究室(角田幸雄教授)との共同研究で、成長した牛の細胞から、元の牛と遺伝的にまったく同じ「クローン牛」を作ることに、世界で初めて成功、同センターで双子が誕生したと発表した。成長したほ乳類の細胞からのクローンは、1997年2月に報告された英国のクローン羊ドリーに続いて世界で2例目。この技術が実用化されれば、優れた形質を持つ家畜の「コピー」を大量に生み出すことが可能になる。人間への応用も可能で、今後、研究のあり方を巡る議論も活発化しそうだ。
今回生まれた牛のもとになった細胞は、成長した雌牛の卵管から採取したもの。ドリーを誕生させた英国ロスリン研究所と同じく、細胞を栄養の少ない状態の中に置いて培養し、受精卵のように体のどの部分の組織にも分化できる能力を持たせた。
この細胞の核を、核を取り除いた別の牛の卵子に移植し、昨年11月、同センターで5頭の牛の子宮に2個ずつ入れたところ、すべての牛で妊娠に成功した。出産予定日は8月中旬だったが、双子を妊娠していた牛が5日午前6時半ごろ、2頭を相次いで出産した。子牛の体重はそれぞれ約18キロと約17キロで、通常の25キロに比べて小さいが、元気という。黒毛の雌で卵管の細胞を提供した牛と遺伝的に全く同じとみられる。
成長した動物の体細胞を使ったクローンは、妊娠後も流産する確率が高く、出産までこぎつけるのは難しいとされていた。
(ボールド引用者)
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「優れた形質を持つ家畜の「コピー」を大量に生み出すことが可能になる。」と畜産関係者がクローン技術の家畜への適用に期待する意味は、ここでは明記されていないが、「良質の霜降り肉が安価に大量生産出来る」という、肉食する資本主義社会人間にとっていとも都合の良い思い上がり以外のものではない。
農林水産省 畜産試験場繁殖部 生殖工学研究室(クローン動物Q&A、リンク)
98/7/23asahi.com世界初のクローンねずみ、昨年10月生まれる
英国で2年前に生まれた世界初の体細胞クローン羊「ドリー」とほぼ同じ技術を使ったクローン・ネズミ誕生にハワイ大の柳町隆造教授らの国際研究グループが成功したが、最初のネズミは1997年10月に生まれ、ほ乳類の生体の体細胞を使ったクローンとしてはドリーに次いで2例目だったことが明らかになった。23日発行の英科学誌ネイチャーに発表される。
柳町教授らは、核を抜いたネズミの未受精卵に成長したネズミの体細胞の核を入れ、それをメスのネズミの子宮に移して、妊娠させた。この実験で計20匹余りが誕生した。97年10月3日に生まれた最初のクローン・ネズミは、クムリナと名付けられた。
ドリーでは細胞周期の休止期にある体細胞が使われたことが成功の大きな要因と考えられているが、今回使った体細胞も休止期だった。京都大の今井裕教授(応用生物科学)は「クローン技術の最大のポイントは核とそれを入れる細胞との細胞周期を一致させることだが、細胞の発生、分化の進み方が牛や羊より早いネズミで成功した意味は大きい。クローン技術に関連するほ乳類の生物学的な仕組みの解明にもつながる」と話している。
同
クローンマウスの技術、ベンチャー企業で商業利用へ
成長したネズミの体細胞を使ったクローンマウスづくりに成功したハワイ大の柳町隆造教授らの国際研究チームが22日、ニューヨークで記者会見し、ハワイに本社を置くベンチャー企業「プロバイオ社」にクローン技術の利用を認めたことを明らかにした。同社は「牛や羊などの大型の家畜に応用したい」と話している。
同教授らによると、これまでに50匹以上のクローンマウスが生まれ、中には子から孫、ひ孫の代まで複製を続けたクローンも誕生した。英国で生まれた世界初の体細胞クローン羊「ドリー」に比べ、技術面で進んだ点もあるという。同教授らは「家畜飼育だけでなく、クローン技術で移植用の臓器の生産などにも利用できるのではないか」と期待している。(ボールド引用者)
98/7/28asahi.com 人のクローン研究禁止、学術審議会が指針決める
文部省の学術審議会は28日、元の動物と遺伝的にまったく同じ個体を誕生させるクローン技術の人への応用研究を禁止する指針を決定した。1996年に英国で体細胞を使用したクローン羊「ドリー」が生まれて以来、日本でも今月同じ技術を利用してクローン牛が誕生するなど研究が急速に進む中で、「クローン人間」を食い止めるため、指針はその手始めになる研究も禁じている。日本ではこれまで、人のクローン研究に対し、政府資金を配分しない措置がとられてきたが、規制のための法律や指針はなかった。
この日開かれた学術審総会で、同審議会バイオサイエンス部会(部会長・井村裕夫京大名誉教授)がまとめた「大学等におけるヒトのクローン個体の作製に関する研究の規制に関する指針案」が了承された。文部省は8月中に指針を官報で告示し、大学や文部省関係の研究機関に適用する。
指針は、クローン人間づくりの研究そのものに加え、その前段階といえる、人の体細胞の核を、核を除いた卵細胞に移植する研究も禁止した。また、指針に触れる恐れのある研究は、大学などに設ける審査委員会と学術審議会のバイオサイエンス部会に設ける専門委員会で審査を受けなければならないとした。
一方、人以外の動物のクローン研究は、畜産や医学に有用で推進すべきだという立場から、指針は規制を設けていない。
人のクローン研究について海外では英国やドイツ、フランスでこれを禁じる法律があり、米国では大統領令で国の資金助成を禁止した。日本では昨年3月、学術審や首相の諮問機関である科学技術会議が研究助成金を出さないことを決めたが、その他の措置は取られていなかった。
しかし、大学を中心に今後、クローン研究の分野が拡大していくことが予想されることから、学術審のバイオサイエンス部会の委員は規制の基準を早急に示す必要があるとの見解で一致。昨年来、法律より柔軟できめ細かな対応ができるとして指針作りを進めてきた。学術審は指針を3年ごと、または必要に応じて見直すとしている。
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少年は、自分は他人と違い、異常であると落ち込み、生まれてこなければ良かった、自分の人生は無価値だと思ったが、この世は、弱肉強食の世界であり、自分が強者なら弱者を殺し、支配することができる、などという自己の殺人衝動を正当化する独善的理屈を作りあげていった。(神戸家裁処分決定要旨;ボールド引用者)
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「強い者が弱い者を殺しても罪にはならない」というのは、プラトンの有名な対話編「国家」にある「正義とは強い者の利益のこと」とするトラシュマコスの主張以来、ニーチェを経由して、「超人思想」を持つ犯人の登場するフィルポッツのミステリ、ヒトラーのユダヤ人大量虐殺の論理、近くではオウムの大乗仏教を越える立場としての金剛乗タントラ・ヴァジラヤーナの教義まで脈々と受け継がれ、流れてきた宗教、政治思想なのである。すべて打ち砕く金剛(ダイアモンド)乗の教えというのはニーチェの「ハンマーをもって哲学する道」に通じる思想である。
実に失礼な言い方かもしれないが、これは「善とは何か、正義とは何か」という人間存在における宗教哲学心理倫理価値の根底に関わる法以前の、議論の絶えない大問題、あるいはキリスト教世界では「キリストとアンチ・キリスト(サタン、悪魔主義)との闘い」ゾロアスター教でいうアフラマズダ善なる光と、アーリマン悪と暗黒の永遠なる闘争(ヘラクレイトス)と人類永遠のテーマと言われるものであって一家庭裁判所の手に負えるような範囲の問題ではないのだ。
実際、「善悪の彼岸」を書いて精神に異常をきたしたニーチェの永劫回帰、超人思想=ツァラトゥストラの源泉のひとつはショーペンハウアーの他にゾロアスタ教だったし、この容疑者少年の犯行当時書いたという「バモイドオキ神」の「絵」はまさしく昼と夜、光と闇に二分された闘争が永遠に繰り返されるゾロアスタ教的世界観といえるものである。
特に神戸家裁のような国家権力の一端を担う立場にいる裁判所が、容疑者少年の主張を、「独善的理屈」と一蹴して断罪すること自体が自己矛盾しており従って不可能なはずであろう。強い者が定めた法を弱い者が犯した国家犯罪者を罰するために犯す国家による殺人――「死刑」は罪ではないと定め、自己正当化する究極的根拠として、当の国家こそ「罪にはならない」もしくは「権力犯罪は犯罪ではない」とする政治思想を持ちださざるを得ないからである。
あるいは、兵器を敵同志で持ち合い、互いに威嚇脅迫し会うことによって均衡的な擬似平和をつくりだそうという「核兵器均衡理論」は、「強い者が弱い者を殺しても罪にはならない」ことが前提として公認されている動かしがたい現実の上にこそ全世界に採用され、日本はその米、中、露に取り囲まれた渦中にあるのである。
熊が人を襲えば喩えそれが人の側に不備過失がある正当防衛でも直ちに問答無用で射殺されるのに、人が熊の先に住んでいた居住区を荒らし続けても罪には問われないという非対称的な事態は、強くて狡猾な者の持つ自分勝手な妄想的理屈以外の何で決まるか?
あなたが今朝食べた食事はすべて「強い者が弱い者を殺し」た結果得られたものである。
一体どこの誰が、何の根拠をもってそれら動植物の命を奪う、日常組織的大量虐殺カンニバリズムに満ち溢れた食卓を「罪ではない」と「自己正当化」し日々これを許しているのか?
ある時期には、熊を殺してその肉を食べても良いという許可を、アイヌは宗教儀式を執り行う「聖化」によって得ている。食われる側の立場からいえば「自己正当化」である。
以上Artemis Sampler 神なき社会アノミーからカタストロフへ−頻発する少年ナイフ犯罪に寄せてより
ハルマゲドンで生き残る信者以外を人とは見なさず「強い者が弱い者を殺しても罪にはならない」どころか却って「殺すことで魂を解放し、救済することになる」とサリンを撒いたオウムのタントラ・ヴァジラヤーナによるポア実験正当化の論理を論破できる文化を日本人は所持しているのか?
同じレベルで人間の底にある「できることはみんな実際にやってしまう」という本性に従い「人間への応用も可能」にしたらどうなるか?
というのは、ある文化で正常優勢、あるいは健康、美、天才とされ尊重される形質は、別の文化では忌まわしい異常不具劣勢、病気、醜、狂気と診断される場合が十分考えられるからである。
着床以前受精卵の段階で、これから生まれるべき胎児の遺伝子形質を調べ上げ、操作側や両親の判断で悪い形質を取り除く、あるいは、存在自体を堕胎中絶断種抹消することによって良い遺伝形質だけを子孫に残して行こうという着床前診断思想は、同じ形質だけ生存を許される無個性コピーの氾濫と深刻な障害者差別、ユダヤ人迫害断種どころか障害遺伝子を持って生まれてくる子供の生存権を根こそぎ奪う生物医療ファシズムをもたらすであろう。
第1回『母体血による胎児DNA診断』(FDD-MB)
研究会内
「母体血中胎児細胞による胎児DNA診断の倫理的側面」
−−森岡正博(大阪府立大学総合科学部助教授・生命学)
asahi.com98/6/28 産科婦人科学会、着床前診断にゴーサイン
日本産科婦人科学会(会長・佐藤和雄日大教授)は27日、東京都内で理事会を開き、生まれてくる子供に重い遺伝病があるかどうかを調べるために体外受精をして受精卵の遺伝子を検査する「着床前診断」について、条件付きで認めることを決めた。今後、診断を準備している施設が学会へ申請し、学会の審査委員会が適切と認めれば実施される。これまで体外受精の適用範囲は国内では不妊治療に限られてきたが、生命を選択する手段にも広げることは議論を呼びそうだ。
理事会は27日、同学会の倫理委員会が提出していた見解案を一部修正の上、承認し、「着床前診断に関する見解」として公表した。主な内容は、(1)診断は重い遺伝病の可能性がある場合に限る(2)対象の病気や実施する施設がふさわしいかどうかを事前に学会が審査する(3)実施前に十分な説明をした上で同意(インフォームド・コンセント)を夫婦から得る、など。違反した施設や医師に対しては承認の取り消しの処分をすることや、この診断の有用性などを学会として今後再評価することも盛り込んだ。
着床前診断では、生まれてくる子供に重い遺伝病が出る可能性が高い場合に、体外受精卵の遺伝子を調べて、遺伝病の可能性がないと判断できたときに、受精卵を母体の子宮に戻す。「出生前診断」が胎児の段階で遺伝病の有無を検査するのに対し、より手前の段階で調べる方法だ。
学会はこの診断法を導入する理由として、(1)妊娠後の中絶が避けられる(2)受精卵で診断するので「子供を選別する」という心理的負担が少ない(3)重い遺伝病を心配して妊娠をあきらめていた夫婦が妊娠を望める――などをあげている。 (ボールド引用者)
乳がんや大腸がんの一部など、遺伝子が発生にかかわっているといわれる家族性腫瘍(しゅ・よう)について、医師や研究者らでつくる「家族性腫瘍研究会」は27日、遺伝子の変異があるかどうかを調べる発症前診断に関する指針をまとめ、公表した。遺伝子診断を行う場合に配慮しなければならない倫理、社会的事項について具体的に示し、研究目的に限り、診断を実施してもよい、とした。
遺伝子診断に対する統一した倫理規定はこれまでほとんどなく、大学病院などが独自に実施していた。
日本産科婦人科学会が条件付きで着床前診断を認めたことについて、障害者の差別につながりかねないなどの理由で着床前診断に懸念を持つ約30の市民団体でつくる「優生思想を問うネットワーク」(矢野恵子代表)は27日、同学会に対して「十分に議論を尽くさないまま容認を決めた」として抗議することを決めた。
ネットワークは学会に対して、障害者や女性を交えてこの問題についての議論を続けることや、学会での審議過程を公開することなどを求める意見書を24日に送ったばかり。矢野代表は「学会は着床前診断についての意見を広く募集しておきながら、その内容について十分検討せず、意見に対する学会の見解も示さないまま結論を出してしまった。絶対に納得できない」と話していた。
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現在でさえ、不妊症女性への啓示となっている人工受精と対を成すように、性的不能男性にとっての夢の回春剤と言われる‘バイアグラ’が、強烈な効果と、心臓に無理が掛り老人を中心とした死者(30人とも言われる)まで出したその副作用で、世界的話題になっているではないか。
副作用についても述べるバイアグラ最新情報 、「バイアグラ」サイト勝手にランキング
asahi.com98/7/16バイアグラ服用後に60代の男性が死亡、国内初
米国で開発された性的不能治療薬「バイアグラ」を服用した60代の日本人男性が、服用後まもなく死亡していたことが15日、明らかになった。服用後の死亡は国内で初めて。男性が運び込まれた医療機関からこの日午前、厚生省に連絡があり、同省が発表した。バイアグラは米国で3月に承認されて以来、爆発的に売れている。まだ承認されていない日本でも、購入ツアーや個人輸入などで、かなりの人が入手しているとみられる。厚生省は「自己責任による個人使用は認められるが、米国でも医師の処方せんがないと手に入らない薬。安易な使用には問題がある」と注意を喚起している。
死亡した男性は、今月上旬、友人からもらったバイアグラを1錠飲んだ。性行為の後、服用から約2時間20分後に家族が異状に気づき、救急隊を呼んだ。しかし、すでに心肺機能は停止状態だった。医療機関に運ばれたものの、約1時間後に死亡した。
男性は高血圧、糖尿病、不整脈の治療中で、ニトログリセリンの張り薬を使っていた。バイアグラには血管を拡張する作用があり、米国の添付文書では、ニトログリセリンとの併用は「禁忌」となっている。
バイアグラは米国で、医師の診断・処方が必要な薬として承認された。6月9日の時点で、服用後に16人が死亡したと報告されている。
日本では未承認薬だが、薬事法は業者が無許可で輸入販売をすることを禁じているものの、個人が自己の使用のために、輸入することは規制していない。
厚生省は個人輸入などが目立つ実態を重視し、安易な使用を避けるよう注意を促すことを決めた。
国内承認に向けて臨床試験を行っているファイザー製薬に死亡例の情報を提供するほか、同省のホームページでも情報を流し、注意を呼びかける。
asahi.com98/7/19「バイアグラ」、暴力団の資金源にも、米紙が探訪記事
米紙ワシントン・ポストは18日、世界的に話題になっている男性用インポテンス(性的不能)治療薬「バイアグラ」が販売未認可の日本の一部で爆発的人気を呼び、東京の繁華街のポルノショップで堂々と売られているほか、暴力団の貴重な資金源にもなっていることを紹介する探訪記事を掲載した。
それによると、バイアグラは30錠入りの1瓶が14万円かそれ以上の高値がつき、新宿歌舞伎町のホステスなどを通して暴力団から買うと、1錠が4万円にまで跳ね上がる。
同紙のインタビューに応じた歌舞伎町のポルノショップ従業員は、香港で中国人ギャングからバイアグラ1万瓶を仕入れたことを明かし、これを売れば14億円になると語ったという。(時事)
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老齢と共に性的能力の衰えが訪れるのは、病気でも異常でもなく、むしろ死を無理なく受け入れる準備としての恩恵であろう。性的能力に限らず、ここには、すべての面で70、80歳になっても青年と見違える同等な能力を要求して止まない「回春不老不死」願望、「成長と成熟、そして老化と死の受け入れの拒否」、すなわち、いつまでも歳を取らず若いままでいたい、という「翁の老人にして永遠の少年浦島太郎=竜宮における時間の停止」「幼児母胎回帰欲望=一種のインファンテリズム」が存在する。
かつてアメリカだけの特質と思われていた、青年のような性欲、体力、知力にぎらついた老人の氾濫する社会は、到底幸福なものとは言えないのである。その青年のような生命力に溢れた老人が、いざこれから寿命によって死を迎え一生を終えようとするとき、その急激に転落する断末魔の苦しみは如何ばかりのものになるであろうか。
「老いと死を永遠に拒否するもの」とはすなわち、「ノスフェラトゥ不死者」言い換えれば、生命の血あるいは若さを維持していた薬物が欠乏すると禁断症状に襲われ、一瞬にして美青年からミイラの土塊と化す「ドラキュラ伯爵」に等しいからである。この極限が麻薬であることは理解されよう。
実人生そのものを掌編のショート・ショートに圧縮し、生を死と短絡させるショートカット(ヒステリー人格短絡反応)こそ彼等の目指すニルヴァーナなのである。麻原オウムが自家製の麻薬を闇市場に大量に流して資金源にしていたことを忘れてはならない。日本ではヤクザがその売人であることは言うまでもない。
生と(性)と死、始めと終わり、幻想と現実とを短絡し結び付けるのが、頭がその尾を噛んで造るウロボロス蛇の近親相姦的癒着円環だからである。
麻薬は覚醒させると同時に麻痺させる。誇大自己と逆転して現われる自虐的卑小自己、生きたと思うと死が待っているウロボロス太母による矛盾の渦である。
この根底には生命のかかった病気についてすら死ぬ間際まで医師が患者に真実を出来るだけ知らせないでおくのが人間的で良いとする、日本の反インフォームド・コンセント偽りの信頼関係を自ら選択する「知らぬが仏」、「民は由(依)らしむべし、知らしむべからず」(論語8・9)の強力なぽっくり寺安楽死=自殺心中肯定文化伝統がある。「誰かうまい嘘のつける相手さがす」のは被害を受ける側の方だからである
「知らぬが仏」「秘すれば花」という文化伝統があるところでは成仏安楽死「ぽっくり寺」のための情報操作統制が正当化される。
神のようにはなれないし、又なろうとしてもいけない、という怖れと禁忌がこれまで「生まれそして死すべき人間」という存在を形造り、守り、育ててきたのである。神に敵対し、神を模造してその地位を奪おうとする者とは、悪魔と怪物奇形及び偶像崇拝にほかならない。
人に成長があるように、その反面としての自然の能力の衰えが徐々に進行するからこそ、天寿と安らかな大往生が存在しうるのではないか?
あるいは、その性的不能が老齢以外の原因によるものだったとしても、不能であることは何ら異常でもなく、病気ではないと考え、医療に頼らずそれを受け入れて生きていく道もまた人生である。すべての面において「人並みであらねばならない」という多様性を認めぬ考え方こそが、異常なのであるとも言えよう。
人工受精が必要な不妊症といわれ、あるいはバイアグラが必要な性的不能といわれ、結婚して産めない者、自らの意志で子供を産まない者あるいはそもそも結婚しない非生殖者を病者、変人として差別し、人権を剥奪しようとする「子宝人口人材主義」社会を変えていく力を産むのは、こうした生き方を自ら選び取った人々ではないか?
競争と能力差は、「天与の自然」による禁欲限界を社会的に認め、人為的にこれ以上は変えられない神聖なものとして断念することから成立つのであるから、それらすべてが欲望の赴くまま人為的に操作可能となれば、他と勝つためにこうして始まった競争には「最終的なゴール」「ゲームの終わり」は存在し得ないということになる。
立岩真也(社会学)と玉井真理子(心理学・生命倫理学)と長瀬修(障害学)による
《生命・人間・社会》(仮称)内
遺伝子治療より次の文章を引用する。
曽野 綾子 199502 「近頃好きな言葉」
『新潮45』→曽野[1996]
「もし人間が,自分の体の不満や人と劣った点をすべてなおすことができ,飢えや貧困に悩まされることがない,ということになったら,その時の不幸は,どのような学問や医師の力をもってしても治癒できないほど深いものになるでしょう。その場合,人間は素早く,そのような自己改変を要求する『権利』が自分たちにはある,と思うようになるでしょう。しかし現実には,それらをすべて叶えることは不可能ということが眼に見えているからです。
その時,社会は不満の塊となり,自殺や発狂する人がどれだけ増えるだろうかと思われます。その不幸感はどこから来るかと言うと,その時人間は,それまで創造主と呼ばれていた神のみの仕事の結果と思われていた『先天性』という概念を認めなくなるからです。つまり,人間の肉体は限りなくデザイン変更の利く物質になりますから,もはやそれなりに完成したかけがえのない個人という発想は持ち得なくなります。不備な肉体から,私たちはその存在の意義を認めるという崇高な作業を行い,不備故に二つとない崇高な個人の存在を自然に承認できるのですが,それは科学の敗北,医師たちの怠慢の結果だとしてただ攻撃の目標になるだけでになりましょう。今までは一人の存在をそのまま,まるごとトータリイに大切だとしたものを,これからは改変されたもののヴァリューで計るということになると,そこで人間の分際そのものが変わってきます。不備は人間の権利という取り除き,あらゆる人間を『完成品』にした時が,人間の勝利という発想になると,それはとりもなおさず失敗するだろうと,と私は思うのです。(もっとも,自慢ではありませんが,今までの立てた予測というものはほとんど当たっていません。……」
(曽野綾子[1995→1996:269])
(ボールド引用者)
天才が、遺伝子操作で大量生産できるようになれば、それは既に定義上「天才」ではない。黄金が化学的に合成できれば、その本物と寸分違わぬ「人造金」はあからさまな‘イミテーション、フェイク、キッチュ、ジャンク’として本物に与えられていた価値を引き継ぐどころか却って速やかに消却してしまうようなものである。
コピーが大量にできるようになったからといって、オリジナルに等価なものとしてそれらを駆逐でき、本物と同じ地位を獲得できるとは限らないのである。コピーの氾濫は、そのほんの微少な差違によって本物の価値をひときわ高めるものとなろう。
人工知能、ロボット、クローン、サイボーグ、アンドロイド等人間モドキの氾濫は、人間の価値を高めるものとなろう。
また、ここで明確に確認しておくべきことは、これら人造コピーで喩え、オリジナルの自然と同じ機能が果され代用が可能になろうとも、その結果オリジナル自体の内部全体構造までもがそのコピーと等質であるはずだ、オリジナルの秘密は解明されたとする推論は還元主義が陥りやすい外挿的誤謬であり、コピーをする側に自己満足を与える明らかな自己欺瞞であるということだ。機能の還元は、構造の全体的還元にはならない。(偶像崇拝、ピュグマリオニズムの禁止。イザヤ44.9〜;40.18〜;46.5〜)
仲間内ではごく交換可能な「凡才」ということになり、さらにそれ以上の熾烈にして過酷な競争が待ち構えていよう。
「最終的なゴール」があるとすれば、それは核均衡ゲームのように「互いの消耗と死をもって」と言うしかない。
その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。(ヨハネ黙示録9.6)
20世紀は、(核)物理学者による学=官=業の癒着国家犯罪が行われた世紀であった。彼らに対してさえ未だにその真実と、罪の償いが為されていないままである。21世紀は、遺伝子生物(医)学者による学=官=業の癒着国家犯罪が問われる世紀になるであろう。
21世紀になってから、あの時、生物学者と医学者が開けたのはパンドラの箱であったということに人類は初めて気がつくだろう。
一旦、「自然」により抑え付けられていた歯止めが人為的技術によって破壊されたとしたら、その際限なく雪達磨式に増幅した欲望の実現は、H.Boschが描いたような怪物同志の殺し合いによる「腐敗と病と死」という徹底的に自己破壊的な地獄絵の結末をパンドラの箱から選んで取り出すに等しいのである。
asahi.com98/7/16米で死んだ夫の精子で妊娠に成功と英科学誌報道
米国で、夫の遺体から取り出した精子を使い妻を妊娠させることに成功した、と英科学誌ニューサイエンティストが報じた。試みたのはロサンゼルスの病院のキャピー・ロスマン医師らのグループで、家族の求めに応じ、少なくとも数十例、亡くなった男性からの精子の採取に成功しているという。最初にこの精子を使った女性はすでに妊娠1カ月というが、身元は明らかになっていない。遺体から取った精子で妊娠させたのは初めてだ。
ロスマン医師は遺体の精巣上体から取り出した精子を凍結保存している。今回は実際にその精子を使って欲しいと求められた最初のケースで、精子を解凍して妻から得た卵に体外受精し、子宮に戻したという。(ボールド引用者)
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夫の遺体から採られた精子で誕生した子供は、父親の死後生まれたことになる。法と社会は死者との間の子供を嫡子と認定できるのか。夫の意志から切り離された精子を「物」同様に扱うことは、女が、その夫を平等な人間としてではなく「子供を産む為の便利な道具、子孫を絶やさぬための子種、種付け家畜」と見ることであり、これはかつての女性に対しての「授産の道具視」、もしくは強姦に相当する逆差別ではないのか。
物心ついたその子供に何と説明するのか。
夫の合意なくして明らかに医師と遺族や妻側だけの意志だけで妊娠した子供は、「両性の合意」のもとにのみ誕生が許される嫡子としての必要な条件を欠いているのである。「両性の合意」なく生まれた子供は私生子(児)だからである。つまりこのままでの体外受精技術の社会的普及は、本人の意志を蹂躪無視して生殖細胞と遺伝子だけが一人歩きし始め「子供に責任をとる意志を持つ独立した個人としての両親」という概念を消失させる危機を当初から蔵しているのである。
いわばこの技術によって「両親を持たない子供達」が大量に製造されて来るのである。
日本においては特に次のような歴史的事情が存在することを、
Artemis Sampler酒鬼薔薇聖斗を生んだ戦後日本という社会 よりここに転載する。
いわば外来の遊行するカミ=占領軍GIが帰国した後に、焦土に残された闇市の巫女にして遊女パンパンから産み落とされた父親のない、御子「私生児」母も名乗らない「捨て子」「浮浪児」こそがその一部がヤクザとなって今日ある日本と日本人を形成してきたのである。このパンパンは今日の援助交際と称する売春行為を餌に、金のあるオジサンにタカル女子高生になっている。 (体験記:フィリピンの買春問題にふれて で述べているようにアジア全域で見られる駐留アメリカ軍人と現地女性との間に生まれたこうした子供は‘Amerasianアメラシアン’と呼ばれている)
経済効率原則(エコノカルト昼は命令された仕事の鬼)の中空戦後日本への浸透が自己疎外をもたらしたとすれば、売買春システム(エロチックオタク夜はパンパンラブホテル戦後の経済戦士用従軍慰安所)は自己未発現母胎回帰現象の現れとみることが出来よう。
こうして、エコノとエロスとに引き裂かれた戦後エコノ=エロティックアニマルは一体これからどうするのか?
敗戦の焼け跡に発生した幾多の浮浪児、私生児、孤児のように、あの少年も、阪神大震災後の焼け跡に立ち、同じ「社会アノミー」感、一種のカタストロフ感を味わったのではあるまいか。世界が崩壊するハルマゲドンを待望したオウム幹部の早川は地下鉄サリンなど一連の行動を「戦争」と位置づけていた。その廃虚の中から「オウムの子ら」だけが、一種の孤児として生き残るのである。
その元祖は戦後の焼け跡でチャップリンの‘Kid’を真似た「東京キッド」という浮浪児あるいは戦争孤児の歌を唄った当時13歳の美空ひばりであった。
敗戦の焼け野原に何より早く建ったのが、精神的価値を体現する教会や寺院ではなくて、飢餓を癒し性欲の捌け口のための闇市(エコノ)赤線(エロス)であったという歴史的事実が、その象徴である。
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つまり戦後日本人は能力がないか、怠惰のためかいずれにせよ近代市民社会を創造することに結果的には失敗流産したのである。「恐るべき子供たち」はそうした流産の結果できた育てる親のない戦後の不具で奇形の「鈎十字から涙を流した」「私生児」母も名乗らない「捨て子」「孤児」「浮浪児」「オヤジ狩りを楽しむストリートチーマー」「ヤンキー」の群れである。
宮崎勤は、雑誌「創(つくる)」のインタビューに獄中から答えた2回目の書簡の中で、「ニセの父が死んだ時はスッとした」と答えながらある種の血統妄想を抱いていることを窺わせ、「私に本当の両親を教えろ」と「ニセの両親」に食ってかかっている。手紙全体の中でもこの部分は、異様な迫真性に満ちているのである。
これは、様々に考えられるが、一つには、川端康成の文学が「孤児の文学」と称されるのと同じ次元から発する日本的「孤児妄想」に原因があると言っても良いのではないだろうか。
ヤクザ自体が、いわゆる幸福な一家団欒のある家庭からグレタ者同志の共済組合のような結社「**一家」であるが、「グレる」「グレン隊」というのは私見では「母からハグレル」スサノヲがその心理的原型を成すと思われるからである。「はぐれ雲」「はぐれ刑事」の例を見よ。
例の謎めいたシンボルは、ナチスの鈎十字にそこから流れ出る涙を組み合わせたもので、少年を含む近所の遊び仲間集団のマークとして北須磨公園などによく落書きしていたものであったという。――受験体制によって生産された「知的でナチス的であれば、誠実でない」子供(「子供たちの復讐」本多勝一編p489)から落ちこぼれた涙とも考えられる。
あるいは、宮崎勤のように本当の母も父もいない家庭で育てられたことへ流した涙なのかも知れない。少年は逮捕後も、両親との面会を一貫して拒否していると伝えられている。
ある者はカルトに入会し、ある者はひたすらオタクに閉じこもり自閉化孤立し、またある者は家庭、学校、地域を社会全体に対する憎悪と暴力で満たした。
こうした行為の放置黙認は、その所有者から窃盗――「コピー」「切り取り」「貼り付け」――されたDNA始め、卵子、精子の生殖細胞や、臓器等の体細胞が人工的に増殖培養、保存、改良され、その持つ遺伝情報の価値により、値段がつけられ売買される細胞銀行、工場及び市場の成立へと道を開き、夫婦婚姻、親子関係を基礎とするあらゆる血縁関係、性倫理を根底から否定、破壊するに至るであろう。
さらに後でも触れるが、本人の合意なくして行われるこうした行為は、血液、臓器はおろか体細胞、生殖細胞、遺伝子にまで認められるべき所有権、人権の極めて重大な侵害、いやそれ以上の「生命に対する犯罪行為」となるのである。
自己の身体は危害、脅迫、圧力、誘拐、監禁、隷属、支配のような「暴力」からだけでなく、より一層、生物学者、医学者、医療関係者から「医療、治療救済、矯正」という名で正当化され行われようとする越権行為に対して厳密に守られない限り、その所有権始め基本的人権は根こそぎ蹂躪侵害破壊されかねない時代が到来しているのである。
電子マネーという情報が、ID認証技術と暗号化によって、それを所有する本人個人の厳重なセキュリティ管理下に置かれて始めてデジタル経済活動の時代が開始できるという以前に、それを可能とする前提として、一人に一つの生体個人の生命ID情報というべき「遺伝子情報」が、その所有者から窃盗――「コピー」「切り取り」「貼り付け」――不可能な基本的人権の根本として先ず幾重にも保護されなければならないのである。
これからの時代においては、生体はこれら「遺伝子情報」を含む血の一滴、体液(卵子、精液を含む――その意味で昔から宗教者聖職者は独身であり続け生殖を拒否してきたと考えられる)の一滴、臓器の一つ、皮膚毛髪爪細胞のひとかけらに至るまで譲渡、改変、他者〔特に医療関係者〕による解読、複製、流用の手から保護されなければ基本的人権は保障されないであろう。
例えば、他の病気治療の際に採取切除した血液、神経、皮膚片、歯、骨、毛髪、唾液、胎盤、臍の緒、内臓、生殖細胞等を、再利用できない患者には価値がなく所有権を放棄した「医療生体ゴミ」と見なして治療側が取得し、それらを基にした遺伝子始め生体細胞培養産業市場を開くための広大な無料資源とすることができると考えている医学者が存在するのである。このための生物資源として最も有力視されているのが人工的に創り出し資源とする試みもある無脳児からの臓器や「私の胎児は私が使う」 として中絶された胎児の細胞である。
ケーススタディ14.「胎児細胞を集めろ」より引用
現在、アメリカの人体組織マーケットは少なくとも3兆円規模と言われているが、既に胎児細胞もマーケットに出回り始めている。
アメリカ臓器移植ネットワーク(UNOS)を通す臓器とは違って、胎児組織の調達・分配方法は確立されていない。さらに胎児組織を使った実験や組織の保存などについての規制もほとんどない。
ヒトの細胞を分離・培養する高度な生物学的な技術を商品として扱っている、アメリカのセルシステムズ社は、6箇所の病院と契約を結び、その病院内の手術などで切り取られた皮膚や臓器を入手し、そこから細胞を取り出し、研究材料として売っている。出荷先は、アメリカ国内の大学や製薬メーカーなど3000ケ所以上、輸出先は世界30カ国にのぼる。なかでも胎児の細胞は多様な需要がある。血友病や糖尿病の遺伝子治療の研究に使われたり、肝臓細胞は失われた肝機能の再生の研究などに使われる。
セルシステムズ社の胎児の繊維芽細胞は、1単位250
ドルで売られている。
胎児細胞の利用目的は病気の治療だけではない。
「人工皮膚」の製造は、歯茎の肉片についた口腔粘膜の粘膜細胞を一つ一つバラバラにするところから始まる。バラバラにした細胞を培養液に入れると、増殖して皮膚になるのだ。
この研究の最終目的は、細胞から人工肝臓や膵臓をつくることである。肝臓や膵臓をつくるには、成人の細胞では限界があり、成長過程にあって分裂能力を十分に保持している幹細胞を数多く持っている胎児細胞が必要となってくる。
現在、軟骨の欠損などが原因の関節障害に対しては、金属製の人工関節を埋め込む手術が実施されているが、金属製の関節は、素材が磨耗するなどの欠点がある。大阪大学医学部は軟骨細胞を関節に移植する技術を開発したが、ここでも成人の軟骨細胞の増殖力が問題で、胎児の軟骨細胞を使えれば、技術的には実用可能な段階にきている。大学の医学倫理委員会で胎児細胞の利用の是非が話し合われたが、結論は出ず、継続審議となった。
(ボールド引用者)
asahi.com99/1/1ひとの皮膚、軟骨など商品化にベンチャー企業
ヒトから採取した皮膚や軟骨、角膜などの細胞を培養して、移植用の組織として商品化するベンチャー企業が今春、設立される。血液以外でヒトの細胞、組織などが治療用に商品化されるのは、国内では初めて。愛知県内の医療関連会社や大手製薬会社などが中心になり、厚生省が特別認可法人を通じて財政面で支援する。欧米では、ヒトの組織、細胞、臓器などが移植用や新薬開発用に商品化されているが、人体の一部の商品化には倫理上や安全上の課題もあり、新会社では独自の社内規定を策定し、慎重に対応するとしている。
財政面で支援するのは「医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構」。同機構によると、新会社に出資を予定しているのは愛知県蒲郡市の医療関連会社「ニデック」のほか、大手製薬会社、大手陶器会社など4社。1月中に、出資比率や参加方法などを正式に決める。愛知県内に研究施設、本社を設置し、7、8年後に採算ベースに乗せることをめざす。
新会社はまず、抜歯の際に歯に付着する口の中の粘膜を特殊な方法で培養し、皮膚のシートをつくり、商品化する計画だ。口の中の粘膜細胞は増殖が速いため、培養皮膚が作りやすいという。やけどや床ずれ、糖尿病性のかいようなどの患部に移植する。事業が軌道に乗れば、セラミックとヒトの細胞からつくる培養軟骨や、移植用の培養角膜なども商品化していく構想だ。
新会社の技術は、培養皮膚の研究で実績のある名古屋大の上田実教授(口腔(こうくう)外科)が考案した。技術は確立しており、すでにボランティアによる皮膚バンクなどで活用されている。同教授のチームも技術面で協力する予定だ。
新会社は医薬品機構にすでに出資を申請しており、機構側は1月中に9億円の融資にするか、20億円の出資にするか、最終的に決める。
また、新会社では事業化にあたり、厚生省が新年度に設置する「公的ヒト組織バンク」を通じて細胞を入手できるよう交渉するほか、▽感染症予防など安全性を確保する▽細胞の提供者へのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)を徹底する▽細胞売買にならぬよう、提供者は18歳以上でボランティアにする、ことなどを社内規定で定めるとしている。
asahi.com99/1/17 製薬55社、新薬開発にヒト組織利用
肝臓の細胞や皮膚、血管などヒトのさまざまな組織が新薬の開発に必要、と製薬会社や化粧品メーカーの約8割が考えており、約6割がすでに利用していることが、財団法人ヒューマンサイエンス振興財団の調査で明らかになった。手術時に摘出された組織の一部を、契約した病院から手に入れたり、海外から輸入したりしているという。人体組織を使うことは、動物実験ではわからない副作用や効能の予測につながる一方、その取引、利用をめぐる倫理面の問題もはらむ。厚生省は、この問題で指針をすでに定め、1999年度から同財団と協力して、ヒトの組織を無償で収集、提供するバンクづくりに乗り出す方針だ。
調査は、医薬品や化粧品、食品メーカーなど145社を対象にした。同財団の賛助会員で、日本製薬工業協会に入っている国内の大手、中堅製薬会社の大半を含む。うち97社から回答を得た。
この結果、回答企業の約6割にあたる55社が、ヒトの組織を研究開発に使ったことがあった。うち約8割は国内でヒト組織を入手、海外の専門企業やヒト組織バンクから輸入している企業もあった。
厚生省によると、こうした大がかりな実態調査は初めて。ここ数年、製薬会社から同省にヒト組織の利用を求める声が相次ぐようになり、使用例も増える傾向にあるという。
また、回答企業の約8割、医薬品関連では約9割がヒトの組織の利用は「必要」と考え、肝・心・腎臓、肺、血管、脳、皮膚、小腸など、多くの器官、組織の利用を望んでいた。臓器から細胞、酵素にも及び、病気の組織、中絶した胎児や胎盤の利用を求める企業もあった。
利用の理由として、大半の企業が「人間と動物では薬物への反応が違い、動物実験だけでは、新薬の効果や毒性が予測できないから」「利用しないと、医薬品開発が国際的に遅れてしまう」などと答えている。
(ボールド引用者)
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産=官=(医)学の癒着構造によって起る人権侵害、生命犯罪を誰が抑止できるのか?
'98年7月には人の生体各部がホルマリンで保存された容器が、大量に一般ゴミ捨て場に放置されていたのが発見された。こうして、人体の各生体部位が墓ではなく、医療廃棄物としてゴミ捨て場に捨てられる時代が来るのである。'98年8月14日には、東京都多摩市の清掃車が清掃工場に運んだ不燃ゴミの中からダストボックスに隠れて遊んでいたと思われる小学生の遺体が出てきた。[毎日新聞'98年8月14日] <遺体>小6男児、多摩ニュータウン清掃工場で発見
北海道新聞99/1/19生後間もない赤ん坊の遺体 岩見沢のごみ処理施設
【岩見沢】十九日午前八時半ごろ、岩見沢市日の出町四九九、「岩見沢じん芥(かい)処理センター」で、ごみを捨てに来た同市内の廃棄物処理業者の男性が、生まれたばかりと見られる赤ん坊の死体があるのを発見、岩見沢署に通報した。
同署の調べによると、遺体は不燃物埋め立て地に、ほかのごみと一緒に全裸の状態で放置されていた。性別や死後の経過時間などは不明。同署は二十日に司法解剖を行い、調べる。
同センターは同市内と隣接する空知管内栗沢町の全域、同北村の一部から、家庭や事業所の廃棄物を受け入れている。日中は職員二人が常駐しているが夜間は門を閉め無人。
「生命の重さを良く考えて欲しい」「命の重さを知ってほしい」などとナイフを持った少年達に呼びかける大人は、このような治療の名目で「限りなく(自己以外の)生命を軽く扱う物質化」を追認する臓器移植、生命遺伝子操作を推進している自己の姿に何とも思わないのか。
五月十三日の同級生への暴行で少年は「人の命はアリやゴキブリと同じじゃないか。しかし僕の命は大事」と反論、異常な発想に驚いた。報道で知った通り魔事件は少年の仕業だろうと感じた。(担当中学校教師の証言)
低い自己価値感情と乏しい共感能力の合理化・知性化としての『他我の否定』すなわち虚無的独我論も本
件非行の遂行を容易にする一因子を構成している。(神戸家裁処分決定要旨;ボールド引用者)
これには、特に「ケガレ;キヨメ;ミソギ」のような呪術的清潔保健衛生観念以外の「超越的倫理」を持たない戦後日本においては、「生活臭さ」を出すことの完全否定、「抗菌グッズ」、「体臭、口臭忌避」の流行、「バイキン」と称して特定の子供をイジメの対象にする、などに見られる「自分(とその仲間)以外の生命、人間存在に対する拒否」を表わす病的な潔癖症、女性的不潔恐怖、とが分かちがたく結びついている。
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二年の時、女子生徒に「ばい菌ごっこ」といういじめをしたので注意したが、じっとにらむので、これまでにないタイプの生徒と思った。「火葬場の番人」と題する作文を書き、死体が溶けていく状況をリアルに描き、不気味だった。秋には、ホラービデオの万引で補導された。
Artemis Sampler神戸小学生惨殺事件を追う ;教師からの事情聴取要旨
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既に、アメリカではIQや体格のエリートにより選別された精子を収集、冷凍保存して、選抜された女性に人工受精させることによって「(WASP崇拝アメリカにとって?)良き子孫」だけを繁殖させようとする「精子バンク」のような機関が存在している。「遺伝子狩り」が行われているといっても良いであろう。
NHK生命操作:ケーススタディ 1.「求む!ノーベル賞受賞者の精子」
日本初の精子バンク EXCELLENCE
おそらく、将来には、地球上のすべての生物種につき一対の遺伝子ずつを載せたロケット‘Noah’号が、百鬼夜行する人類絶滅のこの環境破壊の地を後にして遥か移住可能な惑星に飛び立つために準備計画されているのかもしれない。新しい金髪青眼白色のアダムとイヴの遺伝子を載せて・・・。
「できる」からといって直ちに「しても良い」と認め実行するのなら、すべての法や職業倫理は無に帰すだろう。独断専行しまってから「後で」改めて考える、では済まされないのである。既に生まれさせられた子供は、もはや取返しがつかないからである。人間の底にある「できることはみんな実際にやってしまう」という本性は何らかの手段で抑止されなくてはならない。
普遍的科学技術的に可能である、と言うことと民族的宗教倫理自決的に許容可能で実現される事とは、自動的に癒着的にリンクされてはならず、全く分離し独立な問題として考えなければならないのである。
今回の不妊の問題で言えば、不妊であることは何ら異常でもなく、病気ではないと考え、医療に頼らずそれを受け入れて生きていく道もまた人生である。すべての面において「人並みであらねばならない」という多様性を認めぬ考え方こそが、異常なのであるとも言えよう。
人工受精が必要な不妊症といわれ、あるいはバイアグラが必要な性的不能といわれ、結婚して産めない者、自らの意志で子供を産まない者あるいはそもそも結婚しない非生殖者を病者、変人として差別し、人権を剥奪しようとする「子宝人口人材主義」社会を変えていく力を産むのは、こうした生き方を自ら選び取った人々ではないか?
大人の退行胎児化、子供の早期自殺、奇形不具、精神異常傾向と歩調を合わせるようにかなり以前から始まっている、少子化傾向どころか結婚しても子供を産まないNo Kidsの選択、そしてそもそも結婚生殖しないセックスレス人生を選ぶ(精子減少)世代の登場は、人工生殖クローン移植テクノロジーによるこの社会カタストロフを生物本能的に予兆する生理変化適応=幼形進化と言うべきである。
人間が次第に性的能力を失い、生殖しなくなる、できなくなるのに歩調を合わせて、その穴を埋めるようにして性的不能治療人工生殖クローン技術が実現してきているのである。
厚生省
生殖医療技術を巡る論点、参考資料1.生殖医療を巡る論点2.日本における生殖医療の現状3.生殖医療に関する諸外国の対応
ご意見募集「少子化問題」
asahi.com98/7/5日本人の精子数、30年で1割減少
ここ30年間に日本人男性の精子数が1割ほど減っていることが、慶応大医学部の吉村泰典(やすのり)教授(産婦人科学)らの研究で分かった。非配偶者間人工授精(AID)のために提供された約2万5000人の精液のうち、6000人分のデータを中間集計した。これほど多数のサンプルにもとづく精子数減少の報告は、国内では今回が初めてで、世界的に見ても最大級の規模だ。欧米では数年前から同様の傾向が報告され、「内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)が原因ではないか」とも疑われている。9日から大阪市で開かれる日本受精着床学会で発表する。
AIDは、夫の生殖能力に問題がある場合、夫以外の男性の精液を妻の子宮に注入して妊娠させる技術。1949年に国内で初めて実施した慶応大だけで、これまでに約1万1000人が生まれたとみられる。
慶応大では、主に医学部の学生たち(18―25歳)がAIDに使う精液を提供している。吉村教授らは、記録が残っている70年以降の約2万5000人分の精液について、「精子数」と「運動率」(正常に動いている精子の割合)の分析を進めている。
今回まとまったのは約6000人分のデータ。70年代には精液1ミリリットル中に平均約6500万の精子があったのに、80年代には約6300万、90年代には約5700万と、約30年間に12%ほど減少していた。まだ集計中だが、90年代に入ってからの減り方が大きいとみられる。運動率は75―78%で変化していなかった。
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これと同じ様に「死の定義」は――領土問題でもそうだが――、決して科学の問題ではなく、優れてその民族文化の持つ宗教と社会制度が自己決定すべき民族と個人の自己決定問題である。死を自己決定できる権利は彼の生の権利を保証することでもある。
これは良くあるような、欧米ではどんどん行われている移植手術が日本では何故行われないのか、少しはアメリカを見習うべきだ、それに引き換え日本は遅れていると言った論調、或いは、移植を心待ちにした挙句大金を支払いアメリカにまで渡らなければならない患者家族の気持ちになって見ろと言う感情論に押し切られていい問題ではない。死者、被害者、遺族の感情が何を差し置いても、生きている者の人権より第一に優先権を持つというのは、古代の死者崇拝、祖先崇拝宗教習俗の大きな特徴である。
アメリカと似ているのはごくごくお世辞で言っても表面的政治体制までだけでしかない日本で、宗教と文化の違いを無視して進んでいるとか遅れているとかの議論をしても意味はないと言うべきである。手術をする医者と臓器を移植される受容者(レシピエント)の立場だけに限ればそうかもしれないが、臓器を採られる提供者(ドナー)の立場はどうなるのかまでを慎重に日本人自身が自らの自決問題として考えなければならないのである。
§2 権利をはじめ可能性を擁護するということと、それを実行することとは又別次元の問題であり分離されているというのが近代の大きな特徴である。普遍的科学技術的に可能である、と言うことと民族的宗教倫理自決的に許容可能で実現される事とは、自動的に癒着的にリンクされてはならず、全く分離し独立な問題として考えなければならないと言う真理と倫理価値、可能性思考と実現性行為分離思考原則は21世紀に向かってますます先鋭化する生命倫理問題の一つの糸口となるだろう。
欲望の限りない解放と、手に触れるものすべてを黄金に変えるよう望んだミダス王のような実現は、その通りに願いを叶えることによって罰する復讐の女神ネメシスの業に出会うであろう。
秦の始皇帝でも叶えられなかった不老長寿の夢の実現、移植延命ができるからといって、すぐにそれが倫理的に許されていいということにはならないのだ。人間の底にある「できることはみんな実際にやってしまう」という本性は何らかの手段で抑止されなくてはならない。
延命のために技術的には可能でも、「エホバの証人 輸血拒否事件」のように宗教的倫理自決的に許されないために、むしろ信者である患者がそれを自覚的に断念し、尊厳をもって静かに死を受け入れなければならない事態(自殺ではない、死の受容;尊厳死)がいくらでも起こりうることを覚悟しておかねばならないということだ。病院は死を受け入れる場ではないとする本来の宗教へ回帰する傾向が出てきたこと、宗派にも応じた葬儀方法とも繋がるホスピス医療の発展がこれに関係する。
日本ホスピス在宅ケア研究会終末期医療とケア、在宅福祉サーヴィスの問題を医療従事者、社会福祉従事者、市民、患者などが話し合い、学ぶ会
ホスピスケア研究会
、終末期を考える市民の会、日本死の臨床研究会、日本尊厳死協会
でなければ特に後者のような移植手術こそが目的で早急に病院医学関係者サイドだけにより提案されている場合、社会文化的認知承認のないまま、本人も知らぬ間にごく限られた周囲の医師や家族の一任だけで、突発的事故か何らかの原因で意識を失ったら最後、ついさっきまで健康だった人が、あっという間に身体から臓器がすべて合法的に摘出されこの世から消滅し、五体満足な遺体すら帰ってこなくなってしまったり、横流し盗難窃盗された(伝染病での死者や身寄りのない子供、私生児、捨て子、乳幼児、死刑囚の)臓器が闇市場で高額売買の対象にされてしまいかねない非常事態になるまで切羽詰まってきているのである。
asahi.com98/3/11「脳死と説明し、心停止を早めた」遺族が医師を告訴
沖縄県立那覇病院(那覇市)で一昨年12月、心臓停止後に腎臓を提供した那覇市の男性患者(当時62)の遺族が、「脳死に至っていないのに脳死であるかのように言い含め、人工呼吸器の換気量を減らして患者を死亡させた」として、11日、主治医ら3人を殺人容疑で那覇地検に告訴状を提出した。病院側は「移植は家族からの申し出で行ったもので、コーディネーターが手続きを踏んで進めた。何ら問題ない」と反論している。
告訴状を出したのは、患者の妻(57)ら遺族5人。相手は、当時の主治医や腎臓の摘出にあたった同県立中部病院の泌尿器科医ら3人。那覇地検は、正式に受理するかどうか検討する。
告訴状によると、患者は1996年12月12日、那覇市の自宅で倒れて搬送され、くも膜下出血と診断された。3日後の15日、主治医は患者の次女に「脳死で延命措置は無意味」などと説明し、次女は腎臓と角膜を提供するとの承諾書に署名した。16日、脳神経外科部長が患者は脳死だと家族に説明。人工呼吸器の換気量を減らした結果、患者は18日未明に心停止し、腎臓が摘出されたとしている。
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COCKFIGHT の98/3/12記事沖縄の脳死訴訟は臓器移植ビジネス氾らんの危険性を示唆した
'98年5月8日 共同通信 平沢元死刑囚の脳返還
東大医学部は七日、帝銀事件の被告として死刑判決確定後に病死した平沢貞通元死刑囚=死亡当時(95)=の遺族に対し、解剖で十一年前に摘出した平沢元死刑囚の脳と臓器の一部を返還した。
平沢元死刑囚は一九八七年五月、東京都八王子市の医療刑務所で死亡した。自白の信用性が争われた帝銀事件の公判では、自白時も精神状態は正常だったとする精神鑑定が有罪判決の決め手の一つとなった。
遺族側は平沢元死刑囚の死亡直後、虚言癖を伴うとされる脳の病気の有無を調べるため、東大医学部に脳の摘出と解剖を依頼。しかし、同大が解剖結果の提出に応じず、遺族側が今年四月二十日、脳などを返還するよう求めていた。
この日は養子の平沢武彦さん(39)と弁護団の遠藤誠弁護士が東大医学部を訪れ、パラフィンで固められた脳の切片約五十個やホルマリン漬けの内臓などを受け取った。
(ボールド引用者)
いったい、如何に死刑囚という特別な事情があるとはいえ、解剖結果の提出に応じず、11年間も待たせた上、摘出した脳と臓器の一部を遺族が返還要求しなければそのまま行方不明になってしまうような体質を持つ医学部に、安心して臓器の提供を依頼できるのか?一般のドナーでさえ下記の通りである。
98/03/09asahi.com移植で摘出の血管を無断で凍結保存、京都府立医大付病院
京都府立医科大付属病院(京都市上京区)が、死体腎(じん)移植で2人のドナー(臓器提供者)から摘出した血管を、遺族に無断で数年間にわたって凍結保存していたことが、8日までに分かった。「角膜及び腎臓の移植に関する法律」(角腎法、現在は臓器移植法)は、移植で使用しなかった部分を処分するよう定めていることから、同病院は今年に入って、厚生省の指導で焼却処分したという。
凍結保存していた血管は、1993年5月と94年9月に実施した2人からの死体腎移植で、腎臓と一緒に摘出した腹部大動脈。同病院第二外科の岡隆宏教授は「血管は、腎臓の一部として取り出し、移植を受けた患者の拒絶反応に、適切に対処するため保存していた」と説明している。
[毎日新聞'98年6月23日]
<多臓器移植>13歳少年に延べ12個を実施 肝臓など 米国
【ワシントン22日瀬川至朗】米マイアミ大付属小児病院(フロリダ州)は22日、肝臓、すい臓、小腸、胃の4臓器の不全に悩む米メリーランド州の13歳少年に対し、これら4臓器を一度に移植する多臓器移植を過去1カ月余りの間に3度実施したと発表した。移植した臓器が拒絶反応を起こしたことなどが原因だが、延べ12個の臓器を1人の患者に移植したケースは過去に例がないという。
手術を受けたのはダニエル・キャナル君(13)。ショートガン症候群という小腸の病気で8歳のときに米国の中心的な移植施設であるピッツバーグ大(ペンシルベニア州)の移植待機患者のリストに載った。その時点では小腸だけの移植でよかった。
しかし、ピッツバーグ大のある地域は、待機患者数に比べ臓器提供者(ドナー)の数が少なく、キャナル君は5年間も待つ結果に。その間、小腸治療に使ったTPNという薬の副作用で、周囲の臓器がダメージを受け、結局、小腸のほか、肝臓、すい臓、胃の移植も必要になった。
今年5月、フロリダ州のマイアミ大に移ったところ、移植リスト掲載3日後の5月15日にドナーが現れ、4臓器を移植した。しかし、拒絶反応が激しくて免疫抑制剤でも抑えられないため、今月2日、4臓器を再移植した。今度は、すい臓以外は移植した臓器の機能が悪く、今月20日、3度目の移植に踏み切り、19時間の長時間手術の末、植え替えることに成功した。
キャナル君の容体は安定しているが、危険な状態は脱していないという。米国の移植関係者は「多臓器移植そのものがまれで、それを3度も行ったケースは聞いたことがない」と驚いている。
米国ではこれまで、地元で出たドナーはまず地域病院の患者にという地元優先の臓器分配が行われてきたため、州によってはキャナル君のように長期間待たされ、その間に容体がどんどん悪くなる患者も少なくなかった。
キャナル君の両親は、臓器分配の不公平さを改善するようワシントンの政治家に訴えてきた。今春、米厚生省が、全米一律の重症患者優先原則を打ち出して、臓器をめぐる連邦と州の対立が表面化し、キャナル君のケースが臓器分配方法をめぐる全米の是非論争の中で注目を集めてきた。(ボールド引用者)
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新鮮な若い臓器目的で子供が文字通り誘拐されそのまま行方不明(生死不明遺体も不明)となる事件が必ず頻発するであろう。欧米では確立して久しい生きている者の人権思想が希薄極まりないアジアでは人身売買、売買春についで死者に奉仕する臓器売買が当然の如くまかり通るであろう。アメリカのクリントン政権とほとんど時を同じくして「クローン羊」の実験にいち早く反対を表明したカトリック教会に見合ったそれら死者と死霊崇拝、祖先崇拝に対抗できる文化組織力を何も持たないのが20世紀の東洋世界というものだからである。神社神道、真宗大谷派(教団の動き)とか創価学会(現代社会と宗教 脳死・臓器移植問題に対する見解〔97/4〕あまりにも通り一遍!)は「生きているものの」生命倫理について医学学会に時節を得た牽制発言すらする力を欠いているのではないのか。
死者、被害者、遺族の感情が何を差し置いても、生きている者の人権より第一に優先権を持つというのは、古代の死者崇拝、祖先崇拝宗教習俗の大きな特徴である。
(参考:生存している人間の人権が先ず第一に優先されなければならない近代においては、表現の自由が遺族被害者感情によって左右され侵害されるべきではない。でなければ靖国神社問題に批判的な言辞を使うことは英霊と遺族との逆鱗に触れるから不謹慎であり、自粛禁止されて当然という不敬罪の復活のような事態をどうして食い止められるのか。日本人が未だに得意とする、血縁地縁身内から出た死者に対しての弔問、慰霊、墓参、盆という古代宗教祖先崇拝の習俗に、靖国神社公式参拝は繋がっているのである。)
じゃぱゆきのような性的奴隷市場、麻薬市場についで、身の代金を要求しなくても生きている臓器自体が金になるマフィア=ヤクザシンジケート裏臓器市場が形成されるからである。たとえ日本国内では何とかなったとしても、フィリピンやタイ、マレーシアなど東南アジアにおける奴隷狩りならぬ法の届かない闇の海外まで手を伸ばした人さらい臓器狩り商人が暗躍するであろう。
実際、'97年7月31日には、フィリピンや中国での生体腎臓移植をあっせんしている大阪市淀川区の民間業者が、臓器売買に対する罰則規定を盛り込んだ臓器移植法の10月施行を前に「急募 日本人ドナー(臓器提供者)求む。報酬は500万円以上」という一種の駆け込み募集広告を出していることが判明した。
7月中旬、腎不全で人工透析を受けている東京都内の男性から「腎移植を受けたいが、ドナーは日本人でお願いしたい。報酬は十分用意する」という依頼により
業者が募集ビラをつくり、29日から同市内の電柱に張ったり、全国の上場企業約100社に郵送したところ、これまでに「ドナーになりたい」という電話が2件あったという。
'97年10月1日には、海外で売買されている腎臓移植に、東大医学部の現役講師が間接ながら関与、東京の医療機器販売会社が行っていたバングラデシュでのあっせん行為に協力して謝礼金を受け取っていた疑いが出てきた。同医学部の調査によれば、本人は患者の紹介などは行っていないとされるが、約230万円の金の受け取りは認めているという。
この医療機器販売会社の役員で実質的な経営者が'インドで生体肝移植を受けた94年頃、当時、都内の総合病院で腎臓内科の専門医として勤務していた東大講師が、この男性を担当していた関係で知り合った仲であるという。
このとき業者のあっせん事業に対し移植希望患者のカルテなどの英訳の手伝いや医学的な助言をしたもので、顧問弁護士の話では「二百三十万円は、あくまでも英訳料とアドバイスに対する謝礼。講師は患者を紹介する立場にはなく、紹介状も書いていない」としている。
しかし、それくらいの協力にしては230万の謝礼は多すぎるのではないか。
もちろん、今回の臓器移植法でも臓器売買を禁止、日本移植学会倫理指針でも臓器売買に関与している医療施設やあっせん業者などに患者を紹介することを禁止はしているが、とんでもない官僚医学のお膝元から、「一部の例外」が出て来たと言うわけだ。
この講師は、12月10日、東大から除籍処分を受けた。
医者にメス資料 生体売買腎、アジアで移植 日本人医師複数が関与&生体腎仲介業者 契約金1億、返済不能に
'97年12月15日には、移植ネットを利用して腎臓移植を受けたレシピエントがその臓器により白血病感染された疑いが濃厚であることが公表された。
この患者は、大阪府立病院でドナー手術前、HIV、B型肝炎、C型肝炎及び成人T細胞白血病(ATL)についての血液検査をうけた腎臓のすべてに「陰性」の判断が下された結果、日本臓器ネットワークのコンピュータネットで選ばれこの9月下旬移植を受けた二人のうちの大阪の一人であるという。(他方の兵庫の病院で移植が行われたレシピエントは、移植以前から白血病感染していた疑いがある)
この疑いが強まったのは、10月に行われた「PCR遺伝子検査」の結果を受けての事であり、既に本人にも通知済みであるというが、前記の血液検査レベルでは発見はかなり困難なものらしい。といって「、遺伝子検査には多額のコストと時間が掛り、今のところ一般に使用は出来ないものらしい。
国と厚生省がアメリカの警告=赤信号を無視することによって起った輸血感染によるHIV訴訟、脳外科手術における硬膜移植感染による、クロイツフェルヤコブ病訴訟より遥かに深刻な問題の露呈である。
ここのエイズ、クロイツフェル・ヤコブ病、薬害オンブズパーソンについて取り上げた構造薬害 を参照。
日本エコロジーネットワーク代表・前衆議院議員
高見裕一AIDS関連、厚生省公開資料
安部英被告,松村明仁被告、ミドリ十字3代表取締役刑事裁判、基礎知識、最新情報等AIDS SCANDAL
移植に使用される臓器自体の安全性が、この程度の信頼度しか確保できないのなら、臓器移植の継続普及によりそこから防ぎがたく発生してくる、臓器移植医療過誤感染症責任、犯罪は、HIV、ヤコブ病訴訟等足元にも及ばぬ複雑な大問題に発展するからである。一体、移植手術によって広げられたこの感染の責任を誰が取るのか?また、取れるのか?
「赤信号、皆で渡れば怖くない」という社会は、大量発生したレミングのように自殺、心中、安楽死、玉砕、自滅、自壊という形でカタストロフを迎えざるを得ないのである。
他人の迷惑になることだけはしてはいけません、という日本の母親が子供に対して提起できる唯一の倫理規定は、自己の利益欠損への禁止条項を決定的に欠落している点で、重大である。それは少なくとも、自分の身内のことならば何をやろうが自分の勝手だ、とする自由と履き違えたヤクザと同じ放縦論理をもたらす。
カタギの皆様の迷惑になることだけはするんじゃねぇ、とヤクザの親分も子分共に言うからである。
自殺心中玉砕も、母子近親相姦援助交際売買春も、臓器売買も、身内仲間どうしの腐敗談合自己壊滅も、裏で秘密裏に平穏無事に行われ表面上すべて外にいる他人には迷惑をかけてはいない以上は、巫女女将オカミ=太母が君臨教育シツケする母性社会日本では強制的に禁止することができないのである。
これで確認された白血病は、発病率2%余りと低く、感染後、発病までに40〜50年はかかると見られているため、成人になってからの危険はそれほど無いともいう。しかし、移植されることを希望したドナー側はもちろん移植された側としても、大きなショックであることに変わりない。
この根底には生命のかかった病気についてすら死ぬ間際まで医師が患者に真実を出来るだけ知らせないでおくのが人間的で良いとする、日本の反インフォームド・コンセント偽りの信頼関係を自ら選択する「知らぬが仏」、「民は由(依)らしむべし、知らしむべからず」(論語8・9)の強力なぽっくり寺安楽死=自殺心中肯定文化伝統がある。「誰かうまい嘘のつける相手さがす」のは被害を受ける側の方だからである
「知らぬが仏」「秘すれば花」という文化伝統があるところでは成仏安楽死「ぽっくり寺」のための情報操作統制が正当化される。
[毎日新聞'98年6月25日]
<薬害エイズ事件>研究班会議テープの全内容公開を−−支える会
薬害エイズ事件の公判で、検察側が厚生省エイズ研究班の第1回会議(1983年6月)のやり取りを録音したテープの存在を明らかにした問題で、「HIV訴訟を支える会」(牧野忠康代表)は25日、同省にテープの全内容を公開するよう要請した。
テープの存在は17日、元厚生省生物製剤課長・松村明仁被告の東京地裁公判で明らかにされ、班長の前帝京大副学長の安部英被告が「(非加熱製剤投与は)毎日(患者に)毒を入れているようなもの」と発言していることなどが分かった。
支える会は、検察が厚生省から押収した物品目録に「テープ1箱」との記述もあることから、まだほかにも多くのテープが残されている可能性があるとして、速やかにすべてを公開するとともに、同省の内部調査でテープが発見できなかったことの原因究明を求めた。
要請に加わった薬害エイズ被害者の川田龍平さんは「厚生省は第1回の研究会当時、非加熱製剤に対する危機感はあまりなかったとこれまで説明してきた。しかしウソだったことがはっきりした。隠されてきたテープの全面公開は当時の厚生省の対応を知り、責任追及をする上で欠かせない」と話している。(ボールド引用者)
***
真実の重さと罪の深さに耐え切れる精神の成熟こそが大人には求められるのである。それに耐え切れない未成年には、常に気休めと幻想が与えられる。
インフォームドコンセントどころの話ではない。死に至る病に対してのみならず、国家、組織の存否にかかわる危機的状況においても、実情と真実を何も知らずに騙されたまま偽りを信じて死んでいった方が「身のため」幸せとされるのである。
「知らない方が幸せ」「悲惨で醜悪な現実=真実を知るくらいなら、いっそウソ、美しいウソの方がいい、真実よりも美しい虚偽を選ぶ」痴人の幸せ、「真実を知ったもの、知りすぎた者には死んでもらう」これが日本における、一億総白痴化反知性主義、情報統制、隠蔽、虚偽報告の正当化の伝統とし現在も生きている。
「かわいそうだが死んでもらう」「早く楽にしてやるから迷わず成仏しな」「往生際が悪いぜ」というのは安楽死の殺人者の口にする常套句(殺し文句)である。
このような日本における「安楽死」合理化の無自覚、無批判の伝統の上に、臓器移植法が施行され接ぎ木された場合、どのような惨状が展開するか想像に絶するものがある。
下に引用する臓器移植反対に対し反論しているサイトでは、これらの事実を認めてもなお
「ごく一部で例外的に発生している問題を一般化し、それゆえに臓器移植は行うべきではないという議論は、妥当とはいえないだろう。」
程度で済ませるつもりなのか?
ごく一部の事例にすぎない731部隊生体実験でも「防止するため真剣な努力」どころか現在に至るまで日本の官民業癒着の医学者がまるで反省さえしていないからこそ、HIV薬害事件が起きるべくして起きたのではないか。
98/7/14asahi.com薬害防止で提言、「医薬品の質は製薬企業の全責任に」
薬害エイズ事件をきっかけに、薬害防止の方策について検討してきた「薬害等再発防止システムに関する研究会」(座長・黒田勲前早大教授)が14日、医薬品の質については製薬企業が全責任を負う仕組みにするよう求める報告書をまとめ、小泉純一郎厚相に提出した。厚生省が医薬品を承認する現行制度では、薬害が発生しても、責任があいまいになってしまうと指摘。審査主体を厚生省から民間審査機関へ移し、医薬品の開発から販売までの一貫した責任体制は製薬企業がとるべきだとした。
研究会は厚相が政府系のシンクタンク「総合研究開発機構(NIRA)」に薬害の再発防止策について調査・研究を依頼、1996年7月に発足した。厚生省とは独立した立場でまとめた。研究会では「5年から10年先を見越した提言」としている。 (ボールド引用者)
「欧米では公的なネットワークを介さずに移植を行うことは不可能」のはずの「闇で実行できることではない」これらの生体解剖は、日本という国家の闇にいた公的官僚医学者の手で組織的合法的に行われていたのである。そして現在に至るまで彼ら関係者は事実を認めようともせず、責任も取っていない。
より詳しくは追加ファイル#1「日本の医学者に闇の臓器売買ネット拡大が「阻止できるか」を見て戴きたい。
| ミドリ十字と731部隊生体解剖
薬害エイズと日本の医学者
七三一部隊の陰を引きずったミドリ十字
隠された医学史ミドリ十字の前身「日本ブラッドバンク」を1950年に設立したのは、731部隊長石井四郎を主幹とする「陸軍軍医学校 防疫研究室」主任 であり「731部隊の総参謀役」とも言われる内藤良一であった。彼が、敗戦時実験データと引き換えにGHQとの731部隊生体実験免責交渉に当たったのではないか。 自由の森学園 N G O のミドリ十字にも触れる「731部隊」の跡地を訪れて 薬害エイズリンク
こうした戦争医学犯罪を免責、黙認、責任者を社会のトップに付けてここまで来た日本の医療腐敗の実体が薬害エイズ及び、旧「陸軍軍医学校
防疫研究室」跡地に建てようとした厚生省予防衛生研究所工事現場から1989年に掘り出された物言わぬ多量の人骨(35体;20年以上前)となって現れたのである。常石敬一「消えた細菌戦部隊」ちくま文庫「文庫本のための長いあとがき」参照。 こうしたことに何の反省も持ち得ない日本の医療界に臓器移植が法的に解禁されたのである。 しかもこのミドリ十字が97/02/03 株式会社ミドリ十字の遺伝子治療用医薬品確認申請して許可されていたのである。 |
そしてまた、臓器移植認可に伴なって発生する社会文化全般に渡る危機的問題を、売血問題と同レベルで捕らえようとする議論には賛同できない。輸血を許可しただけでもHIV事件を防ぐことはできなかったではないか。(輸血の可否についての論点は少し先で述べている)現に日本赤十字社で起っている次のような犯罪的事件を「考えられない人為ミス」で済ませられるのか?
[毎日新聞'98年7月22日] <献血血液>日赤、C型肝炎感染血液を見過ごす 製薬会社が指摘
献血血液のウイルス検査で、日本赤十字社が採血した血液がC型肝炎に感染していることを見過ごし、輸血用や血液製剤の原料として医療機関や製薬会社に売却していたことが22日明らかになった。製薬会社側の検査で感染が判明し、製品が出回るのは未然に防げた。日赤は「検査における単純な人為ミス」と釈明しているが、昨年11月にもB型肝炎の感染を見過ごし、血液製剤の回収騒ぎがあったばかり。検査体制の根本的な見直しを迫られそうだ。
問題の血液は5月18日、岐阜県の日赤血液センターで1人が献血した200ミリリットル。全自動の分析装置による1次検査でC型肝炎の感染は陽性の反応が出たが、試薬との反応をみる2次検査では陰性だったため感染はないと判断。輸血用として医療機関に販売するなどした。ところが、製薬会社は受け入れ検査で「陽性」の反応が出たため血液製剤の製造を中止。また、販売された輸血用血液は、有効期限切れのため廃棄されていた。
日赤では、製薬会社からの連絡を受け内部調査。その結果、血液と試薬を混ぜて色の変化から感染の有無を確認する手作業の2次検査で、血液検体を入れたつもりが、実は入れていなかったことが分かった。
日赤血液事業部は22日の会見で「検体を注入したように勘違いして感染を見過ごすケースは初めてで、考えられない人為ミス」と釈明。(1)プレート内に確実に検体が注入されたか、別の試薬を使った着色で確認する(2)1次検査で陽性、2次検査で陰性となってもすぐに出荷せず、再度1次、2次検査を繰り返す――などの再発防止策を発表した。
日赤による献血血液の検査をめぐっては昨年11月、検査結果のコンピューターへの入力ミスでB型肝炎の感染を見過ごしていたことが発覚。日赤は自らが製造・販売した血液製剤約3万本を回収した。(ボールド引用者)
Transplant
Communication No.4 Nov.29 1994 (1994年11月29日発行号より)
臓器移植批判に反論する
臓器移植は犯罪に結びつくか
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「多くの開発途上国で移植用臓器の売買が行われ、欧米などでも臓器を得るための誘拐や殺人が多発していることは隠れもない事実である。臓器移植は人間性にもとる行為を引き起こしている。」
インドなどアジアの一部の国で、生体腎移植のための腎臓の売買が行われているのは事実である。これらの国では極度の貧困の問題が存在し、貧困がもたらす非人道的行為は臓器売買に限らない。このような問題の解決は容易ではないが、国際移植学会の倫理委員会は看過できない問題として、臓器売買を禁止する声明を発表した。欧米では臓器売買は法律で禁止されており、日本でも臓器移植法案で明確に臓器売買の禁止を定め、罰則規定を設けることになっている。
臓器を得るための誘拐や殺人が多発しているという指摘については、根拠がなく事実として確認されてはいない。このようなことが存在しないことを証明する方法もないが、実際上あり得ないことである。すなわち欧米では公的なネットワークを介さずに移植を行うことは不可能であり、仮に非合法に臓器摘出を試みようとしても、熟達した専門家が設備の整った施設で実施しない限り、臓器の摘出、保存、運搬は完全な状態では行えず、移植には用いることができない。すなわちこれらは闇で実行できることではない。
以上のように実際に存在する問題点については、防止するため真剣な努力がなされている。しかし、ごく一部で例外的に発生している問題を一般化し、それゆえに臓器移植は行うべきではないという議論は、妥当とはいえないだろう。それは、売血行為の可能性があるからといって輸血を全面的に禁じるようなものである。必要な医療であればそれを認めた上で、その悪用を防止するシステムを整備すべきだろう。
§3 そもそも「死の定義」の変更が科学、医学オンリーに任せておける問題では有り得ぬことは言うまでもなかろう。法の問題に限ってみても、人の「死の定義」を変更するということは、殺人を含めた罪の定義、基本的人権の意味を変更するものであることを、必然的に含むのである。ありふれた言葉の意味を変えると言うのは、「戦力なき軍隊」という矛盾を犯してここまで来たのと同様、憲法をはじめ法の条項文全体を変えるよりある意味では、いっそう激しい本質的な変化をもたらすものであることにもっと注意しなければならない。そして日本が法治国家であることを認める限りにおいて、このような変更は、一旦成立してしまえば、憲法改正より大きな拘束力を以って宗教や文化に関係なくすべての国民に及ぶものである事をここに警告する。
仮に「脳死」が人の死であるとすれば、本人の許可さえあれば未だ生きている人から、身体を切開して、通常考えられている臓器は勿論のこと彼の脳までを摘出することは殺人罪には――少なくとも脳が生きているその時点では、そして何らかの新しい技術で脳だけを活かせ続けられる限りにおいて――ならないということになるのである。ベニスの商人というより真の意味においての「死の商人」に自分の臓器を担保にして金を借りることは合法的になり、極普通に行われることになる。もし本人の許可がなく行われれば、臓器窃盗傷害致死罪に問われる可能性が生ずる。
これは別の脳死した死体に、その生きている脳を移植するサイボーグ一歩手前の医療に可能性を開くものであるが、――勿論、話題となっている自分のクローン人間をこの脳移植のために身体だけ育成しておき、いざという時に脳死させてその代わり自分の脳を移植する或いは、脳の記憶をクローン側にコンピュータ並みにインストールして生き延びるという影武者計画も十分考えられる――こうした「死の定義」の変更に伴ない起こりうる事態について、法的な犯罪の定義変更についてはもとより、自我(私)とは何か、自己同一性はどこ(ま)で保たれるのか、精神(意識、心)と物質(身体)との関係、心身問題等、哲学の根本問題にもデカルト以来の書き換えを迫る大議論および社会的影響のシュミレーションが展開されなければならないというのに、社会的認知が為されることはおろか、議論の対象にすら上っていない。
極端な話、身体だけを故意に傷つけ或いは麻痺させ、ぎりぎり脳だけは生かしておくレーザー銃、神経麻酔薬、脳の記憶、意識を入れ替える脳神経科学などの方法が見つかりさえすれば法的には傷害罪だけで終わってしまい殺人罪に問われなくても済むのである。これが医療用救命にだけ限られ、犯罪の手段として悪用されないという保証はどこにもない。
これは結局「死」を全体的にではなく、すべての面において部分的に限られた面だけから捕らえた結果であると言えよう。社会の問題としてではなく、移植専門医療関係者及び患者だけの問題として;生きている人間のすべてに関わる問題としてではなく、単なる物質、身体だけの問題として;心臓も手足も血管も骨も無視した脳だけの問題として。コンピュータにまで押し寄せてきたコンポーネント対象化部品OLE技術的思考が、いよいよ生命と人間に対しても適用されようとしているのが、20世紀末の現実である。「コピー」「切り取り」「貼り付け」「(上書き)保存」が記号、言語、情報に対するのと同様に人体とDNA遺伝子情報にも行われていいのか。
生命をその様に無生物と全く見境のない部分的部品対象化思考だけで捕らえられるか否かについては、免疫の問題一つはっきりわかっていない現在極めて微妙かつ異論反論が多く、未だまとまった結論が出ているところではないのだ。
特に「死」は――いわゆる「死後」も伸びる爪や毛髪をも含め――身体全体が死んでこそ真の「死」であって、脳だけの死を以ってすべての「死」と認めるのは単に、他の「生きている臓器」を一刻も早く取り出したい移植手術者のエゴにすぎないとする社会的抵抗にはそれなりの根拠があると言える。医療や臓器移植を待つ患者の事情とは独立に「死」の問題や定義について考えられなければならないというのに、いわゆる脳死に極めて近い「植物人間」に対し、現 医療技術によっては最早延命するだけで意識が回復する可能性(脳幹部以外の蘇生可能性)のなくなった時点で、治療延命行為を取りやめ「死」と認めようというのも移植を急ぐ医学者と患者サイドから提出された一方的な論理である。意識が回復する可能性とは独立に、身体全体の死を以って人間の「死」と認めてきた社会的文化的――特に葬儀の伝統までを無視することは、思い上がった移植医学者と独走した医療の越権行為である。彼等を増長させているのが本来指導提言するべき立場にいる日本宗教界、哲学人文学会の無為無能無発言である。
去年から一度法案が期限切れで廃案になったときから、日本の移植学会がたとえ法が無くても学会の責任で移植が出来るよう実行を準備しておくとして国会を差し置き独自に動き出したことなどは、法治国家においてあるまじき行為である。
§4 さらに臓器移植は、近代的法の根本原理ともいうべき人権思想にも抵触する可能性がある。人間はいかなる理由があれ、たとえ如何に本人が望んだとしても自らを、その精神は勿論身体までを奴隷として譲渡贈与売買の対象にしてはならないというのがその理想的思想原理なのであるから、ベニスの商人のように血の一滴、体液(卵子、精液を含む――その意味で昔から宗教者聖職者は独身であり続け生殖を拒否してきたと考えられる)の一滴、臓器の一つ、皮膚毛髪爪細胞のひとかけらを他者に意図的に譲渡贈与販売し、或いはされることは、近代法思想に忠実である限り完全に禁止されなければならないことになろう。
つまり自己の身体、精神、生命は一人にひとつずつ与えられた、唯一無二にして、独自性を持つ交換不能な存在であることが、他者に譲渡できないとする基本的人権の概念中に含意されているのである。近代法治国家および国際社会における奴隷身分、強制労働、買売春性的奴隷、人身売買――日本国家とその国民は、つい先頃まで朝鮮人差別、強制連行、強制労働と従軍慰安婦、赤線公娼制とでこれらをすべて黙認しかつ行ってきた、じゃぱゆきなどは現在でも行われている――はすべてこの同じ原理から禁止されるべきであることが導かれるのであるから、本人の意志がある場合でも臓器摘出譲渡売買は同様に禁止されなければならないと言える。臓器売買は、買売春、人身売買に優る重罪だからである。
また、遺伝子操作治療、クローン複製技術についても完全なコピーすることには意味がない、無性生殖が生物種の保護上非常に危険であるという反対理由にも増して、より本質的に、生命情報の改変、複製、譲渡、売買は、著作権の侵害を禁止する人権思想、及びその上に成立つ法治社会の人権主体の前提そのものを完全に破壊する行為として、本人の意志がある場合でもこれを法律で無条件に禁止するべきである事が、この思想から導かれるのである。
また、ここで明確に確認しておくべきことは、これら人造コピーで喩え、オリジナルの自然と同じ機能が果され代用が可能になろうとも、その結果オリジナル自体の内部全体構造までもがそのコピーと等質であるはずだ、オリジナルの秘密は解明されたとする推論は還元主義が陥りやすい外挿的誤謬であり、コピーをする側に自己満足を与える明らかな自己欺瞞であるということだ。機能の還元は、構造の全体的還元、ましてや生命30億年という履歴の還元にはならない。(偶像崇拝、ピュグマリオニズムの禁止。イザヤ44.9〜;40.18〜;46.5〜)
著作権の保護は、あくまでもオリジナルに対して保障されるのである。
いわゆる丸写しのような単純なコピーが禁じられる著作対象物でも一般に許容されている継ぎ接ぎの良いとこ取り複雑なコピーのような情報改変、操作においても、著作物、製作物のような対象と、それに著作権あるいは知的所有権を与える人間のような著作主体とは区別して考えならないのだから、著作主体つまり、人体、精神、脳、臓器、遺伝子に対してまではそのような複雑なコピーによる情報改変は許容され得ない、としても整合性は保たれる。
もし、その許容が行われたとすれば、互いに自分だけに唯一人権主体があるものと認め、それ以外の他者の身体や生命存在を複雑なコピー、良い物をより集めた、知識の有機的な結合を得るための単なる手段対象=つまり素材物質、ロボット、人体実験の家畜、モルモット、ペットとしてしか見ない、非対照的に歪んだ独我論的人間関係を生み出すのである。
この思想の短絡実行は、ゲルマン(アーリア)民族至上主義によるナチスのユダヤ人撲滅断種、ハルマゲドンで生き残る信者以外を人とは見なさず却って「殺すことで魂を解放し、救済することになる」とサリンを撒いたオウムのタントラ・ヴァジラヤーナによるポア実験や神戸事件の容疑者少年の「人間の壊れやすさを確かめるための聖なる実験」のように万人に認められる人権と生命存在の平等性を根底から破壊する。
***
五月十三日の同級生への暴行で少年は「人の命はアリやゴキブリと同じじゃないか。しかし僕の命は大事」と反論、異常な発想に驚いた。報道で知った通り魔事件は少年の仕業だろうと感じた。(担当中学校教師の証言)
低い自己価値感情と乏しい共感能力の合理化・知性化としての『他我の否定』すなわち虚無的独我論も本件非行の遂行を容易にする一因子を構成している。
・・・・・・・・
少年は、自分は他人と違い、異常であると落ち込み、生まれてこなければ良かった、自分の人生は無価値だと思ったが、この世は、弱肉強食の世界であり、自分が強者なら弱者を殺し、支配することができる、などという自己の殺人衝動を正当化する独善的理屈を作りあげていった。
(神戸家裁処分決定要旨;ボールド引用者)
消費者は王様とは、赤ん坊陛下にすべてが支配的に依存されるということである。
つまり、すべての社会資本と労働者、科学技術は、最終的に欲望だけ肥大させて育った全能感を持つ無能力=無責任者乳幼児=赤ん坊陛下に仕える結果になるのである。大人は、幼児の欲望を叶えるための従僕的存在と化すのである。(支配的依存)
これは、神学的には被造物にすぎない人間がついに遺伝子生命操作において
「神を演じる」ことになる、とか「神の如くに振る舞う傲慢」の段階に突入した等といわれてきた問題である。
もちろん、これらの源は、ホイジンガも指摘し、ニーチェにも及んだ、人間と世界を洞窟の外にいる神の神聖な玩具と見るプラトンの遊戯思想によるものだが、現代では、洞窟内の巷に迷う群集は、突出した一部の諧謔的犯罪者によって弄ばれる実験対象モルモット(品種改良されるべき家畜、ニーチェのいうさ迷える畜群、支配者に飼育される可愛いペット、ポアの対象)に成り下がっている。
神の殺害された社会においては、人間が、狂気に追い込まれたニーチェの「超人」のように自我肥大したヒトラーナチス的独裁者=天地創造する全能の神となる他ないからである。
ここでは、人間と世界は、幼児的欲望を持った独裁的支配者の玩具的ジオラマとなるのだ。麻原彰晃は、自分の子分として命令通り動く「ロボット」=リモコンの玩具が欲しかっただけ、とも言われている。
例えば、映画のエイリアンでもそうだが、‘Quake’に代表されるDoom系と言われる3D PCバトルゲームは、周りがすべて敵=化物という閉塞密室状況〔プラトンの洞窟〕を当然とし、ひたすら得体の知れない「奴ら」を、銃器やロケットランチャ、斧等の武器を使って、バラバラに身体が飛び散るまで殺害し最後まで進み切る冷酷無比なプレイヤーが、クールな勝利者となる設定である。
その極限ともいうべき現代ゲームにおいては自分以外の他者、部外者は、すべて殺してもいい「奴ら」「敵」「化物」としてしかここでは現れ得ないのである。
Artemis Sampler 神なき社会アノミーからカタストロフへ−頻発する少年ナイフ犯罪に寄せて
こうした科学主義に導かれた「独我論的世界観」は、自分だけに生命と人権主体を認め、それ以外の存在をすべて生命、人権主体なき実験対象、物質、玩具、機械、ロボット、家畜、ペット、奴隷としてしか見ない人形フェティシズム、ピュグマリオニズム、イドラトリ、偶像崇拝に他ならない。
また、ここで明確に確認しておくべきことは、これら人造コピーで喩え、オリジナルの自然と同じ機能が果され代用が可能になろうとも、その結果オリジナル自体の内部全体構造までもがそのコピーと等質であるはずだ、オリジナルの秘密は解明されたとする推論は還元主義が陥りやすい外挿的誤謬であり、コピーをする側に自己満足を与える明らかな自己欺瞞であるということだ。機能の還元は、構造の全体的還元にはならない。(偶像崇拝、ピュグマリオニズムの禁止。イザヤ44.9〜;40.18〜;46.5〜)
つまり、いわゆる物的製作物ばかりでなく、無形なオリジナルな知識情報にすら作者の著作権、知的所有権を先験的に万人に認め、これを保証、保護しその改変譲渡売買の禁止を確立していこうとする近代思想は、究極的に、、その主体である生命におけるDNA遺伝子情報の保護、改変譲渡売買を禁止することを必要条件として始めて成立するということである。主体を保護しなければ、その主体による製作対象の保護は不可能だからである。
そして、後者について認められる複雑なコピーと著作権の放棄は、人権の平等性を破壊するものとして、それより高次な存在である前者の人権主体に対しては認められない。
自己の身体、精神、生命は一人にひとつずつ与えられた、唯一無二にして、独自性を持つ交換侵害不能な存在であることが、喩え本人が望んでも、他者に譲渡売買、(自傷、自害、自殺、人権放棄のような形で)侵害することができないとする基本的人権の概念中に含意されているのである。(自殺の禁止はここから導かれる。)
その人固有のオリジナルにしてプライベートな個人情報として、DNA遺伝子情報を、本人の意志がある場合でも交換、改変、譲渡売買、複製の絶対禁止の保護主体と認めずして一体どこの何を保護するのか、といえる。
これについては、
立岩真也(社会学)と玉井真理子(心理学・生命倫理学)と長瀬修(障害学)による
特にそのうちの坂本 百大 19960415 「遺伝医学と環境倫理──アジア的生命倫理の可能性」からの引用
「……なんといっても大きいのは,先ほど述べた「遺伝的形質の不可侵性は基本的人権である」という問題である。「病気の場合は遺伝子を治療していい」という意味のことが付加されているとしても,根本的な思想は「遺伝的形質に手をつけるな」ということである。遺伝子治療は明らかにそれに反する行為で,この考え方によると遺伝子治療それ自体が,基本的人権の侵害になるわけである。遺伝病を治すことができるようになったのは,最大の福音と考えられるが,実はその最大の福音と考えられていることが,ある観点からすれば最大の人権侵害であるというのは,いままでなかった観点だろうと思う。(ボールド引用者)
を参照。
百歩譲って本人の意志をその通り認めることにしても、脳死になった時点での本人の意志というものは、脳死の定義上確認不可能になるという事実を考慮しなければならない。書面に署名した時には望んでも、いざその現実の場面においては各種の事情により、もし意識があったならば本人が望まないということがあるかもしれないであろう。あくまでも、これが本人の意志であると認めるのは、側に付き添う家族や医師の判断でしかないのである。ここに本人の意志とは反した医療犯罪の入り込むわずかな隙間があるというべきである。
いかに本人の意志があろうとも問われ続けなければならない売買春同様な、自己を欠損し傷つける罪(自殺はその最たるものとして法的に禁止されるべきである)が在るのだということをいちいち指摘しなければ理解できないのは、悲しむべき文化であろう。というより、そのような文化は「悪」そのものの培養器となるのだ。自己の真の利益(国益)を識別し守り切ることができずに、やればやるほど却って自己を損傷破壊させついには死へと導いてしまう者、それが「悪」そのものの姿だからである。
他人の迷惑になることだけはしてはいけません、という日本の母親が子供に対して提起できる唯一の倫理規定は、自己の利益欠損への禁止条項を決定的に欠落している点で、重大である。それは少なくとも、自分の身内のことならば何をやろうが自分の勝手だ、とする自由と履き違えたヤクザと同じ放縦論理をもたらす。
カタギの皆様の迷惑になることだけはするんじゃねぇ、とヤクザの親分も子分共に言うからである。
自殺心中玉砕も、母子近親相姦援助交際売買春も、臓器売買も、身内仲間どうしの腐敗談合自己壊滅も、裏で秘密裏に平穏無事に行われ表面上すべて外にいる他人には迷惑をかけてはいない以上は、巫女女将オカミ=太母が君臨教育シツケする母性社会日本では強制的に禁止することができないのである。
例えば日本の戦後創設された「自衛隊」は一体、何からなら、何を守ることができるのか。北朝鮮からの核攻撃から国土を守れないことはもとより、直下型地震、タンカー重油流出、原発からの放射能漏れ災害、オウムサリン事件、国際テロ事件どれを取っても国民生活を自衛するのになすすべはないではないか。自己の利益を勘案出来ない者は、自滅と自殺(自決)、組織解体、自己崩壊に追い込まれる他ないのである。
これは日本人のおなじみになっている、誇大自己と裏腹の、自虐的傾向にも繋がっている問題である。
真実を隠し抑圧することによっては、自虐的性格は直すことは出来ない。逆に隠す、否認するという虚偽意識(自己自身を騙す詐欺行為)によってその上に自虐的=誇大的に反転する不安定な双価性自我が形成されているからである。自らの真実を直視することによってしかそのような自我を自虐性誇大の絶えざるウロボロス泥沼から救い出すことはできない。真実の重さに耐え切れる自我こそが自虐的でも誇大的でもない、歴史的現実を含む現実に目覚めた安定した性格を創り出すのだ。(MD1997 1/21)
§5 この原理は歴史的に見て、人権思想が、諸々の権利は神によって平等にすべての人間に与えられたとするキリスト教に由来することから来ている。
アメリカ独立宣言 2項 (1776年)
我々は、自明の真理として、すべての人は平等につくられ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由、および幸福の追求の含まれることを信ずる。
フランス山嶽党憲法における権利宣言 (1793年)
第18条
すべての者は、その奉仕、その時間の拘束を契約することができる、しかしながら自己を売却し、または売却されることはできない。その一身は、譲渡し得る所有物ではない。法は、奴婢の状態を認めない。…
第25条
主権は、人民に存する。それは単一かつ不可分であり、消滅することがなく、かつ譲渡することができない。
ジロンド憲法草案における権利宣言 (1793年)
第20条
すべての人は、その奉仕、その時間の拘束を契約することができる。しかしながら自己を売却することはできない。その一身は、譲渡し得る所有物ではない。
遺伝子構造が同じでもその後の生活環境により遺伝子自身も影響を受け変化し、いわゆる危惧されるような自己同一性を脅かすコピー人間にはならないといわれるクローン人間についてはどうなのか。全く別の身体、人格になるのなら生殖で良いのでありクローンを造った意味は、純粋に学術的価値を除いて一般にはほとんど有り得ない。あるとすれば、双子のように免疫抵抗の少ない臓器提供者としてである(同種同系移植)。法的には交換譲渡できない臓器をクローン人間から窃盗――「コピー」「切り取り」「貼り付け」――する事になるのではないか。
また、遺伝子操作治療、クローン複製技術についても完全なコピーすることには意味がない、無性生殖が生物種の保護上非常に危険であるという反対理由にも増して、より本質的に、生命情報の改変、複製、譲渡、売買は、著作権の侵害を禁止する人権思想、及びその上に成立つ法治社会の人権主体の前提そのものを完全に破壊する行為として、本人の意志がある場合でもこれを法律で無条件に禁止するべきである事が、この人権法思想から導かれるのである。
自己を売却することはできない。その一身は、譲渡し得る所有物ではない。
というその売却譲渡禁止される「自己」の中に、彼のすべての体液、細胞、遺伝子及びその情報が含まれることは自明である。そして著作権が保護されるためには、その論理的前提として遺伝子情報が、本人を含めた改変流用行為から先ず第一に保護されなければならない。
一方、肉体と、精神(魂)との二元論に基づき、死後の肉体〔死体〕を魂の出ていった容器としての単なる物質扱いする思想は、プラトニズム、キリスト教世界はもとよりその他の宗教〔オウムのカルマ=ポア思想〕、シャーマニズム民間信仰でも広く信じられているように、死体からの臓器移植を合理化し盛んにする背景ともなっていることは事実である。
しかし、このような議論は、喩え信仰の自由を保障する宗教思想上では認められても、著作権と情報を欠くべからざる権利として認める法思想上ではその思想に基づく実行行為そのものは整合的には認められないといわなければならない。何故なら、「遺伝子情報」によって形成されることが今日明らかになっている「生命の肉体」は、「前者を精神、後者を物質」として従来通り二元論的に明確に分離、弁別することは最早不可能だからである。
例えば市販有料OS、アプリケーションなどがインストールされているPCを、その〔一人一台の〕使用許諾ライセンスを与えている著作権者の許可なくしてそのまま他者に譲渡、売買することは許されず、それらを一旦完全に削除アンインストールした物質のみの機械に戻してからでなくてはいけない、というようには、生命についてはその肉体から宿っていた精神を単純分離するという行為は実行できないのである。
この事情は遺伝子DNAという極小ディア自体についても全く同様に成立する。つまり、物質的媒体表現形態から、その記号が載っている保護すべき生命情報を分離抽出、弁別することは事実上不可能であり、少なくとも自己増殖しながら形態形成する生命情報の場という領域において二元論を主張することは無意味なのである。
従って、著作権を認める法が施行されている限り、遺伝子情報を保護することと、そのメディアとしての肉体の保護とを分離して論じることは不可能であり、こうして人権の保護は、肉体にも、遺伝子にも等しく及ばなくてはならない事が導かれる。
また、ここで明確に確認しておくべきことは、これら人造コピーで喩え、オリジナルの自然と同じ機能が果され代用が可能になろうとも、その結果オリジナル自体の内部全体構造までもがそのコピーと等質であるはずだ、オリジナルの秘密は解明されたとする推論は還元主義が陥りやすい外挿的誤謬であり、コピーをする側に自己満足を与える明らかな自己欺瞞であるということだ。機能の還元は、構造の全体的還元、ましてや生命30億年という履歴の還元にはならない。(偶像崇拝、ピュグマリオニズムの禁止。イザヤ44.9〜;40.18〜;46.5〜)
著作権の保護は、あくまでもオリジナルに対して保障されるのである。
'98年1月8日には、アメリカでR・シード博士が、この4月に施行される合衆国クローン禁止法に滑り混むような形で、ドリーと同じクローン人間の赤ん坊を、4組の夫婦から500人造る予定だと報じられた。
事象の地平線R・シード博士の人間クローン計画
作られたとして、実際には彼は人権の保証されるべき「人」なのか。それとも臓器提供者としてのみ活かされ、平等な人権の認められない21世紀における一種の奴隷身分なのだとすれば、第二の奴隷解放とクローン独立戦争とが不可避となってくるであろう。サイボーグになれば事態はさらに深刻である。 クローン人間の尊厳に焦点を当てた問題点については、
生命を考える
内 人間の尊厳とクローン人間
におけるクローン人間の孤独と屈辱に詳しい。
良く引き合いに出されることだが、死体からの臓器摘出、移植はもちろんのこと現行では許容されている医療のための「(売血)、献血、輸血」行為も人工血液等を開発し、本質的には禁止されなければ、法思想上の合理性は保たれないであろう。キリスト教の分派「エホバの証人」がこれらを拒否しているのはその意味で正当であり、法に抵触しているのは薬害エイズを引き起こした我々の方なのだ。
'98年2月9日、この輸血の可否について争われていた訴訟で患者の自己決定権を認める画期的判決が下された。
移植延命ができるからといって、すぐにそれが倫理的に許されていいということにはならないのだ。延命のために技術的には可能でも、「エホバの証人 輸血拒否事件」のように宗教的倫理自決的に許されないために、むしろ信者である患者がそれを自覚的に断念し、尊厳をもって静かに死を受け入れなければならない事態(自殺ではない、死の受容;尊厳死)がいくらでも起こりうることを覚悟しておかねばならないということだ。病院は死を受け入れる場ではないとする本来の宗教へ回帰する傾向が出てきたこと、宗派にも応じた葬儀方法とも繋がるホスピス医療の発展がこれに関係する。
98/2/9毎日新聞報道によれば
<エホバの証人>輸血是非で患者の自己決定権認める−−東京高裁
宗教団体「エホバの証人」の女性信者(昨年8月に68歳で死亡)が宗教的理由で輸血を拒否したのに勝手に輸血され、精神的苦痛を受けたとして遺族が東大医科学研究所付属病院の医師と国に計1200万円の損害賠償を求めた訴訟で東京高裁は9日、請求を棄却した1審を変更し、計55万円の支払いを命じた。稲葉威雄裁判長は「人の生きざまは自ら決定でき、尊厳死を選択する自由も認められるべきだ」と踏み込んだ判断を示し、「救命手段がない場合、輸血するという治療方針を女性に説明すべきだった」と述べた。治療法をめぐり患者の自己決定権を明確に認めた判決は初めて。
判決によると、女性は1993年9月、肝臓の悪性腫瘍(しゅよう)を摘出する手術の前に輸血拒否の意思を示し、「損傷しても医師の責任を問わない」とする免責証書を病院側に渡したが、医師は無断で輸血した。
判決は、絶対に輸血しないという条件での手術例があり、死亡例があっても医師が刑事責任を問われたことがない▽日本医師会や大病院も輸血無しの手術を認める見解を示している▽法曹界でも患者の意思決定を尊重する見解が多数発表されている――などの現状を指摘。患者と病院側が輸血しないで手術することを合意した約束は、公序良俗に反せずに有効との見解を示した。
今回のケースは病院側が承諾しなかったとして女性側との約束の成立は認めなかったものの、病院側が説明義務に違反し、患者の自己決定権、信教上の良心を侵害したと認定した。
[毎日新聞2月9日] (黄色字 引用者)
共同通信Webニュース98/2/10から一部を引用すると、
稲葉裁判長は、女性の「絶対に輸血しないで」という要請を医師側は明確に承認しておらず、合意は成立していないと認定した上で「人が信念に基づき生命をかけても守るべき価値に従い行動することは、公共の福祉などに反しない限り違法ではない」として、特約があっても公序良俗に反しないと判断した。
また自己決定権について「交通事故による救急治療など特別な事情がある場合を除けば人生の在り方や、死に至るまでの生きざまを自ら決定でき、尊厳死を選択する自由も認められるべきだ」とした。
その上で、医師には患者が判断して同意するために必要な説明をする義務があると指摘。医師側は「ほかに救命手段がない場合には輸血する」という説明を怠り、手術を受けるかどうか選ぶ機会を与えなかったとして違法だと認めた。
***
エホバの証人信者への輸血医療をめぐるこれより過去の訴訟例については
医療過誤報道 1997年03月12日 毎日 (上述判決の一審記録)
エホバの証人
無駄輸血訴訟で信者の請求を棄却 東京地裁
訴えられる医者の側からの戸惑いは
信教上の輸血拒否〔独教大〕 〔但し、訴えられた場合に請求される損害賠償額を対応措置の判断材料としているのには唖然とさせられる!〕
生体から「献血、輸血」行為を許容しているのなら、必然的に、脳を含めた生体からの臓器移植を禁止するわけにはいかなくなると移植論者に矛盾を突かれるのはそのとおりなのである。
先にも触れたが、死刑の意味も変わらざるをえない。法による死刑だけは人を殺すことを罪とは認めず、殺すべきは身体ではなく脳だということになるのだから、絞首刑や電気椅子ではなく、直接脳に電極を差し電流を流して脳を殺さなければ死刑を執行したことにはならなくなるのではないか。
そういう死刑執行方法、そうして脳死させた死刑囚の身体(死体)から臓器を摘出し、或いはそれらを一般移植用に販売することが一体社会的に許されるのか。それ以外の一般的な事故事件における死体解剖検視はすでに警察庁が脳死時点においては認めていない。移植を急ぐ医者と、死体と認めない警察との間で、大変な混乱、矛盾が救急医療の現場にしわ寄せされるようにして引き起こされる事が予想される。
Transplant Communication 移植医療とはNo.3「脳死を考える」
法医学から見た脳死および救急医学からみた脳死
98/3/25asahi.com脳死臓器移植事件で検察が最終処理方針
脳死した人の臓器を移植用に摘出する際に心臓を停止させたなどとして、殺人容疑で医師らが刑事告発されている8つの事件について、検察当局は、臓器提供者本人が「脳死を死と認める」という意思を明示していたかどうかを「人の死」の認定基準の一つとして重視していく事件処理方針をまとめ、3月中の最終処分を目指して詰めの捜査に入った模様だ。本人同意など臓器移植法の要件が実質的に満たされれば脳死を人の死とし、それ以外は従来の三兆候説を基本に人の死を認定する。事実上、人の死について、新たな刑法解釈を打ち出したことになる。告発された医師ら20人以上は「嫌疑不十分」などを理由にいずれも不起訴になる見通しだ。
具体的には、本人が生前に臓器提供と脳死判定に応じる意思を明確に示していて臓器移植法の要件が実質的に備わっているケースでは、「脳死は人の死」を前提に「罪とならず」を理由に不起訴とする。一方、本人同意がないケースでは、脳死判定がなされていても、三兆候説が基本となるため、臓器摘出が殺人罪に該当する可能性がある。
(ボールド引用者)
§6 ごく一般の脳死判定に限っても移植相手の数、性急な需要と要望圧力に応じようとするあまり、延命すべく医師に委ねられた提供者の「死」を、心臓死のときよりも医師が治療をいわば見限ることによって「安楽死」の美名に隠れ早めてしまう極めて危険な事態がどこの病院でも起こって来るのである。つまり一人の受容患者(レシピエント)を移植によって救済しようとするあまり、病院が一人の提供者(ドナー)を殺してしまう二律背反の危険が出てくるのである。救済のために殺人しなければならない。善をなすために悪が必要とされる、これが許されるか。
asahi.com98/3/11「脳死と説明し、心停止を早めた」遺族が医師を告訴
沖縄県立那覇病院(那覇市)で一昨年12月、心臓停止後に腎臓を提供した那覇市の男性患者(当時62)の遺族が、「脳死に至っていないのに脳死であるかのように言い含め、人工呼吸器の換気量を減らして患者を死亡させた」として、11日、主治医ら3人を殺人容疑で那覇地検に告訴状を提出した。病院側は「移植は家族からの申し出で行ったもので、コーディネーターが手続きを踏んで進めた。何ら問題ない」と反論している。
告訴状を出したのは、患者の妻(57)ら遺族5人。相手は、当時の主治医や腎臓の摘出にあたった同県立中部病院の泌尿器科医ら3人。那覇地検は、正式に受理するかどうか検討する。
告訴状によると、患者は1996年12月12日、那覇市の自宅で倒れて搬送され、くも膜下出血と診断された。3日後の15日、主治医は患者の次女に「脳死で延命措置は無意味」などと説明し、次女は腎臓と角膜を提供するとの承諾書に署名した。16日、脳神経外科部長が患者は脳死だと家族に説明。人工呼吸器の換気量を減らした結果、患者は18日未明に心停止し、腎臓が摘出されたとしている。
***
COCKFIGHT の98/3/12記事沖縄の脳死訴訟は臓器移植ビジネス氾らんの危険性を示唆した
この根底には生命のかかった病気についてすら死ぬ間際まで医師が患者に真実を出来るだけ知らせないでおくのが人間的で良いとする、日本の反インフォームド・コンセント偽りの信頼関係を自ら選択する「知らぬが仏」、「民は由(依)らしむべし、知らしむべからず」(論語8・9)の強力なぽっくり寺安楽死=自殺心中肯定文化伝統がある。「誰かうまい嘘のつける相手さがす」のは被害を受ける側の方だからである
「知らぬが仏」「秘すれば花」という文化伝統があるところでは成仏安楽死「ぽっくり寺」のための情報操作統制が正当化される。
真実の重さと罪の深さに耐え切れる精神の成熟こそが大人には求められるのである。それに耐え切れない未成年には、常に気休めと幻想が与えられる。
インフォームドコンセントどころの話ではない。死に至る病に対してのみならず、国家、組織の存否にかかわる危機的状況においても、実情と真実を何も知らずに騙されたまま偽りを信じて死んでいった方が「身のため」幸せとされるのである。
「知らない方が幸せ」「悲惨で醜悪な現実=真実を知るくらいなら、いっそウソ、美しいウソの方がいい、真実よりも美しい虚偽を選ぶ」痴人の幸せ、「真実を知ったもの、知りすぎた者には死んでもらう」これが日本における、一億総白痴化反知性主義、情報統制、隠蔽、虚偽報告の正当化の伝統とし現在も生きている。
「かわいそうだが死んでもらう」「早く楽にしてやるから迷わず成仏しな」「往生際が悪いぜ」というのは安楽死の殺人者の口にする常套句(殺し文句)である。
このような日本における「安楽死」合理化の無自覚、無批判の伝統の上に、臓器移植法が施行され接ぎ木された場合、どのような惨状が展開するか想像に絶するものがある。
医学上の臓器移植の目的にとって、いわゆる完全な死体から摘出したのでは臓器そのものも死んでおり使い物にはならない、だからといって生体に限りなく近い患者から摘出したのでは社会から「生体解剖の罪」「殺人罪」に問われてしまう。十分に「死」と判定された時には移植はできず、移植をしようと思ったら「死」の判定を変更して、それまで「生」とされてきた部分を削らなければならない。これが許されるか。
[毎日新聞'98年3月30日]
<安楽死ドナー>心停止前の血液凝固阻止剤投与で論議 米国
【ワシントン29日瀬川至朗】生命維持装置を取り外した安楽死患者の心停止を待って臓器を摘出する「安楽死ドナー」について、米国の一部医療機関が、患者の心停止前に臓器保存を目的とする血液凝固阻止剤などの薬物を投与していることが、29日分かった。こうした薬物投与は患者の死期を早める積極的安楽死を招く恐れがあり、医療界に是非論議が起きている。脳死患者から心停止後の臓器摘出が行われている日本にも影響を与えそうだ。
専門家によると、昨年春、全米有数の医療機関であるクリーブランド・クリニック(オハイオ州)が、心停止前に血液凝固阻止剤(代表例・ヘパリン)と血管拡張剤(同・フェントラミン)の投与を明記した安楽死ドナーの臓器摘出手順書を作成したことが明るみに出て論議を巻き起こしたという。
二つの薬剤とも、臓器をより新鮮に保つ効果が期待できる。しかし、脳出血の患者などに投与すると出血傾向を増大させて死を早めると警告する医師が多い。
全米科学アカデミー・医学機構は、最近まとめた安楽死患者などを対象とした「心停止ドナー」についての報告書の中で、この問題を取り上げた。調査可能だった全米29の臓器調達機関のうち、心停止前に血液凝固阻止剤や血管拡張剤の投与を認めていた機関が約3分の1の9機関あった。一方で約半数の14機関は心停止前後ともに両剤の投与を認めていなかった。
医学機構は、特定の状況下の特定患者に対しては、二つの薬剤が積極的に死期を早める可能性があると警告。患者の病状から死期を早めないと判断できる場合は二つの薬剤を事前投与できるとし、「ケース・バイ・ケースの判断」を打ち出した。
しかし、移植医療の専門家の間でも、二つの薬剤の安全性を疑問視する声は強い。ピッツバーグ大医療センター集中治療部長のマイケル・デビータ博士は「血管拡張剤は患者の血圧を下げ、死を早める作用がある」と慎重論を展開。首都ワシントンの移植中核施設であるワシントン病院は「患者にいかなる害も与えないというのが医療の基本。死亡宣告が下されるまでこうした有害な薬剤は使用禁止にする全米統一基準を作るべきだ」と提言する。
日本臓器移植ネットワークの話によると、日本で心停止後にじん臓移植を行う場合、心臓停止を待って臓器保存液を注入しているという。 (ボールド引用者)
同 <安楽死ドナー>生存者の臓器摘出の危険−−全米調査
【ワシントン29日瀬川至朗】脳の機能が一部残っている患者の生命維持装置を取り外して安楽死させ、心臓の停止を待って臓器を摘出する臓器移植が米国で盛んになっている。脳死移植の提供者(ドナー)の不足を背景に登場した方法だが、全米科学アカデミー・医学機構の29日までの調査で、心臓死の判定基準が不十分な結果、生きている患者から臓器を取り出す危険があることが分かった。
脳死が人の死として定着している米国では、年間5000人前後の脳死者がドナーになっているが、近年、ドナー不足が深刻化している。その打開策として1990年代前半から安楽死患者を対象とした心停止ドナーによる移植を始めた。
重症の脳障害などで回復の見込みがなく、脳死とは判定できない患者の人工呼吸器を取り外し、心停止直後に肝臓、じん臓、肺などを摘出する。この方法による移植は年々増え、96年には84件に達した。
米厚生省は97年春、この方法の医学的、倫理的問題点について、医学機構に調査を依頼、医学機構は全米の心停止ドナーの現状を調べ、報告書をまとめた。
その結果、臓器摘出を担当する63の臓器調達機関の半数以上が、安楽死ドナーの心停止摘出の手順書を作成していた。そのうち入手出来た約30の手順書を分析したところ、「心停止後すぐ」の摘出を認めていたのは5〜10施設。「心停止2分後」は5〜10施設。残りの多くは状況により2〜4分後の摘出を認め、「心停止5分後」だったのは2、3施設しかなかった。また、多くの施設で、心停止の確認手段として、心電図や動脈圧測定を義務付けていなかった。
米国で心臓死は「血液循環及び呼吸機能の不可逆的停止」と定義されるが、心停止2分後では自己蘇生する可能性を否定できないうえ、心停止による血流停止がもたらす脳死を確定するには短すぎるという。
このため報告書は、安楽死ドナーの心臓死判定基準の指針として(1)心電計と動脈圧モニターによる心停止の確認(2)心停止状態の5分以上の継続――を提案している。
この問題に詳しい生命倫理学者は「心臓死の混乱がこのまま続くと米国民の医療不信を増大させる結果になる」と分析。国民に開かれた議論を行い、全米で心臓死の統一判定基準を作成する必要性を訴えている。
(ボールド引用者)
***
また自分が患者受容者の立場に立った時には、脳死に賛成して臓器を受け入れたその同じ人が、他者からの臓器提供を申し込まれ提供者の立場に立った時にはこれを断固として拒否するという自己矛盾を呈するのが、国民一般の態度なのではないか。
臓器移植を希望する者(レシピエント)は、自らの臓器も脳死した場合には他者に提供するドナー義務を負うという条件の下にのみ移植を受けることが許可される、逆に臓器を提供する意思を提示しない者は、いかなる場合においても延命のための臓器移植は許可されないというのが、最低限守られるべき黄金率であろう。
asahi.com98/7/2 脳死での臓器提供希望も状態悪く移植は断念
国立循環器病センター(大阪府吹田市)は1日、脳死での臓器提供の意思を記した意思表示カードを持っている入院患者の17歳の少年が脳死状態に陥ったが、感染症にかかっている可能性があるため、臓器は提供されなかったと発表した。昨年10月の臓器移植法施行後、臓器提供指定施設で、カードで臓器提供の意思を表示した患者が脳死状態になったのは初めて。
この患者は重い心臓病の拡張型心筋症の高校生で、自分自身が心臓移植を受けることを希望し、6月下旬に宇都宮市の病院から、飛行機で同センターに転院した。その後、病状が悪化したため、補助人工心臓をつけたが、28日に意識がなくなり、脳死状態になった。
カードを持っていることは家族からの申し出でわかった。少年は同センターに搬送される途中、カードが自宅にあることを伝え、家族が身内に頼んで取り寄せたという。日本臓器移植ネットワークのコーディネーターが確認したところ、脳死で肺、腎臓、すい臓、小腸の提供に同意していた。
家族によると「本人は、自分にはきっと間に合わないが次の人に役立てば」と話していたという。カードを記入したのは1月下旬で、その時は軽い運動程度はできたが、医師からは病状が悪化したら移植が必要になると聞かされていたという。(ボールド引用者)
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。これが律法であり、預言者である。マタイ7.12
フランス共和暦第三年の権利義務の宣言 義務の項 第2条
人および市民のすべての義務は、本質上すべての心の中に彫付けられているつぎの二の原理から派生する。――他人が自己になすことを欲しないことを他人になし給うな。自己が他人から受けたいと思う善をたえず他人になし給え。
臓器移植を志す医師はこの矛盾から逃れる事は出来ない。これをはっきりさせるために法と社会の側からではなく、移植学会側から「脳死」を人の死とする提案が出されたのである。いわゆる脳死を人の死と認めずに、提供者個人の意志により臓器移植を可能とする別法案(民主党 金田誠一案)の矛盾もここにある。少なくともこれは私には、自衛隊を軍隊と認めずに、戦力を保持することを可能とするという点で「戦力なき軍隊」というのと同じ様な大きな矛盾を感じざるを得ない。自分の意志で、「生きている」と認定される脳死状態の身体から臓器を摘出することは本人はそれで本望かも知れないが、摘出者と共に、第一に(いかに本人の意思があったとしても自己)傷害罪及びそれが直接の原因となってそのいずれ身体も死に至るのだから殺人罪(日本にはないが自殺罪も含む)に問われる可能性が出てくることになるからである。
「ベニスの商人」は最早機智や冗談でハッピーエンドに終わることはなくなってきたのだ。
一人歩きし始めた医師が「脳死」の立場を採る一方、たとえ法案だけが通過しても、社会文化意識の側が従来通りの「心臓死、身体死」の立場を堅持したままである場合、上記のような矛盾が混在する日本的ダブルスタンダードである二重構造により増幅された大混乱が至る所で頻発せざるをえなくなるのは、必至である。(1997/4/17)
1997年10月16日に臓器移植法が施行された。
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98/3/25asahi.com脳死臓器移植事件で検察が最終処理方針
脳死した人の臓器を移植用に摘出する際に心臓を停止させたなどとして、殺人容疑で医師らが刑事告発されている8つの事件について、検察当局は、臓器提供者本人が「脳死を死と認める」という意思を明示していたかどうかを「人の死」の認定基準の一つとして重視していく事件処理方針をまとめ、3月中の最終処分を目指して詰めの捜査に入った模様だ。本人同意など臓器移植法の要件が実質的に満たされれば脳死を人の死とし、それ以外は従来の三兆候説を基本に人の死を認定する。事実上、人の死について、新たな刑法解釈を打ち出したことになる。告発された医師ら20人以上は「嫌疑不十分」などを理由にいずれも不起訴になる見通しだ。
具体的には、本人が生前に臓器提供と脳死判定に応じる意思を明確に示していて臓器移植法の要件が実質的に備わっているケースでは、「脳死は人の死」を前提に「罪とならず」を理由に不起訴とする。一方、本人同意がないケースでは、脳死判定がなされていても、三兆候説が基本となるため、臓器摘出が殺人罪に該当する可能性がある。
(ボールド引用者)
[毎日新聞'98年3月31日]<臓器移植>脳死状態で摘出の医師ら一括不起訴−−6地検
脳死状態の人から臓器を摘出した医師らを市民グループなどが殺人容疑で告発していた8事件について、東京、大阪など6地検は31日午後、一括して不起訴処分とした。脳死が人の死か否かについては昨年10月施行された臓器移植法と同様に画一的に判断せず、法施行の前後にかかわらずに本人の同意があったうえで脳死の判定基準を実質的に満たした事例に限り「脳死は人の死」と判断した模様だ。
告発されているのは、1986年3月から93年10月にかけ、筑波大学や東京都立広尾病院、大阪府立千里救命救急センターなどで行われた脳死段階での臓器摘出手術や準備行為8件の担当医ら計23人。
***
この報道に、これで今まで尻込みしていた臓器移植の動きに弾みがつくと好意的な反応を見せているマスコミは、自分が医者に免罪符を渡し、臓器を生きたまま取られる可能性にも弾みがついた事態を無邪気に喜んでいるのだ。
必ず、件名の冒頭に「脳死」とお書きになり、誌上公開を前提にした仮名を指定して下さい。
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