No.20
等身大でいられるのなら 〜中華民国台湾
「中華民国」の国旗
.青天白日旗
等身大でいられるのなら
高校時代に世界史の授業で、妙な替え歌を習ったことがある。歴代の中華王朝を暗記するために、と“アルプス一万尺”のメロデイ に、「秦、前漢、新、後漢」とあてはめたものなのだが、最後のランララン……の部分には「中〜華民国、中〜華〜人民共和国、ハイ! 」
久々になんの気なしにそれを唱えなおして、はっとした。それでは中華民国は、過去のものとなってしまうではないか。受験時代はとりたてて疑問もなく歌っていたものの。
「でも、もう国連では認められていないから」
……後々になって、ようやく知った。認められていないのではなく、認めることがゆるされない。国連加盟はおろか、李登輝前総統の訪日に関してすら、無言の圧力があったのは、記憶に新しいことだろう。
実はこれらの話、なにもはるかかなたの国際舞台にとどまらない。中華民国外の小娘、私という身近なレベルにおいてすら、ささやかな葛藤が発生しているのだ。「台湾中華民国の現在進行形」と題した論文を発表しようと思いきや、編集部からは
「やはり中華民国の呼称は」
なんとか事情を御理解いただき、題名からその名を削る代わりに、密かに本文の中で使う形にゆるしてもらったのが。別の機会にもまた、その名を登場させたところ、さっそく幹部の間からクレームの声があがっている。もっとも掲載媒体が、左派のNGOの会報であったのだが。
もしかしたら旧世代の頭のなかでは、時が止まっているのかもしれない。自ら国連を脱退した(大陸幻想付きの)中華民国。開発独裁、売春ツアー先、良くてバナナ王国?。実際には民主化あり、政権交代あり、コンピューター王国あり、WTO加盟間近、国際社会への復帰を熱望というように、時代は変化しているのだが……。めでたく留学の許可がおりたとき、私のパスポートには学生ビザとして、スタンプが押された。「中華民国」。友との文通にも異国の葉書には中華絵画の切手にちゃんとその四文字が並んでいる。そこには何のイデオロギーもなかった。なのにどうして?
1972年を境に、日本人の頭のなかでは「中国」という言葉は、「中華民国」の略ではなく「中華人民共和国」におきかえられてしまった。中華の名は料理にとどまるのみとなった。まるで古い印象によって、その文字がタブーと化したかのように。彼らのやるせなさを思うと、なんだか気が遠くなってしまう。
もちろんその背後には、彼ら“自身”の内部での葛藤が影響しているのだが。いわゆる「省籍矛盾」(台湾か大陸中国か、出身地による派閥対立)。この世界であんがい中立の立場を保つのは難しい。目をそらすのは簡単だけれど。用語1つを取ってみても、台湾なのか中華民国なのか。
日本において[台湾]を強く強調するのは、1(亡命者など)台湾独立支持派や 2中華民国を様々な理由(開発独裁、旧交戦国等々)から認めがたい人々。逆に[中華民国]
とあえて提示すれば、良くも悪くも「中国」の概念にこだわりつづける、旧反共・現国共合作志向の国民党寄りに見られるだろうか。
……ちなみに私は上海に短期留学したこともある、単なるアジア好きである。亜洲(アジア) を筆名に冠する者として、政治的立場とは異なった位置から、純粋な疑問を抱いているのだ。
「なぜ、“中華民国/台湾”は……」
様々な立場が交錯しているものの、少なくとも、この地の発展を祈るうえで、誰も、異論はないように思う。かの大陸政府ですら、目と鼻の先の宝の島が繁栄するのは、必ずしも害と言いきれないはずだ。良好な経済ネットワークが保たれるかぎりにおいては。ただし両岸のどちらかが一歩を踏みはずした、その先の展開は、誰にもわからないけれど。
いざという選択を迫られたとき、あなたならば、どのようなスタンスを取りますか?
いや、そもそもそんな事態など起こることなく、「台湾」の用いる人は、あの島への郷愁から、また「中華民国」と言う者は、あの国の目線の尊重から……そんな自然なかたちが保たれれば、と思うのだ。
(01/03)
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16
「未来に向けるベクトルの源」
17
「マインド・コントロールとメディア・コントロール」
18
「護りのちから」
19
「プラスサムの追求」
バリエーションに富んだアジア。とてもひとことでは表しつくせないので、何冊も本を書き重ねています。
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