Vol.22今だからできること 〜私たち日本人の役割・その1
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| アクション映画 『クローサー』には台湾の舒淇、香港のカレン・モク、大陸中国の趙薇が豪華共演。日本ではソニーピクチャーズから配給された | 世界水準をアジア仕様に翻訳する
20世紀前半までの日本が「金ナシ・志アリ」であったとすれば、後半の日本は一転して「金アリ・志ナシ」−−と言えば先輩方に怒られるだろうか。
歴史に「IF」はないとしても、もしもアジア全土が現在のように欧米化されるかわりに、日本がアジア都市文化の基盤となっていたら……と思うことがある。(ただしインドネシアやベトナムが宗主国と闘ったように、時期が来ればいずれは独立がなされたのだろうが。日本は敗戦というかたちで勢力を引き揚げたことで、それ以上、同じアジアを敵に回すのを避けられたと言えよう。)
それはともかく、たんに米中のはざまに位置するという地の利だけでなく、前近代に中華を・また近代以後は欧米を、双方、吸収してきた身だからこそ、発揮できる能力というものがある。日本ほど異国の文化を尊重し、ときには模倣にとどまらず、消化吸収・次なるものを生み出せる国も珍しいのではないだろうか。(たとえば古くは文字そのもの・漢字がひらがなに変化したように。また現代ならばフォード式大量生産システムをTOYOTA式に効率化させたように。)「人まね小猿」とののしられていた欠点が、逆に能力となることもある。すでに「列強的な政・経・文システム」を「アジア仕様に翻訳、東〜東南アジア各地に適用する」という作業は、おこなってきた。つまり「(注:何を正当とするかは議論の余地があるものの)世界基準を、アジア向けに伝播させる」
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| 台湾のパール・ミルク・ティー。日本でブレイクしたことで、香港でも注目を受け、さらに華人ネットに乗って、マレーシアやシンガポールへ。 | アジアを世界に伝播する
もしもまだ、なすべきことがあるとすれば、逆に「アジアの要素を、世界基準の市場にまで伝達する」ことではないだろうか。−−世界とアジアの仲介役として。こうして世界を学んだアジアが、今度は海外市場に通用する水準の要素を送りだしてゆく。そんな時期が訪れつつあるのではないだろうか。
非常に卑近な例ながら、たとえば台湾のパール・ミルク・ティー。日本上陸以前にすでに上海には浸透していたのだが、まだ世界化までは及ばなかった。ところが日本でブレイクしたことで、香港でも注目を受け、さらに華人ネットに乗って、マレーシアやシンガポールへ。2000年前後には、こうした現象が見られた。
それ以外にも東アジアでの韓国認知に、日本がひと役、買ったことがある。ワールドカップ日韓共催の2002年に日本で起こった韓国ブーム。これが台湾の日本好き族を通じて飛び火、台湾で韓国熱が発生したと言われている。また最近ではソニー・ピクチャーズが興味深い活動をおこなっている。買収したコロンビアの配給網を活用して、アジア映画の制作を援助、中国などの合作映画を世界市場に続々と送り出しているようだ。
これも日本が東アジアの流行発信拠点として、各地のまなざしを集めているからこそ可能な現象なのだろう。全米ヒットが世界メジャー化を意味したように、日本もまたアジア国際舞台への紹介役を担っているのではないだろうか。さらには欧米を通さなければ世界化しないという限界を打破する意義をも含み持っているかもしれない。こうした認知役は、じつは誰もが担えることではない。前回、述べたような「背筋」を伸ばした高さから、送りだせるものがあるのだ。こうした国際影響力は、ひとつの責任として自覚されるべきだろう。
いったん列強の侵略〜グローバリゼーションによって一元的に塗りこめられた状態から、あらためてエスニックの「らしさ」を掘りだす。リ・ミックス文化の内に息づく民族性に光を当てる。こうした新思考は、グローバリゼーションの極まりのすえ、没個性化・無気力化した世界のなかで、「先進国的な進化ならぬ老化」をせめて、遅らせることができるかもしれない。
つまりはエスニック文化を認めろと? −−なんだそんなことと、ないがしろにされがちな事柄ながら、じつは日本が前世紀から長らく、やり落としていた作業ではないかと思う。大上段、上からのかけ声による、インフラ整備や啓蒙教育の普及では、カバーしきれないプロセス。そしてまた、政府や多国籍企業レベルどまりでない、今すぐにでも我々個人が実行できること。以前、本連載で述べた「集団意識への1票(詳細はこちら)」、あなたのその賛同が、ブームを生みだす原動力となるかもしれないのだ。
これは決して危機感というマイナスのものに煽られた義務ではない。平和というありがたみのなかで、すくすくと発せられるもの、今だからこそできることでもある。やれ列強が干渉を・やれ軍閥が割拠だの、銃弾が飛びかうなかでは、ままならない。他人の幸福を祈ることのできる余裕のなかで、いとなまれる行為だろう。
前世紀の人々が、それを得るため血と汗と波を流してきたすえの「平和」のなかにおいてこそ、可能なものなのだ。
バックナンバー: 16「未来に向けるベクトルの源」 17「マインド・コントロールとメディア・コントロール」 18「護りのちから」 バリエーションに富んだアジア。とてもひとことでは表しつくせないので、何冊も本を書き重ねています。 詳しくは、既刊紹介

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