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新・アジア考

Vol.34
「グローバル画一化とのせめぎあい
      〜汎アジア表象文化の萌芽」




シンガポールの目抜き通り・オーチャード通り
 いったい同年代のアジア人たちは、いかなるライフスタイルを送っているのだろう。少なくとも都市部においては、欧米をはじめとする先進国の影響が強くみられる。特に90年代以降は、日欧米外資系のサービス業がアジアに次々と進出してきた。私が観察した限りでも、90年代なかばの時点で、アジアNIES・ASEAN諸国のすべての首都(ただしブルネイのバンダルスリブ部ガワンを除く)で、セブンイレブン・マクドナルド・ハードロックカフェ、この3種を発見した。さらに日系デパートの進出も著しい。

 アジア人のライフスタイルは表面的はグローバリゼーションに飲まれつつあるようにすら見える。たしかに大量消費社会が出現し、アジアの大都市を覆い始めるとともに、アジア人のライフスタイルも都市の外観も、国境を越えて同一化をみせ始めている。例えばシンガポールと香港という対照的な2都市を比べてみよう。前者は政府によって完璧に統制た人工的な都会であり、後者は自由放任の市場に基づく無秩序な都会である。しかし両者はショッピングカルチャーという共通要素でくくることができる。事実、それぞれの目抜き通り・オーチャードロードとネーザンロードは、両側にデパートを抱え、非常に類似した景観をみせている。それ以外にもバンコク、クアラルンプール、上海を問わず、大規模かつ高層のオフィスビル・ホテル・商業街が林立している。このままアジアの大都市は、先進国というモデルへ画一化してしまうのだろうか。やはりアジアらしさは消滅の一途をたどってしまうのだろうか。

 アジア規模で見られる前述のような変化は、海外の我々の目にもとまりやすく、ややもすると地元の伝統文化が欧米勢力によって破壊・吸収される過程であると認識されがちである。またこの文化的潮流は単なる輸入もしくは模倣にすぎず、欧米への文化的従属にほかならないという反論もあがるかもしれない。事実そのように述べられた論文もいくつか存在する。しかしアジアはそれほど脆弱だろうか。マルクス以来めんめんと引き継がれてきた“貧困と停滞のアジア”という古い認識を捨て、色眼鏡をはずしてアジアを注視すれば、新たな事実を発見することができるかもしれないのだ。 

 ひとことで言えば、東・東南アジア全域に渡って「伝統的東洋と近代的西洋のリミックスとしての都市表象文化」を見出すことができるのである。これは都市消費社会を構成する諸要素において、息づいている。特徴として、形式・つまりハード面では欧米先進国の文化形態を引き継いでいるが、内容・ソフト面にはアジア現地の伝統要素が生き残っていることが指摘できる。まるで先進国企業が共同出資した工場で、地元出身の労働者が勤務するうちに、次第にローカル産業が育ってゆくかのように。文化面では実際にいかなるリミックスが繰り広げられているのか。次号では分野別に具体例を紹介してみよう。(つづく)




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バックナンバー;
33「受信から発信へ〜アジア都市表象文化のなかで3」
32「「国境を越えた、現代文化の相互作用〜アジア都市表象文化のなかで2」」
31「越境放送の力〜アジア都市表象文化のなかで1」
30「ネットワーク型の交流 〜アジアのリーダーシップとは」
29「共生・繁栄の試み 〜東アジア共同体1」
28「アジアのグラデーション  〜東アジア共同体1」
27「アジア文化のメジャー化 その1 〜日台交流その2〜」(アジア)
26「南隣とのおつきあい」(台湾)
25「オーガニックなエイジア」(アジア)
24「精神世界≠フ母なる大地」(アジア)
23「解決のキーを秘めた大地」(アジア)
22「今だからできること」(アジア)
21「自律の“背筋”としての機能」(アジア)
20「等身大でいられるのなら」(台湾と大陸中国2)
19「プラスサムの追求」(台湾と大陸中国1)
18「護りのちから」(北朝鮮2)
17「マインド・コントロールとメディア・コントロール」(北朝鮮1)

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