Vol.38
Vol38「上海と台北、ふたつの新パワースポット
〜欧米日を介さない、直接のアジア間交流」
台湾屋台の代表料理・「ミニ・ソーセージ」は海向こうの上海や大連にまで進出
*新たなるパワースポット
日本のOL週末旅行者たちが、90年代前半まで、香港に大挙していたように、今、少なからぬ女性たちが、上海や台湾をめざしている。
その一因に、都市自体の活力、パワースポットとしてのエネルギーの集結を見逃すことができない。香港は97年の大陸返還を境に、進出先を海外でなく新しい国内・中国の広東省未開発地域に転じたと言われている。そのころ新たに世界へ向けて存在を明らかにしていたのが、上海であった。上海人いわく、
「あそこ(香港)は、昔、小さな港町だったのに!」
香港との対抗意識は、隠しきれない。
上海といえば、20世紀前半こそ、列強の疎開地として独特の融合文化を花開かせていたものの、共産党時代になると、排斥すべき伝統文化・海外文化の揺籃として後退することとなった。そのせいか、後の改革開放初期にも、経済特区や開発区としての認定を逃している。ところが災いが転じてか、さらに時をくだった20世紀末、華南地域の地盤沈下するのを尻目に、上海を中心とした華東地域が新たなるフロンティアとして、さらに経済・文化の中心地域として、台頭するようになったのである。今やこの地域は、中国ハイテク産業の要(かなめ)なのだ。
都市としても変貌は著しい。90年代後半に、黄浦江ぞいの洋館がライトアップされるようになり、さらに21世紀には、旧フランス租界が「新天地」として再開発され瀟洒(しょうしゃ)な町並みと化したことで、海外の注目、とりわけ旅行者たちのまなざしを集めるようになった。とくにこの「新天地」の雰囲気をひとことで表すなら「フレンチ・シノワ」とでもいえるだろうか。(シノワとは、海外から見た中国趣味、すなわち「シノワズリ」の略である。)香港の現代文化が英国風中華であったとするなら、上海のそれは仏国風中華とでもいえようか。ちょっとした中華雑貨がデザイナーの手により、レトロで小粋な商品に。海外デザイナーの出店も少なくない。そんな上海の「現在」は、やはり20世紀前半に身につけられた「対外調整」能力、対外窓口としての歴史に、遠くつらなりあっていることだろう。
*台湾フードの上海市場進出
上海のスーパーには、台湾やシンガポールなど漢民族地域からの輸入品が、地元の原産品とさほど区別なく陳列されている。台湾の大手メーカー「統一食品」のインスタント・フードが…ジュースが…。いくら改革開放時代とはいえ、異なる政治体制(しかも資本主義地域)の商品が、堂々と並べられているさまは、筆者を驚かせた。体制の違いさえのりこえれば、似たような食習慣や言語表記をわかちあう漢民族の「中華市場の大きさ」は、はかりしれない。
加工品ばかりでない、現地に店があるからこそ販売が可能である嗜好品も、少なくない。たとえば台湾屋台のミニ・ソーセージ。台北南部が名産地の豆乳。または台湾風のかき氷。上海の地に進出したかき氷は、名づけからして華麗なバリエーションをとげている。緑豆をトッピングしたのは「緑豆雪山」。ミルクあずきであれば、その名も「雪山浮月」ときた。漢詩の世界を彷彿(ほうふつ)とさせるではないか。さらには上海のみならず北の文化都市・大連にまで、台湾風味と称した「緑豆スムージー」が進出しているようだ。また台湾の南部・台南で開発された、シェイク紅茶「泡沫紅茶」もまた、上海のカフェに彩りをそえている。
台湾の主力商品として、アイス系が充実しているのは、やはり台湾の亜熱帯という気候がらだろう。それにしても紅茶はそもそも中国茶がイギリスに海輸される最中、発酵してうまれたもの。アイスクリームもまた、中華文明の氷菓子に元王朝が乳製品を加えて開発されたもの。紅茶・アイスいずれも、一見、西洋の嗜好品と思いきや、じつは源は中国に発している。これがいったんイタリアなりイギリスなり西洋にわたり、メジャー化したうえで、今度は「改良の天才」である漢民族の台湾人が逆輸入、あらためて中国に送りだすというわけだ。「渡った先で育まれるもの」があるのである。
一般的に台湾は上海など大陸中国に対して、嗜好品に加え、カジュアル・ファッションでも優位性を保っているようだ。またドラマなどの芸能や、デジタル・コンテンツにおいても、やはりさまざまな発信をおこなっている。台湾と大陸中国といえば、伝統文化の「分家」「本家」という先入観があるかもしれない。しかし現代文化に限って言えば、台湾はれっきとした送り出し元なのだ。
そしてまた上海のほうは、台湾をはじめ海外から移入した現代文化を、地元で消費するばかりでなく、今度は広大な中国大陸各地へと送りだす…そんな中継基地の役割もはたしているのかもしれない。
台湾の緑茶ミルクティーの広告にお目見えした「上海レトロ」。引用文の末尾には「1919年・上海」とある
*渡った先で育まれるもの
「小龍包(シャオロンパオ)」という中華料理をご存知のかたは少なくないだろう。餃子にも似た小さな河に、肉まんのような具が込められ、かじればじゅっと肉汁があふれ出るという逸品を。この本場は…台湾? たしかに台北には、日本をはじめ海外進出を成功させた名店「鼎泰豊」がある。ところが上海人もまた、この一品を我が物としてゆずらない。上海の旧市街地には、全土に名をはす「南翔小龍包」が店をかまえており、日本の物産展に出展をはたしたこともある。いずれも味わいは甲乙つけがたく、違いといえば、台湾のものは皮が薄く、上海のものはこってりと厚いといった程度だろうか。
そんな小龍包もテーマのひとつとして、かつて台湾が上海紀行の番組を制作したことがあった。かつて反共を掲げていた国が、いったい同じ商品のライバル店を、どのように紹介するのかと思いきや…美女リポーターが名店や名園をめぐり、舌つづみをうつという、ごくオーソドックスな内容であった。気になった点といえば、司会者たちが「そんなの台湾でも食べられるじゃないか」「でも台湾のものより安い!10分の1なのよ!!」とやたらに安さを強調していた程度だろうか。
逆に今度は大陸中国の地で、台湾の文化を紹介する番組を見かけたことがある。かつて漢民族の伝統文化を排斥していた国が、いったい独立分子として矛先を向ける地の風習を、どのように紹介するのかと思いきや…こちらも台湾の名コックが、食材に牡丹なり吉祥獣なりの彫りこみを見事に入れるさまを、淡々と放送するのみであった。しかしやはり司会者たちはつっこみを入れる。「でもそれって、わが国が発祥じゃないの?」たとえ現在では継承者が、とだえがちであろうとも。
ともあれそれぞれ相手国への微妙な心理がかいま見えるではないか。
渡った先で発展させ、世界化に成功させた台湾、金余りの国の余裕。
逆に、たとえ一時期とだえようとも、いざというときは中華5000年の歴史を掲げる中国、そのプライド。
しかしいずれが本家かという論争は、無意味というものだろう。文化とは生滅しながら、行き来をくりかえしながら、たえまなく変化するものなのだから。
ここで上海の名誉のためにつけ加えておくなら、我々の想像する上海の原風景が、1920−30年代、日本人がこの地に数多く雄飛した時代のもの、いわゆる「上海デカダンス」と呼ばれる爛熟文化であるものの、ところ変わった台湾人のそれは、同じ漢民族の王朝・明代のもの。明朝の遺臣の息子・鄭成功が、台湾の台南で鄭朝を開くなど、台湾人の少なからぬ祖先が明代に大陸中国から移民しているという歴史にもとづく。こうした視点から見た上海は、列強の租界というよりむしろ、中原の江南文化の一地域となるのかもしれない。
そんな上海と台湾。政治的な対立をよそに、本年、飛行機の直行便が就航をはじめた。
(04/12)
本書に関連するテーマの、最新刊『「アジアン」の世紀 〜新世代の創る越境文化』(中公新書ラクレ)を発表! →詳しくはこちら
バックナンバー
37「共通アイデンティティーの獲得 〜汎アジア表象文化の萌芽4」
36「折衷≠ニいう才能〜汎アジア表象文化の萌芽3」
35;「タイムラグののち花開くもの〜汎アジア表象文化の萌2」
34「グローバル画一化とのせめぎあい〜汎アジア表象文化の萌芽1
33「受信から発信へ〜アジア都市表象文化のなかで3」
32「「国境を越えた、現代文化の相互作用〜アジア都市表象文化のなかで2」」
31「越境放送の力〜アジア都市表象文化のなかで1」
30「ネットワーク型の交流 〜アジアのリーダーシップとは」
29「共生・繁栄の試み 〜東アジア共同体1」
28「アジアのグラデーション 〜東アジア共同体1」
27「アジア文化のメジャー化 その1 〜日台交流その2〜」(アジア)
26「南隣とのおつきあい」(台湾)
25「オーガニックなエイジア」(アジア)
24「精神世界≠フ母なる大地」(アジア)
23「解決のキーを秘めた大地」(アジア)
22「今だからできること」(アジア)
21「自律の“背筋”としての機能」(アジア)
20「等身大でいられるのなら」(台湾と大陸中国2)
19「プラスサムの追求」(台湾と大陸中国1)
18「護りのちから」(北朝鮮2)
17「マインド・コントロールとメディア・コントロール」(北朝鮮1)

|