Vol.48
「集住のすべ、集団主義のひとびと
〜東・東南アジアの共通性2」

パゴダの境内にて
**前近代性なのか、特性なのか
日本人あいだで、アジアといえば浮かぶ風景がある。混沌とした雑踏、市場にも似た街かどに、わけもなく群れる人ごみ。−−そんな混沌をあえて求めて、アジアを旅する日本人もいる。1980年代のバックパッカー旅行者にまでは、こうした風景は日常的なものであったはずだ。しかし現代、たとえば筆者が旅行にとどまらず、長期滞在したとしても、たとえばこうした市場を探すのは、少々、難しくなりつつある。たとえば台湾や大陸中国で、屋台の数々は指定の観光夜市や常設の建物のなかへと移転されている。東南アジア、たとえばタイではスラム街が次々に撤去されてゆく。これもインフラ整備が進んでいるがゆえのことだろう。逆に増えてゆくのは、ナンバーワンを競いあう巨大なショッピングセンターだろうか。
それではアジア的な集住の風景というのは、完全に過去のものとなったのだろうか。たしかに都市化・現代化・グローバル化ゆえに、東・東南アジアのライフスタイルにも、大きな変化が見られている。進む核家族化、個人主義。ちょうど経済発展の波及の後を追うように、日本・アジアNIES・東南アジアという順序で、社会問題も顕在化しつつある。たとえば台湾の初婚年齢の高齢化。少子化は日本の上をいく。さらに韓国にいたっては、2005年、出生率世界最低を記録してしまった。個人主義といえば、旧世代からは理解不明という意味から、X世代やY世代といった新世代が登場して久しい。
ここでつけ加えておきたいのだが、核家族化はともかく、個人主義があたかも先進性を意味していたかのように誤解されいた時代があった。まるで自由の代名詞であるかのように。しかし現代はむしろ、その弊害が明らかになりつつある段階に突入しているといえよう。たとえば学級崩壊。または若年齢化する殺人事件。犯人たちは「なぜ、殺してはいけないのか」勝手じゃないかとでも言いかねない状況なのだろう。しかしいっぽうで、集団主義を後進性とみなす動きから、個人主義の代替は見出されずにいる。おそらくは戦前・戦中の全体主義の反動によるものだろう。しかし当時の日本人から見れば、欧米の個人主義こそ、人間関係を分断し、エゴイズムのみで弱者を踏みにじる、忌むべきものとされていた。現代では全体主義の人権侵害のみ前面におしだされている感があるが、ちょうど個人主義がエゴイズムと表裏一体であるように、集団主義は滅私奉公の精神と表裏一体、集住のすべは他者への思いやり不可欠のものでもある。
本当に集団主義は前近代性なのだろうか。アジアに通底する特性ではないのか?
*人間関係さまざま
社会形態が変わろうとも、気質として残るものがある。おそらくはもとをたどれば、農耕の導入期までさかのぼるであろうもの、(前号で述べたような)水と緑の大地にて、単位面積あたりの収穫量が多いゆえの人口密度、それゆえの集住、必要となるおりあい。こうした風土的な背景は、子孫維持のための家族制から、それこそ国民性を形づくるものとして、影響を与えてきたようだ。
たとえば東南アジアにおいて。農耕社会においては、収穫など大規模な作業は、村が総出で助けあうことが今でも少なくないという。(インドネシアではこのシステムが相互扶助(ゴトンロヨン)と呼ばれているようだ。)そもそも東南アジア全般では、豊かな植生や人口密度を前提に、両系性(母系性・父系性)がとられているせいか、一家族に参加しうる人員が多く、親戚よりあいのようなかたちで、大家族を形づくることが多い。あれはインドネシアにホームステイしたときのこと、受け入れホストファミリーは、中心となる息子さんと、その父母と、叔父叔母?兄弟?お手伝いさん?ん?…名前を覚えるだけで精一杯のまま、結局、完全な人間関係は把握できないまま、十数名とひとつ屋根のもとに寝泊りした。またブルネイにおいては、子沢山の家だと思いきや、第一夫人と第二夫人がひとつの家で出産を競いあい、それこそ保育園といった状況に。これに第一夫人の両親も同じ家族に加わっているのだから。とくにイスラム圏の場合、信教ゆえの婚姻習慣という、もうひとつの要因も加わり、大家族制を後押しする。
それでは漢民族の社会では? 生来の気質は日本人に比べれば個人主義だろうか。いっぽうで家父長制も保たれており、台湾や東南アジア華人のあいだでは、ファミリービジネスというかたちで、経済発展の一端を担っている。社会主義圏では、家族とは別の単位が機能しており、たとえば国営企業が成員の生活、教育や医療をまるがかえしていたのは、ご存知のかたもいらっしゃるだろう。
では韓国においては。家族もさることながら、人間関係そのものが「ウチとソト」で区別されているといわれている。必ずしも血縁だけによるのでない。隣り近所や友情関係もふくめて「ウチ」とみなされることもあれば、逆に結婚してもいつまでも「ソト」扱いの外国人花嫁もいるという。
いずれにせよ、地域によってさまざまながら、集団主義のひとつのかたちを、かいまみることができる。
*とりあえず人さまと同じものを
集団主義は、現代の都市生活において、消費のデモンストレーション効果として、顕在化することがある。「家電・三種の神器」なるもの、高度成長期の日本で耳にして以来、久しいのだが、東・東南アジアにおいては、現在でも都市化・現代化をはかる指標として、成りたっている。こうした現状を裏返せば、豊かになるために、とりあえず「人と同じものをそろえておく」−−人さまが持っているのに、うちにないのは、恥ずかしい。こうした考えかたが、一般的であるからだろう。いわばステイタス・シンボルとも言うべきもの。しかし決して「他人の持っていないものが欲しい」というインセンティブによるのではない。こうした傾向ゆえに、東・東南アジアにおいては、急速に現代的なライフスタイルが普及したとも言われている。
さらに文化についても、「何々ブーム」「何々流」が現れては消えてゆく。なにもわが国のみの話でない。漢民族の文化圏にもまた「〜熱」という表現がある。ただしそのブームの核が、欧米の芸能文化である場合、皮肉な結果となる。集団主義のメンタリティーゆえに、受けいれたもの、映画・ドラマ・音楽にえがかれた人間模様が、ときに個人主義の蔓延をうながすことがある。結果的に集団主義を崩壊させかねないという逆説が生まれるのだ。
わが国については、たとえば団塊世代までは、とりあえず個人主義に憧れるだけにとどめておく。バブル世代までは、いったん個人主義を受けいれたのち、個別化してゆく。それではその下の団塊ジュニアについては? 個人主義が自明のものとなった世代というだけあり、前述のような集団主義がはたらかず、個々のマイブームが勝るあまり、大きなトレンドが生まれない、消費者として市場で大きな動きを見せてくれないと言われてきた。そして迎える現代、終身雇用制度の終焉・ジョブホッピング、さらに学級崩壊等々…。
同じ道を東・東南アジア各国もたどるのだろうか。それとも弊害に気づき、反面教師を尻目に諸々の社会問題を回避しうるのか。
少なくとも台湾の場合、たとえば独居老人問題の対策として、日本のケースも参考に介護保険を導入している。それが日本のようにケアを受ける老人の個人単位の支給でなく、扶養する家族の単位で支給している点、家族制度の維持という意味からも興味深い。また所かわって韓国では、前述の個人主義世代・X世代やY世代に続く新世代として、ネット世代(Na世代)が登場している。インターネットを媒介とした新しい人間関係のありかたとでもいおうか。その社会的影響力は日本の比でなく、消費者運動から、はたまた大統領選の応援にいたるまで、新しい集団を形づくっているようだ。
後発性の利益を生かしたありかた。東・東南アジアに、新しい人間関係をうみだすかもしれない。
(05/10)
(つづく)
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バックナンバー
47「水と緑の大地 〜東・東南アジアの共通性1」
46「アイデンティティーとしてのアジア 〜アジアの魅力」
45「ヒトの往来、モノの交流 〜お隣のアジア人」
44「留学生10万人時代 〜お隣のアジア人」
43「等身大へのしたて直し 〜アジア現代文化らしさの萌芽3」
42「大いなる風景のなかで 〜アジア現代文化≠轤オさの萌芽2」
41「アジア現代文化≠轤オさの萌芽」
40「特効薬としてのアジア」
39「亜洲(アジア)とともに、アジア人として」
38「上海と台北 〜ふたつのパワースポット」
37「共通アイデンティティーの獲得」
36「折衷≠ニいう才能〜汎アジア表象文化の萌芽3」
35;「タイムラグののち花開くもの〜汎アジア表象文化の萌2」
34「グローバル画一化とのせめぎあい〜汎アジア表象文化の萌芽1
33「受信から発信へ〜アジア都市表象文化のなかで3」
32「「国境を越えた、現代文化の相互作用〜アジア都市表象文化のなかで2」」
31「越境放送の力〜アジア都市表象文化のなかで1」
30「ネットワーク型の交流 〜アジアのリーダーシップとは」
29「共生・繁栄の試み 〜東アジア共同体1」
28「アジアのグラデーション 〜東アジア共同体1」
27「アジア文化のメジャー化 その1 〜日台交流その2〜」(アジア)
26「南隣とのおつきあい」(台湾)
25「オーガニックなエイジア」(アジア)
24「精神世界≠フ母なる大地」(アジア)
23「解決のキーを秘めた大地」(アジア)
22「今だからできること」(アジア)
21「自律の“背筋”としての機能」(アジア)
20「等身大でいられるのなら」(台湾と大陸中国2)
19「プラスサムの追求」(台湾と大陸中国1)
18「護りのちから」(北朝鮮2)
17「マインド・コントロールとメディア・コントロール」(北朝鮮1)

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