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新・アジア考

Vol.56
「それぞれのアジア
     〜アジアの精神的範囲」

                                   


*構成員にとってのアジア

 これまでの議論では、アジア自体の変化に伴う、我々の意識の転換について述べてきた。その場合、アジアが意味する範囲とは、現在がちょうど東ア〜共同体の始動時期にあたることもあり、便宜上、アセアン+3となっている。ただしそもそもの東アジア自体、東西南北どこまでを対象とするのか。この点が論議を呼んだのは、二OO五年末に開催された同サミットへの参加国問題であった。こうしたニュースを御記憶のかたもいらっしゃることだろう。インドを含むべきか否か。台湾を含めたアセアン+4ではないのか。

 少なくとも、足かけ一O年以上にわたる共同体の準備過程を、少しでも知る者は、自らをアジア人(少なくとも東アジア人)としては到底、自認しえない地域(オセアニア等)まで、経済利益目的のみで末席に加わったことに、疑問を感じていらっしゃることだろう。

 国際社会での利害関係や力学はさておき、各国各様のアジア認識については、かつて拙著(『アジアンの世紀』第六章)のなかで紹介したことがある。(たとえば香港や台湾にとってのアジア・亜洲とは大陸中国、そしてから華僑華人の渡航先である東南アジアに至る地域。ところが当の東南アジアにとってのASIAは、まずアセアン先にありき。これが韓国のアジア観となると、まずは将来、一国にならんとする北朝鮮が念頭にあがり、これに歴史的に縁の深い日中が続くという形になる。)詳細は拙著の記述にゆずるとして、、今一度。東ア〜共同体の構成員となる一般市民・「あなた」にとって、アジアとは? −−ア〜に関心を持つ読者のかたがたは、(連載)数回にわたる、この問題提起を、どのように受けとめることだろう。

*それぞれのアジア認識

 アジアに長年、精通してきた各界の日本人からは、興味深い意見をいただいている。

 まずはアジア関連書籍を発行してきた出版界の幹部たちのとらえるアジア範図をご紹介しよう。筆頭にあがるのは、やはり「漢字文化圏の範囲」(日中・朝鮮半島など)。いっぽうで「文明の発祥の地としてのインドと西アジア」(メソポタミア〜地中海)も忘れることはできないという。これに個人的には「中央アジア」の騎馬民族の世界も加えるという御意見をうかがっている。いずれも文化的側面からの把握と考えてさしつかえないだろう。

 いっぽうでもう一つの視点、「アジア・太平洋戦争の日本占領下のアジア」(西はミャンマー、東はニューギニア、北はモンゴル)という認識もつけ加えられている。こちらは日本と直接の接触を経験した地域とも言えるだろうか。

 こうした経験は、日本人の国際観、ひいては国際社会での位置を形づくるうえで、やはり無視できない。だからこそ次のような認識が導かれてくる。やはりアジアは「日本の姿を照射してくれる、日本人にとってはとても有難い存在」「井の中の蛙、自己中心的にならないよう仲よくすべき存在」であると。

 じつは全く異なるジャンルの方から、奇しくも遠からぬ御意見をいただいたこともある。

「韓国は中国より、実際には日本と近いFeeling、生活感覚、尺度を持っている民族です。(中略)日韓の争いは、他人の喧嘩ではなく、みうちの兄弟喧嘩みたいなものです。(中略)しかし、そんな事ばかりしていると、中国、米国という、大きな黄色と白に、半島と島の黄色(筆者注・黄色人種の意)は飲みこまれてしまいます。」

そう指摘するのは、アジアへの留学に始まり、韓国人の国際結婚、さらにアジア各地でのビジネスに至るまでを経験した、国際的ビジネスマンである。彼にとってのアジア(の一部、この場合、韓国)はもはや「みうち、兄弟」とすらとらえることができるのだろう。

 ただしここで、身内が日中韓でなく日韓となっているのは、必ずしも彼の個人事情によるばかりでない。日韓の論壇でも今世紀に入る前後、やはり「強大化する中国を前に、日韓は提携したほうがメリットが高い」という説が聞かれてきた。

 当の「強大化する中国」のほうは、どのような認識なのか。まるで表裏一体をなすかような、知識人・孫歌氏の興味深い一説を目にしたことがある。

「南アジア、西アジアにも国土が繋がっている中国人にとっては、東アジアを語る必然性は日本と韓国ほどにはありません」

「だからといって東アジアを避けることも賢明ではありません」(以上、伊東貴之「「歴史」と相渉る、開かれた主体形成の倫理へ」より)

やはり世界の中心を意味する中華なるものから、アジアはおろか世界そのものが、できあがるという古典的な認識が、深くに秘められているのか……。

*アイデンティティーの高度化

 さて、EUや南アジア共同体、東アジア共同体など、地域統合が世界的な潮流となりつつある現在、東ア〜共同体地域において、統合の最先端にあるのが、東南アジアである。ひらたく言えばエリアへの所属意識が高いようなのだ。

 アセアン各紙の世論調査によれば、「アセアンと自国を同一視できるか」という問いに対する回答は、YESが各国平均、六Oパーセント。かなりの高率を記録している。

 九O年代末に拡大アセアン一Oヶ国体制が成立して以降、(新興の小国・東チモールを除けば)、アセアンと言えば=東南アジア、ほぼ同義と考えてさしつかえなくなった。つまり前述の質問は、自国を越えた広域の概念と自身とを、各国市民が同一視できるか。広域エリアの概念をアイデンティティーとしうるか。貴重な調査結果である。

 最高値を示したのがベトナムの八六%。これにインドネシアの七O%、マレーシアの六三%と続く。YES・NOが半々であるのがフィリピン(YES五二%)とタイ(YES五O%)。最低がシンガポールの四O%となっている。それでもおそらく日中韓台で実施する結果よりは、はるかに高い数値であることだろう。

 サミットを開催したマレーシアを除けば、ある程度、経済水準が、所属意識の高低に影響を及ぼしていると予想される。つまり経済水準が低いほど、自国よりはむしろ、東アジア共同体の中心舞台として、脚光を浴びつつある「アセアン」を、自らの肩書きとして名乗りたくなってしまう。逆に経済水準なり国家の求心力の高い国々は、外部にこうしたエリア等をもうひとつの肩書きとして、さほど必要としない……。(こうした現象は、かつて非EC派だったイギリスや、逆に現在でもEUに加盟申請中であるトルコにも同様に観察される。)微妙な優劣意識がかいま見えなくもない。

 しかしこうした、斜に構えた解釈とは別の意義も見出される。一般的にはアイデンティティーが、自己から外へと拡大するのは、魂の進化と考えられる。個体の意識なり愛なりが及ぶ範囲が、自己から家族へ、勤務先などの集団へ、そして国家へ。さらに広域のエリアへ、そして地球へ。こうしてより広い範囲へと拡大してゆくプロセスは、決して退行ではない。そうした意味でアセアン各国の人々は、偏狭な一国主義にとどまらない、高度な国際認識を有しているとも考えられる。

*精神的実体を伴うアジアへ

 さらに前述の実態調査から導かれるのは、「アイデンティティーの高度化」のみにとどまらない。調査結果は東南アジア限定版であるものの、同様の調査と国民意識の変化とが、長い年月をかけて重ねられるにつれ、次第に形をあらわすものがあるのではないだろうか。

 かつてアジアとは、実体ではなく西洋に対峙する消極的存在、多様性のあまりに実体として存在しえない形骸であるとも言われていた。しかし東南アジアにおける広域アイデンティティーの形成は、アジアが次なる段階へとさしかかりつつある予兆であるように思われる。つまり政治的集合や経済圏にとどまらない、はたまた対抗地域を設定せずとも、それ自体で健やかに存続しうる「実体」が誕生しつつある。しかも構成員たちが誇りとともに自覚できるという主体性が芽生えつつあるのではないかと。−−筆者はそんな期待を抱かずにはいられない。

 アセアンから東アジア共同体へ。しかも東南アジア人のみならず、日中韓台の北東アジア人にいたるまで。おそらく確固たるアイデンティティーが根づくまでには、紆余曲折とそれなりの時間を要するだろう。しかし我々は欧米の精巧なコピーとして無機質化・無国籍化・没個性化していくのか。それともアジアというチャンネル(もしくは属性)にめざめつつ、ゆるやかで健全な地域統合の道をめざすのか。せめてアジアの構成員たちが、こうした分岐を自覚しうるか。

 現在、我々の置かれている時空というものが、貴重な一点であることは、見逃せない。二一世紀の初頭。さらには二OOO年紀の開始時期。ベクトルの根幹部では小さなズレでも、長々と伸びたその先は……。一OO年〜一OOO年紀という新しい年表の一端において、選ばれた方向性、ベクトルの向く先というものは、来世紀以降の世界地図(地理上でなく国際関係も含む認識上の範図)を、大変革させかねない。

 あなたの意識の一票、それら無数の集積が、おそらくは未来というものを決定してゆくのだろう。

 最後に余談ながら。「そういう亜洲奈さんにとって、アジアとは? 」もしも問われれば、何と答えよう。今まで亜洲奈説として「アジア=中華・ヒンズー・イスラムを縦・横・高さとする範囲、三文明の影響圏内」と解釈した。しかしこれはあくまで学問上のものである。アジアをライフワークとする身にとっては、アジアという郷土愛にまで関わる問いであるため、さすがに即答しかねてしまう。あなたにとって、アジアとは……?

 今はひとこと「使命」−−のようなもの、とだけ、そっとつぶやくのみにとどめておこう。



             (06/05 )

*参考文献 「NNA  シンガポール」2005年12月6 日付





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