Vol.65
「ブログによる世界変革
〜アジアIT社会その8」

*個人へのクローズアップ
日本ではホームページのソフトを用いて、個人が自由にウェブサイトを開設できるようになった90年代、一部の間でマスメディアによる一極支配が終焉したとささやかれたことがあった。
大陸中国においてもまた、ブログをひとつの民主主義システムとみなすという説もある。ネット上では、いかなる意見も平等というわけだ。大手メディアへの検閲という報道環境に制約がある状況において、記者、さらに専門家や官僚など特権階級への、権力の集中が弱まり、人民が発信手段を獲得する、−−こうした変化、ブログの発展というものを、民主社会の発展への一大転機とみなすという説も聞かれる。社会主義による平等を掲げた国が、言論や精神の面にいたるまで、人民一般に平等が実現されてゆく。共産主義的仮面の下から、素顔の中国が見え始めている……検閲うんぬんよりも筆者はむしろ、こちらの変化に注目したい。
これは余談だが、個人へのクローズアップは、ブログのみにとどまらない。i-POD キャスティングの登場が、インターネットラジオの放送の普及をうながすという見方もあるようだ。すでに国産のネット放送局は4局を数えるという。なかには一般市民に10分間をわりあて、個人の声を録音、それを地元(南京)から世界へと流すという実験番組もあるそうだ。これなど人民が発信手段を獲得するという現象の象徴かもしれない。
ともあれブログというシステムが誕生してから、大陸中国にユーザーが増えはじめるまで、時差はわずか9ヵ月。国際的にも国内的にもますます格差が縮小しているようだ。
*国際的な亀裂を越えて
これまでひとくちに「ブログ」とカタカナ表記してきたのだが、原語BLOG.も、お国によって表記はさまざまである。同じ中文圏といえども、地域によって微妙なニュアンスがかいま見える。
前述の大陸中国では「博客(ボーグ)」。広さを意味する「博」の言葉に、よそものを表す「客」。インターネットを使いこなすのは、インテリで舶来的だが諸刃の剣。そんな警戒感と羨望とが入りまじる。
ただし同じ国内でも香港では「網上日誌」つまり「ネット日記」。ブログがさほどブームでないせいか、余計なニュアンスをからめないまま意訳されている。
これが台湾になると、「部落格(ブーラーグー)」。英語の発音に漢字をあてはめただけといえばそれまでなのだが、日本人の筆者は「部落」に「格」を与えてあると、深読みしてしまう。台湾の現地事情、とくに先住民や台湾生まれなど「各々のエスニック・グループをたいせつに」という時代柄を反映していると感じるのは、筆者だけだろうか。
おのおの、各地域によって、用いる漢字は台湾や香港が、日本の旧漢字に似た繁体字(正体字)であるいっぽう、大陸中国では部首をカタカナのように略字化した簡体字である。そのため紙媒体である場合、解読にはお互いに語学力を必要とされるのだが。
これがウェブサイトやブログである場合、クリックひとつで別体字版へと移行できることがある。たとえば大陸中国において、香港や台湾の繁体字に対応するブログがあるように、台湾にも簡体字のページを併設するサイトもある。世界4大博物館の1つ、台北の故宮博物院は、伝統の殿堂のようでありながら、新世紀に新館長が就任して以降、文書のデジタル化や館内での文物紹介のパソコン化を進めてきた。公式ウェブサイトもまた、美の最高峰らしく、高画質で文物の画像を提供しており、バーチャル美術館としての質も高い。この博物院が、英語・日本語版に並び、あえて簡体字版をもうけることに、筆者は驚きを隠しきれなかった。かつて北京の故宮博物館と正統派争いをくりひろげてきたという因縁を耳にしてきたからである。文物がどちらのものであるかと対抗しあっていた時代から、現在のありかたを説明、理解を求める時代へと、変化が生じているのだろうか。
台湾と大陸中国といえば、国共内戦以後、長らく対抗の時代が続いており、現在でも時おり、大陸中国側から台湾牽制のため「武力行使も辞さない」という公式声明がたびたび発表されている。そんな緊張関係を尻目に、冒頭の両岸ブログや、繁体字・簡体字対応のウェブサイトなど、水面下で着々と相互理解が進んでいるのかもしれない。
こうしたITツールを用いた、国際的な亀裂を越える例として、大々的に報道されたのが、朝鮮半島である。南北に離散した家族たちの対面が、実際の面会に並行して、画像電話を通じておこなわれ始めているという。第1回は2005年、南側の大韓赤十字社と北側の朝鮮赤十字社とが、光ケーブル通信で結ばれた。その後も南側はソウル・プサンなど11ヵ所に、北側は平壌の高麗ホテルにそれぞれ設置されたコンピューターを通じて、対面がおこなわれているという。遠く離れた一族を前に、画面に向かって深々と礼を捧げる者あり、南北共通の歌を歌いあうものありであったという。画面の向こうには、半世紀以上、生き別れた、家族がいる……。
*社会変革との連動
もはやITの発展は、産業界の変化にとどまらないことは、ご想像いただけるだろう。
社会変化−−までであれば日本人でもご周知だろう。日本のような成熟社会においては、地域社会がバーチャル上のコミュニティに替わるといった影響力を受ける程度であった。しかし東アジアにおいては、経済・社会が発展のさなかにあるだけに、ITの影響力は切実なものがある。
第一に、とくに先発のNIES諸国においては、裕福であるいっぽう、まだ「大きな政府」の時代であるため、相当、大規模な国家プロジェクトがITについておこなわれる。いっぽうで第二に、高度成長から安定成長への移行を世紀末前後に敬虔していることもあり、社会構造の変化が現在進行形で進んでいる。たとえば東アジア各地の民主化しかり、政府や企業の支配から消費者中心社会への転換しかり。「圧縮された発展」ゆえに、IT化と社会変革とが連動することも少なくない。
いや、国内社会にとどまらない。東アジアは、冷戦時代の体制対立の遺構が色濃く残るという、特殊事情を秘めている。そのため国家の枠組みに対する内外の認識が、流動的である点をいなめない。たとえば朝鮮半島において、南北の離散家族が光ファイバー画像通信によって対面をはたす。または台湾海峡をはさみ、ブログ利用者やウェブサイト閲覧者たちが、敵対していたはずの相手方の事情を知る。こうした変化にいたっては、それこそ従来の国際地図を塗りかえかねないパワーではないだろうか。
アジアIT。これはたんなる科学技術の革新や、経済発展というレベルの話にとどまらない。IT社会の発展が、意識・行動のうえで、個人のみならず、社会、ひいては国家、国際関係にまで、密接につながりあっているのだ。
(つづく)
(06/07 )
*写真;ITは個人の志向のみならず、社会現象、すら越え、国家政策、さらに国際関係まで変革してゆく。ソウル地下鉄駅構内の広告は「国旗.com」に続けて「インターネット・コリア!」とある。
*参考文献;詳細は
こちら
バックナンバー
64「ブログによる意識変革〜アジアIT社会その8」
63「ネット世代のムーブメント〜アジアIT社会その7」
62「ブロードバンド世界一をめざして〜アジアIT社会その6」
61「無線LAN世界一の都市〜アジアIT社会その5」
60「東アジアの奇跡の果実〜アジアIT社会その4」
59「どうせやるなら3.5世代方式〜アジアIT社会その3」
58「ステイタス・シンボルから必需品へ〜アジアIT社会その2」
57「携帯普及率はひそかに世界一〜アジアIT社会その1」
56「それぞれのアジア〜アジアの精神的範囲」
55「ゆとりのくに〜台湾の都市風景」
54「アジアへのアプローチ3 〜東アジア共同体時代への対応」
53「アジアへのアプローチ2 〜フロンティアの消失?」
52「アジアへのアプローチ1 〜ブーム式の消費」
51「共存のすべ、協調性のひとびと 〜東・東南アジアの共通性3'」
50「共存のすべ、協調性のひとびと 〜東・東南アジアの共通性3'」
49「集住のすべ、集団主義のひとびと 〜東・東南アジアの共通性3」
48「集住のすべ、集団主義のひとびと 〜東・東南アジアの共通性2」
47「水と緑の大地 〜東・東南アジアの共通性1」
46「アイデンティティーとしてのアジア 〜アジアの魅力」
45「ヒトの往来、モノの交流 〜お隣のアジア人」
44「留学生10万人時代 〜お隣のアジア人」
43「等身大へのしたて直し 〜アジア現代文化らしさの萌芽3」
42「大いなる風景のなかで 〜アジア現代文化≠轤オさの萌芽2」
41「アジア現代文化≠轤オさの萌芽」
40「特効薬としてのアジア」
39「亜洲(アジア)とともに、アジア人として」
38「上海と台北 〜ふたつのパワースポット」
37「共通アイデンティティーの獲得」
36「折衷≠ニいう才能〜汎アジア表象文化の萌芽3」
35;「タイムラグののち花開くもの〜汎アジア表象文化の萌2」
34「グローバル画一化とのせめぎあい〜汎アジア表象文化の萌芽1
33「受信から発信へ〜アジア都市表象文化のなかで3」
32「「国境を越えた、現代文化の相互作用〜アジア都市表象文化のなかで2」」
31「越境放送の力〜アジア都市表象文化のなかで1」
30「ネットワーク型の交流 〜アジアのリーダーシップとは」
29「共生・繁栄の試み 〜東アジア共同体1」
28「アジアのグラデーション 〜東アジア共同体1」
27「アジア文化のメジャー化 その1 〜日台交流その2〜」(アジア)
26「南隣とのおつきあい」(台湾)
25「オーガニックなエイジア」(アジア)
24「精神世界≠フ母なる大地」(アジア)
23「解決のキーを秘めた大地」(アジア)
22「今だからできること」(アジア)
21「自律の“背筋”としての機能」(アジア)
20「等身大でいられるのなら」(台湾と大陸中国2)
19「プラスサムの追求」(台湾と大陸中国1)
18「護りのちから」(北朝鮮2)
17「マインド・コントロールとメディア・コントロール」(北朝鮮1)

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