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アジア風物誌45 台湾編7
「毎晩が夏祭り、真夜中過ぎまでそぞろ歩き
〜中華料理のオンパレード、屋台村から夜市まで」

屋台のかき氷のトッピング、バリエーション

   虚空はるかには、地上を見守る輝きが、太陽ほどには強烈でなく、時に満ち、時に欠けながら、大河のみなもに淡い光をそそぐ。−−三日月より、微かに満ちた−−この金色は、自らの発光ではない。陽光の反映であるからこそこんなにやさしく、人類の新たな一歩、宇宙飛行士の足の裏を焼きもしなかったのだ……。

 うたたねの合間に、MRT淡水線の窓に映った広い水は、たぶん淡水河。その川の河口近くに位置する淡水 の街は、彼に出会うより以前、初めてその名を聞いたときから、わけもなく憧れてきた。その地にまるですとんと舞い降りるかのように、たどり着こうとしている。

 はじめは本当に、声さえ聞ければそれで十分だった。果たしてこれ以上、こちらから踏み出して良いものかと迷いながら、少しずつ電話の時間を引きのばし、それでもついつい受話器をあげたのが、午後10時頃。

「僕に今すぐ会いたいっ!? 」

弾けるような声に、反射的にうなずいていた。「きみは今どこ? 部屋にいるの? 待ってて……」そんな早急な申し出に、思わず今夜の進路を誤ったらしい。

「私が行くから」

 なりゆきとは言え、未だにその選択が正しかったのかはわからない。かつては「〜を食べたい? 」と尋ねられれば、あ、べつにダイエット中ですから。「〜に行きたい? 」いえ、一緒にいられるだけで十分ですよ。ともかく重荷になるまいと、遠慮をつとめていたのだが、回を重ねるごとに、どうやら彼は自分の要望を、相手の希望という形で、暗に伝えているのではないかと気づきはじめたのだ。こちらに「うん、〜したい」と言わせることで、その願望を共有させてしまう。心やさしきテクニックなのかもしれない。

                        *

 堤防沿い、オレンジ色の街灯をたどるうちに、少しずつ以前のペースがよみがえる。ひとつずつほぐれてゆく。1歩、2歩と踏み出せば、真夜中近くの淡水河を一望に。

「このあたりは防衛上の要所にあたるんだ。もしも大陸側から海を越えて侵攻する場合、この河口から北上することになる。首都・台北をめざして」

SF映画ではなく、あくまでも一つの可能性として淡々と語られる。しかしその横顔は、思いのほか淡く、「対阿(そうだよ)……」とうなずく語尾は、そっと溶けさるようだ。思わず道ゆく人の、見知らぬ「対阿」に反応しては、彼の発音と聞き比べてしまう。

 −−魅きこまれてはいけない−−出会いの晩にひきつづき、タイムリミットを自主設定する。流されてしまわないように。反対に濡れ落ち葉で居座ることもないように。

 最終電車までに残されたのは、わずか半時間。夜市という名の地上の天堂(パラダイス) をそぞろ歩けば、屋台の並びはひとときの間、裸電球の明かるみを、川沿いの宵闇に照らしだしていた。荒挽きスパイス風味の香腸(フランクフルト) は、直火焼きの煙をあげる。例えば甘辛のたれのしたたる炭焼き風味。では金華風味はと言えば、ポン酢にニンニクを効かせた、この甘酸っぱさが、そうだ、金の味。傍らではパパイヤが、蓮霧が、極彩色の彩りを添え、トロピカル・ジュースとなる時を待ちこがれていた。

「おいしい臭豆腐(チョウトウフ)を捜そう」

 何でもありの台湾の夜市は、どんな品物も取り揃えて、という想像すらも越えていた。金魚すくいならぬ小亀すくいや、手動式のパチンコゲームは言うにおよばず、なぜかフローズン・シャーベットの屋台裏では、電動ドリルの先に無理やりくくりつけた泡立て機が振動する! 屋台の合間には、突如として子供用汽車ぽっぽがレールの上をめぐりにめぐる! 毎晩が縁日気分なのだ。

 この裸電球の灯りを、湯気を、ひとりきりで眺めたならば、また全く別のものであるにちがいない。本当は豪勢なディナーよりも、ふたりでひとつの串から屋台料理をかじる方が好きなのだ。“臭豆腐”は甘辛の煮込みの汁をじっくりと含んだ厚揚げで、仕込みの段階から臭みが練りこまれた、納豆に匹敵する珍味である。「この味がわかれば、台湾通と認めよう」というのは台湾人の言だ。

                        *

 それにしても、と私は考えあぐねていた。

“下手くそな中国語よりは、英語を気取る方がいい、年齢も明かしてはいけない”

最初はそう心に決めていたものの、彼が英会話に疲れ気味であるのは、時折感じられる。それが彼女とのコミュニケーション倦怠によるものなのかどうかは定かでないにしても、敢えて片言の中国語会話にトライしてみようか。

“私は、アメリカ人ではないのよ”

と。年齢の方はと言えば、あるとき「僕はもう、若くはないのだから」とつぶやく彼に、フォローのつもりで思わずきり返してしまった。 「でもでも私も、□歳しか違わないの」

「…………………………………………」

その場の無言と衝撃の横顔から、彼が私を20歳そこそこに見積もっていたことが判明した。幻の付加価値を、自ら握りつぶしてしまった……。

 当の彼は台湾式の数え年で33歳なのだが、気は若い。バスケットボールのシューティング・ゲームでは、ほとんどたて続けに40球もゴールを決めて、はじめのうちは「ナイス・シュート! 」「真棒阿(すごい) ! 」などといちいち歓声をあげていたものの、そのうちかけ声の種類の方が尽きてしまい、ただただ唖然と見守るばかりだ。横顔を見あげれば、そこに競争心や戦意といった邪念はなく、まっしぐらと透明に対象へと集中するのみである。軍事演習の射撃訓練で、人形(ひとがた)を狙う横顔は、果たして同じものなのだろうか。

 それよりむしろ、台湾の子供の遊戯、チェンツという中華の蹴毬を披露してくれた時の方が印象的だ。スニーカーの腹や踵を巧みに操りながら、羽根付の錘をたん・たんと蹴りあげる。まるで上下に糸を引くように、決して地面にこぼれ落ちることはない。幼いころは始業ベルが鳴るのもかまわずに、900回も続けていたとか。

「こうすると、風を受けやすくなるんだ」

と羽根のビニール部分を黙々と開きつづけるしぐさに、幼い日の彼をこの目で見たいという切望がわきあがった。それとも、と魔がさす。

 −−彼の子供をはらめば、その姿に再会できるのだろうか−−

慌てて妄想をうち消した。

                        *

「もうそろそろ帰らなければ」

 白状すれば、荷物をかついで足早にたち去ろうとする私と、道端でどうしようと彼のまわりをうろつく私とに引き裂かれていた。−−とにかく長居にうとまれる前に。名残り惜しいうちに−−ところが後々には、彼の方がこの手を使いはじめることになる。今夜はあと2時間だけ。今回は30分だけ。「お願い、もう少しいて」と懇願させることになるのだが。

「とりあえず、終電まで」

時限を破り、彼の後部座席に座らされれば、、行方は台北の宵闇にまぎれてしまうかもしれない。いや、私の方からまぎれさせてしまうかもしれない。

 いつか道端で台湾ビールを乾杯した晩、あのときはまるで期待のように、三日月よりかすかに満ちた上弦の月が、天空にひそんでいたように思う。そしてまた別の真夜中、カフェもレストランも店閉まいをした時分、それでもなお

「もう一軒……」

一方的にスクーターを馳せる彼の後ろにて、全速力で悩んでいた。−−でもでも今日は、普通の下着だし、全身の肌の手入れも怠っているし−−しかしながら月は……いや、ツキはそうそうめぐるものではない。ここで文字どおり“体を張る”べきか、それとも最大限に引き延ばすか。

 −−待てよ−−現段階の情程度では、下手をすると一晩の使い捨てに終わるかもしれない。何しろ片思いである以上、こちらの“魅き”は数少ない。手持ちのカードでは、−−告白と。唇と。下の口と。プロボーズ。に、「できちゃった」。まで−−あと数ヵ月かけて、いかにタイミングよく貴重なカードを切っていくか。もしくは切らずにいられるか。猪突盲「信」の私は、本来このようなテクニックを最も不得手とするのである。しかも与える愛、無償の愛(アガペー)とのアンビバレントも生じてしまう。−−相手のプライドを傷つけない拒絶のしかたを教えてほしい−−

 スクーター2人乗りの背中から、ささやきかけてみた。

「あなたもしかして……狼・人(ランレン)? 」

「え、男人(ナンレン)? 」

「そうじゃなくって! 」

拙い発音は、風音にまぎれて届かない。ヘルメットをかちあわせては、幾度も尋ねあったのち、ついに彼はスクーターを停車した。私は瞳をのぞきこみ、もう1度ゆっくりと問いかける。狼男? と満月の方角を指さしながら……。

「ちがう、僕はそんな男じゃない」

柔和な彼はいつになく懸命に否定していた。

 その結果、次の満月の夜は、1人きりで過ごすこととなってしまった。

                       *

     押せば引く。よせては返す。エントロピー一定の法則ではないけれど、結果として全体の分量は一定なのかもしれない。しかし渦中にいる者は、引き潮のまま流れ去ってしまうのではないかと不安になることもある。ちらりちらりと後続の距離を確かめながら、ヒールを響かせ小走りに。気づいたときには、独りきり、ということのないように。敢えて小さくつぶやいてみようか。「阿娜答(あなた)」ではなく「◇◇(おにいちゃん)」、“愛してる”ではなく“好き”と。

 素直に肩を寄せあい、亜熱帯の陽光のもと、ほのぼのと水辺を見おろす……。そんな風景を最終目標に、おそらく山やら谷やら障害物が設けられていることだろう。−−そういうふうに、できている−−すぐに情熱の物語が終わらないように。

「でも素直に愛したところできみは、いずれ日本に帰ってしまうんだ」
「それはあなたの気持ち次第、愛にさえ自信が持てれば、私はもしかして……」
そんなロマンチックな会話は、さすがに交わしていない。

 やがていつのまにか、河沿いの雨が振り出し、彼はウインド・ブレーカーをさしかけた。それを遮るように、折り畳み傘をつき出してみる。−−うまく甘えることができない−−行き帰りは自分の足で。飲食は割り勘で。ねだらず、せがまず、いいこでいよう。これが結果的に彼の体面を傷つけることになるとは、思いおよばなかった。どうやら聞いたところによると、台湾の男性というものは、スクーターで彼女を会社に送り迎え、電話1本でお弁当すら届けかねない、食事はもちろんご馳走する、“体貼(やさしい)”。それが理想的な男性であるらしい。体を貼る、よりむしろ、“体を張る”ではないかとも思うのだが。

 私が心配するのは、もしも台北市内まで送らせれば、びしょ濡れの帰り道、彼の方がこの恋に、早くも疲れをおぼえるかもしれないという点であった。

「いいから送るよ」

とくり返す彼の胸に一瞬、こん、と頭突きをひとつ、そのままタクシーへと駆け出す。

「傘は持ってて! 」

しかし彼は心にくくも、中国語ではなく、私の知らない台湾語でドライバーをひきとめる。ドアごしに押しあい、へしあい、

「また会えるのかわからないけど、また会えるのなら……再見! 」

心残りを置き去りに、無理やりタクシーを出発させた。

 −−今頃、基地に向かっているのだろうか−−雨の車窓をぼんやりと眺めていた。

                     *

 それから2ヵ月後、バスケのシューティング・ゲームの場所は、新しい店に変わっていた。



バックナンバー;
(台湾風物誌))
6「コンビニの微光と孤独な夜とやけ食いパン〜ひとくちサイズにこめられた意匠、点心とパンの世界」
5「中華民国の因縁に想いをはせる〜純白と無の空間、中正紀念堂」
4「出会いはライブ会場にて〜歌いこみの中華ロック」
3「あの薬指に光るもの〜金(きん)は金(かね)なり、ゴールド・アクセサリーの一大財産」
2「緑の大路を吹きぬけて〜2人乗りのスクーター」
1「味わいのある恋をしてみたい、山の麓の茶房にて〜台湾茶」

(内モンゴル風物誌)
15「チベット仏教寺院〜砂塵のはてに極楽を見た」
14「昭君墓 〜おしどり夫婦は和平シンボル」
13「フフホト(呼和浩特) 〜北のはての青い街」
12「ナーダム 〜男子三技、民族の祭典」
11「相撲 〜死人すら出た無制限自由型」
10「寝台列車 〜眠りの密集」
9「砂漠 〜4A級の砂丘、45度」
8「ラクダ 〜キャメル毛布どころか砂漠の舟」
7「馬頭琴 〜草原のチェロは亡き愛馬」
6「酒〜モンゴルウォッカに馬乳酒」
5「乳製品 〜白い食べ物、神聖なもの」
4「羊 〜全国から広く世界まで」
3「羊肉料理 〜日本進出の味」
2「蒙古馬 〜大草原のトレッキング」
1「草原 〜天の神さま、地の神さま」
(ミャンマー風物誌)
14「八曜式占星術の世界にようこそ」
13「誕生曜日と八方位の相関」
12「曜日に司られた人生」
11「境内はアミューズメント・スポット」
10「癒し&ヒーリング」
9「お供えグッズ」
8「功徳システム」
7「出家の日々」
6「ぼうさまワールド」
5「東南アジアの巻きスカート」
4「男性向け『ろんぢー』再び」
3「女性向け定番ファッション」
2「熱帯アジアの着物」
1「着るアート、腰巻きタイトスカート『ろんぢー』」

(『豊饒の楽土』中国東北部風物誌)
9「瓜の実るころ /東北部」
8「快餐£華ファストフード/大連」
「北方の真珠≠ニいう名の都市の象徴・中山広場/大連」
「老虎灘という名の楽園 /大連」
「大連賓館、歳月(とき)を超えて /大連」
「東北部の窓口・大連客船ターミナル /大連」
「水晶、ガラス、クリスタル/大連」
「蛇の島 〜まむし王国 /旅順」
1 「戦跡 〜あれから100年 /旅順」

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