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連載小説『台北神話』(作・撮影/亜洲奈みづほ)
台湾の気功サークルの主催者として、唯識の世界を説いてきた建国。それだけに出産に伴う日本女性・水蓮の死に、自責の念をぬぐいきれない。そんなとき、時おり次元が交錯して、夢のなかだろうか、彼女に再会することがある…。


『台北神話』Vol.12
「淡海・その1 〜建国的故事」



 太陽の天をめぐる早さでゆっくりと、虚空に目を細めるものがある。まるで生き物が息を吸いこむかのような、月食……蝕、などという言葉はおよそふさわしくない。満月の欠けは、あれは地球の影。天から眺めた我々の輪郭なのだから。

 釣り堀の客たちのざわめきをよそに、大勢のただなかで、よりいっそうの静寂がわきあがる。「善か悪かは言いきれない、それを悪と決めつけるのは我々人間だと」陳先生(さん)にそう息巻いたのは、まだ水蓮が傍らに息づいていたころのこと。この不在をいかに解釈すればよいのか。もちろん永遠の人生なるものがあれば、ひとはそれに倦むことだろう。肉体生の実感を裏うちするために、死という区切りが設定されているにすぎない? 苦もまたしかり? 最終的にはそれを脱する術(すべ)を学ばせるための手段にすぎない? ……それでは水蓮がむくわれないではないか。

 何よりもなぜ、このような結果を自ら引き寄せたのか、その要因をどれほどまでにつきつめようとも、現時点では自らの内面にその因子を見出すことができずに、果たしてどこまでが人間の裁量によるものなのかと、……神仏とはあくまでも大いなるシステムの総称として、人間に善性を機能させるための機構であり、それらがどこか宙に浮いているわけではない、大いなるものと内なるものは互いに繋がりあい、本来は遍く存在するものと同一ではなかったのか。まるで天が地上を操作するかのようなこの展開は。

 −−天の領域? −−

 釣り堀の片隅にまたたく白光のテレビは、刻々と孤島・緑島から皆既月食の模様を中継している。テラスに群がる客たちの頭ごしにあおげば、見慣れぬ円が。満月は天心に君臨するにもかかわらず、まるで水平線近くのように朱色におしだまり、よく熟れていた。……水蓮。

 あのとき暁の夜市で決断をくだしていれば。彼女の生とひきかえに、一個の新たな命を見過ごすという!?

  「なぜ彼女はあちらに戻されたのか」
 −−地上でできること 天からできること−−
「けれど遺された信義は」
 −−子供を引き継ぎたいと願う人間が 他にも存在するとしたら−−
「水蓮は借り腹でも二太太(だいにふじん)でもない!!」
 −−彼女は与えよう 与えねばと 精一杯の歌声を発しつづけたすえ 霊も肉をも捧げおえ 今では時おり上からハミングを送っているという−−

 そんな内なる声は、まるで弁明のように自らの深層から発せられたのか、それとも遥かより慰めとともに届けれたのか、はかりかねていた。

 これほどまでに広大な生け簀に散らばる魚に向かって、ただ一点の浮きをおろすという行為。そういえば水蓮の国には、地獄に蜘蛛の糸が降りるという不思議な物語があるという。それとも砂地か岩場か肥沃な土壌か、それぞれへの種まき。(焼け石に水。)幸運にも海老が針にくらいついたのち、まるで感点をまさぐるように、微妙にさおを上下させ、完全に餌を飲みこまれるまで引きあったすえ、一気に手首のグリップで釣りあげるんだよ……彼女の両手に掌を合わせ、そのぬくもりをまさぐっていたころ。青い鋏も鮮やかな海老を傍らに、二人して肩を並べ、囲われたみなもを見おろしたものだ。

 それでも時おりいやおうなしに近しく感じられることがある。微風にも似た、けれどそれはシー・ブリーズではない。むしろほのかな春の香をふくんだ、それとも初夏の日ざしをおびた、どこかまばゆくほがらかなもの。これを感傷と片づけるのは易しいが、むしろ少女が彼女自身の感情にふりまわされかねないほど、どこからか思わずそそぎこまれるものは、いったい何ものだろう。

“でもそれはたしかなの あなたは私の夢を叶えたということ……歌姫に 母親に (妻に) 次なる生をひとつ またひとつと授けてくれた 新たな生命(いのち) まで分け与えてくれた”

 淡水河の河口近く、岬に位置する灯台を見つめるばかりだ。

「そうだね、岬にまたたくのは、あれは灯台の火だね」

胸もとの赤ん坊にあてもなくつぶやくばかりだ。

 満月は本来の姿をとりもどし、やがては西よりあふれだす雷雲におおわれてゆく。



 その晩は眠りのなか、深夜の河ぞい、寮の部屋という時空の軸からひととき離れ、淡水河ぞいをさまよっていたらしい。雷まじり、真夜中の通り雨に、あわててかけこんだそのカフェは、二人が初めて出会った場所、いつも待っていたのと水蓮が口をとがらせていた店である。オープンテラスは雨風に吹きさらしで、しんと冷気のきいたほの暗い屋内に踏みこめば、コロナの瓶が金に透け、ショーケースの蛍光灯が、あおく彼女の存在を照らしだしていた。

 閉店まぎわの店内にざわめく気配よりむしろ、遠景の黒々とした淡水河のほうが、現世を越えた地点からは、より近しく感じられることだろう。河ぞいの屋台はみな、店をたたんでおしだまり、夜の白鷺も息をひそめる。通り雨をやりすごしたのち、めくばせひとつで水蓮と堤防の道を歩みはじめた。てくてくと手に手をとりあい、夢のように。夢のなかで。かたわらを吹きぬけてゆくものに、思わず彼女を内側に。川風にはためく裾は、時おりバラの刺にからまり、彼女は無言の笑みをうかべた。かつてのはだのいろのはな。なめらかなクリーム色、ほのかにさす薄紅。頬ずりするほどしゃがみこむ彼女の姿を見おろしたとき、暗号点を踏んでいる、と直感した。

 体系から体系への滲透の瞬間。

 本来ならばこのような形で再会するはずのない二人、どこかの部屋にひそむ彼女と、赤ん坊を抱えて釣りに沈む自身と。あまりの姿に、まるで別の分岐を歩んだ自己が、この選択にうつむく自己に、救いの手をさしのべるかのように、“確率的偶然”を移動した、移された……?

   おそらくは、彼女は彼女だから。選びおとした可能性の背後に、強烈な感情的エネルギーの蓄積があるならば、選択されたある“現実”よりも、さらに大きな存在をおびる次元が現れても不思議ではない。とりわけ水蓮は生前は歌手であり女優だったのだ。旋律をステージ上へ、物語をスポットライトの下へ。ひとつの世界を別の形に現すのにたけていたのだから。ひととき彼女の次元に身をまかせてみよう。(つづく)




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スピリチュアル小説『台北神話』シリーズ@台湾
1「河と空のさかいに/天・河・交融・その1 〜建国的故事」
2「河と空のさかいに/天・河・交融・その2 〜建国的故事」
3「墜落天人・その1 〜水蓮的故事」
4「墜落天人・その2 〜水蓮的故事」
5「友愛(フィーリア)・その1 〜夏雨的故事」
6「友愛(フィーリア)・その2 〜夏雨的故事」
7「宵の青、暁の藍・その1 〜建国的故事」
8「宵の青、暁の藍・その2 〜建国的故事」
9「愛惜・その1 〜水蓮的故事」
10「愛惜・その2 〜水蓮的故事」
11「台北神話 〜天上的故事」

純愛小説『上海明珠』シリーズ@上海
1「掌上明珠」
2「開端 〜はじまり/その1」
3「開端 〜はじまり/その2」
4「雨後之虹」
5「紅粉佳人/その1」
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8「最後的放暇 〜最後の休日」
9「早上 〜朝早くに」
10「回憶 〜追憶」
11「誰在虹上 〜SOMEONE OVER THE RAINBOW/その1」
12「誰在虹上 〜SOMEONE OVER THE RAINBOW/その2」
13「向前走 〜前へとゆく」
14「夜光玉」

冒険小説『天馬行空』シリーズ@内モンゴル
第1回  第2回  第3回  第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第9回  第10回  第11回  第12回 

ことのは『アジア“小避行”・こころの楽園』シリーズ@東〜東南アジア
70 「純白のギャラリー 〜ソウル」
69 「まばゆい視界 〜上海」
68 「橙色の夢 〜上海」
67 「夜市という天国 〜台北」
66 「河と海のまじわる地にて 〜台北」
65 「地の底からの祝福 〜台北」
64 「路面電車のぬくもり 〜大連」
63 「果実茶のうえに 〜ソウル」
62 「真夏の草原(くさはら) 〜内モンゴル」
61 「星ヵ浦の渚 〜大連」
60 「宵の中山広場 〜大連」
59 「太極拳 〜台湾」
58 「天上から 〜上海」
57 「烏龍茶 〜台湾」
56 「淡海 〜台湾」
55 「成仏の花畑 〜内モンゴル」
54 「彼岸 〜ミャンマー」
53 「たゆたい 〜タイ」
52 「女王蘭 〜シンガポール」
51 「フンファー(ブーゲンビレア) 〜タイ」
50 「遊覧 〜上海」
49 「仏国寺 〜慶州・韓国」
48 「夜市の夢 〜フフホト・内蒙古」
47 「澄清湖 〜高雄・台湾」
46 「孔子廟へ 〜桃園・台湾」
45 「白い港 〜基隆・台湾」
44 「雑踏 〜ジャカルタ・インドネシア」
43 「鈍(にぶ)色の風景 〜蘇州」
42 「群青 〜フフホト・内蒙古自治区」
41 「大理石の谷 〜花蓮・台湾」
39 「孔子廟 〜台南・台湾」
38 「北陵 〜瀋陽」
37 「馬頭琴 〜シリンホト/内モンゴル」
36 「離宮 〜バンパイン・タイ」
35 「楽園にて 〜ソンクラー・タイ」
34 「黄金の凝縮 〜コラート・タイ」
33 「ダンドゥットの夜 〜ボゴール・インドネシア」
32 「上海・摩登(シャンハイ・モダン) 〜上海」
31 「南のヴィラにて 〜マニラ・フィリピン」
30「世界遺産・夢幻の都 〜アユタヤ・タイ」
29「白い道 〜ミャンマー」
28「砂紋 〜内蒙古」
27「ヒスイのみなも 〜香港」
26「のびゆくちから 〜マレーシア」
25「マニラ湾の夕映え 〜フィリピン」
24「河と海の交わるところへ 〜台湾」
23「赤い袈裟の陰 〜西蔵(チベット)」
22「シリンホト草原 〜蒙古」
21「ガアデンブリッジ 〜上海」
20「さいはての極楽 〜ミャンマー」
19「岸辺にて 〜ブルネイ」
18「「デジャ・ヴュ 〜中国東北地方」
17「果樹園通りにて 〜シンガポール」
16「真夏のたそがれ 〜台湾」
15「慈光 〜アジア」「20年先という時代 〜アジア」
14「遠い空から 〜アジア」「天 〜アジア」
13「いつのまにか こんな遠くに 〜アジア」「オリエントの民 〜西アジア」
12「血 〜アジア」「あのとき、〜〜していれば… 〜未来」
10「記憶喪失  〜アジア」「大地 〜中国東北部」
「蘭  〜東南アジア」「アジアの純情」
「オリエンタリズム  〜アジア」「はかなきもの〜アジア」
「ひとしずくの幸い」(台湾)/「オレンジの」(台湾)
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「翡翠(ヒスイ)の雲間」(アジア)/「破片(かけら)」(中国東北部)
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