月刊モダネシア-TOPに戻る
新・アジア考 ネット自由詩 日韓交流 新刊紹介 既刊紹介 連載紹介 Profile

アジア風物誌40 台湾編2
「緑の大路を吹きぬけて〜2人乗りのスクーター」

 台湾はスクーター社会。バイクも多い

   左右に脇目をふることなく、視線はただひたすらに、遥か数キロ前方に。ひとあし早く心は既に行き先へ、次第にこの身もいつのまにか透明な気流と化していた。

 亜熱帯の緑の香りあふれる、群青色の宵のなか。漆黒の摩◇託車(モーター・サイクル) は、椰子の街路樹をさざめかせ、オレンジ灯をくぐりぬけては、漢字看板の連なりをも見送り、イエロー・キャブのひしめく排気ガスの合間を自在にすりぬけて、一路北上を続けていた。いったん唇を開けば、再び閉じるのに苦労するほどの強風のなか、ぴし、ぴしと容赦なく夏の虫が頬めがけて吹きつけてくる。正しくは飛びかう羽虫のただなかに、愛車が突っ込んでいるのだが。

 中国大陸の街路を埋めるのが自転車なら、台湾の島はスクーター。その普及台数は1100万台とも言われており、実に国民の二人に一人が保有している。早朝の出勤時ともなれば、停止線にはずらりとスクーターが鼻先を並べる。青信号とともに一斉にうなり声をあげるのは壮観だ。主流となるのはホンダなどの日本製よりもむしろ、韓国の双龍や光陽製のものだ。台数が半端でないせいだろうか、ライダーたちは愛車を見分ける意味もあり、ボデイ にさまざまな工夫をこらしている。称して台湾人のスクーター愛。まだらにスプレーをかける者、銀色の座席カバーを被せる者、ステッカーを貼る者。絵柄も人気のたれぱんだから、御守り代わりなのだろうか、御札や時には“南無阿弥陀仏”の文字まで見受けられる。事故る前から、いきなり念仏なのだった。

 車体後部に目を移せば、ナンバープレートは、台北市と高雄市、それ以外の地域は台湾省として一括されている。道端でこれを目にするたびにはっとせずにはいられない。中華民国にとって台湾はあくまでも省の一つなのかと……。歩道には自転車置き場ならぬスクーター置き場が設置されており、雨あがりなど、青葉の街路樹のもと、バックミラーは一様に木漏れ日ごしの青空を映しだす。いかにも現代の台北らしい一風景だ。

 またはイエローキャブの濃密な黄色の合間を、素脚も露わなお嬢さんのスクーターがさっそうとすりぬけてゆく。その頬が排気ガス対策のマスクに覆われていることも少なくない。しかもタータンチェックやキテイ ちゃん柄などなど。やはり女性ライダー人口が多いせいだろう、マスクもおしゃれの一つと化しているようだ。日本でも花粉症の時期に導入してはいかがかと思う。娘さんの二人乗り、恋人の相乗り。現在では三人乗りは禁止されていると言うが、以前はこんな話もあった。父の運転席の前に坊やを立たせ、後ろに娘と母がひしめき、その背に赤子の自分が背負われていたとか。しかも籠に犬まで乗せる! ことも不可能ではなかった。しかし何よりもほほえましい風景は、おじいちゃんが後部座席にはにかみがちにおばあちゃんを乗せ、そろいのヘルメットを並べて、さっそうと街をゆく……。

                    *

 熱烈に見つめあうよりも、同じ方角に鮮烈な集中を向けている方が美しい。個人的に私は愛の言葉をささやくより、贅沢なデイ ナーを囲むより、スクーター二人乗りの疾走を何よりも好んでいる。

 鋼をたわめた肩のラインは、筋肉質ながら、相手をこばみはせず、ほのかに汗ばんだ背中は、そっと距離を置きながらも、何かを待っているようにも見えた。仰げばそびえるような胸板も、いったん囲いこまれれば、思いのほかすんなりと腕の内におさまる。次第に四本の腕が、どちらのものでもかまわなくなり、やがて確かなものは、時おりかちあうヘルメットのみに。−−今ここにいる−−瞬間瞬間というパワースポットに集中する、それがすべてであった。

 いつのまにかそろって隣車線を振り向いては、アスファルトの凹凸に従って上下に波うつ。右に左に体重移動を試みるうちに、気づけば一心同体に、まるで双子、それとも兄妹のように。−−おにいちゃん−−いつになく風景が鮮烈に目に映る。すべてが吹きぬけているようで、実は最も体感しているのかもしれない。地図片手のときは、目的地をめざして汗をかきかき、訪ね歩かなければならない。そぞろ歩きの最中ですら、どこか撮影・取材対象を捜し求めて気の休まるときがない。彼の運転に身も心もゆだねているとき、何よりも台北の街が映えわたる。

 大通りをゆく車も人もさほどでなく、ぜいたくな中央分離帯には、整然と椰子の並木が続き、根元には花壇までもがしつらえられている。仁愛路に至っては、外側の三車線と分離帯にはさまれた二車線を往復そなえた合計十車線と、横断歩道を渡るのに苦心するほど、余裕のある街づくりだ。街路樹にはオレンジの鳳凰花がさざめき、おしげもなく全開の花弁を、雨あがりの路上に散りばめていた。

 台北と言えば、古びた植民地時代の建物に、極彩の看板がひしめき、歩道を屋台が埋めつくすというイメージがあるかもしれない。たしかにツアー旅行で観光する範囲はそこまでだが、実際の台北ははるかに広い。新宿に匹敵する忠孝・敦化や、青山通りを思わせる中山北路(特に二段と六〜七段付近)、郊外には小さな原宿、天母など。それらをつなぐMRT、モノレール&地下鉄が、この都市の風景を一新していた。

                     *

 旅の高揚と恋の始まりは少し似ている。すべての風景が貴重で、毎日が新しい。進めばとりあえず何かある。後戻りはできない。ここで一口食べておかなければ、ひきかえすにも道がわからない。しかしこれはツアー旅行ではなかった。ガイドもコースも存在しないのだ。期待という地図に従って、自らの体で確かめてゆく。幸いにも並んで歩く人がいる。時おり二〜三歩、先をリードすることもあるけれど。

 あれは出会った翌日のこと。今宵二度目の電話で突然、彼は「今、会えないかな」とのたまった。慌てふためきながらも化粧を急ぐ私に、三度目の電話が鳴り響き、「上司に呼び出されてしまって、会えなくなりそうなんだ」私は落胆を隠しきれず、のっぺらぼうなファンデーションのまま、ベッドにかがまり、昨晩の出来事でも記そうかと日記張を開いていた、そのさなかのこと。四度目の電話の声は、どこか息せききっていた。

「今……ここにいるんだけど」
「ここって、あなたの寮に? 」
「いや、きみの」

二転三転の状況変化よりも、遠路はるばるの距離を思い、しばしの間、言葉を失う。

 窓の下にはさんさんと、彼がたたずんでいた。「さ、」と後部座席を示されたものの、−−振り落とされないためには、つまり−−昨晩出会ったばかりの男性に、素面で腕をからめるのは、さすがにはばかられる。しかもふと手渡されたヘルメットは、女物の紅色。

「………………………………」

−−前髪がつぶれないか、とかよりも−−けれどおもむろに片脚を振りあげ、タイトスカートのスリットが裂けるのも構わずに乗りこんだ。“つべこべ言わずに抱きしめなさい”胸の内の何ものかに促されるように思われる。腰にからむか、肩にまわすか。初夏と言えども雨曇りの運転は肌寒い。私はその肩を囲む方を選んだ。もはや終電という交通手段を気にする必要はない。スピードをあげる背中で、ちらりと思う。−−門限破り、可だな−−

 二人乗りにしろ、恋愛にしろ、あまりべったりと体を合わせすぎない方が良い。かといってぼうっとマグロのように相手任せでもいけない。そっと体を重ね、息を合わせて、右に左に体重移動。できれば明るい空気のようにほのほのと包みこんでいたい。……しかし結局は、彼のペースに導かれているのかもしれない。異郷の地では、どこに何が待ち受けているか、想像もつかないのだから。

 本当に何があるかわからない。乗りこんでから数十分、もしくは出会ってから二十数時間。このひとときがおそらくは、留学中で最も幸福なひとときだったのではないかと思う。それとも心のどこかでは、憂いなく愛せる最後の時間だと知っていたのだろうか。

 少なくとも当時の私は歌いだしたい気分だった。実際、後日、運転に飽きはしないかと、人力ジュークボックスを試みたこともあるのだが。ただしレパートリーが少ないのが難点である。しかも中国語の歌謡の場合、歌詞に自身がないため、ハミングとなってしまう。べつにエンジン式ではないのだが、信号待ちでは一時停止。隣車線への騒音郊外をはばかってのことだ。好評であったのは、宇多田ヒカルの曲。これはうなずけるにしても、意外なのは日本の唱歌“おぼろ月”であった。

 ともかくも彼の耳元に顔をよせ、ハンドルの握りを頼もしく見おろしていた、そのとき。素肌の薬指に、きらめくものを見出した。銀色の……草木模様のそれは……私は、私はこの国の風習を知らない。例えば母から護身のために賜ったものであるとか、別れた恋人の忘れ形見であるとか。−−それともまさか−−

 しかし心の曇りは爽快な疾走にあまりにも似つかわしくなく、そのまま気流の中にやりすごす。淡水河沿いの夜風と化す。−−到着したら尋ねてみよう−−それまで至福をひきのばしておきたかった。

 

バックナンバー;
(台湾風物誌)
1「味わいのある恋をしてみたい、山の麓の茶房にて〜台湾茶」

(内モンゴル風物誌)
15「チベット仏教寺院〜砂塵のはてに極楽を見た」
14「昭君墓 〜おしどり夫婦は和平シンボル」
13「フフホト(呼和浩特) 〜北のはての青い街」
12「ナーダム 〜男子三技、民族の祭典」
11「相撲 〜死人すら出た無制限自由型」
10「寝台列車 〜眠りの密集」
9「砂漠 〜4A級の砂丘、45度」
8「ラクダ 〜キャメル毛布どころか砂漠の舟」
7「馬頭琴 〜草原のチェロは亡き愛馬」
6「酒〜モンゴルウォッカに馬乳酒」
5「乳製品 〜白い食べ物、神聖なもの」
4「羊 〜全国から広く世界まで」
3「羊肉料理 〜日本進出の味」
2「蒙古馬 〜大草原のトレッキング」
1「草原 〜天の神さま、地の神さま」
(ミャンマー風物誌)
14「八曜式占星術の世界にようこそ」
13「誕生曜日と八方位の相関」
12「曜日に司られた人生」
11「境内はアミューズメント・スポット」
10「癒し&ヒーリング」
9「お供えグッズ」
8「功徳システム」
7「出家の日々」
6「ぼうさまワールド」
5「東南アジアの巻きスカート」
4「男性向け『ろんぢー』再び」
3「女性向け定番ファッション」
2「熱帯アジアの着物」
1「着るアート、腰巻きタイトスカート『ろんぢー』」

(『豊饒の楽土』中国東北部風物誌)
9「瓜の実るころ /東北部」
8「快餐£華ファストフード/大連」
「北方の真珠≠ニいう名の都市の象徴・中山広場/大連」
「老虎灘という名の楽園 /大連」
「大連賓館、歳月(とき)を超えて /大連」
「東北部の窓口・大連客船ターミナル /大連」
「水晶、ガラス、クリスタル/大連」
「蛇の島 〜まむし王国 /旅順」
1 「戦跡 〜あれから100年 /旅順」

                        PageTop


  Mail   アジア好きのための掲示板 Copyright(C) 2001-2002 Mizuho Asna